第6話 知識の守り人 ワイズ

 


 夜の森、墓まで続く人工的に切り拓かれた一本道。

 本来であれば、墓まで続く道に障害物など無く、寧ろそれが売りなくらいで、故に浜辺に辿り着けたという事なのだが。

 なぜか、朝になり、特訓を終えての帰り道。

 陽がまだ出てはいないとはいえ森の中以外は、それなりにほんのり明るく変わる時間帯。

 道の真ん中に、それはあった。


「なんでこんなところに……。確か、来た時は何も無かったはずだけど……?」


 そう、何も無かった。

 間違いない。来た本人がそれを自覚して道を通っているのだから。

 まぁ、魔術なんて摩訶不思議な物が在るのだから、誰かに記憶改竄、もしくは幻影でも見せられている、と言われて仕舞えばおしまいなのだが。

 多少、気になりはするものの、触らぬ神に祟りなし、素通りすることにした。


 闇に佇む小さな館。

 その異様な存在感は目の端に映るだけでも、興味が向きどうにも目が離せない。

 小さな館と形容するのは館自体が小さい訳では無く、館の玄関自体は大きいのだが、端的に言えば、玄関しかない。

 きっと、中に入れば豪奢なシャンデリアが待ち構え、大きな階段を登った先の壁には、大層有名な人物の絵が飾られている様な、それはそれは豪華な内装が待ち受けているのかもしれないが、中から扉を開けたら全てが出口、なんて事がありそうな程に玄関のみだ。

 なぜ、なにゆえ、何があって、この様な外見なのか。

 一般常識で計り知れない事からも、魔術がーーもしくはそれ以外の何かがーー関わっているのは間違いない。


 その所為なのだろう。

 横を通りすぎる筈の足取りはいつの間にか玄関に向かい、金色のオクトハンドルに手を掛けていた。

 そして、先程まであった疑念も消えて、なぜか何も疑う事なく、ベルを鳴らさずに扉を開けた。


「ーーーーーー」


 期待はずれ、というと失礼になるのだろうか。

 待ち受けていたのは、豪奢なシャンデリアでも、階段もなければ絵画も無い。

 なぜか、目の前に広がるのは本の山。本が丁寧に積み上げられ、まるで一つの街の様にも見える。

 その先、本の街道一歩道を、行った先にあるたった一つの空間で、LEDの光に似た光を放つ、植物スタンドに照らされる紙面を、机の前で粛々と読む何か。


 声を上げていないとはいえ、玄関に入る際の扉を開ける音は、少なからず出ていた筈だ。

 距離からして、小さく空いた空間までの距離は数メートル。

 余裕で音も聞こえれば、気配だって感じ取れるだろう。

 此方にピクリとも反応しない程に、本を読むことに集中している

 ボロ布で身を包んだ簡易的なローブ。ファションに関して興味を持つ雰囲気はない。

 顔は見えないが、分かるのは人間ではないだろうことだけだ。

 布からハミ出た体表は青く、指一つ一つの長さも人間より少し長め。頭は毛がなく、まるでぬらりひょんの様に突出しており、人間の頭にしては大きすぎる頭蓋を有している。


 恐る恐る土足で家へと上がる。

 足には一応何かの動物で作った革靴を履いているのだが、アメリカ方式なのか靴置き場はない。

「あのー」と小さく声をかけつつ忍び寄る。

 別に、何か悪気があるとか、屋敷の雰囲気が怖いからとか、そう言う意味で小さく声をかけたのではない。

 余りにも、余りにもその場の空間が、静寂過ぎた為、声を出すのが憚られたのだ。


 本の独特な少しカビ臭く、しかし切ったばかりの芝生の様な何処か懐かしい匂いを漂わせる空間で、一人本を読む人物。

 後一メートルで机に辿り着く、とそこまで行った所で、


「ーーなるほど、今回のイベントはそういう祭り事なのだな。彼女も……毎度懲りないことだよ」

 ‬ふいに声が響き、唐突に静けさに満ちたこの世界に命が宿る。

 独り言とも取れる呟きは、嘆息とした物だったが、その向けてきたガラス玉の様な碧色の双眸は嬉々を帯びた様に、優しい物だった。


「にしても今回の召喚には五十年という時間を要したのか。ワタシとしては、もう少し早い助け舟を待っていたのだが。どうにもこの身は、時間という感覚に疎いらしい。数十年を過ごすと、数百年単位に感じてしまうのは、単にこの部屋から出ていない所為なのだろうか?」


 木の根で出来た椅子を、根元からくるくる回しながら此方に寄ってくる。

 初めて正面から見るはーー人間では無かった。

 いや、勿論薄々気づいてはいたのだが、まさか、これ程までに、人間臭さを捨てた容姿をしているとは思っていなかった。

 声を出した筈の口も無く、音を聞く耳も無く、匂いを嗅ぎとる鼻も無い。

 そんな彼に言葉が通じるのか、たじろんでいれば、その奇天烈な顔を鼻先数センチまで近寄せて、話を続ける。


「ふーむふむ、いやはや、何にしても生き物がワタシの館に来訪するのは一体、何年振りだろうか。非常に嬉しいぞ、来訪者。会話とは知識の共有。教える事も教えられる事も、非常に好ましい。して、此度は何用で館に来たのだ?」

「ーーえっーーと」

「何を戸惑う必要がある。なんだ、あれか? もしかして、恥ずかしいのか? 良き良き。知識を得るという事即ち、自身の無知を他人に晒すという事だ。ワタシからすれば誰もが無知で、誰もが賢者の如き知識を持っている。ワタシが知識を提供する代わり、君は君の人生を懇切丁寧に、細部に至るまで語り聴かせてくれればそれで構わない。さて、知りたい事は何かな?」


 思った以上に、饒舌だった。

 無い口をまるで動かしている様に、躍動感溢れる動きで狭い一本道を行ったり来たり。

 心なしか、活気なかった部屋は、彼の動きと共に命芽吹いた様に、ほんのりとだが明るく、輝いている様に見えた。


「ほぅ、ワタシの知識達も客人の歓迎をしている。自身の知識を与える事こそ、本として生まれた彼らの喜びだ。斯く言うワタシも、その一人なのだがね」

「……あの、貴方は、人間、ですか? それとも、魔物、ですか?」

「…………」

「あ、え、えっ?」


 なんと無く、それとなく自然に質問をしたつもりであったのだが。

 青頭は眼を大きく見開いたと思えば、そのまま固まってしまった。

 その時間、数十秒の後。

 頭を抱えて申し訳なさそうに言う。


「これは失礼な事をした、ね。先程も言ったがまともに喋る生き物と会うのは、本当に久しぶりなもので、高ぶって先走ってしまった。失敬失敬。では、改めて名乗らせて頂こう」


 荒ぶっていた椅子を、机の前という所定の位置にまで戻った後。

 こちらを振り向き、足を組み、手を組み、碧く煌めく瞳をニヤつかせ言った。


「ーーワタシは“ワイズ”。この迫害の森に作られた“知識の館”の管理人。かれこれ約三十年程、ここに住んでいる老骨であり、ま、人か魔物かと訊かれれば、魔物側と答えよう」

「知識の……館? ってのは何なんですか?」

「その名の通り、この世のありとあらゆる知識を詰め込んだ図書館だ。嘘から真実、伝承、歴史、生物、理に至るまで全てを記憶している」


 口が無いのに、少し大人びた低い声で雄弁と語る彼の言葉には、惹かれる物があった。

 この世界に来て、何も分からずただオーク二人と生活をしていた僕にとって、知識の提供者というのはかなり有難い人物である。

 そして彼の言う事の、信憑性が高いかの判断は、周りの本の山で粗方の採決は下っている。


「なら、凄い助かる。代償が僕の過去っていうのは、役に立つか分からないけど、それで教えて貰えるなら、安いものさ」


 決して、安いもの、というわけでは無いが。

 この世界で、何も知らない危険な世界で、生きていく為の必須知識が貰えるとあれば、それは天秤に吊り合うと判断できる。

 尤も、僕の悲惨な惨たらしい過去程度で、彼の知識が吊り合ってしまうのが、少々計り知れぬところでは、あるのだが。


「じゃあ、早速だけど訊きたい事がーー」

「待て待て、そう急くな。可及的速やかに行うべき案件、というわけでも無いのだろう? であれば場所を変えよう。ここは少々、埃っぽい」


 指をパチンと鳴らしたと思えば、彼が座る椅子の横に黒い空間が生まれる。

 それが何を意味するか、頭にはてなマークを浮かべながら、思案していれば、ワイズが微笑しながら先行する。

 黒い空間に手を入れ、空いた手の方で拱き、空間に入る様に促した。

 不安な気持ちに駆られながらも、近寄り、恐る恐る手を伸ばせば、闇の中は冷んやりとした泥沼の様で、進もうとしなくても、勝手に吸い込まれてしまう。


「ぬぉっ!? うぉぉぉぉ!?」

「新鮮な反応、見ていて気持ちがいいね」


 全身が吸い込まれ、視界を黒が塗り潰したと思えば、代わりに現れたのは満天の星。

 ーーが、上下左右四方八方を、包み込む宇宙だった。


「お! おち、おちッ!? 落ちる!??」

「くははッ。本当に新鮮な反応だよ。それを見られただけでも充分な対価だな」


 狼狽し、落下もしなければ浮きもしない空間で足踏みして入れば、青頭が脚でトントンと“見えない床”を示し、ただの映像だと安心する。

 よく見れば、少し言った先には丸いテーブルと、白い椅子が二つ用意してあり、その片方にワイズは腰掛けた。


「さぁ、来たまえ。何でも教えてあげようじゃないか。君の知りたい事、その全てを」


 幻覚の魔術でも使っているのか、周りの風景上も下も綺麗な星空で作られたこの空間。

 そこに案内した張本人は、椅子に腰掛けながら、いつの間に用意したのか、湯気が出る珈琲カップを無い口につけながら、飲み物を啜っていた。

 足場がない様に思えて、あまり落ち着かないのだが、座る以外の選択肢も無いだろう。

 しっかりと石橋を叩いて渡る様に、常に軸足は後ろに置きながら、前足で前方の床があるかを確認する事十二回。

 やっとこさ椅子に辿り着き、僕用に用意されたのか、ワイズが座る物より一回り大きい椅子に腰掛ける。


「ふぅー。やはり珈琲はいい。気分を落ち着かせてくれる。ワタシ的にはエスプレッソがオススメだね。他のに比べて苦味が薄い」


 カップに入った珈琲を一口飲み語るワイズ。

 この世界にも珈琲があることにまず驚きだし、言って仕舞えば“エスプレッソ”という名前まで伝わっていることにも驚きなのだが。

 とりあえず、話が逸れそうなので、それは置いておくことにした。


「これは……、貴方の魔術何ですか?」

「魔術……ああ、魔術だ。だが、攻撃性や防御性など全く無い、ただの観賞用だ。宇宙に囲まれて会話を楽しめるなんて、凄くロマンがあるとは思わないかい?」

「確かに宇宙になんて行ったこと無いので、神秘的といえば神秘的ですけど。少し気が散るというか……」

「なるほど、宇宙はお気に召さなかったか……。では何か要望を言ってくれたまえ。何でも投影してみせよう」


 不満気に言った僕の言葉に、デカイ頭をぽりぽり掻きながら、申し訳なさそうに言うワイズ。

 会話の場を用意してくれた人に言うには失礼だったろうか?


 にしても、何でも、と言われると少し困る。

 何十何百何千とある風景から、心落ち着く物を探せと言われたら……。

 あ、ならば、こんな風景はどうだろう。


「ビーチとか、って出来ますか?」

「ビーチ……。なるほどビーチか。確かに、潮風を浴び、波音を聞きながら会話をするのは、心地よいものかもしれないな。では」


 再び指を鳴らせば、そこは南国風のビーチへと姿を変えた。

 椰子の木が立ち並び、ここは絶海の孤島。

 波の音は激しく、だがそこには気を安らぎさせてくれる強かな音色、助長するようにサポートをする海鳥達の鳴き声。

 そして涼しくも懐かしい匂いを彷彿とさせる潮風に、夏を思わせる灼熱の太陽がーー。


「アッッッツィイ!!? あつあ、あっ、あっ、暑ッッゥ!!? 暑すぎでしょ! 何でこんなに暑いの!!?」

「そう!! この暑さ! 屋内では感じる事のできない、太陽に焦がされる肌を焼く痛み! そして優しく和らげる様に吹く潮風に、風鈴の如き音色の鳥達! 久しく感じていなかった感覚だ!! 懐かしいゾォォ!!」

「引きこもってないで外に出れば海すぐ側にありますけどねぇッ!?」


 引きこもり二人が砂浜のビーチで踊り狂う地獄絵図、一人は嬉々として、一人は暑さにやられ、踊る。


 まるで砂漠だった。

 砂漠に行った事があるわけでは無いけれど、今までに感じた事のない極度の暑さ。

 上から来る紫外線は勿論のこと、それを吸収した砂浜から襲い掛かる熱気。

 これは確かに砂漠と同様の物だと、僕の感覚が告げていた。

 皮の靴ですら暑さに耐え兼ね、足踏みする程の砂浜に、裸足で立ちながら大笑いするワイズ。

 確かに、人側では無いようだ。


「草原! 草原にしよう! 小高くて一面花畑の見える草原!」

「ほぅ。それも良さげな風景だ。心休まるものを感じる。だが、今あるこの現実感ある痛みも捨て難いなーー」

「ーー良いから早くお願いします!」

「……。ふむ……では」


 三度目の指鳴らし。

 ワイズが指を鳴らせば瞬く間に、世界は変わる。

 灼熱の太陽が支配する絶海の孤島は消失し、その代わりに、そよ風が心地よく吹き緑を揺らす、辺り一面花畑の草原のーー真ん中が切り拓かれた場所に立っていた。


「ここなら落ち着けるかね」

「うん、大丈夫。一番過ごしやすいし……なんか、安らぐよ」


 それは良かった、といった具合に手元にある珈琲を一口。

 これ程の魔術を行える者が只者とは思えない。優雅に珈琲を飲んでいたりするが、その実力はかなりの物なのではないか。

 多分、僕が彼に対抗したところで、きっと小指で弾く程度の力でも、倒されるかもしれない。

 その事を念頭に、なるべく、彼を刺激する事だけは絶対しないと心に決めた時、彼の雰囲気が変わった。

 先程まで、あれ程優雅に、楽しそうに嬉しそうに、そして踊るように会話をしていた彼の放つオーラは、明らかに今までと違う剣呑な物になった。


「ーーところで」


 全身から汗が噴き出る。

 全神経を張り巡らせ、全ての感覚を鋭敏に反応させて、異常を探る。

 何かおかしい事をしたのか。

 気楽に接したのがいけなかったのか。

 そう、思えば、彼はその青く長い人差し指で、手首を指差して。


「その腕につけてる物は、何かな?」


「ーーーーえっ?」


 ふと、目線が右腕の手首を注視する。

 そこにあったのは、元の世界ではよく見かける様な、腕時計型の何かの機械が僕の腕についていた。

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