7-1 初出勤
翌朝、本殿へ向かう支度をしていると喬が迎えに来た。
「おはようございます、橘夫人。陛下より仰せつかって、お迎えに上がりました」
迎えが来るとは思っていなかった詩音は、慌てて準備を整えて部屋を出た。
冷たい空気と眩しい朝日の中、喬と共に本殿へ向かう。
「そんな、迎えなんていいのに」
「昨日のこともありますから、ご心配なさっているのでしょう。それにしても、こんなに朝早くからお部屋にお呼びになるとは、随分と愛されていらっしゃるのですね」
喬の発言から、彼には詩音が仕事の手伝いをすることは伝わっていないことを知る。
「え、えぇ。そう言われると、恥ずかしいですわ」
話を合わせようとして、うっかり変な言葉遣いをしてしまい、思わず赤面する。
(ちょっと、『ですわ』って何言ってんの私! むしろ人生で初めて使ったよ、そんな台詞)
遥星はこうした嘘の発言をする時に澱(よど)みなく言えていたことを思い出す。いざ自分がやろうとしてみると、照れが先行してなかなか上手くいかず、単純に凄いと思った。
まもなく執務室に到着し、合図を待って室内に入る。
喬が立ち去ったのを確認して扉を閉めると、中には遥星と髭の大臣がいた。
「おはようございます!本日より、よろしくお願いいたします!」
詩音は、とてもわくわくしていた。
こんなに爽やかな気分で仕事に臨める日が来るなんて、元々の生活では思ってもみなかったことだ。
「おはよう、詩音。大臣だけには、今回のことは話してある。仕事の手伝いについては、大臣に習ってくれ」
「詩音殿、よろしくな」
「は、はいっ!」
髭の大臣の名前は、黄(こう)大臣と言った。早速、部屋の一部の片付けを命じられ、仕事に取り掛かる。対象は、メインの執務スペースとは別の、衝立で仕切られて低い机や硯、筆が置いてあるところだった。
(これは、今回、ここに来た時に私が落ちた(?)場所ね。あの机に頭ぶつけて悶絶してたら大臣に脅されたんだっけ)
丸めた紙や何かを書いた半紙が散らばっていて、片付けがいがありそうだ。そのうちの一つを手に取って見てみる。詩音の知っている半紙よりも、分厚くざらざらした触り心地だ。そしておそらく漢字なのであろうが、そこに記されているのは最大限まで崩した文字で、詩音にはさっぱり読めなかった。
(これって、草書ってやつ? うーん、何がなんだか)
「すみません、黄大臣。ここにある紙は、重ねて一纏めにしておけばいいですか?」
詩音は衝立から顔を出し、大臣に訊いた。その発言を聞いて、遥星が途端に慌て出す。
「し、詩音! そこの紙、読んだのか? 大臣、そこを片付けさせるなら何故言わない!」
何か重要な書類だったのだろうか。その割には、書いてほっぽりっ放しのような感じだったが。
「先程申し上げましたが。陛下が聞いてなかっただけでしょう?」
大臣がやれやれ、と言った体で言葉を返す。それに続いて、詩音もおずおずと返事をした。
「あ、いえ、不勉強で申し訳ありませんが、実はこのような書体は読めなくて」
あんなに『役に立てる』とか豪語したのに、文字すら読めないなんて、情けないことこの上ない。それを聞くと、遥星はあからさまにほっとした素振りを見せた。
(? 何が書いてあるんだろう)
半紙の束と書道具を整頓し、床と衝立の埃を払って机を磨く。ヒラヒラした袖が邪魔で、内側に折り込んで作業をした。
「まったく、紙は高級品だというのにあんなに無駄遣いして」
「竹簡(ちくかん)では芸術性が損なわれるではないか。モノにはこだわりたいのじゃ」
(あぁ、なんかよくわからないけどダメそうな会話が聞こえる)
「あの~、片付け、終わりました」
詩音がそう申し出ると、間髪入れずに次の仕事を与えられた。
「さっきの書体は読めないと言ったが、こちらは読めますかな? 出来るなら、これを起案者ごとに分類をして欲しいのですが」
見せられたものは、平たい棒状の竹を糸で繋いだ巻物のようなものだった。正しい名称は分からないが、海苔巻きを作る時に使うやつの棒一本一本が板になったような感じだな、と詩音は思った。
どうやらこれを竹簡というらしい。縦書きで右から順に文字が記してある。巻き終わりの方の板に、議案のタイトルのようなものと書いた人の役職名と氏名が読み取れた。
その部分は、少し潰れた横長の文字(隷書というらしい)や、よく見慣れた整った文字(こちらは楷書という)で書かれており、詩音にも読むことが出来た。ただし、そこから前の本文のようなところは先程の遥星の半紙と同様に流れるような文字で、ほとんど読めなかった。
そのことを伝えると、大臣は「それなら一番都合が良い」と言った。
陛下の手前、詩音に何か仕事を任せなければならないが、文書の詳細は読まれたくないという意味だろう。それでも、仕事をさせてくれることが嬉しかった。
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