第10話

 リュウはよく、両親や幼い頃の夢を見る。リュウが育った古い家の前には枯草まじりの芝生があり、リュウは父親とよくキャッチボールをして遊んだ。家は長い戦争で荒れ果ててしまっていた。娯楽はほとんどなかったが、リュウと父親は何とかして楽しいことを見つけていた。

 「こうやって、腕を伸ばすんだ。それから、投げるときには、体重を前にかけるんだ」

 「わかったよ、パパ」リュウは父親の教えを忠実に守り、力を込めて投げる方法をマスターした。リュウは大きく振りかぶって、重心を前に移動させながら、ボールを投げた。父親がそれをキャッチした。満面の笑みを浮かべている。リュウは喜んで大声を上げた。

 当時の自分の部屋でうたた寝をしている夢も見る。母親がドアを乱暴にたたきながら、大声でリュウを起こそうとする。

 「リュウ! また遅刻するわよ、起きなさい!」母親が大声を上げる。

 母親は医者で、母親業にも熱心だった。朝食を食べているリュウに、「大きくなったら、何になりたいの?」とよく聞いていたものだ。

 「パパみたいになりたい」リュウの答えは、いつも同じだ。「強くてかっこ良くなりたい」

 「それは素敵ね」母親が温かい微笑みを浮かべる。「リュウはね、パパとママにとっては、特別な存在なのよ。それにね、リュウはわたしたちよりも、ずっとすごい人になるのよ」

 「お前には才能があるんだよ、リュウ」と父親が言う。

 「才能?」

 「ああ、特別な才能がな。いつか、お前は重要な決断を下すことになるんだよ」父親はそう言いながら、少し心配そうな表情になった。

 リュウの人生には何が起こるかわからないし、決して平坦な道のりではないよ、と父親が話していた。そのうち、なぜ自分が特別なのかが分かる日が来る。そして、その日が来たら、その目的も分かるはずだよ、と。まだ幼かったリュウには父親が言っていることの意味を完全に理解することはできなかったが、とりあえずは父親に向ってうなずき、微笑んだ。幼な心にも、両親がよく家を空けていることと何か関係があるのではないか、と思っていた。

 両親が家を空けるときはいつでも、アリタとその妻がリュウの面倒をみてくれた。アリタ夫婦とは家族ぐるみで仲がよかった。リュウはアリタの家に泊まり、毎日、父親からの手紙を首を長くして待った。戦争後も、政府は通常の行政業務のいくつかは必要に応じて何とか続けていた。おかげで、リュウは父親からの手紙を受け取ることができた。父親は毎日リュウに手紙を書いて送ってくれた。父親が訪れている地域や風景について書き綴り、いつでも絵葉書を同封してくれた。リュウは父親の目を通して世界を見られることが嬉しかった。毎回手紙の最後に、父親は自分の名前をサインした。その手紙が本物だという証拠だ。父親にとっては単なる習慣だったが、同時に必要なことでもあった。新しい世界では、郵便物はGWOにより検閲されていたのだ。うそを暴く内容であればなおさら、表向きはGWOの意向に沿うような体裁に変えなければならなかった。政府の他の関連施設も同じだった。学校の授業は屋外で、人目につくところで行われた。これは、生徒たちが軍隊に入る前から、精神的に野外生活に慣れるための準備の一環でもあった。

 幼い頃の幸せで屈託のない夢は、決して長くは続かない。場面は変わり、リュウがアリタの家のリビングに立っている。その日、すべてが変わってしまったのだ。

 「リュウ君、ここにお座わりなさい」

 「どうしたの、アリタのおじさん」

 「リュウ君・・・ご両親のことなんだが」

 奥のドアのところでは、アリタの妻がハンカチで涙をぬぐっていた。

 「パパとママがどうかしたの?」リュウは大きな声で聞いた。

 「ご両親は・・その・・事故に巻き込まれてしまって」

 「事故? どうして? パパとママはどこにいるの?」

 「助からなかったんだよ、リュウ君」 アリタはリュウに近づくと、その身体をしっかりと抱きしめた。アリタの妻が裏庭で泣いている。

 リュウはアリタの腕を払いのけ、頭を横に大きく振り、「うそだ」と言った。「おじさんはウソをついてる。パパとママは来週帰ってくるんだから。パパとママは・・・」

 「ごめんよ、リュウ君」アリタに言えたのはそれだけだった。

 「ウソだぁーーー!」 リュウは叫び、膝から崩れ落ちた。

 この場面でいつも、リュウは目を覚ます。鼓動が速くなり、顔は汗と涙でぐちゃぐちゃだ。目覚まし時計が鳴っている。リュウは寝返りをうって、アラームを止める。リュウは呼吸が落ち着くまで、両手で頭を抱え、座ったままの姿勢でいる。「ただの夢だ」自分を落ち着かせようと、大きな声で繰り返す。

 ずっと昔の出来事だが、それは夢となり毎晩のようにリュウを苦しめていた。

 「両親はもういない。その事実を変えることはできない」リュウは自分に言い聞かせると、立ち上がり、着替えを済ませ、トレーニングへと向かっていった。


* * *


 施設の別エリアでは、一〇二番のヒロが、ゴーハン将軍との面会に向かっていた。 将軍のオフィスはメインビルの三階にあった。このエリアには厳重なセキュリティ体制が敷かれている。これまでに何度も将軍暗殺未遂事件が起こっているからだ。

 エレベータードアの両脇を、衛兵が一人ずつ固めている。ヒロは衛兵にバッジを見せた。バッジには、名前とランク、番号が表示されている。衛兵はすぐに、バッジの下にあるバーコードをスキャンした。認証が完了すると、ヒロを見てうなずき、エレベーターのドアを開いた。ヒロはエレベーターで三階に上がりながら、不敵な笑みを浮かべた。エレベーターを降りると、廊下に出て、突き当りの部屋へと向かった。廊下でも衛兵が二人、警備に当たっており、部屋までヒロを護衛した。部屋のドアを通ると、別の衛兵がテーブルで待ち構えていた。すべての訪問者はここで、将軍に面会する理由を詳細に記した書類を見せ、審査を受けることになっていた。ヒロはこのプロセスを熟知していたため、すぐにコートの内ポケットから書類を取り出し、衛兵に渡した。

 「士官候補生、一〇二番、フドウ・ヒロ」衛兵が書類を読み上げた。

 ときおり、書類とヒロの顔とを見比べながら、衛兵は書類を隅から隅までチェックした。それが終わると今度は装置を取り出した。「ここに右手を置け」

 ヒロは右手を置いた。装置がかすかな音をたてながら、スキャンを始めた。装置から光がもれ、ヒロの手は上から下へとスキャンされた。

 「一〇二番、入室を許可する」衛兵が言った。

 ヒロが先へ進んでいくと、奥の部屋のドアが開いていた。部屋に入ると、ヒロの後ろで自動的にドアが閉まった。部屋は広々としているが、煙で少しかすんでいた。十メートル×十メートルくらいの広さはあるだろう。部屋の奥はガラス張りになっているため、施設全体を見渡すことができた。部屋の両側にはいくつもの肖像画が整然と掛けられていた。歴史的な偉人たちの肖像画だ。ヒロは軍事関連の歴史をよく教えられていたので、誰の肖像画であるかはすぐにわかった。肖像画は古代から現在へと年代順に並べられていた。アステカの蛇神・ケツァルコアトル、アーサー王に仕えた魔術師マーリン、古代ローマのジュリアス・シーザーなどの肖像が並んでいる。壁の中央部には、第二次世界大戦中の第三帝国の総統、アドルフ・ヒトラーの少し大きめの肖像画があった。ヒロはさらに奥へと進んでいき、ソファセットのところで足を止めた。ヒロの足元には、GWOの記章が入った、大きなじゅうたんが敷かれている。ヒロは正面を向いた。目の前には大きな机があり、将軍が座っている。

 「ゴーハン将軍」ヒロは直立不動の姿勢で言った。「ご要請いただいておりました報告書をお持ちいたしました」

 ヒロの姿勢は軍隊規則を完全に遵守している。背筋を伸ばし、胸を張り、手は眉の上に合わせて完璧な敬礼をした。ヒロは将軍の返事を待った。

 「士官候補生一〇二番、そこにかけたまえ」将軍は葉巻をふかし、煙をはき出した。

 ヒロは直立不動の姿勢を崩し、将軍の前にある椅子に腰かけた。

 「将軍、我々は第七回訓練演習を終了いたしました。ここにその結果をお持ちしました」そう言うと、コートに入れていた報告書を将軍に渡した。

 将軍は報告書を受け取り、中身を読み始めた。その間ずっと葉巻をふかしていた。ヒロは、将軍の机に印が付いた地図らしきものがあることに気がついた。将軍は報告書を読み終えると、大量の文書の下に報告書を押し込んだ。

 「いいだろう」将軍が大きな声で言った。「必要な人員が揃ったところで、作戦を実行する」

 「承知いたしました、将軍」

 ヒロは前回、ここを訪れたときの経験から、アカデミーにはある種のプロセスがあることを知っていた。つまり、ある種の粛清だ。訓練を通じて、軍事作戦に参加させる兵士をフィルターにかけ、選抜する。兵士の数が目標数に達したら、将軍は次の軍事作戦を開始する。

 「作戦の計画はもう立ててある」将軍は机の上に、書類を取り出した。「我々は進軍して敵を撃破する」 そう言うと、将軍はさきほどヒロの目にとまった地図を広げた。「我々の目標は〈レジスタンス〉の動力源だ。動力源を攻撃して、奴らの動きを止める」

 将軍は立ち上がり、机の上に覆いかぶさるようにして、地図の上にある赤い×印を指さした。ヒロも立ち上がり、印がよく見えるように身体を傾けた。「〈レジスタンス〉は日本に施設を隠していて、それを発電所としている。発電所は山のなかにあるため、山全体が施設を覆い隠すかっこうとなっている。山の中には、トンネルが縦横無尽に走り、人間もたくさん活動している。君の任務は、この施設に潜入して、それを破壊することだ」

 将軍はこの作戦の重要性と、この作戦がいかにして、〈レジスタンス〉の技術力を駆逐できるかを切々と語った。問題の施設は燃料ステーションとしての役割を果たしているため、そこから〈レジスタンス〉は、GWOと戦うドロイドや乗り物、サイバネティックスーツに動力を供給しているのだ。GWOは技術よりも人海戦術を得意としているため、そのような武器を軍隊に供給することはできない。GWOでは、兵隊は捨て駒でしかなく、簡単に交換できると考えられている。しかし、将軍の秘蔵っ子ともいえるヒロには、高官だけに支給される装備にアクセスする権限も与えられていた。

 作戦の概要を説明し、将軍は椅子に腰かけた。ヒロは直立したままだ。

 「承知しました、将軍。我々はGWOのために、必ずや勝利を収めてまいります」ヒロが雄たけびを上げた。

 「君ならできると信じているよ、一〇二番。いや、中尉と呼んだ方がいいかな?」将軍が言った。

 「はっ?」ヒロは驚いた。将軍が何を言おうとしているのか見当がつかなかった。

 将軍はニヤリとすると、コートのポケットに手を忍ばせた。そこから小瓶を取り出して、ヒロの前に置いた。「お前はこれまで、期待どおりの働きをしてくれた」

 ヒロは小瓶を眺めた。小瓶には透き通った緑色の液体が入っている。何かの医薬品のようだ。

 「お前は考えているんだろうな、これはいったい何だろうと」将軍が言った。

 ヒロは直立したまま、液体を観察した。しかし、中身が何なのかはまったくわからなかった。

 「この血清は、我々が誇る技術を象徴するものだ。しかし・・・」将軍は少し間を置いた。「これは強者にだけ与えられるものだ。この血清を使えば、実年齢に関係なく、永遠の若さとエネルギーを保つことができるようになる」

 永遠に若さを保つ血清だって? GWOのエリートであれば喉から手が出るほど欲しいはずだ。永遠の若さ、究極の強さ、パワー・・・もちろん、ヒロも永遠の若さとエネルギーを手に入れたかった。しかし、それには大きな代償が必要であることも理解していた。

 「わかっているとは思うが、これは誰でも手に入れられるものではない」将軍が言った。「この血清は高い地位についた者だけに、特権として与えられるのだ」

 将軍は机の上の小瓶をつかみ、再びコートのポケットにしまいこんだ。血清を手に入れたあとの永遠の若さや活力などをあれこれと想像して、ヒロの心は高揚した。

 必要とあれば、一〇〇人の兵士を犠牲にしても構わない、とヒロは思った。どんな代償を支払おうとも、絶対にあの血清を手に入れてやる。

 「このような機会を与えてくださり、光栄に存じます。決して、将軍を失望させるようなことはいたしません」そう言うと、ヒロは将軍に敬礼した。

 将軍はうなずくと、ヒロに退席の合図をした。

 ヒロは回れ右をして、将軍の部屋を後にした。神経が高ぶり、ヒロの顔には悪魔的な笑みが広がった。

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