1-3 天女
「.....どうした?」
男性がまた、不安げな瞳で覗き込む。
詩音は我に返り、軽く咳払いを一つしてから質問に答えた。
「橘(たちばな)詩音(しおん) 、といいます」
「シオン、と申すか。それは、どういう字を書くのじゃ」
「詩文の詩に、音楽の音です」
「ほお、素晴らしい名だな。そなたの家系は詩文に関係があるのか? 私も、詩が好きでな、自分でもよく詠むのだが……」
彼の瞳が突然輝き、前のめりになりかける。だが、すぐに彼自身が話が逸れそうなことに気付き、口ごもった。
「あの、貴方の名も、聞いてもよろしいですか」
この人は先ど、「陛下」と、そう呼ばれていた。
──陛下ってつまり、天皇?皇帝? とにかく、国で一番偉い人にしか使わない言葉なんじゃないかな。
本人の話し方や周りの人の態度からして、それはおそらく間違いないだろう。
しかし、この人は私がテレビを通して知っている日本の天皇陛下ではないし、ここは明らかに現代の皇居ではない──実際の皇居の中に入ったことはないし知らないけど──、それに建物や調度品のつくり、外の風景から考えて、日本でもないように思える。
「私の名は、蒼(そう) 遥星(ようせい)と申す。遥星、と呼んでくれ」
合わせて、漢字の説明もしてくれた。
「遥星、さま、ですか」
「ははは、そんな堅苦しくなくてもよい」
そうはいっても、相手は陛下と呼ばれる身分であるのだし、それにそのやんごとなき雰囲気の喋り方をされると、せめて「さま」ぐらい付けないといけないような気がする。
彼のその名前からして、ここは中国かどこかなのだろうか。
そう考えてみれば、この部屋の雰囲気も受験生時代に世界史の資料集で見たような、漢だとかの古代中国のイメージに近いような気がしてくる。畳ではなく床があり寝台があり、何より丸くくり抜かれた壁にかちゃかちゃと直線が折れ曲がったような模様の格子窓が、素人目にイメージする中国っぽさを強く出している。
「あの、ここは、どこなのでしょうか。中国ですか? 日本では、ないのでしょうか」
詩音が尋ねると、遥星はきょとんとして答えた。
「チュウゴク? 二ホン? それらが何を指しているのか存ぜぬが、ここは、宮殿内の私の居室だが」
詩音は自分の訊き方が独りよがりだったことに気付く。相手が自分と同じ常識の中で生きているわけではないのだと、この時思い知った。
気を取り直して、訊き方を変えてみる。
「失礼しました。質問を変えますね。ここの地域──国の名前は、なんというのですか」
「あぁ、そういうことか。それならば、ここは、昴(ぼう)である。字は、こう書く」
そう言って遥星は、机にお茶を少し垂らして、それを指でなぞって文字を書いて見せた。
昴?
聞いたことない、ような気がする。漢字一文字というのは古代中国王朝っぽいけど、そんな名前、歴史の授業で習っただろうか。
そもそも、ここはいつの時代なのだろう。
電気や機械がないあたり、勝手に古代だと決めつけてしまっていたが、タイムスリップでもしたというのだろうか。
「詩音。その、そなたは、一体どこから現れた? 先程、そなたが落ちてきた真上に梁(はり)はない。しかも見た事のない衣服を身に付けているし、そして、何より、私の危機を救ってくれただろう。そなたは、その、天からの使い──天女か、何かなのか?」
「.....ぐっ.....けほっ、けほっ」
(て、てんにょって.....)
真剣な調子で、物語でしか聞いたことのないような単語を出され、むせ返る。
「.....いえ、普通の人間です。どこからどうやってここへ来たのかは、さっぱりわかりません。こっちが聞きたいくらいです」
夢を壊すようで申し訳ないが、正直に答える。
「うん──そうか。普通の人間だというのなら、ますますどうして、突然降ってきたのかわからぬ。だが、実に興味深い。──良かったらそなたの話をもっと聞かせてくれないか。どんな所に住んでいて、どんな生活をしていたのか。ここへ来る直前まで何をしていて、そして今、どんなことを考えているか」
整った顔が淡い月明かりに照らされる。からからっているのではない、真剣そうな眼差しがそこに浮かび上がっていた。
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