第2章 螺旋暴風ー血を求める暗き闇の侵略者ー
第21話 案内人は人ではなくて
ーー僕はなぜ、こんなところに立っているのか。
漆でコーティングされた上等な木質の机を前にして、冷や汗を垂らしそんなことを思った。
目の前に設置された卵のような形をした
手に持つ紙は力が入り、最初は綺麗に纏まっていたものが今では見る影もない。
精神を揺さぶる極度の緊張状態。
視界一面に人の海が広がるだけで、引き篭もり兼コミュ障たる僕への精神攻撃は最高レベル、虫嫌いな女子をゴキブリの海に沈めるようなものだ。
おかげで声も震えてうまく出なければ、身体は小刻みに震え、顔は青くなり無様を晒す。
とにかく今僕の脳裏にはあるのは、眼鏡をかけた銀服の神官への恨みだけ。
よく見れば、前面の視界に立ち並ぶ椅子の斜め後ろあたりに立ちながら、こちらを見ては手を振っているのも確認できた。
満面の笑みで。
「クッソガァァッ……!」
魔術拡声機に声が入らないように、細心の注意を払いながら愚痴を零す。
思わず、前世の時の悪玉みたいなものが吐き出てしまったが、この状況で感情を荒げない方が難しい。
僕が口を開かなければ、果てなく続く静寂の中で。
何万と突き刺さる視線の矢が心に、脳裏に刺さり、鼓動は早鐘のように緊急事態を知らせる。
テレビで司会者をする人をみる。
彼らは凄いと思う。
目の前にいるのは何十人という人の数。だが、レンズを通した先には日本中何千万人という人の目が、彼の言動全てを注視しているのだ。
面白くなければ売れない。
そんなプレッシャーを胸に抱え、尚笑顔を保ち画面を前に見る人々を楽しませているのだ。
人前で歌う歌手をライブで見た。
彼らは凄いと思う。
女性にしろ、男性にしろ、歌が命とも言える彼ら。
カラオケで数人で歌うのとはわけが違う。
何千、何万という数で。映像に残されて仕舞えば後々、上記と同じく何千万人という人々に見られるのだ。
見ていて飽きず、聞いていて燃える。
そんなパフォーマンスを、緊張の中やり遂げる、彼らは楽しみながら歌を歌うのだ。
皆の前で堂々と主張する政治家を見た。
何本ものマイクに囲まれて、目の前から襲い来るカメラのフラッシュを物ともせず、手による抑揚をつけ、分かりやすく、だが雄弁に彼らは主張するのだ。
間違っているかもしれない。
そう思う中でも、自分は正しいと心から信じ、世の中を変える為恥を忘れて語るのだ。
そんな彼らと比べ、僕はどうだ。
きっと何万分の一にも満たない難易度だ。
小学生や、中学生でも通って来るものの一つ。経験がないものもいるだろうが、ある者の方が多いだろう。
「ーーあ」
卵型拡声機に、向かって声を出す。
機械を通したようなボケた感じではなく、至って綺麗な僕の声が会場に響く。
今から喋る一言一句が、こうも高々に響くと考えると、やはり足がすくみ手が震え視界は白く染まっていく。
ああ、本当に、なぜこうなってしまったのだろうかーーーー。
---
ルイナ大陸は春になった。
冬の身を縮ませるような寒さは消え、積もっていた雪も完全に溶け切った。
元々、雪自体の量は大したものじゃなかったということもある。
単に森の葉で受け止められた雪が下に落ちるたび、そこが深くなっていくから積もっているように思えていたが、葉が邪魔をしないひらけた場所に出れば、積もっても踝程度。
暖かくなった気候なら、簡単に溶けていく。
そう、つまりは僕の門出が来たという事。
「にっしても、広い高原だなぁ」
遠く遠くまで、広がる平原。
名を、ファリス高原という。
その広大な土地の大きさは実に、東西約二十キロ、南北約十キロという規模だ。
地図上から見れば大したことはなかったが、眼で見るのとはまるで違う。
風吹く緑の草原は、波打ち葉が擦れ、心地よい音色を奏でている。
何よりもどこまでいっても緑一色というのが清々しく気持ちが良い。
森から出た時には、高低差の関係で地面の起伏が少ない故か、遠くに町が見える。
大きな城が十キロも離れているのに、悠然と聳え立っており、それらを外壁で囲む町には閉鎖的な物を感じたが、行くまではどんな場所かは分からない。
十キロなんて大したことはない。
先程そう言った僕ではあるが、現在僕は、
「ハァ……ハァ……ヒィィ……ハァ……」
かなり、というか本当にこれはまずい。
森の中を駆け回る事の出来る脚力、そして体力が付いた (というかキングの身体だが)と、勝手に認知をしていたが、もしかしなくても人の身体は、まさか……。
「ーー元の体力と同じとかいうなよなぁっ!!」
更にいえば身体能力の全てが人間並みなのか。
もしそれが本当ならただのクソ雑魚引きこもりの完成だ。
いや、勿論二十キロなんて距離を歩いたこともなければ、散歩なんてしない。
更にいえば、森から出てきた時に町で必要になるだろう物を最低限は持ってきているため、リュックを背負っている。
決して重くはないが、それでも負担なのは事実だ。
比較的高低差の緩急がないとはいえ、目に見える町が全く近づいて来る気配もない。
単純に歩くのが下手なのか。
ワイズが送り出す時妙にニヤニヤしていたのは、こういうことだったのか。
思い出せば意味深に、言っていた。
『君の想像した容姿はかなり窮屈そうだ。見た目通りの性能ならきっと苦労するだろう。町では絶対魔物になるな。殺されてしまうからな』
なんて事をニヤニヤと。
勿論、どんなに不便でも魔物になるつもりはないが、結構これは大変だ。
脂汗がダラダラと、運動不足の身体を濡らし、蒸して行く。
短い脚が、前に進む事を拒みどんどん歩幅が狭くなる。
だが止まるわけにもいかない。
ワイズからはもう一つ注意を受けている。それはこの高原では魔物が出るという事。
今の僕に倒せないようなーーそう、例えばB級なんかは出てこないだろうが、C級に囲まれただけでも死亡案件だ。
立ち止まるわけにもいかない。
すると、ボトッ、と荷物からあるものが落ちる。
「ーーあ」
落ちたのは黒い短剣。
これはフゴタとブヒタが初めて
ナオネが来る前、ブヒタがまだピンピンしていた頃、共同で作っていたそうだ。
未完成であったが、僕が町に出ると聞いてフゴタが急ピッチで作ったらしい。
所々ゴツゴツしていて、刃物を持っているというよりは旧時代の石器を持っているよう。
だがその硬さは尋常じゃない。
どこからか持ってきた丈夫な鉱石を加工、鬼丸が熱で熱し叩いて鍛え上げ、それを続けてできた物。
元の鉱石が良いのか、鬼丸の手腕か、どちらにせよこの短剣はしっかり武器として機能している。
鬼丸から言わせれば熱した加減を調節しただけで、叩いていたのはフゴタと言っていたからその頑張りが浮かぶ。
僕に見つからないように、剣を作るため鉱物を溶かさず変化させる程度の熱を、間近で浴びながらせっせと叩くフゴタの姿を。
短剣を見るだけでその光景が浮かんでしまい、思わず笑みが浮かぶ。
森の皆から貰ったのは短剣だけではない。
背に背負うリュックには色々なものが入っている。
森の素材で作った服五着。
最近ではメキメキと腕を上げ、プロ並みの職人と化し始めた。
ただの服であるはずなのに、肌触りの良い服、伸縮自在である程度力を加えても千切れない。
強いていうならデザインがダサい事だろうか……。
非常に申し訳ない事だとは思うが、全部の服に僕の似顔絵 (キング)を書くのはどうかと思う。
妙に美化されてるし。
嬉しい事に変わりはないが。
鬼丸から貰ったのは木の人形だ。
何かのお守りかと聞けば
鬼丸がそういう宗教じみた事を考えているのは、違和感があったが仕方ない。
彼も元々は
多少なりともその頃の考えが残っているものだろう。
思えば鬼丸はいなかったが
なるほど疑問が解けた。
ナオネからは手紙を一通。
結局、最後まで彼女と良好な関係にはなれなかったが、最後の最後にはサプライズを見せてくれた。
実はこの森、文字をかけるものは一人しかいない。
僕も女神の計らいか知らないが、文字を読むことは出来た。
書くことは出来なかったが、ワイズの部屋の書物をたまに読んでいたのだ。
読めるのに、なぜ書くことができないかと言えば、英語で読みはわかるのにスペルが分からないと言ったあの感覚だと思う。
書こうとすると、文字が出てこないのだ。
そう、そしてそれはナオネも同じ。
奴隷生活を送っていたナオネに文字など書けるはずもなく、いったいどのように習得したかと思えば、最強の教え屋ワイズさんの出番だ。
知りたい事を何でも教える代わりに他人の人生を聞き出す変態ワイズ。
何ヶ月もかかり何とか一文書けるくらいになったと、送り出す時に言われた。
そうして書かれた文章が、
『が ん ば れ な お ね』
一文短っ!
しかもこの文だと自分応援してるみたいだよっ!!
と、まぁツッコミそうになったのは置いておいて。
彼女が恥ずかしがりながら視線を合わせない所など、思わず笑うほど可愛い仕草だった。
それに彼女はこんな僕のために一生懸命覚えて書いてくれたのだ。
返礼は、たった一言で充分だった。
「頑張ら……ないとな!」
短剣を拾いリュックに戻して、気を引き締めて歩き出す。
一歩一歩は重い。
だけど、僕には僕を待っていてくれるブヒタがいる。
彼の為にもーーそして彼女の為にも僕は、何としても後一ヶ月半で治癒魔術師を捜さなければならない。
こうなるとワイズにもお礼を言わなければいけないな。
彼は知識を与えてはくれるが、基本的に何かを手伝うと言ったことはしないのだ。
だからあれは特別な処置。
何が好きか、聞いておけばよかったな。
「ーーん?」
相変わらず重い足取りで、視界を横切る何かに目を取られる。
ーー魔物、か?
そう思い身構えた時、そいつは現れた。
歩く草だ。
根元からズッポリと抜け、根を何本も纏めて三本の足を作り走っている。
僕に危害を加えるわけでもなく、ただ目の前をたったかたったかと走っているのだ。
しかも一匹ではない、数百、数千匹が走っている。
「な、なんだ?」
蟻が飴に群がるよりもけたたましく動く軍勢の、あまりにおかしな光景に気を取られる。その場に立ち尽くしていれば、草達は一斉に止まり、なぜか二つの列を作り、一つの長い道を作り始めるではないか。
次々と起きる現象に頭がついて行かず、唖然とする。
それを見かねた一匹の草が目の前まできて跳ねる。
まさか、この道を通れと、そういうことなのか?
「ついてこいって?」
「ーーーー」
草は喋らない。
ただ、思い切り跳ねて、そのまま自分で作った道の真ん中を、凱旋でもするかのように闊歩し始めた。
まだ歩き出さない僕の方を時たま振り向きぴょこぴょこ跳ねているのは愛嬌が見られてとても可愛いのだが……。
ついていっても良いのだろうか。
道がわからないわけでもない。現にゴールは目の前に小さく見えているのだ。
ならば、逆に迷わされる心配もないか。
「分かったよ。ついて行ってやるさ。暇潰しにもなるだろうし」
気分転換にもなるかもしれない。
そう考えて草達が作る道の真ん中を歩く。
すると、
「う……うおっ!?」
突然地面が盛り上がり勝手に動き始める。
宛ら、魔法の絨毯のように形成された草達の集合体。
これらが僕の重い身体を浮かして、走っているのだ。
最初は罠に嵌められた! とか、どこへ連れて行くんだ! と思いギャーギャー喚いていたのだが、行き先は変わらず町に向かって一直線なのを見て、安心。
風を切る心地良さに高原に魔物が出る事も忘れて、全てを草に任せてしまった。
何よりも、負担が消えた脚の安らぎが、強く優先されてしまったのだ。
もしこれが、凶悪な魔物への案内、もとい餌の献上の類であればこれまた死亡案件。
だが、幸いにもなぜか草達は僕を、町のすぐ近くで降ろして帰って行った。
「ありがとなー!」
と手を振ると皆ぴょんぴょん跳ねながら帰って行った。
本当になぜ運んでくれたのか、不思議で仕方がないのだが、考えても仕方ない。
今度、ワイズに聞いて見るとしよう。
無償で運搬をしてくれる植物系の魔物っていたりする? と。
我ながら何を言っているのかよく分からないが、実際そうなのだから仕方ない。
目の前には見上げ、青い空が視界に映ってしまうほどに高い外壁。
鬼丸がパンチした程度では崩れなさそうな壁だ。
ナオネは……どうだろう。もしかしたら壊すのも可能かもしれない。
「……さってと! ルイナ大陸最大の町、“首都ゼオム”に入りますか!」
と、勇んで僕は、
外壁に一つだけ存在する巨大門に向かって走って行くのだった。
--
さて時は戻り、キングが森を出た直後の話である。
送り出した魔物達は、副リーダー鬼丸の指示に従い食料を調達しに行ったり、雪の重さで壊れた家を直しに行ったりと忙しい日々に戻った。
フゴタも例外ではない。
彼も食料の調達に、まず道具を取りに行こうと魔物達と集落に戻って行くとき、ふと止まって後ろを見た。
そこには未だに立っている少女、ナオネ。
彼女も最近では色々な仕事を覚えて手伝ってくれる。
何よりも力仕事に関しては鬼丸と同等、どころかそれよりも強いパワーを秘めているので、集落的には大助かりであった。
別に仕事をしに行かない事を咎めるつもりはない。
だが、もう旅立ったキングを眺めていても帰ってくるわけでもない。
「ナオネ。行くフゴよ。必ずブヒタはキングが治してくれる。だから俺たちはーー」
話はそこで止まってしまった。
何せ、ナオネの元まで来て覗き込んだその顔は、見た事ないくらい赤い顔をしており、眼から涙を流していたからだ。
「ど、どどどどうしたフゴ!?」
その事態に、焦りを感じ手をあたふたさせながら眼は大海原を泳ぎ、どうすればいいか模索する。
そうだ、こういう時こそワイズの出番だ。
見送りの時はワイズは一言かけただけでさっさと帰ってしまったが、今でも願えば帰ってくるだろう。
そう思い、必死にフゴタは願った。
女の子の慰め方、女の子の慰め方、、女の子の慰め方ァァァアー!!!
と、心の中で叫びを上げ、必死にお願いするが知識の館は姿を見せない。
心の中でとりあえず舌打ちをしておくが、本人の目の前でしたら、何の需要もないフゴタの触手プレイの刑が始まるかもしれない。
そう思うと、鳥肌が立つ。
ナオネが今まで泣いているときは、放っておくという処置を取っていた。
何せ毎日ブヒタの側で泣いているのだ。
これに関して、フゴタ達が中途半端な慰めをすれば逆に彼女は傷ついてしまうかもしれない。
そう、判断したキングが放っておく、と決めたのだが、どうも今回は様子が違う。
いつもよりガチ泣きであれば、顔も真っ赤。
規模が大分大きいのだ。
声こそあげないが、この泣き方はマジモンだという事くらいは、フゴタにも理解できた。
「は……初めて……」
「は、初めて?」
このまま延々と泣き続けるのではと危惧していれば、未だ泣きながらではあるが、嗚咽と共に言葉が漏れ始める。
その全てを聞き逃さないように、フゴタはナオネの口元に耳を近づけ次の言葉を待つ。
「褒めて……喜んでもらえた……!」
「……!」
この時、フゴタは知る由もない。
集落では基本的にナオネは功労者だ。
そのナオネを褒めないわけがない。鬼丸もフゴタも
時には言葉で、時には新しい服のような物を添え、時には皆でワイワイ騒ぎながら食事をして、そんな風に感謝を示していた。
勿論、ナオネは嬉しかったし、喜びもした。
だが労働は奴隷時代でもしていた。
幼少の頃、ディシプリンに拾われてから力仕事は散々こき使われた。
命令されて、その通りに仕事をこなす。
集落でもそうだった。
しかし、しかしだ。
ナオネは自分でキングが何をしたら喜ぶかを考え、実行し、渡したのだ。
周りが自身よりも、素晴らしい渡しものを準備しているのを知っている、その中で。
不安に駆られ、これで良いのかと心配になり、何度も文章に書く文字を練習。
文章も何度もなんて書けばよいのか考えた。
でも何が良いなんてわからないナオネは、妥協ではない。
最終的に、自分が一番言いたい事を手紙に書いて渡したのだ。
最初はワイズの提案だった。
『何を渡せばいいか困っている?
ふむ、ならば手紙などどうだろう? 文字を覚えるのは簡単ではないが、何でも人の社会では親が子供から貰う手紙は心底嬉しいそうだ。君は子供ではないが、同じ効果は得られると、ワタシは思うがどうかな?』
こうしてワイズとの文字の練習が始まった。
最初はこんな紙切れで、本当にキングが喜ぶのか分からなかったナオネ。
今でもキングがなぜ喜んでいるのか、理解に苦しむところだ。
ただの紙。たかが紙。
されど、キングが見せた笑顔は本物で、心底嬉しそうに手紙を抱き締めて、近づいた拍子に言ったのだ。
『本当にありがとう……ナオネ。気持ちが、伝わったよ』
気持ち……。
自分の尻拭いをさせている。
本来なら自分が探すべき治癒魔術師を、キングに任せてしまった罪悪感。
本当ならごめんなさいと一言書きたかったけれど、ワイズに却下され、最終的に決まったのが「が ん ば れ」。
子供はこれくらいの方が良いと、ワイズに諭され書いたこの言葉。
涙を流しながら手紙を抱き締めたキングの顔は嘘じゃない。
あれがもし演技なら、もう何も信じることが出来なくなる。
それほどの感謝を、ナオネは言われたのだ。
生まれて初めて、自分がしたい事をして、喜ばしたのだ。
「……待ってるよ、キング」
空を見上げる。
春になり、暖かくなったこの大地で。
彼は、今、同じ空を見ているのだろうか。
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