第12話
リュウは窓の方を向いた。太陽の光はまだ見えない。「時間だ」
リュウはすっかり目を覚ましていた。というより、よく眠れなかったのだ。ミッションのことばかり考えてしまい、羊を数えたりしたが、やはりよく眠れなかった。ため息をついて起き上がり、装備をバッグに詰めることにした。すべて詰め終わって肩に担ぐと、ガチャッという音がして、何かが床に落ちた。
「今度は何だ?」
それは小さな写真立てだった。たぶん、ポケットから落ちたのだろう。七歳の誕生日パーティのときに撮った、家族写真だ。リュウの持ち物の中で、両親の姿が写っている、たった一枚の写真で、リュウにとっては宝物だった。
リュウは慌てて写真立てに手を伸ばした。どうか、壊れていませんように。
写真立てを拾い上げたリュウは、ほっと息をついた。傷はなく、両親の姿はきれいなままだった。写真をもう一度眺めると、リュウの目には涙がこみ上げ、やがて、頬を流れ落ちていった。リュウは目を閉じ、しばらくじっとしていた。心の中に両親の姿を描き出そうとしたが、もう時間がなかった。
リュウは目を開くと、両親の写真を持ち上げた。「心配しないで。僕は大丈夫だから」両親に直接話しかけるように言った。「パパとママを失望させたりしないよ」 そう言うと、リュウは涙をぬぐった。
写真立てをバッグの奥に押し込み、きちんと納まっていることを確認した。そして、回れ右をして、部屋を後にした。リュウは二二時にメイン施設東側にある滑走路に来るよう指示を受けていた。滑走路は新参者の出入りが制限されていたが、リュウはグリーンバックの称号以上に昇進していたため、ID確認後、すぐに入場を許可された。メインエントランスに入ると、今度は小型のカーゴバンに乗るように指示された。
「全員乗車!」衛兵が叫んだ。
ドアが閉められ、バンが暗闇を進み始めた。
ミッションは夜間に開始される予定だ。日本の上空を暗闇に紛れて飛行するのだ。今回の作戦では、演習のときに支給された古いライフルや錆びたナイフではなく、新品のハイテク装備が与えられた。
バンはすぐに目的地に到着し、候補生たちはナイトホーク一七〇機に搭乗した。ナイトホークにはステルス性能があるため、敵のレーダーをかいくぐって飛行できる。また、二つのエンジンには最新の推進技術が採用されているため、飛行中は無音に近い。内部には広い貨物室があり、壁に沿って座席が並んでいた。各座席にはシートベルトがついている。リュウたちは装備の最終チェックを済ませたら、座席に着いて、シートベルトを締めるよう指示された。
「あと十分で離陸する」ヒロが叫んだ。
「ちゃんとシートベルトを締めないと、死んじまうぞ」トーチが怒鳴った。「こいつはかなり早く飛ぶからな。乱気流も楽しめるぞ」
リュウは最終チェックを済ませ、息を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出した。そして席に着き、シートベルトを締めた。リュウは神経が高ぶっていた。敵地に足を踏み入れるのは今回が初めてだ。自分のことはあまり心配していなかったが、友人たちのことは心配だった。自分はヒーローになれるタイプではないが、いつでもヒーローになる覚悟はできていた。友人たちも自分のためなら、同じことをしてくれるとわかっていたからだ。
ただ、アンジェラとの約束が引っかかっていた。リュウの父親は、約束は決して破ってはいけない、と口癖のように言っていた。もちろん、リュウに約束を破るつもりはなかったが、もしも自分ではコントロールできない何かが起きて、約束を守れなかったら? いや、余計なことは考えるな。自分がコントロールできることだけに集中しよう。
リュウは周りを見渡した。ターボは向かい側に座っている。それから、自分の戦闘服に視線を落とした。戦闘服のポケットには、名前ではなく番号がついていた。リュウは自分の番号、一〇一番が付いていることをもう一度確認した。事ができるだけスムーズに運ぶように、あらゆることを確認しておきたかった。
エンジンがかかり、機体がゆっくりと上昇し始めた。緊張が高まる。いよいよ離陸だ。
* * *
ヒロは黙ってシートベルトをつかんでいた。機体は容赦なく揺れるが、いつもと変わらず、不安を感じているような素振りはまったく見せなかった。ヒロは悪魔のような表情を浮かべながら、この任務に選ばれた部下たちと、任務終了後に集合する場所について最終確認を行った。チームリーダーには正確な座標が提示されたが、それ以外のメンバーには、大まかな地点だけが提供されたため、各自で推測するしかなかった。
「ヘッドセット、装着!」ヒロが叫んだ。「敵の領空に入ったぞ」
そしてトーチに視線を向け、「面白いことになりそうだな」と言った。
トーチが大きな笑みを浮かべて頷いた。トーチの「面白いこと」の定義はヒロと同じだ。この任務では、ある種の犠牲が予想されるが、トーチにとって、ある種の犠牲とは遺体で楽しむことを意味していた。
ヒロはもう少し何かを真剣に打ち合わせしたかったようで、トーチのほうに身体を傾け、肩を軽く叩いた。トーチにもそれがわかり、ヒロの方を向いた。
「お前の任務はわかっているな」ヒロが小声で言った。「目標地点に着陸したら、小型の偵察用ドローンを飛ばすんだぞ」
「心配するなよ」かすかな笑みを浮かべて、トーチが言った。「俺はちゃんと自分の任務を果たしてやるから、お前は今度こそ、三人以上で帰還できるように頑張れよ」 そう言うと、トーチが少しだけ笑った。
トーチが言っているのは以前の任務のことだ。その任務でヒロのチームは惨めな敗戦を期し、ヒロと通信兵の二人だけが生還した。通信兵を死なせるわけにはいかなかった。通信兵がいなければ、帰還することなど到底できなかっただろう。ヒロのチームはほぼ全滅したが、任務自体は成功と解釈された。ヒロがGWOの求めていたデータを盗み出すことに成功したからだ。データとは、ある種の武器に使用される回路図だった。
トーチが自分の自慢話に移ろうとしたその瞬間、機体が激しい衝撃を受けて傾いた。貨物室には赤い光が点灯し、サイレンが激しく鳴った。
「機体が発見された!」インターコムから叫び声が聞こえた。パイロットの声だ。
機体の位置が〈レジスタンス〉に特定され、地対空ミサイルによる激しい攻撃を受けたのだ。
「総員、配置につけ!」ヒロが叫んだ。
* * *
事態がひっ迫しているのを感じたリュウは、シートベルトを外して、機体の後部へと向かった。室内を見渡すと、シートベルトをつけたまま座席に残る兵士もいれば、座席を離れ機体が攻撃を受けるたびに、頭を壁にぶつける兵士もいた。リュウは友人らを見つけようとしたが、機内が混乱しているためなかなか見つからない。
「急げ、チクショウ」パイロットの叫び声がインカムから聞こえてくる。
爆発音とともに ナイトホークが左に傾く。ミサイルが命中し、中央貨物室に大きな穴が開いた。あっという間に、四人の兵士が夜の空へと吸い出されていった。
「どけ、どけ!」トーチが叫び、近くにいた兵士を機体後方のスペースへ押しやった。
「リュウ!」機体前方から誰かが呼んでいる。かすかな声だったが、リュウには誰の声かすぐにわかった。
「ターボ、放すな!」リュウが叫んだ。ターボは、爆発後も機体に繋がっていたシートベルトをつかみ、なんとかその場にとどまっていた。「手を放すなよ!」リュウはもう一度叫ぶと、機外に投げ出されないように機内の壁にしっかりと張りつきながら、ターボとの距離を縮めようとした。
機外に流れ出る空気の力は強く、猛烈な風を生む。ターボの握力も、刻一刻と限界に近づいている。たくさんの破片が飛び交い、ターボの顔が見えづらい。ターボは必死にこらえてはいるが、シートベルトをつかむその手が滑り始めた。
待ってくれ。リュウはターボに近づこうとするが、風の力に逆らって進むのは難しい。
これじゃ間に合わないぞ。
そのとき、飛び交う破片の隙間から、誰かがターボの腕をつかむのが見えた。 ヒロだ!
「ありがとう」ターボがほっとした様子で言った。ターボはもう片方の手でヒロに抱きつくようにして、起き上がろうとした。
「お礼には」ヒロが大声で答えた。「及ばないよ」
ヒロはすばやく手を振り払い、ターボの腕を突き放した。
「やめろーっ」リュウが叫んだ。ターボの体が夜の空へと消えていく。
「この野郎!」リュウはヒロにつかみかかろうとした。
ドカーン! 再び、ミサイルが命中した。
ナイトホークの機体が半分に折れ、残っていた乗員はすべて空中に放り出された。爆発音のため、リュウの耳は一時的に聞こえなくなった。ただ空気がものすごい勢いで、自分の手足を吹き抜けていくのがわかった。目を開けると、夜空の向こうに小さな光が輝いていた。
リュウは空中でもがいた。パニック状態で手足をバタバタと激しく動かし、回転しながら落下してく。自由落下を続けながら、リュウの脳裏には、ターボが機体の穴から吸い出される光景と、そのときのターボのおびえた目がフラッシュバックした。
ターボは死んでなんかいない! リュウは自分に言い聞かせた。ブリーフィングで受けた説明の断片を思い出したのだ。「お前たちに支給される戦闘服は、最新テクノロジーを駆使したもので、空中でも地上でも自在に動くことができる」
よし、でも、どうやればいいんだ? ブリーフィングでリュウはアンジェラと見つめ合っていたので、肝心な操作方法を聞き逃していた。
コードかトリガーでもあるのかもしれない、とリュウは胸のあたりを見まわした。地面が見えてきた。もう時間がない。リュウはとりあえず、戦闘服のあらゆる場所を触っては押してみた。
「手首だ!」ヘッドセットから声が聞こえた。
「何だって?」
「手首だ、一〇一番」
あと数秒しかない。リュウは手首を見た。ブレスレットのようなものに、小さなスクリーンがついている。リュウは必死にスクーンを叩いた。
「動け!」
スクリーンが起動した。リュウはインストラクションをひたすらスクロールした。
「これだ!」
シュー 音と共に、パラシュートが開いた。落下スピードが制御される感覚があったが、もう遅かった。安全に着地するには高度が足りず、リュウは木に叩きつけられた。
バサッ
木に落ちると、生い茂る葉がリュウの顔を容赦なく叩きつけてきた。
ドシン
リュウの身体は地面に叩きつけられた。なんとか意識はある。リュウは地面に横になったまま、空を眺めた。片目がよく見えず、視界はぼんやりしているが、ナイトホークの残骸のようなものが確認できる。機体は火に覆われ、彗星のような弧を描きながら落ちていく。リュウはその軌跡を追い、頭を左側に向けた。
ボーン! 爆発音がした。ナイトホークが地面に激突したのだ。リュウはそのまま横になっていた。もう少しだけ、じっとしていよう。リュウはアンジェラのことを考えた。アンジェラは無事か? リュウの直感はアンジェラもターボも無事だと言っている。二人を探さなければ。
任務は今でも最優先事項であることに変わりはない。負傷したとしても、任務が免除されるわけではないのだ。
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