第13話

リュウは立ち上がろうとした。怪我はしているが、重傷ではなさそうだ。しかし、いざ体を動かすと、身体の節々が悲鳴を上げた。これまでの人生で経験したことがないような痛みだ。リュウは全身をチェックすることにした。アカデミーのマニュアル四十七ページ第八段落を熟読していたので、基本的な応急処置の知識はあった。頭部から順番にチェックしていくと、手で触れるまで気がつかない傷もあった。腹部を押し、腕も隅々まで触って確認した。さらに、息を大きく吸い、一度止め、肺の中に水が溜まっていないことを確認した。次に、両腕を上げると、脇腹に刺すような痛みが走った。

 「痛い!」

 リュウは痛みを感じた辺りに手を当ててみた。その部分を押すと、痛みが増した。戦闘服を持ち上げ、その辺りの肌を目で確認した。肌は紫色に変わり、痣になっていた。指で軽く突いてみると、肋骨が動いた。そして、激しい痛みが襲ってきた。

 「痛え!」リュウは思わず叫び声を上げた。「ちくしょう、肋骨が折れてる!」 リュウは、戦闘服をそっと下ろした。

 左の肋骨が一本折れているようだ。しかし、ナイトホークが撃墜されたことを考えると、肋骨の骨折だけで済んだのは不幸中の幸いだろう。もしかしたら、内臓破裂や、手足を切断するような重傷を負う可能性もあったわけだ。リュウはとにかく前進しようと思った。

 「みんなを探さないといけない」リュウは自分に言い聞かせた。

 辺りを見渡し、とりあえずナイトホークの残骸に向かってみようと思った。残骸からは大きな煙が上がっているはずだ。それらしい煙が一〇〇メートルぐらい先に漂っている。リュウは武器を握り、煙を目標に歩き始めた。敵の施設はなさそうだ。三日月が出ているおかげで、茂みや高い木にぶつかることもなく、目標に向かうことができた。

 ナイトホークの残骸に近づくにつれ、煙は濃くなり、破片が焼ける臭いも強くなってきた。小さな一角が燃え、煙が上がっている。残骸の一部だろう。もう少し近づくと、コックピットの一部と思われる鉄くずの下から声が聞こえてきた。

 「た、助けてくれ。頼む、助けてくれ!」苦しそうな声が、途切れ途切れに聞こえてくる。

 リュウは声の元に向かった。まだ燃えているものや不安定な残骸を避けながら、慎重に進んだ。残骸の中心部に着くと人影が見えた。その先には、パイロットの身体が大きな金属片の下敷きになっている。着用している軍服から、それがパイロットだということがわかった。

 黒い人影は、ヒロだった。ヒロが数メートル先にいる。

 ヒロはリュウの方をチラッと見たが、すぐに、パイロットに視線を戻した。

 「助けてくれって言ったのか?」ヒロはパイロットの前で膝をついた。

 「そうだ、お願いだ」パイロットは激痛で息も絶え絶えになっている。

パイロットの胴体の下に大きな血だまりができている。リュウは肋骨の痛みをこらえながら、ゆっくりとパイロットに近づき、様態を確認した。

「ヒロ、パイロットは重傷だ。ここから引っ張り出さないと」リュウが言った。

パイロットは機体の一部の下敷きになっているため、二人だけで助け出すのは難しそうだ。リュウは辺りを見渡し、近くに誰かいないかと目を凝らした。

ヒロはまだパイロットを見ていたが、やがて目を閉じ、リュウに、「行くぞ」と言って立ち上がった。

「行くぞ?」リュウは怒りを覚えた。「どういう意味だ? 助けないのか?」ヒロにとって、 自分以外の人間はどうなってもいいのだ。

「パイロットをこのまま残しては行けない」リュウはヒロの腕をつかんだ。

「いいだろう、一〇一番。お前の言うとおりにしよう」ヒロはそう言うと、リュウの手を振り払った。「どうしてもと言うなら、あいつを助けてやろう」

リュウは、ヒロの言葉を信じていない。だが、重傷を負ったパイロットを見ると、そのわずかな希望にしがみつくしかなかった。

「バカなまねはするなよ」リュウはヒロの顔を正面から睨みつけて言った。

「もちろん、バカなまねなんかしないさ。あのパイロットはそんなことは頼んでいない。あいつは助けてくれって言ったんだよな?」 ヒロがにやりとした。

ヒロはゆっくりとポケットに手を入れた。リュウはヒロの一挙手一投足を観察し、少しでもおかしな動きをしたら、それを妨害できるような位置についた。ヒロは不意にリュウの腕をつかみ、一本背負いで地面に叩きつけた。リュウは反撃する間もなく、激しく投げ飛ばされた。折れた肋骨が悲鳴を上げた。

「助けが来たぞ!」そう叫んだヒロはジャケットから装置を取り出し、スイッチを押した。

その装置はパイロットに向かって静かに動き始めた。やがて、パイロットが下敷きになっている金属片に磁力でぴたりとくっついた。ヒロはそれを確認すると、リュウの襟をつかみ、すばやくその場から離れた。

ドカーン

爆発音がリュウの耳に響いた。パイロットの命が絶たれた。ヒロはパイロットの苦しみを劇的に終わりにしたのだ。ヒロにとっては、それがパイロットを助ける唯一の方法だったのだろう。ヒロはまたも隊員を犠牲にしたのだ。だが、リュウの予想どおり、良心の呵責などまったく感じていないようだった。リュウはヒロの手を振り払った。激怒していた。このまま見過ごすことはできない。

「このクソ野郎!」そう言うと、リュウはよろめきながらも、こぶしを握りしめた。

リュウはヒロに向かって突進した。こんな蛮行はもう終わりにさせてやる。

「無意味な人殺しはやめろ!」ヒロの顔を殴ろうとした。

しかし、肋骨を骨折しているリュウの動きは鈍い。一方、ヒロは体調万全で、無傷だ。ヒロはポケットに手を入れたまま、リュウのパンチを軽々と避けていく。リュウの攻撃を止めさせるわけでもなく、まるでリュウをからかって遊んでいるようだった。

「お遊びはここまでだ」ヒロはリュウのパンチを受けとめた。

リュウはもう片方の腕でパンチを繰り出したが、ヒロが軽々と身をかわしたため、勢い余ってつんのめった。リュウは足を使ってバランスを取ろうとしたが、ヒロはすばやくリュウの足元を払った。リュウは勢いよく地面に倒れた。リュウは息切れしており、足払いに対しても成す術はなかった。

「お前のエネルギーを、俺のために浪費する必要はないだろう」そう言ってヒロは、地面に倒れたリュウを見下ろした。「パイロットは助けてほしいと言ったよな?」

「黙れ!」リュウが答えた。「おまえはパイロットを助けることができたはずだ。なのに、お前は彼を殺したんだ、このクソ野郎!」

「今となっては、お前はもう、そのクソ野郎に頼るしかないじゃないか」とヒロが答えた。

「お前に命を助けてもらうくらいなら、死んだほうがましだ」

ヒロが声をたてて笑った。「願い事を口にするときは、気をつけた方がいいぞ、一〇一番。お前は認識力が欠如している。あのパイロットは俺が見たときにはもう死んでいたんだ。あいつの胴体は切れてしまっていたんだよ。お前は気がつかなかったのか」

「でたらめを言うな!」 リュウが怒鳴り返した。

ヒロが肩をすくめた。「信じたくなければそれでもいい。俺は、GWOの技術が〈レジスタンス〉に渡ってしまう危険を最小限に抑えるため、コックピットを爆破したまでさ」 ヒロはそっぽを向いた。

リュウはパイロットを見つけたときのことを思い返してみた。パイロットの体の下には、血だまりができていた。ヒロは本当のことを言っているのか・・・いや、わからない。あのパイロットを瓦礫から引き出せていたら、命を救えたかもしれない、という思いがぬぐいきれない。助かる見込みのないパイロットとコックピットを爆破することは、正しい選択だったのだろうか。それが人道的なやり方だというのか。

「立て、一〇一番。まだ任務の途中だ」ヒロが怒鳴った。

「お前と一緒に行動するなんて、ごめんだな」リュウは真っ向から反対した。「お前は先に進めばいい。俺は生存者を探す」リュウは歯を食いしばり、立ち上がろうとした。

「生存者? ああ、そうか。お前の友達のことか、そうだろう?」ヒロが皮肉たっぷりに言った。気取った笑みが顔に広がった。「友達探しなら、手伝ってやるぜ」

リュウはなんとか立ち上がると、「お前の助けなんかいらねえよ!」と叫んだ。

ヒロはリュウの言葉を無視し、気取った笑みを浮かべたまま、ヘッドセットを使ってトーチと交信し始めた。「応答しろ、トーチ、応答しろ」

「トーチだ」応答が返ってきた。リュウは身体をこわばらせながら、聞き耳を立てた。

「ドローンは飛ばしたか?」確認用のデバイスを取り出しながら、ヒロが聞いた。

「ああ、無事に飛ばしたぞ。目標地域の八十八パーセントは完了した」トーチが答えた。「あと二分で、百パーセント確認できる」

「了解。俺はBプランを開始する」ヒロが言った。「それから・・・」ヒロはリュウの方をちらっと見て、少し間を置いてからたずねた。「生存者はいるか?」

「ああ」トーチが答えた。「こっちは、俺を入れて五人だ」

「一九〇番と一七六番はいるか?」

しばらくの間、ヘッドセットからは何の音も聞こえなかった。リュウの鼓動は早くなっていった。ヘッドセットから雑音が聞こえてくると、リュウは最悪の事態を覚悟した。

「ああ、二人ともこっちにいるぞ」トーチが言った。

「了解」ヒロが言った。

リュウは安心して大きなため息をついた。二人とも無事だった。あの二人はかけがえのない存在だ。リュウに残されているのは、あの二人なのだけだ。

ヒロはにやりとしてリュウを見た。リュウにはその理由がわかっていた。このような通信そのものが脅迫なのだ。ヒロはリュウの友人を利用して、リュウを服従させようとしている。大切な友に危害が及ばないようにするためなら、自分の言いなりになることがわかっているのだ。ヒロがその気になれば、適当な理由をつけるだけで、誰でも簡単に処刑することができる。こうなったからには、ヒロに従うしかない。

「わかった、その作戦とやらを教えてくれ」



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