1-6 闇を照らす月

「ここは、夜空が綺麗ですね」


 外に目を向けて、詩音は呟いた。

 そもそも、無駄な明かりがない。日が落ちれば真っ暗になり、月明かりだけが頼り。


「そうか?良ければ、少し風に当たりながら眺めにいくか?」


 遥星が、部屋の端から羽織のようなものを二着──彼の分と詩音の分─を持ってきて、一着を詩音に差し出した。詩音はそれを受け取って肩にかけ、彼のエスコートで窓側にある扉からテラスのようなところに出た。


 目の前には、ただの闇。


 目線を上げると、無数の星が飛び込んできた。

 詩音と遥星はしばらく無言で、その星を眺めた。


「私にとっては当たり前の景色だが、そなたにとっては違うのだな。」


 そう言って遥星は薄く微笑んだ。

 真っ暗な背景に、月明かりのみを浴びた白い端正な顔がなんとも儚げで、詩音は一瞬なんだかわからない不安がよぎった。それを振り払うように、景色の方へ視線を移す。

 こんな電気の明かりのない中で星空を眺めるなんて、いつぶりだったか。中学生の頃、林間学校で見た以来ではないだろうか。今自分の目の前に普通に存在している景色が、人生の中で記憶にある限りたった一回しかないなんて、不思議だった。


 余計な光がないから、星の一つ一つがよく見える。

 虫の声と、草の揺れる音。

 それがいっそう静寂を強調する。

 まるで、おとぎ話の中にいるみたいに幻想的だった。


(っていうか、ついさっき星を眺めてたらビルから落ちて、いつのまにかここに来てたんだっけ。まだ何時間も経ってないはずだけど)


 星を眺めながら、なんとなく星座を探す。


(あ、オリオン座。これだけは、素人でも絶対見つけられるやつ)


 そしてオリオン座の中心の三つ並んだ点から右上の方向に視線を動かした先に、青白く輝く複数の星の固まりを見つけた。


(あれ、綺麗だな。あの辺って、なんていう星座なんだろう)


 詩音がそう思った時、池の傍の茂みに、星や水面の月明かりとは違う光がチラッと見えた。


(え?う、動いて?)

「危ないっ!」


 咄嗟に、遥星の前へ身体が動いた。

 鋭い光の元を視界に捉える。

 何かがゆっくりと、こちらに向かって飛んでくる。


(あぁ、まただ。落ちた時と同じような、スローモーションな風景……)


 それが自分の胸元へ現れ、弓矢の矢のようなものだと理解した瞬間、意識が途切れた。



(ん、まぶしい)


 部屋に差し込む朝日の光で、目を覚ます。

 きっちり閉めたつもりの遮光カーテンに隙間があり、ちょうどそこからの光が顔に当たったようだ。

(あれ!?)

 違和感を覚え、がばっと跳ね起きる。

 昨日の仕事へ行った服のまま、ベッドの上で布団をかけず寝ていたらしいことがわかった。

(夢?)

 夢にしては、やけに記憶がはっきりしている。


――ビルから落ちて、そこは女の人の上で、その人は死んじゃって、なんか古代中国って雰囲気のとこで、遥星っていう名前の男の人とお茶して、その人はその国の皇帝で、外出て星見てたら矢が飛んできて──って、私、二回も死にかけてる? そもそも今なんで生きてるの? ビルから落ちたところも夢で、実は普通に合コンに参加して帰ってきたとか? そんな酔う程飲んでないけど???──

 頭の中は?????????の波がとめどなく押し寄せてくる。


 ベッドの下を見ると、昨日持っていた鞄が置いてあった。

(やっぱり普通に家に帰ってきてた?)

 財布、スマホ、家の鍵もちゃんとある。スマホを開くと、メッセージアプリの通知と着信が溜まっていた。


“詩音、どこー?”

“どうしたの?具合悪い?帰った?”

“とりあえず状況知りたいから連絡ちょうだい”


 全部、同じ秘書課の同僚からだった。

 とりあえず状況確認をすべく電話をかけると、しばらくのコールの後、彼女が応答した。


「詩音!もー、昨日はどうしたの~? 急にいなくなるからびっくりしたよ! 酔ったのかと思ってトイレ行ってもいないしさぁ! 男メンツと抜け出したわけでもなさそうだったし。先帰っちゃったの? なんで?」


 息もつかせぬ怒涛の物言いにちょっと怯む。


「うん、ごめんね。昨日は、」


 言いかけて、少し悩む。

 非常階段から落ちたことを、話す? いやいや、そうしたら無傷なことが信じられないし、不思議な夢の世界の話をされたって困るだろう。


「急に体調悪くなっちゃって、タクシー拾って帰ったんだ。辛くてスマホも見れなくて、連絡できなくてごめん」

 ちょっとした嘘で誤魔化す。

「えー、今はもう大丈夫なのー?」

「うん、大丈夫。それより昨日、その後どうだった? なんか迷惑とかかけちゃってないかな」

「えっとね、詩音連絡繋がらないし、申し訳ないけど急な仕事で抜けたってことにして、そのまま続行したよ~。なんてゆーか、普通に二次会行って連絡先交換して~っていつもの感じかな」

「そっか、それなら良かった。昨日はほんとごめんね! じゃ、また会社で」


 通話を終え、ふぅっと大きく息を吐く。


――うん、そうだよね。

 私なんかいなくたって、世界は普通に回ってく。

 いい大人がいなくなったって、そりゃ探したりもしないよね。同僚や初対面の人間に、必死に探されてもなんか違う気がするし。


 そっか、そんなもんか。

 ふと私が失踪とかしたとしても、しばらくは誰にも気づかれないんだろうな。


 あ、やばいな――なんだろ、これ。


「寂しい」 かな。


 いや、これは――


 あぁ、わかった。




「虚しい」か。

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