13-4 最終話:昴

 こちらの世界では、あれから約一か月経過していたらしい。

 抱え込んだ炎ごと詩音の姿が消えて、蔵は無事だったこと、喬は捕らえられ既に処罰されたことを聞いた。

「それにしても遥さま、無事だったからよかったものの、あんな密室におびき寄せるなんて、無謀すぎます」

「あぁ、あれか? 組織的な動きには見えなかったから敵は一人だと踏んでいたし、それに抜け道もちゃんと用意していたんだ。結局使わなかったけど」

「そーそ。それに俺も兵士も外に待機してたしね~」

 あの後部屋に入ってきた佑星も加わり、詩音は今までの話を聞かせてもらっていた。

「詩音ちゃんの声がしたのに、中入ったらいないんだもん。うわまじかーって」

「驚かせてすみません。でも、私がまた宮廷(ここ)に現れたら、それこそ皆さんびっくりしませんか」

「幸い、あのあと兵士は全部払ってから私も出たし、詩音は怪我が酷いから山奥の別荘で療養していることにしておる。大丈夫だろう」

「あいつが『妖怪だー』とかブツブツ呟いてたけど、まぁそんなの誰も信じないから問題なしよ」


喬には、さんざん妖怪呼ばわりされてしまった。

 理不尽な言動や身勝手な行動に腹は立ったけれども、彼の人生を思うと胸が苦しくなった。ある女性にただ恋をして、そして同じ名前の女に間接的にでも葬り去られるなんて。喬自身、「生きていられるはずがない」と言っていたが、どうなったのだろう。詩音は恐る恐る喬に下された処罰について訊いた。

「あぁ、あれな。『島流し』にした」

 遥星はあっさりと答えた。

「知ってるか? この大陸の南東にある小さな島国で用いられている処刑法で、死罪に次ぐ重刑とされているそうだ。ま、平たく言えば『国外追放』ってやつだ」

 昴国は大陸で、首都であるこの場はかなりの内陸にあり、『島流し』などという処刑法は用いられたことはなかった。たまたま、島国からの使者が訪れ、そうした方法を紹介したらしい。

「甘いよねぇ、こいつ。本来なら市中引き回しが妥当ってとこなのに」

「あの時、詩音が奴に『生きろ』と言っていたからな。それを無碍にはできまい」

「甘いよねぇ、詩音ちゃんにも。あんなに全然女に興味なかったくせに」

 それを聞いて、詩音はかぁっと頬が熱くなるのを感じた。

「そ、それで、どこの島へ流されたのですか?」

「その処刑法を教えた島国だ。詩音がいなくなった後、その国が朝貢に来たんだ。金印やら下賜する物の中に含めて、あやつも奴隷として入れてやった。なんでもその国は女王が占いで国を治めていて、長いこと平和が保たれているらしいぞ」

(女王、占い、邪馬台国みたいな? ていうかそれって罰になってるのかな、こっちに戻らなければいいってこと、とか?)

「なんか奴ら、あいつの姿見てきれいだきれいだって感激してたから、そんな酷い目には合わないんじゃないかと思うぜ」


 でも、喬が生きていられたなら、良かった。

 一人、『紫苑』という女性を殺めてしまったことは、これからも詩音自身が背負っていかなければならない責だろう。だが、あの時ああならなければ、遥星が死んでいた。それを思って、折り合いを付けていくしかない。

「それにしてもさー、詩音ちゃんいなくなってからこいつ酷いの。公務以外の時間、ずーっと紙になんか書いててさぁ。大臣が『紙が勿体ない』って怒ってて」

 佑星が部屋をうろつき、衝立の奥に散らばっていた紙を見つける。「あぁ、これか」と拾い上げて目を通すと、押し黙ってしまった。

「どうしたのですか?」

「いや、遥、凄いね。詩文の才能も、内容も。‥‥‥ま、仲良くやってよね」

 そう言って顔を真っ赤にした佑星は部屋を出て行ってしまった。

 目を合わせようとしない遥星に、詩音は問いかけた。

「あのお兄様を黙らせるって、一体あれには何が書いてあるのですか」

「……それは言えない」


 その夜、詩音と遥星は庭に出て月を眺めていた。

「綺麗な満月ですね。初めて遥さまにお会いした日も、こんな月でした」

 あの時、まさかこんなことになるなんて、一体誰が想像できただろう。詩音は、少し後ろを歩く遥星を振り返って問いかける。

「遥さま。私は、月に、なれていますか?」

「なんだそれは?」

「闇を照らし、貴方を助けるような存在に」

 立ち止まる詩音に、遥星が近づいていってその手を取る。

「詩音がいたから、暗殺者を捕らえることができたのだろう?」

「でも喬は、そもそも私が現れなければ無害だったはず」

「そなたが現れなければ、私は今ここにいなかった。こうして、今この手を握ることもできなかったであろう。それじゃ、ダメか?」

 月明かりを受け幻想的に白く輝く詩音の手を、遥星が持ち上げる。

「そなたには、私の身勝手で随分な目に遭わせてしまった。あの時、炎に包まれたそなたが消えた時、死んだとは思わなかった、元の世界に帰っただろうと信じていた。そなたにとっては、元の世界で暮らすのが安全で幸せで、もうこちらへは戻っては来ないかもしれないと、そう思った」

 遥星は詩音の手をくるりと返し、その手のひらに口づけを落とした。

 その感触と、伏し目がちな瞳にぞくっとした詩音は、耐えきれずにぱっと手を放し、背を向ける。しかし、逃げることは許すまいとでもいうふうに、遥星に後ろからぐっと抱きしめられてしまった。

「詩音がいなくなって、まるで身体の一部が欠けてしまったような空虚さを初めて憶えた。そなたがいて、掻き乱される感情を持ってこそ、私が私でいられるのだと実感させられた。戻ってきてくれて、ありがとう」

 耳元で繰り出される低音に、心臓が痛いくらい跳ねるのを感じる。

「言ったじゃないですか。私、貴方が好きだって。もう私の身も心も、貴方を愛する為だけにここに存在しているんです。それが貴方の力になれるなら、こんな幸せなことはありません」

 詩音は首元に回された腕をぎゅっと握り、震える声で答えた。

「遥さま、あの星、見えますか? あの淡くぼやけた、六つの星の集まり。私、あれに導かれてここへ来たんです││導かれて、というか、今回はもう必死で必死で、探し出して」

「あれは、昴宿だな。この国の名前の元になった星座だ」

 詩音は遥星の腕の中でくるりと身体を回し、その瞳に映る星を見つめる。

「ここに、貴方の処に来るのが、私の進むべき道だと││そう示されたと思っています」

 静寂の中、草木の流れる音だけが響く。

 どちらからともなく吸い寄せられるように、二人の唇が重なった。

 今度は深く、長く。

 月が煌々と照らす中、一筋の影がそこに伸び、揺れていた。


「今回のお茶は、甘くて濃い味がしますね」

 

 部屋に差し込む日の光の眩しさに目を細めつつ、詩音は遥星の淹れてくれたお茶を一口含んでから言った。

「あぁ、これは不老長寿の伝説がある茶なんだ」

「不老長寿ですか。遥さま、どうやら私、こっちでは不死身かもしれません。死に直面すると、向こうに戻ってしまうようで。喬の言う妖怪も、あながち嘘ではないかも」

「ふふ、それは頼もしいな」

 遥星が冗談っぽく笑う。

「でも、もう遥さまと離れるのは、あんな思いは嫌ですから、死なせないでくださいね」

 妖怪かも、ということを否定しなかった彼に少しむっとして、詩音は嫌味を返す。

「それについては、最大限努力しよう。だが詩音、矢に討たれた時も、火のついた松明にも、そなた自分から飛び込んで行っているからな? ある程度自重してくれないと、守るものも守れないぞ」

 そう言われてみれば、そうだった。でも、考えるよりも先に身体が動いてしまったのだから、自分でも手の施しようがない。

「それで遥さまの命を守れるなら、もうなんだっていいです」

「いやちょっと待て詩音」

 詩音の手に、遥星の手が重ねられる。

 あの時と、逆だ。

 振り払われることはもうないのだと、安心できるような力強さだった。

「例え死ななかったとしても、そなたが消えてしまったら、私は何か月も待たなければいけないのだぞ? 私だって、もうあんな思いはごめんだ」

 遥星がうるうるとした仔犬のような瞳で詩音を見る。

(なんか、既視感。初めの頃みたいな…)

 弟よりも子供っぽくて、こんな人を夫だと思える日が来るのか、なんて思っていたことを思い出す。今やすっかり詩音の方が翻弄されてしまっている現実が、ちょっぴり悔しい。

「ところで遥さま。私、大事なことをずっと聞き忘れていたんです。貴方の年齢って││」

「今年、二十歳(はたち)になったところだが」

「は、」

 た、ち。にじゅっさい。20。ついこの間まで、十代。

 詩音は頭を垂れて両手を組み、「すみませんすみません」と見えない何かに向かって呪文のように唱えだした。それを見た遥星が呆れてひとつ、息をつく。

「何をやっておるのだ。初めに言わなかったか? そんなものは関係ない、と」

「うぅ、あれは単に強引に妻にするための詭弁かと」

 遥星は詩音の握られた手を解いて片方を持ち上げ、悪戯っぽくその甲に口を付けながら言った。

「そうだなぁ。あの時それを言わなきゃ詩音を妻にできていなかったのだとしたら、その詭弁にも意味があったということだろう」

 声の振動が、手の甲から全身に伝わってきて、身体の奥まで震える。

ここへ来てわかったことだが、詩音はどうやら手が弱いらしい。遥星もそんな詩音の反応を楽しんでか、わざとそこを狙ってくる。

「う、嘘だったんですか」

「冗談だ、嘘じゃない。そんなに気にするなら、そなたの年齢は聞かないでおくことにしよう。私はそんなものに興味はない。詩音が今ここにいてくれることの方が、よっぽど大事だ」

 遥星は、そう言って詩音の手を両手で包み込み、改めてその指先に口付けを落とす。

 詩音は、この瑞々しい手を羨ましく思うとともに、ずっと離したくないと、強く思う。

「やっぱりこのお茶、全部いただけますか?」

 詩音は茶碗の中身を一気に飲み干し、おかわりを頼んだ。


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