3-2 プロポーズ大作戦(作戦なし)

「大臣。この女性が、私の妻となる人だ」


――へっ??

 突然何を言い出すんだこの人は、と思ったが、詩音はこれでも一応秘書である。驚きつつもそのことは顔に出さずに、なんとか遥星の背中を見つめた。


(一体何を考えて? うぅん、仕方ない、今は見守るしかないかしら)


 驚きの余り固まっていた大臣が、少し間をおいてから口を開く。


「陛下、いつの間に? それに先程、誰も娶る気はないとおっしゃっていたのは?」


 大臣は長い顎髭を撫でながら疑いの眼差しを向けた。

 遥星は怯むことなく、言葉を返す。


「あぁ、すまない。彼女とは、一度はその立場故、一緒にはなれないと離れていたのだが──どうやら、どうしても私に会いたくてここへ忍び込んでいたらしい」


 なんだか勝手なことを言われているが、詩音は黙ったまま聞いている。


「私も、彼女に再会して、もう我慢できなくなった。他の女を妻にする気などない、彼女しかいないのだとわかったのだ」


 突然の熱い言葉に、思わず赤面する。ここを切り抜けるための詭弁だとわかっていても、これはさすがに照れずにはいられなかった。


「はぁ。しかし、いくら陛下の恋人とはいえ、執務室に勝手に侵入することは感心しませんな」


 大臣は相変わらず髭を撫でながら、じろりと詩音を睨む。


「あぁ、しばらく会っていなかった故、我慢がきかなかったのだろう、許せ。して大臣、すまないが、感動の再会を果たしたところなんだ、今しばらく、席を外して貰えないだろうか? 彼女と二人きりにさせて欲しいのだが」


 遥星は詩音の方に向き直り、肩を抱えて立たせた。

 詩音はどういう顔をしてよいかわからず、下を向いたままでいることにした。なんとか上目で髭の大臣の方をチラ見すると、呆れたような、しかし少し嬉しそうな暖かい眼差しを遥星に向けているのが見えた。


(?)


「かしこまりました。本日分の後の仕事は私にお任せください。では」


 髭の大臣は、袖に隠した両手を胸の高さで重ねる礼をして、部屋を出て行った。


 扉の閉まる音とともに、静寂が広がる。

 詩音は肩を抱かれたままであることに気づき、おずおずと声をかけた。


「あの」


 見上げた瞬間、間近で目が合い、お互いにパッと身体を離す。


「あ、あぁ、すまなかった。

 茶でも淹れるから、そこに座っていてくれるか」

 

 そう言って遥星は、部屋の隅にある小さな台所のようなところへ向かう。


(お茶、好きなんだな、この人)


 詩音は指定された席に腰を掛け、遥星が戻ってくるのを待った。


「すまない、菓子は切らしていて、茶だけなのだが良いだろうか?」

「ふふ、構いませんよ」


 先ほどのやり取りは何だったのかと思うような、穏やかな空気に一瞬にして包まれる。淹れてもらったお茶の湯気を眺めていると、遥星が先に口を開いた。


「詩音、先ほどは突然のことで驚かせてすまなかった。あれから三カ月、久しぶりだな、また会えて良かった」

「三カ月、ですか?」


 詩音の方では、三日しか経っていないのに。

 詩音は、あの日狙われる遥星を庇ったあと、元の世界に戻りわずかばかりの日常生活を過ごしたこと、前回同様に夜空の星を見ていたらこちらに来たことを話した。

 遥星は、特に疑うようなそぶりもせずじっと耳を傾けていてくれる。


 あの日、矢が飛んできたあとどうなったのかを尋ねると、羽織だけ残して突然姿が消えたということを教えてくれた。矢を放った暗殺者はすぐに逃げてしまい、捕らえることはできなかったということだった。


「あの時のことは、私が衝撃のあまりに見た幻か何かだったのかとも思った。そなたは否定したが、やはり天女だったのではないかと。だが、そなたの見せてくれた宝石が残っていた。だから、きっとまた会えると、信じていたぞ」


 遥星は、懐(ふところ)から例のネックレスを取り出して見せた。


「返さないとな。ずっと持っていて悪かった」


 すっと差し出されたそれを、条件反射で受け取る。


「あの、それで、さっきの、『私を妻にする』って、一体どういうことでしょうか?」


 詩音は待ちきれずに、自分から問いかけた。


「そうだな。実は最近、大臣がとにかく結婚しろしろとうるさくてな。だが、以前、そなたに会ったあの日、妻となるはずの女に刺されそうになっただろう。女にはそもそも近づきたくないのじゃ。どいつも、いつ私に刃を向けてくるかわかったもんじゃない」


 遥星は饒舌に、泣き言のようなことを喋り立てる。


「そう言っているのに、大臣は世間体がどうとかでどうも納得してくれなかったんだが。そんな時に、そなたがまた現れた」


――ん?


「私の立場として、皇后を立てた方が良いのはわかってはいる。だが、現実問題として、どの女も信用ならぬ。しかし、詩音はあの日私を助けてくれた。あの時話をして、私に対してなんの野心も敵意もないことはわかっている。そこで、だ。私は誰かしら妻を立てなければいけない、そして信用できる女はそなただけ。というわけで、詩音。そなた、私の妻になってくれないだろうか?」


――えーと、はい? 何が「というわけで」なんでしょうか。なんか、無茶苦茶な話だけど、要は都合よく使えそうだからってこと、だよ、ね? 

「誰かしら」って失礼にも程があるだろ! せめて、あの日以来私に惚れて、私のことが忘れられない、とか言ってくれたら、揺らがなくもなくもないけど! 自分で言うのもおこがましいけどさぁ!

 交渉、下手すぎ! もうちょっと言い方ってもんがあるでしょうよ……


 詩音の頭の中を、勢いよく沢山の言葉が駆け巡る。素直なのが美徳とは限らないのよ、と、新入社員に対して思ったことあったなぁ、とふと思い出した。

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