第5話

一週間が過ぎた。目覚まし時計が鳴っている。リュウは布団をかぶったまま、手探りでそれを止めた。

 リュウはこの一週間、トレーニングでターボやアンジェラに顔を合わせることはなかった。つまり、リュウは毎日彼ら以外のパートナーと組んでいたのだ。

 リュウは浴室にある小さな鏡に自分の姿を映し、惚れ惚れと眺めた。筋肉隆々だ。これが、トレーニングの成果か。

 突然ノックの音がした。

 リュウは眉をひそめ、筋肉をピクピク収縮させながらその場で様子をうかがった。これまで、リュウの部屋をノックした者はいない。 アカデミーのマニュアル三十六ページ第九段落によれば、「寮においては、いかなるときでも訪問を禁ずる」となっている。 いったい、誰がノックしたのだろう。

 リュウはゆっくりと浴室から出た。「はい」と言ってみたが、 返事はない。だが、床の上に一枚の紙が置かれていた。ドアの隙間から押し込まれたようだ。「いったい何だ?」

 その紙はリュウの体をこわばらせた。嫌な予感がする。俺に対する排除命令か?  落ち着け。まずは紙を拾うんだ。

 リュウはドアの下から、紙を引っ張り出した。まずは内容を知る必要がある。通知用紙には厚みがあった。このような用紙を使う目的はたった一つ。これが極めて重要な知らせで、簡単にしわくちゃにしたり、破り捨てたりできないようにしているのだ。

リュウは通知を裏返した。一行目に、大きく太字で「GWO訓練演習」と書かれている。

 「訓練か」リュウは安堵した。

 「本通知書により、八時からの訓練演習に参加することを命ずる。この演習は現実のシナリオに基づくものである」

 現実のシナリオということは、アカデミー内部ではなく、外部戦場での演習ということだ。リュウが行ったことのない場所で演習を行うのだ。リュウは以前、この種の軍事訓練について聞いたことがあった。このような演習は、きわめて厳しい環境で兵士をテストするためのものだという。通知を読むうちに、リュウの想像はどんどん膨らんでいく。

 通知の最後には、「演習欠席者は反逆者と見なし、グレード5の処罰に処す」と書いてある。

 グレード5の処罰とは最上級の罰則だ。もちろん死刑を意味するのだが、頭部を銃撃するという類ではなく、まずは拷問にかけ、のたうち回るような苦しみを散々味あわせたあとに、受刑者は死を迎えるという最悪の処刑だった。 少なくとも、マニュアルにはそう書いてあった気がする。それ以上のことは知りたくもない。

 時計を見たリュウは少し焦り、演習に必要な準備に取り掛かった。通知には戦闘服と書いてある。戦闘服とは、アカデミーに入学したときに支給されたダークグリーンの迷彩服だ。屋外での着用に耐えられるよう厚めの生地が採用されており、耐候性の防水布のような手触りがする。ポケットやホルスター(銃ケース)がたくさんついているので、装備品の携帯も容易だ。また、目と頭を保護するためゴーグルとヘルメットも用意した。

 「よし、準備完了!」

 準備が終わると、リュウは少しそわそわしてきた。これから何が起こるのかは皆目見当がつかなかったが、まずは通知で指示された第5ゾーンへと向かう。第5ゾーンはアカデミーから約十六キロ離れたところにあるため、リュウはシャトルバスに乗った。車窓から景色を眺めると、外の世界の記憶がよみがえった。アカデミーに入学して以来、外の世界を見るのはこれが初めてだった。地表を覆う雲のような煙と暗い空が広がっている。かつてリュウが住んでいた町には生命があふれ、木々や草花が生い茂っていたが、今ではまったくの荒れ地となってしまっている。戦争はすべてを破壊し、残っているものといえば、高層ビル群の残骸だけだ。世界のどこかに、このような荒廃を免れた場所があるのだろうか。

 第5ゾーンに着いたリュウは、早速あたりを見渡した。想像していた場所とは少し違う、いや、まったく違っていた。地面に転がる死体などなく、血だらけの者もいない。炎も死の影もない。正直なところ拍子抜けしてしまった。広大な大地が目の前に広がり、そこには草がまばらに生えているだけだ。ここには、始まりも終わりもない。木も山も見えず、点在する建物の残骸は、演習の装置のようにも見えた。周りを確認したところ、十六名ほどのクラスメイトが参加しているようだ。朝礼とは違い、それぞれが離れた場所にいるため、生徒の番号は確認できない。リュウが知った顔を探そうとすると、聞き慣れた声が響いた・・・

 「全員、配置に着け」 リュウをムチ打ち部屋に送った、あの教官だ。教官の声が合図となり、生徒たちは演習シナリオのモードに入った。

 生徒は各自、駆け足で所定の位置についた。リュウも通知で指示されたとおり、地面に濃い赤のスプレーで引かれたラインについた。

 「よく聞け」教官が指揮台の拡声器を使って怒鳴った。「一度だけ言う。各員に色の付いた腕章を渡す。この腕章の色がお前たちのチームカラーだ。チームの中でキャプテンを決めろ。キャプテンは封筒を開けて、中の命令を読め。そして演習開始だ。制限時間は二時間。以上」

 教官の話が終わると、衛兵が生徒たちに腕章を配り始めた。腕章は四色(青、黄、赤、緑)あるので、四チームに分かれることになる。参加生徒はやはり十六名で間違いないようだ。腕章はランダムに配られているように見えるが、これまでのアカデミーでの経験を考えると、このチーム分けにも何らかの理由があるはずだ。リュウの腕章は青だった。青を見ると心が落ち着く。リュウは青が好きだった。青は天国の色で、幸運の印よ、と母がよく言っていた。反対に赤は悪運の象徴だった。

 さてと、次は? リュウが周囲を見渡すと、木の棒のようなものが見えた。そのてっぺんでは、旗が風になびいていた。それは赤い旗で、リュウのチームの色ではなかった。リュウは遠くの方まで見渡して、青い旗のついた棒を探した。

 「おい、リュウ、こっちだ!」大きな声がリュウを呼んだ。こっちに歩いてくる。

 「えっ? ターボ! 何してるんだ?」

 「お前も青なのか!」ターボが興奮気味に言った。

 「ああ、同じチームみたいだな」

 「ということは、俺たちが他のチームの奴らをやっつけるって寸法だな」 ターボがにやりとした。「俺たちも早く棒を見つけて、チームに合流しようぜ」

 ターボもリュウは廃墟の方に向かった。青い旗が見えたような気がしたのだ。棒は演習エリアに散在しているため、各チームは互いに十分な空間を確保できるようだ。

 「見ろよ! あそこだ」とターボが旗を指して叫んだ。

 青い旗に近づくと、背の高い男子に向かって、女子が話しかけていた。

 「あっそう。あなたはそうやって、私のことは無視するつもりなのね?」アンジェラが叫んた。「あなたの名前を聞いてるのよ、このでくの坊」

 「アンジェラ!」嬉しい驚きだ。ただし、アンジェラにリュウの声は届いていない。「アンジェラ、俺だよ、リュウだよ」リュウはそう言いながら、彼女の肩に手をかけた。

 アンジェラは反射的にその手を掴み一本背負いを決め、リュウを地面にたたきつけた。

 「ひどいな、アンジェラ」リュウは地面に倒れたまま、顔をゆがめた。

 「まあ、何てこと」アンジェラは投げ飛ばしたのがリュウだったとわかり、目を丸くした。「ごめんなさい。あなただと思わなくて」 アンジェラはすぐに膝をつき、リュウを起こした。

 「君のために命を危険にさらした人間に、こういうお礼をするのか?」 リュウはなんとか立ち上がると、半笑いで言った。

 「もちろん、そんなことしないわ」と、アンジェラが答えた。「でも、あなたも気をつけてね。私たちはアカデミーから離れた場所で軍事演習に参加しているのよ。それに私はこのマヌケと話すことに気を取られていたの。そうしたら急に、あなたが私の肩に手をおいたってわけよ。私としては、一本背負いで投げ飛ばすしかなかったのよ」 そう言うと、アンジェラは目を閉じて腕組みのポーズを取った。私は何も悪いことをしていないわよ、という雰囲気を漂わせた。「でもごめんね、大丈夫?」

 「ああ、大丈夫だよ。それに俺も悪かった」

 「俺も悪かった?  怒ってるの? 謝ってるの? はっきりしてよ」アンジェラがあきれた、という表情をした。

 「もう、いいよ。水に流そう。俺たちには重要な任務がある」リュウは背中をさすりながら言った。「しかし、動きがいいな。感心したよ」

 「女の割には、ってこと?」

 「俺はただ、素直にほめてやろうと思っただけさ」リュウが恥ずかしそうに答えた。

 「そう、じゃあ、ありがと」アンジェラも恥ずかしそうにつぶやいた。

 リュウはターボの視線を感じた。ターボはニヤついてこっちを見ていた。

 「おい、リュウ」ターボはリュウに寄りかかって、耳元でささやいた。「あの子、彼女か? 男女交際は禁止だろ」

 「彼女じゃねえよ!」 リュウは思わず大声を上げてしまった。リュウはアンジェラと目が合って、すぐに視線をそらした。

 「ねえ、あなた名前は?」 アンジェラが、背の高い男子にあらためて尋ねた。話題を変えようとしている。リュウはほっとした。

 「ここでは、名前を使わないんだ。忘れたのか?」その生徒が答えた。「番号でいいだろう。それに俺は大して重要でもない凡人に名前を教えたくないんだ」

 「何ですって!」アンジェラは目を細め、拳を握りしめながら、その生徒に近づいた。 「待てよ、アンジェラ」リュウが二人の間に割って入った。もちろん、今度はアンジェラの肩に手をかけるような間違いは犯さなかった。「俺は知ってる。お前、ヒロだろ。一〇二番」

 「そのとおりだ」ヒロがぶっきらぼうに答えた。「俺の番号を知ってるやつは多い。ここでは俺は重要人物だからな」

 リュウはヒロを知っている。ターボとヒロのレースで姿を見たのはもちろんだが、実はもっと前、アカデミーのオリエンテーションのときに見かけている。番号をもらったとき、ヒロはリュウの隣にいたので、リュウが一〇一番なら、ヒロは当然、一〇二番になる。

 「じゃあ、お前も青チームなんだな」ターボは最大の敵を睨みつけた。

 「一九〇番」ヒロが答えた。「俺がここに来た理由は、たった一つ。お前たちのような馬鹿に一番になる方法を教えてやりに来たのさ」

 「何だと、お前・・・」今度はターボが拳を握りしめた。

 「ターボ、落ち着けよ。まずは、話を聞いてやろうぜ」リュウが割って入った。「俺たちには任務があるんだ。あいつの話も聞いてみよう。黙らせるのはそれからでもいいだろ」

 ターボはリュウの意見を聞き入れ、一歩下がった。ターボはまだヒロを睨みつけていたが。ヒロは気にせず、人を見下したような、渇いた声で話し始めた。

 「俺がこのチームのキャプテンになってやる」

 「何だと? お前がか?」とターボ。

 「ターボ」リュウはもう一度ターボをなだめた。

 「封筒なら、もう中身を読んだぜ」ヒロが続けた。「俺たちはGWO指揮下の部隊に配属された。俺たちの任務は・・・」ヒロは薄笑いを浮かべながら、三人の顔を見渡した。「〈レジスタンス〉を倒すことだ」



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