第18話 三人のヒーロー

 

 ナオが生きること、それはいつも冷たい鉄と共にあった。

 首に巻かれる首輪は勿論のこと、手枷、足枷、そしてペットを入れる用の見窄らしい簡素な小さな鉄檻。

 柔らかいベッドで寝た事なんてーー温かい寝床で寝た事なんて物心ついた時にはもう覚えていない。

 いや、もしかしたらベッドで何て寝た事なかったのかもしれない。


 冬になると冷たい鉄はその牙を剥き、容赦無くナオの身体を痛めつける。

 悴むなんてレベルじゃなくて、外側からまるで針を刺す様に内部にじわじわと、浸透する冷え。

 身体を一生懸命震わせても、冷えが改善される事はなく、その度に血を活性化させる。

 獣人族ワビトの力を使えば、身体を震わす速度は何倍にも膨れ上がり、無理やり身体を温めることも可能だったからだ。


 そうしている間にーーもう一人の自分わたしが生まれた。

 ナオが生み出した二つ目の人格。

 臆病な自分を守るための防衛、好戦的な人格の私。

 だけど、その私を人間達から身を守るためには使わずに、生きる事のみに使っていた。


 鞭で叩かれ、皮膚が裂けて沢山の血液が流れ出た。

 温かく、命を脈動を刻んでいた私の中の新鮮な血液。鉄にこびり付いたナオ (私)の血は、いつか鉄を酸化させ錆びさせるまでに至っていたが、それでも脱出はしなかった。


 拳で殴られ骨が砕けて獣化して治して、

 腹が減っては抜け出して獣化して仕留めて食べて、

 寒さに震えては獣化して温め治して、


 そしてーー嫌だと言って抵抗すれば戦地に放り出されて、生きる為に戦った。


 私の人生はーーナオの人生は、全てが血と共にあり、鉄と共にあり、閉鎖的な一人の空間。

 それが崩れる事はなく、これからもそうだと思っていた。


 そんな時、私は遂に動いた。

 動かないナオに変わって私が、逃げ出した。

 彼らが戦場で手に入れた武具を金に変え、酒に酔っている間に、私は逃げ出したのだ。


 嵐の夜、吹き荒れる強い風に、身体を打つ冷たい雨が私の行く手を阻む。

 それでも、その中でナオは叫んだ。

 嫌だと、逃げたくないと。

 逃げれば殺されるかもしれない。

 痛いのはーー嫌だ。


 それでも、例え死んだとしてもーー私は。


 --


 ナオネを捕らえた人間組織、その名を“夜獣の狩り手”。

 俗に、闇ギルドと呼ばれる存在だ。

 ギルド員の実力は大したものではない。人数も多いわけではなく、至って普通の山賊と何ら変わらないという不思議な特徴を持つ、この“夜獣の狩り手”なのだが。

 彼らが飼っている一匹の猛獣が名の由来とされている。

 至る戦場に現れては一匹の猛獣を放ち、あとは傍観するのみと、全てはその獣任せ。

 獣一匹何が出来ると敵が意気込めば、一時間もしないうちに全滅させられる。

 これが、“夜獣の狩り手”の唯一の戦う手段であり、最良の好手なのだ。


 そんな“夜獣の狩り手”達はある失態を犯した。

 自分達の商売道具である猛獣を取り逃がしたのだ。

 今まで至って従順で逃げ出すそぶりもなかった獣が、一番警戒が薄れる酒の宴という状況で、逃げ出したのだ。

 すぐさま魔術を使って木の兵隊を作成、追いかけたが全力で逃げる獣人族ワビトを、酔っ払った魔術師が放った人形など追いつけるわけもなく。

 そのまま逃走を許すはめになったのだ。


 すぐに捜索を開始、してみれば足跡は人間禁制の森“迫害の森”に続いていることがわかった。

 “迫害の森”は人間が入れないように結界が張ってある。

 つまりギルド員全員人間である彼らには入る術がない。


 闇ギルドリーダー“万獸ばんしゅう手騎てき”ディシプリンは焦った。

 ディシプリンは、元々動物の調教師として活躍しており、職を失った際その才能を存分に活かし、獰猛な獣から人間、更には魔物までを自由自在に操る事で有名だった。

 その中でも名を上げ始めたのが、ナオネを手に入れてからの事であり、“万獸ばんしゅう手騎てき”という畏称かしかなを手に入れたのもその辺りからである。


 畏称かしかなは約百年程前から付けられるようになった二つ名の様なもの。良し悪しに関係なく、様々な者につけられており、誰がそれを、どういう基準で付けているかは定かではない。

 ただ一つ分かるとすれば、それは畏称かしかなが付いた者は等しく尋常じゃない何かを有している。物であったり力であったり、はたまた生物であったりと。


 さて、そんなディシプリンは入れない森に対し、ある賭けに出た。

 首輪の呪文を唱え、締め付けさせる。

 これにより獣人族ワビトたる血を目覚めさせれば、獣の本能により眼に入った全てを鏖殺する。有無を言わさず敵を屠るある種の化け物になるのだが、ディシプリンの命令だけは聴くのだ。

 これも調教術なのかもしれないが、意識がほとんどなく「コロス」か「食べる」しか考えられないナオネも、ディシプリンには逆らわない。

 こうして、ナオネは森に入ることなくディシプリンの手元へと戻っていったのだ。


 今、場所は迫害の森より北東に位置する峡谷。

 名を“竜の喉”。

 この竜の喉を通った先が、まるで竜の吐いたブレスの跡地の様に荒地だから、険しい峡谷を喉に見立てて“竜の喉”、そう呼ばれている。

 険しい崖に囲まれた一本道の舗装もされていない自然の道。

 数台の馬車に一台の豪華な馬車。

 数台の馬車は荷車と構成員達を運ぶ車に分かれており、その馬車には闇ギルドの証、割れた髑髏とそのリーダーが使う武器九つに分かれた鞭、九尾鞭が描かれていた。


 そして一際大きく豪華に装飾がされた馬車、通常の馬車よりも二倍は大きさのある。

 見た目、どんな用途に使うにせよ不便に思われる様相なのだが、その一番の利点は内部にある。

 揺れ軽減、酔い軽減の魔術術式が備わっており、料理をするためのキッチンまで内包した最高級の移動する家。

 その中、大量の拷問道具に囲まれた暗い部屋 (キッチン付き)に、ディシプリンはいた。


「あぁ、もう嫌んになっちゃうわぁよ。こーんな朝方まで起きてたらお肌荒れるったらありゃしないわ。ねぇー! お前達!」


 ピンク髪の厚化粧の筋肉質な男。

 黒光りする上着と半ズボンを着用し、腹からは立派な腹筋が顔を出している。

 上半身も胸筋と可愛らしく乳首がチラリと顔を見せているが、それが男なのがかなり絵面を悪くしている。

 靴はハイヒールの様になっており、手に持つ九尾鞭。

 怪しい男、ここに極まれる。


「へ、へぇ」

「すいません、プリンのアニキ」


 豪華な車、リーダー専用の馬車に乗った三人の構成員は対応に困るかの様に、汗を垂らしながら期限を損なわないよう、細心の注意をかけながら口を開く。

 だが、誰かが言った一言が気に障ったようでディシプリンは顔を真っ赤にして鞭を振り回す。


「私はアニキじゃなくてアネキとお呼びと、何度言ったらわかるのよぉっ!!!?」


「「「へ、へぇ!!」」」


 怒りのままに振るう鞭の炸裂音に、恐れをなしみっともない声を上げる構成員達。

 そんな傍には鉄の檻に入ったナオネが、厳重に首輪と手枷足枷をつけられて捕縛されている。

 鞭の音に同様に怯えるナオネを片目に一瞥するディシプリン。

 その不満を見せびらかす様に舌打ちをすれば、鞭を鉄檻に思い切り叩きつけ、甲高い音が響く。

 ナオネは身体をビクッと震わせるが、それが更にプリンの嗜虐性を高めて行くのだ。


「あんたが逃げたせいよぉ〜? そこんとこちゃぁんと分かっているのかしらぁ?」

「ご、ごめんなさい……」

「謝って済むもんじゃないわヨォ!!」

「ヒィ……!」


 当たりはしない。

 されど恐怖は幾度も心の内を傷つける。

 何度も何度も感情を撒き散らしながら、鞭を叩きつけるその様相はまさに悪魔。

 ナオネの目からはそう見えた。


「このつけは必ず払ってもらうわヨォ? 明日からの働き詰めに覚悟なさい……!!」

「ーー」


 震えるナオネの脳裏に浮かぶのは、目の前で跳ね飛ばされた人間達の絶望の顔。

 対して彼らの眼に映る自身の顔はーー。


「やぁ……いやぁ……」


 小さく泣いて弱々しい抵抗をする。

 いつもならば無感情に受け止めて終わりだ。ただ感情を掻き消して頷くだけで事は済む。ならば何故これ程に嫌なのか。

 ーー考えずとも、悩まずとも、脳裏に浮かぶ。

 たった一日だけでも楽しく遊んだ豚の二人。

 美味しそうな見た目をしていたけれど、彼らと遊んだ一日は、短くて、その割にあまりに内容が濃くて、楽しい世界があると知ってしまった。

 どうして自分がまた地獄の日々に戻らなければいけないのか。

 言われなき暴力を受けなければならないのか。


 どうして……どうして!


 疑問だけが浮かんでくる。

 今までは何も考えてこなかったのに。

 こんな状況を|オーク(お前ら)が作ったんだ。

 ここまで苦しませるなら出逢わなければよかった……!


 ディシプリンの下卑た顔が近付き、酒臭い息が鼻につく。

 妙に厚化粧の顔がやたら君悪く見えて、手に持つ鞭が恐怖を加速させる。

 檻は空き、また、これからお仕置きの時間が始まる。


 鞭で叩かれ、首を絞められ、殴られ蹴られ、あらゆる暴力が身体を貫き心を傷める。


 故に、その未来を見たナオネは懇願した。

 もし、もし願っても良いのなら、この地獄から、誰でも良い。

 抜け出すための手助けをーー!


 その時、だった。


「ーーーーッ!?」


 響く爆音。

 続く爆発音に、皆思わず身を縮める。


「な、何事ヨォぅっ!!」


 揺れ軽減により、舗装されていない道での乗車をしていても、仁王立ちが出来る程の高性能な魔術。

 だが、それも形無しだ。

 を変化させるほどの衝撃が起きたのでは、揺れ軽減なんて次元ではお話にならない。


 丁度、タイミングを見計らったように馬車の上で挟む渓谷を、爆炎を撒き散らしながらの広範囲爆破。

 それにより生じる落石は悉く馬車を破壊して、土砂雪崩の下に埋めてしまう。

 勿論これはディシプリンが想定していたものなどではなく、単なる奇襲。

 それに彼らはまんまと引っかかってしまったのだ。

 ーーだが、


「ーーーー!!」


 強烈な衝撃が砂を、石を、岩を弾き飛ばす。

 土砂雪崩から出てくるのは首輪以外の全てが外れたナオネ、そしてディシプリンと構成員三人だ。


「あーーっぶないじゃないのよ! 死んだらどうしてくれるってんのヨォ!!」


 なんて土煙でむせながら瓦礫の中から出てくるディシプリン。

 彼らの乗っていた豪華な馬車。

 これには揺れ軽減酔い軽減だけではなく、車内の人間を守る為の結界が施されている。勿論馬車内のみなので、一生懸命運んでくれた馬は今や見る影もないのだが。


「一体何者! こんな場所を狙うなんて! 一体誰なのよ!!」


 そう峡谷にて叫べば返って来るのは自身の声。

 反響する自身の声に途方に暮れて、唖然としていれば、構成員の一人が峡谷の上を指して叫ぶ。


「あ、あれは誰だ!!」


 そう叫んだ先に見える三つの影。


 右、三メートル程もある巨体、赤い皮膚を持ち自前のパンツ以外は着用せず、その肉体美を見せつける銀髪の、立派な角を持つ棍棒背負いし赤鬼。


 左、雄々しく靡く体毛は、陽に照らされて真っ赤に燃えるよう。その手に持つ槍も光で輝きただの槍が伝説の槍に勝るとも劣らない……事はさすがにないかもしれない。

 槍持ちし茶毛の豚男人オーク


 中央、何も手に持たず、武器は無し。されど彼から放たれるオーラ尋常のものではない。口から生える二本の牙がその強さを如実に示しているようだ。

 無手の猛猪王キング・オーク


 ナオネを救うべく、上がる陽と共に推参せし三人組。

 勿論正義のヒーローだとか、勇者だとかそんな大それたものではない。

 彼らはーーそう彼らは。


「「「ナオネを返してもらうぞ!!」」」


「……フゴ」


 ただ、仲間を助けに来ただけなのだから。

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