8-4 苛立ち
「大臣、紙を持ってきてくれ」
同じ時、遥星は部屋で筆を持って何やら書いては丸め、書いては丸めを繰り返していた。
「陛下、そろそろ仕事してください。紙はもうありませんよ」
「気分が乗らぬ。紙がないなら、仕方ないから竹簡の余りでも良いぞ」
「いつになったら気分が乗るんですか。決裁案件がこんなに溜まって、あ」
「? どうした」
「先日の、後宮の事故の聞き取り調査の結果が来てます」
遥星は手を止め、大臣の方を振り向き、読み上げるように促した。
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【事故調査報告書】
■の月●日 天気:晴れ 風:なし
事故内容:羊の刻、後宮内の庭園にて陶器が上空より落下してくる事案が発生
落下場所は橘夫人居室の北方、外壁沿い
落下した陶器は、後宮内の使用していない部屋の通路側に置かれていた花瓶と思われる
事故当時の聞き取り結果:
怜夫人 居室にて楽器を演奏していた 音に気付き外に出て、橘夫人に声をかけた
蜃夫人 居室にいた 音は聞こえたが、具合が悪く外に出られなかった
吏夫人 居室にいた その時間は寝ていたため、音には気付かなかった
廓夫人 居室外に出ており 音には気付かなかった
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報告を聞いた遥星は、少し首を傾げた。
その竹簡は分けて置いておくように大臣に言いつけ、やれやれと重い腰を上げて仕事に戻った。
「おはようございます……」
翌朝、詩音はおずおずと執務室に入った。昨日仕事をほっぽり出してしまったことを詫びると、遥星がつかつかとこちらへやってきた。
手を伸ばせば触れられる程の距離まで近寄ると、詩音をじっと見下ろた。なにか逡巡しているようで、言葉を発しない。
(……?)
ためらいがちに視線を下げた遥星は、何かに気付いたようにはっとして、詩音の手首を掴んだ。
「これは、どうした?」
詩音の掌(てのひら)の付け根の辺りに、無数の擦り傷があった。昨日、転んで地面に手をついた時についた傷だ。
「昨日、転んでしまって。でも、大したことありませんから」
「あの後、どこへ行っていた? どうして、怪我をするような場所へ?」
いつもの柔らかな態度とは違う。
苛立ちを含んだような彼の様子を、詩音は不思議に思った。
詩音は、執務室にも後宮にも戻れずにいたら喬が霊廟へ案内してくれたこと、そこで石に躓(つまず)いて転んだこと、その石は人為的に置かれたものであったこと、詩音は気づかなかったが、喬が怪しい人影(羽衣のみ)を見たことを順を追って話した。
その間も、手首は掴まれたままだ。
「あまり迂闊に歩き回るな。それから、昨日の話だが、仕事のことには口を出さないで貰いたい」
そう言うと掴んだ手を離し、机へ戻っていった。
「はい……すみません」
これまで見たことないような高圧的な態度を取られ、どのようにしたらいいかわからなかった。その後は、次第にいつも通りの遥星に戻っていった。
それからしばらくは、特に事件もなく平和な日が続いた。
相変わらず彼は、大臣が部屋に来ると仕事を丸投げして部屋を出てしまったり、詩音と茶菓子を嗜(たしな)もうと提案してきたりした。
詩音もこれまで通り竹簡の整理(これが毎日山のように届けられるので、仕事の終わりが見えない)をしていたが、草書もなんとなく何の字が書いてあるかくらいはわかるようになっていた。
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