番外編:花言葉3
俺は無事に採用され、宮廷で働き始めた。
後宮の下働きは少女ばかりだったし、様々な雑用や力仕事要員として重宝された。
紫苑様の元で働いていたからこそ、ある程度やることは理解していたし、仕事自体は滞りなく覚えていった。
これまでに培った対人能力もあってか、踏み込み過ぎない距離で周囲からの信頼を得ていくことも難なく出来た。
そうして自分が宮廷で宦官としての仕事に馴染んだ頃、紫苑様の輿入れの日が訪れた。
皇帝とも関わってきて、あの人はこの結婚に全然興味がなさそうなことが気にかかっていた。
色事好きの兄君とは対照的で、どうもそういうこと自体に関心が薄い印象を受けた。
政務か、あるいは趣味に忙しいのか、大臣達の言うままに任せていて、自分から何かを知ろうと言う気はなさそうだった。
それでも、その時になったら、隙を生じさせて貰わなければならない。
単に自分から女に働きかけることをしない、というだけで、目の前にすれば少しは何か変わるかもしれないと、僅かな期待にかけることにした。
花嫁道具と共に馬車で入ってきた彼女を迎え入れるのは、俺の役目となった。
馬車から降りようとした紫苑様は、以前よりも一層美しい姿で、そこにいた。
彼女が俺を見て口を開きかけたのを見て、目で制する。
荷物を運び込ませたあと人を払い、紫苑様を部屋まで案内する。
部屋には世話係の部屋子が待機しているから、彼女と話ができる機会はそのわずかな時間だけだった。
歩きながら、あくまで他人行儀に会話を交わす。
「本日は一旦お部屋に入った後、身を清めていただきます。その後夜になったら陛下のお部屋で一晩過ごしていただくことになっております」
「.........」
「お着替えが済んだ頃にまたお迎えに上がります」
この時の紫苑様は、泣きそうな顔をしていたが、何も言わなかった。
この任務が終わったら、彼女と共に宮廷を脱出する。
警備の手薄な場所も調べてあるし、あとは無事暗殺を遂行するだけだった。
「陛下、夫人をお連れ致しました」
扉を開ける前に、紫苑様と視線を交わす。
緊張しているのがありありとわかる程、震えていた。
これ以上見ていたら彼女を引き止めたくなってしまいそうで、部屋の中に案内した後で俺はすぐに庭へまわった。
予め武器庫から拝借してきた弓矢を隠しておいた場所へ、物音を立てずに急ぐ。
弓矢を選んだのは、遠距離で狙えるからという点と、以前の客に教えられたことがあって少しは使えるからだった。
そして部屋の中を覗ける位置で、目を凝らす。
室内は行灯の明かりがあって、外から少し見ることができる一方、向こうから暗闇の庭は見えにくくなっているのは好都合だった。
ただ、満月が厄介だった。
俺は月の光の当たらない位置で待機した。
.....おかしい。
結構な時間が経っているはずだったが、二つの影は近づくことなく、会話をすることもなく、一定の距離を保ったままだった。
もう少し様子を探ろうと考えていた時、紫苑様の懐から、光が揺れるのが見えた。
(早い、ダメだ!)
一向に近づいてこない相手に痺れを切らしたのだろう、紫苑様が胸元から短刀を取り出そうとしたのがわなった。
しかし、間合いがありすぎる。
短刀で、しかも非力な彼女が仕掛けるには、無謀としか言えない程に距離が開いている。
そう思った瞬間のことだった。
何か重いものがぶつかる音と、「ひぐっ」という悲鳴にならない呻き声のようなものが聞こえた。
(.....は?)
何が起こったのか、分からなかった。
もうひとつの影が上から現れ、紫苑様の影を潰したのだと理解したのは、その新たな影が声を発した時だった。
それからすぐに物音を聞きつけた人々が入ってくるのがわかり、俺は壁の裏に身を隠した。
「.....お妃様.....」
「.........亡くなっています.....」
「...この女が.....」
聞こえてくる会話の内容から、紫苑様が死んだのだということを察した。
(紫苑様.....!)
本当は今すぐに彼女の元に飛びついて行きたい。
だが、多くの人間がそこにいる以上、それは出来なかった。
(紫苑様が出来なかったら、俺が討つ――あの時そう約束したんだ)
入ってきていた片付けの人達が
そしてしばらくすると、二人が部屋の外へ出てきた。
月明かりのお陰で、彼らの姿ははっきりと見ることが出来る。
(.....誰、だ? )
皇帝の隣には、今まで宮殿内では見覚えのない女が立っていた。
男物の服を羽織っているが、その下には見た事のない脚の見えるような服装をしている。髪の毛も結い上げずに下ろしっぱなしのような状態で、ひどく違和感があった。
(何者だ.....? いや、今はそれよりも、皇帝の方を討たないと)
俺は弓を引いて狙いを定めた。
そして放つ直前、その女がこちらに気付き、皇帝の前に飛び出し立ち塞がった。
「.....っ!」
矢が当たった瞬間のことは、今でもはっきり覚えている。
星屑が散らばるようにして姿が消え、羽織だけがその場にバサッと落ちた。
(!?!?!?)
俺は混乱する頭の中、皇帝がそちらに気を取られているうちにと、その場から慌てて退散した。
それから、紫苑様の一家は厳刑に処された。
家は取り壊され、使用人たちはめいめい故郷に帰ったり別の職場を求めたりしたらしい。
俺は使用人たちともそれほど関わりはなかったし、特段の関心はなかったが。
紫苑様の遺体は、斬首された家族と共に、野に捨て置かれたということだった。
皇帝暗殺を謀ったのだから、当然と言えば当然なのだろう。
不思議なことに、哀しいとか悔しいとか、そうした感情は浮かんでこなかった。
ただ、もうこの世から彼女がいなくなってしまったという事実が、俺の感情を凍結させた。
あの謎の女のことは、皇帝含め誰も話題にしなかった。
やはり、幻でも見ていたのだろうか。
ただただ無為に日々を過ごしていた頃、突然大臣から新しい後宮の部屋の手配を命じられた。
なんでも、あの皇帝が突然后候補を連れてきて、既にこの宮殿内にいるのだという。
「そんな、当日いきなり現れるなんて、あり得るのですか」
普段命令には質問も返さず黙って従う自分も、さすがに気になって訊き返した。
「まぁ、ちょっと複雑な事情がありましてな」
答えてくれそうになかったので、仕方なく後宮に出向き、鈴と蘭を呼び部屋の掃除をした。
彼女たちは元々紫苑様の部屋子として入っていたが、あれ以来他の部屋の一番下っ端としてこき使われており、自分の主人ができるということを大層喜んだ。
部屋は、紫苑様の為の花嫁道具として持ち込んだものばかりだった。
ほとんど新品だったが、その中に、彼女が実家で使っていた花瓶を見つけた。
いつも泉のほとりで綺麗な花を見つけては生けていた、それだった。
(紫苑様、紫苑様、紫苑様―――)
俺はそっと花瓶を手に取り、あの日以来初めて涙を流した。
大臣に片付けを終えた旨を報告すると、今度は服を用意して部屋へ案内するように言われた。
そして大臣と共に、皇帝の執務室へ入る。
その"女"を目にした瞬間、息が止まった。
紫苑様が嫁いできた日、突如降ってきて、そのために紫苑様が命を落とした、
その後俺の放った矢に討たれて星屑のように消えた、
あの女が、そこにいた。
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