5-2 名前で呼んで

 中へ入ってみると、想像よりも広かった。

 一階部分では三部屋くらいあるのを、二階部分ではぶち抜いているような格好だ。


「夫人のお荷物は、こちらに置かせていただきますね!」


 部屋の中に小上がりのようなところがあり、鈴はそこへ優しく置いた。


「これからここでの過ごし方をお話しますが、その前に何かありますか?」


 蘭からの投げかけに、詩音はこれ幸いと食いつく。


「はい。ちょっと確認したいことがあるので、荷物の整理をしてもいいですか? 終わったら声をかけるので、それまで座って待っていて貰えますか?」


 詩音の発言に、二人は面食らったような顔を向ける。

 何かおかしなことを言っただろうか?と不安に思うも、二人はそれ以上何も言って来ない。不思議に思いながらも、荷物の置かれた小上がりの方へ向かった。


 荷物といったって、そう多くはない。さっき着替えた元々着てた服や靴、それから鞄。前回ここへ来た時は鞄はなかったが、今回はあの時──星を見上げた時──肩にかけていたためか、一緒に移動してきたのだった。

 詩音の目的は鞄だった。

 中には、化粧道具や仕事用の手帳などが入っている。詩音は手帳を取り出すと、後ろの方の空いているページに、先程喬から聞いた部屋割りと各夫人の名前を書き付けた。


(えっと、真ん中が、レイ夫人‥‥‥左が、シン夫人にカク夫人にリ夫人……。それから、キョウさん。カンガン。後宮と本殿を繋ぐ人。お団子頭で元気そうなのがリン、お下げ髪で大人しそうなのがラン。忘れないうちに、メモしとかないとね)


 ここでも、いつもの仕事の癖が出てしまう。営業でも秘書でも、人の顔と情報を覚えるのは何よりも大事だと言っていい。忘れると相手にとって失礼となるだけでなく、結果として自分側が損をすることだってあるから、ここだけはいつも徹底していた。


 書きつけて、気付く。

 このレイ夫人は、遥星の母親、ということで良いのだろうか。皇帝が複数の妻を持つような世界で、それを間違えたらおそらく致命傷になる。鞄も一緒にここに来て良かった、と心底思った。メモをすることで情報が整理され、必要なことがわかる。


「すみません、お待たせしました。鈴さん、蘭さん。説明、お願いできますか?」


 その声を合図に、鈴と蘭が詩音の傍に駆け寄ってくる。


「「はい!」」


 二人は元気よく返事をした。

 彼女たちの説明によると、こうだ。



 この部屋と、後宮の中は移動は自由。好きに歩き回って大丈夫。

 何か欲しいものがあれば、二人に言いつけて買ってきて貰う。

 同じ階は廊下で繋がっている。

 食事は基本的には部屋で取るが、時々集まって食べることもある。

 部屋の端の方には、彼女達用の寝床や荷物置き場もある。

 昼夜交代で番をするので、どちらか片方は眠っていることも多いとのこと。

 皇帝及びその兄がこちらに来ることもあるし、向こうに呼ばれることもある。

 もっとも、皇帝である遥星は今まで(実質)妻がいなかったので、来たことはないとのこと。



 まぁ、概ね想像からは外れていない。窮屈そうではあるけど、こんなものか。


「それと、その…… 『橘夫人』という呼び方、どうにかなりませんか?できれば名前、『詩音』と呼んでいただけないでしょうか?」


 二人は一旦顔を見合わせ、それから声を合わせてこう言った。


「「わかりました、詩音さま!」」


 蘭が続けて言う。


「私たちのことも、 『鈴』と『蘭』と呼び捨てで結構です。それから、敬語を使われると調子が狂うので‥‥‥私たち相手には、普通の言葉でお願いします」


 どうやら、先ほど彼女たちが面食らっていたのは、詩音の言葉遣いに対してだったようだ。


「あ、はい、‥‥‥うん、わかった。よろしくね、鈴、蘭」


 良い子そうな子達で、良かった。どうみても子供だが、一体いつ頃から働いているのだろうか。


「それから、レイ夫人は、今の皇帝陛下のお母さまに当たる方なのかな? お兄様、がいらっしゃるのよね? そのお母さまも、同じ方?」

「そうですよー! 怜夫人は、陛下の兄君である佑星さまと、遥星さまのお二人の母君です!」


──そう、それ。お兄さんがいるのに、何であの人が皇帝なんだろう? この子達に、聞いてもいいのかな?


「このあと、挨拶に回るんですよね? だとしたら、早くお支度をしましょう! 日が暮れる前の方が良いと思います」


 鈴のアドバイスに、日が暮れかけていることに気づく。

 詩音は四人の夫人へ挨拶回りをするべく、二人に手伝って貰って衣装を整えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る