第12話 オークの誓い

 


 キングは記憶を無くしたと言っていた。

 確かに、以前と比べて性格はだいぶ変わってしまった。

 何かと優しいし、口調も変わったし、ご飯分けてくれるし、餌集め手伝うとか言い出すし、で何が何だかよく分からない。


 それどころか、いつの間にか目の上のたんこぶだった巨鬼人オーガを倒して醜小人ゴブリン共々、仲間にしてしまっていた。

 最初はどうして、とか仲良く出来ないとか思っていたけれど、まぁ、時間が解決してくれた。

 彼らがキングに献身的に働き接する姿を見て、俺らも変わらなければと、そう考えさせられた。


 キングが蘇ってから半年が過ぎて、冬に入っていた。


 深緑が支配するこの森に、一つの小さな白が舞い降りた。

 舞い降りる白は次々とその数を増していき、緑を白で埋め尽くしている。

 ーー銀世界。

 そう呼ぶに相応しいこの光景は、雪が降り始める初旬には見られず、降り積もった雪が葉から滑り落ち、森の中まで浸透せねば生まれることはない。

 その所為で普通に雪が積もるよりも滑らかでなく、雪の深浅は所々違う。


 そんな中を毛皮を持った俺達は、いつもの格好で雪の中を進む。

 俺は醜小人ゴブリン特製の槍を持ち何かあった時のために備える。

 ブヒタは釣り道具を持っている。

 冬の時期、寒さで餌が少なくなり獰猛な魔物も大人しくなる。冬眠する奴もいれば、土の中に潜り身を潜めている奴もいるが、その中でほんの数種類だけ動きが活発になる魔物がいる。


「寒いフゴねぇ。俺らも毛皮とか着てみるフゴか?」

「正直、付け焼き刃にしかならないブヒ」


 なんて寒さに文句をつけながら俺とフゴタは海岸にまで足を運んでいた。

 食料に関して、冬になる前に醜小人ゴブリン達と協力し、沢山の保存食を事前に倉庫に蓄えてはいる。

 鬼丸と醜小人ゴブリン達の力によって根城が洞窟から、外のログハウスに変わったから、今は空調的に保存しやすい元根城を倉庫として使っている。

 そんな中で、魚を好物とするブヒタが久しぶりに新鮮な魚を食べたいと言った事で、態々海岸にまで足を運んだ、という話。


「さ。さっさと釣って帰るフゴ」

「ブヒ」


 嗅覚のおかげで、いつもであれば危険が迫っても事前に察知出来る。

 が、今は寒さで鼻は効きにくくなっている。

 もちろん冬だから魔物が少ないという理由で、外出がしやすいというのはあるけれどそれでも警戒を怠っていいという話ではない。

 だけど、それなりに釣りをして楽しんだ俺達は、きっと気が緩んでしまっていたのだ。

 ーー魔物の接近に、全く気がつかないのだから。


 釣りを終えてそれなりに魚が手に入り、ブヒタの機嫌も良くなったその時、後ろから強い魔力を感じた。


「……何フゴ?」

「強い魔力ブヒね。そこそこの強さブヒ。少なくともおいら達より……」


「ーーサムイ」


「「!?」」


 か細く聴こえる女の声。

 後ろから聴こえた声に思わず振り返れば、そこには、一人の女性。

 白い着物を着て、髪も透き通る様な白の全身の白の女。

 そうその姿を俺は知っているーー!


「“雪女ゆきおんな”ブヒ! こりゃまずいブヒ!!」

「よりによって、冬にあっちゃいけないナンバーテンに遭っちまうとは、運がないフゴ……ね!」


 疾走、背後にいる雪女を囲む様に走る。

 雪女は見えているかもわからない濁った白い目で、俺らを一瞥した後その目標を、ブヒタに定めた。


「フゥーーーーッ」


 口に手を添えて吐き出す途轍もない冷気。

 元より白く染め上げられた森は、氷点下を遥かに超える冷気によって、当たった場所から凍りついていく。

 凍りついた雪や木々からは、まるで針山のような鋭利な形状を持ち、ブヒタを襲う。

 持ち前のスピードも、足場が雪では上手く走る事が出来ずに、追い付かれそうだ。

 だけど、そんなことはさせない!


「こっちを狙えーーーーフゴッ!!」


 手に持つ長い槍を雪女目掛けて投擲。

 こちらも足場が悪いが、走るよりかは力が入る。

 全力で投擲した槍はまっすぐ飛び、雪女の頭蓋を打ち破らんと迫る。

 だが、迫り来る槍を一瞥した後、手を軌道上に出す。


「ーーなッ!」


 その手から作り出される六回対称の美しい構造をした、複雑な雪の結晶がその槍を阻む。

 ガキンッと甲高い音を立てて、槍は無様に弾かれ、回転しながら近くの木に刺さる。

 結果をもう知っているかのように、俺には眼もくれず、ブヒタを追い掛けながら未だ冷気を放ち続ける。

 ーーくそ、バカにしやがって。


「《土塊ドルマ》!!」


 ブヒタは遂にその身体を捉えられ、凍り付きそうになった瞬間、咄嗟の判断で魔術を詠唱。

 雪女の息を止める土の壁を作り出す。

 凍り付く心配はこれで消えたが、まだ危機的状況には変わりない。

 どうにかして、手伝わないと……!

 でも、俺には魔術は使えない。

 辛うじて、ブヒタよりも武術が得意というくらい。

 接近戦さえ行えれば、勝機はある!


「ならば、攻め時は今と、俺の感が言ってるフゴよ!!」


 疾走。

 雪原、足場が悪くいつもの速度が出ない中で、取った行動は一つ。

 武器元まで走り抜けた後は跳躍、雪が付いていない木を蹴り、木々を猿のように渡り歩く。

 重い身体だ、そう長い距離を跳ぶ事は出来ないが、ここは森、充分な距離を確保できている。


 四つ、五つ、六つと木を蹴った後、見える雪女の頭蓋。

 未だ息を吹き続け狙いはブヒタのまま。

 このまま行けば、その頭蓋は跡形もなく跳ぶだろう。


「これで終いーーーーフゴッ!!」


 満を辞して、槍を横に構える。

 雪女の背後に回った俺は、その勢いを殺さないように体重と慣性と遠心力と、あらゆる力を使って横に薙いだ。

 そして、彼女はまだ眼もくれずにブヒタを攻撃している。


 と、その時、勝利を確信したその時。

 ーー雪女の目が、一瞬だけ笑ってこちらを見た。


「ーーーーサムイ」

「な」


 横からの強襲。

 冷たく鋭くそして速く、飛んできた氷の礫が俺の身体に被弾する。

 数は数えている暇はない。

 拳よりも大きいその氷の塊は、俺の身体の肉を撃ち、そのまま支えのない俺の身体は横に吹き飛んだ。


「ーーーーな、に、が……?」


 分厚い肉と毛により傷は負わなかったものの、かなりの衝撃だった。

 骨の二、三本は逝っているかもしれない。

 だが問題は痛みや怪我の具合ではない。

 目の前に起きている光景の方が問題だ。

 雪に埋もれる身体を起こし、痛みでぼやける目を細めながら、真実をその眼に映す。


「ーーサムイ」「ーーサムイ」

「ーーサムイ」「ーーサムイ」


 四体。

 計四体の新しい雪女が木の陰から現れる。

 ニタニタ、ケタケタと笑いながら、寒い寒いと連呼する彼女達。

 背筋を舐められる様な悪寒を覚えた時、ブヒタに攻撃を続ける雪女はこちらを向きながらその顔を歪ませ笑いながら、言う。


「アナタハーーーーサムクナイ?」

「ひ」


 雪女最後の言葉を合図にし、四体の雪女は空から糸で吊られているかのように地面を滑りながら滑走。

 それぞれは氷の礫を、冷気を、足止めの氷塊を、投げつけ吹きかけ、吹きかけて、そして投げ付ける。


 氷塊が行く手を阻み、二つの冷気が身体を凍て付かせんと迫り来る。

 そして物凄いスピードで氷の礫が命を刈らんと辺りに被弾し、時には頬をかする。


 くそ、くそ!

 どうしたらいいんだ!

 雪女は五体。一体はブヒタに釘付けとはいえ四体を同時に相手をするなんて、今の俺には無理。

 どうやって……どうやってブヒタを助けたら……!


「ーーおいらを置いて、先に行くブヒ」


 ……。

 は?


「このままでは二人とも殺されるブヒ! 今すぐ走って逃げるブヒ!」


 土の壁で身を守りながら、声を張り上げ意思を伝えるブヒタ。

 だがそれはつまり、ブヒタをにして俺だけ逃げろと、そういうこと、だよな?


「ふざけるなフゴ! お前だけ置いて、のこのこ逃げる事なんて出来るわけないフゴ!」

「じゃあ、早く打開策出してブヒ!!」

「……!」


 土の壁に更に氷の壁が、ブヒタの声を阻害する中でも分かる彼の憤怒。

 それはつまり、俺の無能に対する怒りな訳で……。


「おいらは頭が悪いから、何も思いつかないブヒ。魔術以外でフゴタには勝てる事なんてないブヒ。戦略と知識に長けたフゴタが分からないなら、誰にもここは切り抜けることは無理ブヒ! だから……、だから」


 強気に喋り出した声も、話すにつれその勢いを落とし、遂には嗚咽した様子で、ブヒタは言った。


「おいらを、置いて行くブヒよ」


「ーーーーッ!」


 無能を嘲笑っているわけじゃない。

 無能に怒っているわけじゃない。

 これは、これは自分自身に対する不甲斐なさへと怒り。

 決して俺に対してじゃあない。

 だとしても、ならば寧ろ、俺の事をそこまで信じてくれたブヒタの事を、置いて帰る事が出来ようか?

 ーー否、出来るわけもない。

 考える、考えるんだ。

 今まで逃げ回って培ってきた無駄な知識が俺の中にはあるじゃないか。

 それ今活用しないでどこで活用するんだ!!


 考えて、

 思考して、

 考慮して、

 思惟して、

 念慮して、

 潜思して、

 結局、出てこなくて、焦慮に駆られて。


 ついに頭は真っ白になった。


 目の前に広がる雪に染まった自然より、何の色も無い白い光景。

 純粋で、汚れがなく、何も無いただの白。

 何をすれば良いのか、何をするのが最善か。そんなこと、分からない。

 あの時も同じだ。


 海賊が現れて怖くなって逃げ出した。

 自分が死ぬことを恐れて。

 ブヒタが代わりに死んでくれるっていうから逃げ出そうとしている?

 自分が死ぬことを恐れて?


 前と同じ失敗を、繰り返すのか。

 前と同じ過ちを、繰り返すのか?

 前と同じで、自分だけ生き残るのか?


 キングならなんと言ってくれるだろう。


『大丈夫。仕方がなかった』

『良くやったよ、お疲れ様』

『次頑張れば良いさ』


 キングならなんて言ってくれるだろう。


『しょうがないよ、これはしょうがなかったんだ』

『大丈夫、君は悪く無い』

『君の失敗をブヒタはきっと恨まないよ。僕がそれを保証する』


 やめろ。

 やめろよ。

 やめてくれよ。

 そんなこと言わない。

 そんなこと……。


『ブヒタより君 (お前)といる方が楽しいからさ』


 そんなこといわないだろが!!!


 俺の知ってるキングならーー、

 俺の知ってるキングならーーーー!!!


『迷った時は突っ込め、後から考えろよ。お前は考えすぎなんだ』


 そう聞こえた気がした。

 キングが、そう言った気がした。


 あぁーーーー、キング。

 あんたはやっぱり生きていたか……。

 俺の、俺らのーー中に。


「オークの誓い、そのイチィィイ!!」

「ブヒ!?」


 腹から声を出し、昔、キングが決めてくれた俺達のルールを口に出す。


「何があっても諦めず、自身の力を信じるべし!」


 諦めなければ、必ず道は開けるから。

 自身の力を信じなければ、他人を頼るだけの存在になってしまうから。


「その二ィイ! お腹が減ったら我慢しないぃ!!」


 我慢したら、あとあと後悔してしまうから。


「その三んん!! 無駄な危害は加えず、どんな種族とも仲良くすべしぃ!」


 それだけ仲間が増えれば、きっと困った時に助けてくれるから。


「最後! 仲間がピンチなら、何が何でも助けるーーーーベシフゴォォ!!」

「ーーーー!?」


 上から飛んでくる氷塊を身を翻して避け、冷気は下で掴んだ雪を投げつけ一瞬だけ隙を作りその隙に脱出。

 氷の礫は腕を構えて、多少の怪我覚悟の突貫。


「ふ、フゴタぁぁぁあ!!」


「うぉぉぉぉぉおおお!!」


 疾走する勢いは、やはり速いとは言えない。だが、所々木々を跳躍しながら繋いだ速度は充分に雪女を翻弄した。

 拳を振り上げて、突然目の前に現れた俺の姿に驚愕の表情を見せる雪女。

 あと一歩。

 あと一歩で、この顔面に一発くれてやれる。

 その、筈だったのに。


「ーーフゴっ!?」


 ーー地面から伸びる氷に見事捕らえられてしまうとは。


 四体の雪女の表情は相変わらず驚いたままだ。

 何かをした様子はない。

 つまり、それを実行したのは。


「お前かぁぁぁあ!!」


 ニヤついた表情で、こちらを見ている雪女。

 そいつは先程までブヒタを執拗に攻撃していた一体のみの雪女。

 今までブヒタを執拗に攻撃していたのは、自分を戦闘の対象からずらす為ーーか!

 やられた。


「ーーサムイ?」

「煩い……フゴ」


 その雪女も脚が固まり動けなくなった俺の側へと滑走。


 ニタニタ笑いながら首を傾げて、寒い寒いと連呼するその様は、肌が凍てつき細胞が死滅して行く様を愉しんでいるかのよう。


「ーーーーアナタハ、ガンジョウ」

「王に恵まれたフゴね。こんなにいい身体に成長したフゴ」

「ナラ、モット、サムクナル?」


 手を添えながら吹きかける息が、肌に張り付き水分を根こそぎ凍て付かせ、下半身、腹、そして胸と、次々上へと迫る。


 焼け付くような激痛が下半身から迫り来る。徐々に痛みは消え、残るのは身体が視認出来るにも関わらず、感じる喪失感。

 肺が痙攣し、呼吸がどんどんか細く、速くなっていく。

 それは恐怖からか、それとも身体の変質による影響なのかは分からないけれど。

 一つあったのは、もう、キングに会えないということか。


「嫌ブヒ! 死ぬなブヒィ!! フゴタぁぁぁあ!!」

「ぶ、ブヒ、タ」


 ブヒタの声が未だ残る器官の一つ、鼓膜を震わす。

 氷の中で号泣しながら、氷の壁を破壊しようと殴っているが、ビクともしないようだ。

 割れる気配もない。


 ーーこれはもう、ダメか。


 そう思った時、雪女の下卑た顔がその眼に映る。

 醜く歪んだ、苦しむ者を観察する彼女の顔は、本当に酷いものだったが、その顔を掻き消して浮かんだキングの顔は、とてもいつもの表情とは違って怒り狂った表情をしていた気がする。

 だが怒っているにも関わらず、その顔を見ているとなぜか心が安らんだ。


「ーーーー闘技・“死死屍豚シシカバブ”!!」


「ニギィイヤァァァァァァッッッ!!!」


 真上より降り注いだ炎熱の一閃が、雪女を頭から下まで一直線に叩き割った。

 この世のものとは思えない程の絶叫を響かせた後、その姿は煙のように消えて、残るのは強襲に成功した男の姿が一つ。

 その姿に怯えて後ずさる雪女達。


「僕の……僕の友達によくモォォォ!! やれ!! 鬼丸!!」

「よっこいさ! “鬼闘爆炎噴撃オーガ・エラプション”!!!」


 遥か後ろに待機する銀髪の半裸鬼。

 その鬼が振り上げた剛炎纏し棍棒が、地面を砕き、その炎を地面の下へと注ぎ込む。

 ーー刹那、雪女達の地面が赤く発光。彼女らが気付いた時にはもう遅い。

 強烈に噴き出す炎の柱によって彼女らも絶叫を上げながら消し飛んだ。


「……フゴタ。フゴタ!!」

「ふ……ご?」


 半身が凍り付いたフゴタの様子は酷いものだった。

 どうにかして怖そうにも壊した途端に、そのままフゴタも割れてしまうのではと、キングは手を出すことも出来ずに、ただ声をかけることしかできない。


「フゴタ! フゴタ目を覚ませェェエ!!」


 ーー声がする。大好きな人の声が。

 ーー温もりを感じる。大好きな人の命の温度を。


「キング……助かった。フゴよ」


 こうして、俺は鬼丸の火によって解氷され、なんとか命を繋いだ。

 なんでも帰りが遅いから助けに来てくれたらしい。

 ま、それでも内部の器官はそう簡単に治る事はなく、二週間ほど、床で寝る生活を余儀なくされはしたけれど、命が助かっただけでも儲かりもんである。


 床で寝ている間、ずっと看病をしてくれるキングは、やっぱり何処と無くではあるけれど、昔のキングに似通った所が見えて、やっぱり彼は、俺らの誇りのキングである事変わりなし、と再確認をしたのだ。



 彼は性格も変わって記憶を無くしてしまったけれど、今も昔もこれからも、変わらず俺らの王様だという事は、間違えようのない真実なのだ。

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