第二章 宮廷生活は暗殺とともに
5-1 女の園
美少年は、詩音を振り返りもせずに、スタスタと歩いて行ってしまう。
詩音も若干早足で彼の後についていく。
「あの! は、話しかけても大丈夫ですか?」
詩音が呼び止めると、少年は足を止めて振り返った。
「何か?」
「えっと、これから行く場所は、男子禁制と言ってましたが、貴方は女性.....なのですか?」
言ってすぐに、我ながら失礼な質問をしてしまったと思った。
目の前の少年は、無駄な装飾のない男性用と思われる衣服を着ているし、綺麗ではあるものの、骨が太そうで女性っぽくは見えない。先ほど大臣に訊こうと思ったのだが、一つの質問で有無を言わさず追い出されてしまったため、確認できなかったのだった。
遥星よりもさらにあどけない顔立ちをしており、歳は十五前後だろうかと推測された。ただ、何故、女しか入れない後宮への案内役がこの人なのかと、疑問が拭えなかった。
彼はなんてことのない顔で、さらりと答える。
「あぁ、貴方はこの国の人間ではなかったのでしたね。私は宦官(かんがん)なので、男でも女でもありません。もう少しわかるように話すと、元々は男として生まれましたがここへ仕える際に、男性としての機能を取っております。そういう人間を、宦官と呼びます。宦官は本殿にも後宮にも入ることが可能です」
「えっ」
またも自分の中の常識にない話が出てきて、戸惑う。
服装や態度からしても、「女になりたくて」取ったわけでもなさそうなところを見ると、そういう風習があるのかもしれない。
「そうなんですか。不躾なことを訊いてしまい、失礼しました」
「いえ別に。ですから、私は本殿と後宮の伝令役のようなものとお考えいただければ結構です。陛下にお伝えしたいことがある場合には、私にお声がけください。それから、私のことは喬(きょう)とお呼びください」
「わかりました、喬さん。これからよろしくお願いします」
それから喬は踵を返し、先へ進んだ。
後宮はそれほど遠くなく、思いのほかすぐに到着した。二階建ての建物がコの字型になっており、中央に庭園のような、広場のようなものがある。今はおそらく昼下がりと思われるが、人の姿は見えなかった。
全体を見渡せる場所で、喬が説明をする。
「現時点では、中央が先の皇帝陛下の奥方のお部屋、中央に向かって左が陛下の兄君の奥方のお部屋、そして向かって右が陛下の奥方のお部屋です。二階が第一夫人で、一階が第二夫人以降の方々のお部屋となっています」
外から見たところ、二階の部屋は大きく作られており、一階の部屋は細かく分かれているようだ。庭に向かって扉があるため、その扉の数での判断だから、違う可能性もあるかもしれない。
「そうですか。ところで、今はどの部屋にどなたがお住まいになっているか、教えていただくことはできますか?」
「はい。中央二階に、皇太后の怜(れい)夫人がいらっしゃいます。その下──先帝陛下の側室の方々は皆故郷へ帰られたため、今はどなたもいらっしゃいません。左側の二階に、皇帝陛下の兄君の正妻である蜃(しん)夫人、一階に側室の廓(かく)夫人、吏(り)夫人となっております」
(……ふぅん、四人か)
「あまり多くはないのですね。ちなみに、挨拶に伺っても問題ありませんか?」
「構いません。お部屋に入った後は、ご自由にお過ごしください」
ふたたび歩き出した喬に早足で付いてゆき二階へ上がる。
──あれ?お兄さん、いるの?
そういえば遥星も、兄の妻が~と言っていた。
その時は別の発言に気を取られて、すっかりスルーしてしまっていたけれど。
少しの違和感を覚えた時、喬が足を止めた。詩音の部屋となる所に到着したようだ。
喬が声をかけてから引戸を開くと、中から女の子が二人、勢いよく現れた。
「「お待ちしておりました、橘夫人!」」
!?
突然、苗字に夫人を付けて呼ばれ、完全に怯む。
(さすがに、これは‥‥‥)
考えてみれば、さっき喬がそれぞれを紹介した時も、皆”夫人”呼びだった。しかしそう言われても、受け入れられるものと受け入れられないものがある。おそらく”夫人”というのは役職のようなものなのだろうが、その語感がどうしても詩音には「婦人」と聞こえてしまう。詩音の抱えたもやもやなど全く気付くそぶりもみせず、端正な顔を眉一つ動かさずに喬は続ける。
「彼女たちは、ここの部屋子です。貴方の身の回りのお世話を務めます。右が鈴(りん)で、左が蘭(らん)。生活に必要なことは全てこの二人にお任せ下さい。では、私はこれで失礼します」
「「ばいばーい、喬! またねー!」」
可愛らしい高い声が響く。小学校中学年~高学年くらいだろうか?どうみても、子供だ。
まじまじと見つめていると、鈴と蘭は詩音が持っていた手荷物を取って、「橘夫人、さ、どうぞ!」と中へ誘導した。
(やっぱり、その、「夫人」ってのは、なぁ.....)
またしてもその呼び名にむず痒くなる詩音であった。
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