第17話
意識を失っているあいだ、リュウは幻覚を見ていた。隕石が地球に衝突し爆発を起こす。巨大な黒雲が、緑と生命にあふれる大地を包み込み、暗黒の荒廃した世界に変えてしまう。場面が一転し、両親の身体が空中に浮かんでいる。両親の胸の内に明るい球体があり、その球体からは目も眩むような光が広がっていく。
両親と同じように自分の身体からも光が出ている。しかし、光はたちまち弱くなっていき、ついには消えてしまう。すると、今度は呼吸ができなくなる——光はリュウの生命力と関係があるのかもしれない。リュウはもがいた。
そこで、はっと目が覚めた。息が苦しい。大量の空気を肺に取り込んでもまだ足りない。もっと空気を吸おうと必死で口を開ける。すると、少しずつだが、正常な呼吸が戻ってきた。
腕を動かそうとした途端、刺すような痛みが走る。リュウは周りを見渡したが、完全な暗闇に包まれていた。頭を動かそうとすると今度は胸郭が痛んだ。段々意識がはっきりしてきた。リュウは寝返りをうって起き上がろうとしたが、頭が何かにぶつかった。
「痛い」リュウは声を上げた。「いったい、どうなっている」 だいたい、俺はどこにいるんだ? どうして、動けないんだ?
腕を伸ばそうとしたが、狭くて完全には伸ばせない。リュウは手で壁を探り、部屋のおおよその大きさを測った。部屋の幅はだいたい一メートル二十センチくらいだろうか。まだ何も見えない。ここは身動きのできない小さな部屋で、光は入ってこない。何の音も聞こえない。どうやら、リュウはどこかに閉じ込められているようだ。
「ここは隔離部屋か?」
どれだけの期間、ここに閉じ込められているのだろうか。どれだけ長く意識を失い、あの幻覚を見ていたのか。今、わかっているのは、お腹が空き、喉が渇いているということだけた。そのうえ、部屋が暑いので、かなりの汗をかいている。床に手を伸ばすと、ぬるぬるしていた。
「これは酷いな」リュウは思わず声に出した。
それにこの臭い・・・あまりの悪臭に息が詰まり、臭いが目に染みると涙が流れた。
リュウは部屋にうずくまりながら、何が起きたのかを思い出そうとした。しかし、リュウには、ぼんやりとした記憶しかない。巨大なCBEに首をつかまれ、吊り上げられ、地面に叩きつけられたことは覚えていた。窒息死寸前だった。吊り上げられているとき、CBEのパイロットが女の子だということがわかった。あの子は誰だったんだろう。
リュウは自分がどうやって助かったのか皆目見当がつかなかった。〈レジスタンス〉が捕虜を取らないことは聞いていた。ということは、リュウは何とかして逃げ出したのだろうか。
状況を振り返っていると、ドアのこすれる音が聞こえた。そして足音が続いた。わずかな光が入ってきて、リュウのいる小部屋の壁に小さな換気スリットがついているのが見えた。リュウは目を細めて息をこらし、外の様子をうかがった。足音から複数の人間が歩いているのがわかった。足音はどんどん大きくなっていく。どうやらこちらに向かっているようだ。やがて、足音がリュウの部屋の外で止まった。
「そっちの端を持って、そのかんぬきを外せ」と誰かが言った。
リュウは思わず声を上げた。部屋が開き、廊下の電灯の明かりが突然部屋に入ってきて頭がくらくらした。実際の太陽光線とは比べ物にならないほど弱い光だったが、長い間暗闇にいたリュウには直射日光と同じくらい強烈に感じられた。
「そこから出てこい」一人の衛兵が、胎児のように丸くなっているリュウを蹴りつけた。
「うっ」リュウは片足を伸ばそうとしたが、あまりの痛さに思わずうめいた。
次にもう片方の足を伸ばし、それから、リュウは壁を手で押した。部屋のねばねばした床が潤滑油の役割を果たしてくれたので、リュウは滑るように部屋から出ることができた。
二人の衛兵はリュウがなかなか立ち上がれないのを見てイライラしたが、リュウからはひどい悪臭がするうえ、汗もびっしょりかいているので、手を貸したくはなかった。
「早くしろ。時間がない」一人の衛兵が言った。
リュウの健康状態を考えれば、動くことさえ難しいのだが、リュウは力を振り絞って、何とか立ち上がった。衛兵は進む方向を合図した。リュウが最初の一歩を踏み出すと、再び、激しい痛みにおそわれた。リュウは隔離部屋から廊下へと出た。壁には赤い矢印がついている。リュウは矢印に沿って進めと指示された。
「早く歩け」一人の衛兵が警棒でリュウの背中を押した。
リュウは、任務が失敗に終わり、どういう理由かわからないが、それが自分の責任にされていることを悟った。罰として隔離部屋に入れられたのだろう。だが、そんなことはどうでもよかった。リュウは早く自分の部屋に戻って、怪我の応急手当をしたかった。
リュウは警棒で押されながら進んだ。衛兵たちは警棒で突きながら、リュウをからかい、怒らせようとしていた。リュウが反撃すれば、いたぶる口実ができる。二人とも、隔離部屋の勤務には飽き飽きしているようだ。もちろん、リュウはそんな挑発に乗るつもりはなかった。
やがて衛兵たちは挑発にも飽きたのか、今度は雑談を始めた。
「候補生の最後のグループの話を聞いたか?」一人の衛兵が言った。
「何の話だ?」
「やつらが三回目の任務についた。合格したら、晴れて戦場デビューだ」
「それで?」
「合否を決める士官たちだって、少しは楽しみたいだろう? それで、そのグループの女子を集めて、服を脱げって命令したんだ」
「何だって?」
「命令に逆らえば不合格にするって脅して、女子に好き放題して楽しんだらしい」
「ちくしょう、羨ましいな・・・それで、どうなったんだ?」
「どうなったと思う?」 最初の衛兵があざけるように言った。「その女子たちは全員、優秀賞をもらって卒業したのさ」
二人は大爆笑した。最高のジョークとでも思っているようだ。聞いていたリュウの全身がこわばった。リュウは足を止めた。悲鳴を上げたくなるような全身の痛みは完全に消えていた。リュウの衰弱した身体に怒りが満ち溢れた。血圧が急上昇し、鼓動が激しくなった。
「弱者を餌食にする話が、そんなに面白いか」リュウは前を向いたまま、静かに言った。
衛兵らはおしゃべりをやめ、リュウに視線を向けた。
「何か言ったか?」片方の衛兵が尋ねた。
リュウは答えなかった。リュウの心にアンジェラが浮かんだ。もしもアンジェラが同じような窮地に陥ったら・・・この瞬間、リュウはアンジェラへの気持ちにはっきり気づいた。リュウは拳を握りしめた。
「アンジェラに指一本でも触れてみろ、お前ら、ぶっ殺してやるからな」リュウは叫んだ。
衛兵は少し後ずさりした。リュウの言っている意味が分からなかった。「アンジェラって誰だ?」片方の衛兵が言った。
「誰が止まっていいと言った?」もう一人の衛兵が怒鳴った。「お前に殺される間抜けなんていないんだよ」 その衛兵はリュウを叩こうと、警棒を振り上げた。
リュウは衛兵の攻撃をさっとかわし、自分をめがけて振り下ろされた警棒をつかんだ。衛兵が力ずくで引き抜こうとしたが、リュウの手から離れない。衛兵はもう一人に助けを求めた。
「この野郎!」もう一人の衛兵も自分の警棒に手を伸ばした。
リュウはこの動きを予想していたので、二人目の衛兵が警棒を引き抜く前に、その動きを封じた。リュウは足を引きずりながらもすばやく動き回り、それぞれの衛兵がリュウの前後に来るようおびき寄せ、さっと身をかわした。二人が鉢合わせした瞬間、リュウは彼らの警棒と腕を利用して巧みに拘束した。どちらかが少しでも動けば、二人の唇が触れ合うことになる。
「悪戯される気分はどうだ?」リュウが嘲るように言った。「これでお前たちも楽しめるだろう。せいぜい喜べよ」
衛兵たちは固まってしまった。驚きと恐怖が入り混じった顔をしている。
「おい、動くなよ」一人の衛兵が言った。
「お前こそ」もう一人の衛兵が言った。
リュウは周囲を見渡し、誰にも見られていないことを確認した。リュウは足早に廊下を進みはじめ、やがて全力で走り始めた。全身を駆け巡るアドレナリンのおかげか、気分はかなりよくなった。リュウは矢印に従って走り、エレベーターを見つけると、自分の寮へ急いだ。
自分の部屋に入ったリュウは、ほっと息をついた。まずは、服を脱いでシャワーを浴びることにした。シャワーが傷口にしみるため、必死に歯を食いしばった。シャワーを出て、身体を拭いてから、傷口に抗生物質を塗り、痛む場所に包帯を巻いた。全身の状態を確認したあと、腰まわりと肩に包帯をきつく巻いた。こうすれば、骨折箇所を固定でき、治癒を待つことができる。それが終わると、着ていた戦闘服をながめた。ボロボロのうえに、酷い臭いも染みついている。こうなっては、どうすることもできない。
「これはもう着られないな」リュウは戦闘服に手を伸ばしながら言った。
リュウが戦闘服をゴミ箱に捨てようとすると、ポケットから何かが落ちた。白い封筒だった。
「何だ、これは・・・」リュウはそれを拾い上げた。
隔離部屋のシミがついているが、表には『指令書・四四四番』と書いてある。
「いったい何だ?」
リュウは封筒を破り、便せんを取り出した。そして床に広げ、読み始めた・・・
愛する息子、リュウへ
もしもお前がこの手紙を読んでいるとしたら、残念ながら、パパはもうお前の待つ家には帰れないと思う。だから、本当はお前に直接話したかったことを、この手紙に書き残すことにするよ。たぶん、手紙に残すことが一番確実だろう。パパとママは普通の医者ではないんだ。〈レジスタンス〉のスパイとして潜伏活動を行っている。パパとママは科学者を装ってGWOに潜入し、ゴーハン将軍と一緒にある実験をしているが、その実験が成功すると、人類は滅亡してしまう可能性がある。
GWOには『ニュー・ホライズン』と呼ばれる秘密計画があるんだ。GWOは、偏見や強欲、憎しみや野心といった人間の性質を消し去ることで、地球を再生しようとしている。このような人間の性質こそが戦争の原因であり、地球を破壊してしまったとGWOは考えている。GWOは、全人類を一つの血統に統合するつもりだ。そして、その血統の遺伝子コードでは、偏見や強欲、憎しみや野心といった人間の性質は削除される。GWOは、新しい血統の「クローン」を作り出すことに成功したら、次は、新しいクローンと同じDNAを持たない、普通の人間を全て抹殺しようと企んでいる。最終的に、GWOは地球を自分たちの植民地にしたいのだ。
〈レジスタンス〉はGWOに対抗する唯一の組織だ。GWOの計画を何度も妨害している。〈レジスタンス〉は技術力を最大限に利用することで、荒廃した地球を再生し、人類を救おうと考えている。パパはこの手紙を、パパの親友で、〈レジスタンス〉の同僚でもある人物に託すつもりだ。その人物の名前は、ヤコブ・ペンスキー。この手紙を読んだら、パパの話を信じて、すぐにヤコブを探し出してほしい。すでに、手遅れになっていないことを願うばかりだが、全人類を虐殺するという、GWOの野望は誰かが止めなければならない。それは、地球の住人として果たさなければならない義務なのだ。
リュウよ、パパがいつもお前に話していたことを、どうか忘れないでくれ・・・お前は特別なんだよ、リュウ。お前には、他人にはない、特別な能力があるんだ。特別な能力がお前にだけ与えられているんだよ。お前にはその能力を使って、愛する人たちを守ってほしい。パパとママはたぶん、どこかの段階でこの役割を断念するだろう。これからはどうか、お前が引き継いでおくれ。
リュウ、こんな重荷をお前に背負わせることになってすまないと思っているが、どうにかしてヤコブを探し出し、GWOの計画を阻止してほしい。
リュウは手紙を読み終え、その場に座り込んだ。身体が震えてきた。この手紙はどうして、僕のポケットに入っていたのだろう? これは罠か? GWOがでっち上げたウソで、リュウが大切な人からウソの手紙を受け取ったら、どのように反応するかを、テストしているのか?
半信半疑のまま最後の行に目を移すと、そこには懐かしい署名があった。リュウはすぐにわかった。
お前の父、サム・ケンドウ
それは、リュウがまだ幼い頃、父親の絵葉書に書かれていた署名とまったく同じものだ。見間違えるはずがない。GWOが父の署名を真似することはできないはずだ。これは本物だ。それにこの文体。父の文体そのものだ。
手紙を手に取ると、自然に涙があふれた。涙は頬から口元へと流れていく。それは悲しみの涙ではなかった ——希望の涙だった。ひょっとしたら、両親はまだ生きているかもしれない。
リュウはまず、ヤコブ・ペンスキーを探し出そうと思った。彼が答えを知っているはずだ。ペンスキー氏を探し出すということは、もちろん、GWOの施設から脱走する、ということだ。
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