第14話 不憫な獣人 名無しの子猫はナオと鳴く

 


「…………」


 眼を覚ました縞耳獣人の女の子。

 真紅の双眸をパチクリさせながら辺りを見回し状況を確認している。


「え、えぇっと。僕の名前はキング。君の名前はーー」


 そこまで言った時だ。

 寝惚け重たいのか眼を細めーーいや、これは警戒している目つきかーー、鋭利な眼光を放ち、こちらの様子を伺っていた。

 そのあまりの鋭さに一瞬たじろげば、縞耳はその身を翻し、床に寝そべる体勢から四足をしっかり地に付けて尻尾を立てて、髪の毛を逆立て「フシーィッ」と唸っている。


 ーーそして、


「フシャァァァァ!!」


 脚力を利用した超人的な跳躍で、天井に着地、その勢いを殺さないように流れる様に天井を蹴り飛ばし、僕目掛けて跳ぶ。

 その速度は到底戦闘素人、異世界生活数ヶ月の僕が見切るにはあまりに速すぎて、気が付いた時には眼前に光る何かーー迫る死。

 直感した、このまま避けなければ、僕は死ぬ、と。

 だが身体は動かない。

 それもそのはず、脳は彼女を視覚情報として認知していても身体は脳内から伝達される信号に追いつかないのだ。

 やっと身体が動き出したと思えば、遅過ぎる。

 首は捩じ切られ無様に床にーー、


「ーーすまない、手荒な真似をするぞ」

「えっ?」


 転がらない。

 獣人が超人ならばこちらは規格外の魔将だ。

 袖から腕が変化した触手が超高速で縞耳を攫っていく。

 確実にコンマ数秒遅れていたら首が飛んでいただろうタイミングで、ワイズは腕を変化させ縞耳を捕らえたのだ。

 それがどれほど高等な魔術で、精密な狙いで、凄い事なのか、それは計り知れぬところではあるけれど、実際魔将がどれほど強いのかも知らなかったけれど、その一端を、僕は今垣間見た気がした。


 風が、その事象をやっと理解したのか遅れて突風を巻き起こす。

 辺りの本は崩れ紙が舞い散る。

 とはいえ、僕自身もそのあまりに速すぎた事態に付いていくことが出来ず、立ち荒んでいたのも事実。

 何せ声を上げたと同時に目の前の縞耳が、消えたのだから。

 伸びる触手の行く先をゆっくり辿れば、縞耳が玄関に貼り付けられているのが見えた。


「残念だがね小娘。客人をもてなすのは流儀ではあるが、争い事を引き起こされるのは困るのだ。それに彼は個人的にお気に入りでもある。この館にいる限り暴力の類で訴えることはやめておいた方がいい」


 青頭に血管らしきものを浮かべながら、その怒りを露わにするワイズ。

 なぜ僕がそこまで買われているのか、かなり気になるのだが、それは置いておくとしよう。

 ご丁寧に口まで触手で塞がれ身動きが全く取れなくなった縞耳は、その力でも振りほどけないのか、もがいてはいるが細やかな抵抗だ。

 どうやら実力行使を止めるつもりは無いらしく、彼女の抵抗は続く。

 それを見たワイズが更に血管を膨らませ言う。


「小娘……。ワタシが嫌いなものはな、聴き分けが無い者と、知識を持っているのに活用出来ない愚か者と、場を弁え無い“クソガキ”が大嫌いなんだ……っ!!」


 未だ嘗てここまでワイズが激情を晒した事は無いだろう。

 数メートルは離れているのに、彼の熱気がここまで伝わってくる様だ。

 何にせよ、このままでは彼女が絞め殺されかねない。

 僕が説得をするしか無い。


 腕にまで力が入った事を知らせる血管が、腕に地割れよろしく入ったところで、仲裁に入る。


「まぁまぁ、ワイズ。僕は気にして無いから許して上げてください。ここは、僕に任せて貰えますか?」


 そう言うと、ワイズも不服そうながらも腕の力を弱めて彼女を床へと下ろす。

 だが、拘束を解くつもりは無い様で、彼女の身体には未だ触手が纏わり付いたままだ。


「僕はこの“迫害の森”の……リーダーみたいな者だ。名前はキング。君が今日行き倒れているところを仲間が発見したんだ。よかったら名前と、どうしてここに来たのか教えてくれないかな?」


「…………」


 口にも触手が巻かれ喋る事は出来ない。

 ワイズに目で合図を出し、口部分の拘束を解いて貰う。

 すると、満足に呼吸も出来なかったのか、思い切り息を吐き出し、肩が上がったり下がったり。


(ワイズ、やりすぎじゃ無いです?)

(君は獣人族ワビトを舐めすぎだ)


 と、小声で会話をし、溜息交じりにワイズに言われた。

 まぁ、それなりにワイズとの距離はあるので、さすがに彼女にも声は聞こえているのかもしれないが、そこは気分的に内緒話ということで。


「それで……名前はなんていうのかな?」

「……た」

「え? なんて?」

「ぶた。とは喋らない」


 目をギラギラ光らせ睨みつけながら低いトーンで言うその言葉は、容姿に見合わぬ言動であり、面食らう僕。

 何この子。

 めちゃくちゃ可愛く無いんだけど。


「え、えーと。名前聞かないと、なんて呼べばいいのか分からないし、これからの方針とかも……」

「うるさい。喋りかけるな」


 ……。

 なんなのだろうか、この子は。

 折角猫耳付いているんだから、もっとニャーとか鳴いて可愛い仕草でもすればいいのに、なんでこんな当たり強いんだろう。

 それに僕は猪であって豚ではない。


獣人族ワビトは強さを特に重要視する種族だ。直感的に強さの優劣を感じ取ったのかもしれないな」


 そんな葛藤を心の中でしていれば背後から颯爽とフォローを入れてくるワイズ。

 魔族の生態なぞ、知っているわけもないが、確かに前世と違いここでは生き死にが強さで関わってくる世界だ。

 腕っ節を見せつければ猛獣は従う、なんでTVでやっていたりもしたが、この世界では如実に現れるのだろう。

 その代表的な種族が、獣人族ワビトという事だ。

 見た目を裏切らない習性があって大満足だよ僕は。


「というか僕この子見た目で下に見られてるんですか? 心外だなぁ」

「え……あ、うん。そうだな」

「……なんです、その反応」


 彼は遠い目をしていた。

 何も無い天井を見ながら、遠い目を、していた。


 ま、そんなやりとりがあったのは置いておいて。


「ワイズ。長くてしなやかな棒とかあったりしませんか? そう、言って仕舞えば猫じゃらしと呼ばれる物を僕は今、大変所望していたりするのですけど」

「ふむ……“猫じゃらし”なる物をワタシは知らない、とても興味があるがそれはまた次の機会に聴くとしよう。しなやかな棒……か」


 片方の腕を触手に変化させ本棚の海へと侵入させる事数秒。

 ゴム製の棒を持って来てもらった。

 更にその後、ふさふさの綿も譲って貰った。

 というより、綿なんてどうして知恵の館にあるのだろう?


 そして棒に綿を取り付けて“猫じゃらし亜種”の完成だ。


「君、名前を教えてくれないかな?」

「フシーーーーッ」

「教えてくれないならこっちも強行手段を取らざるを得ないんだけどなぁ」

「………ツン」


 精一杯威嚇したと思えば、ツンとそっぽを向いた所で特性“猫じゃらし亜種”を前に差し出し振る。

 すれば忽ち縞耳の眼は猫じゃらしに飛び移る。

 横にブンブン振って見れば、横を向いていた顔も正面を向き、猫じゃらしと共に左右に行ったり来たり。

 完全に興味を引くことに成功した。


「ほう。これは興味深いな。こんな方法で注意を引く事が出来るとは。文献にも載っていないぞ」

「ふふふ。猫耳に猫尻尾が付いているからもしかしてとは思ったけど、ここまで上手くいくとは思ってませんでしたよ」


 いつの間にかワイズは僕の背後にまで歩を進めていた。

 空いている手で顎をさすりながら頷き感心の仕草。

 その最中にも縞耳は、猫じゃらしの呪縛に囚われて目を離せないままでいる。


「ウーーーー…………」

「ん?」


 ワイズとの話に夢中になり、永遠と猫じゃらしを振ってしまった。

 縞耳は目を回し、ガクンっと首を下に傾けて気絶。

 普通遊びたくなるのに目を回して気絶ってどういう事だ。


「…………」

「え、えーっと。大丈夫?」


 俯いたまま動かない縞耳。

 やり過ぎてしまったのだろうか。


「……ナォ」

「え、ナオ?」

「虐めないで……くださいナォ」


 その縞耳の様子は一転、逆立っていた髪の毛はぺったりと頭蓋に張り付き、耳と尾は垂れ下がり、ビクビク震えながら縮こまる子供がそこにはいた。

 先程の好戦的な態度から一変、吊り上がった目も自信無さげに泳ぎまくる。


「これまた驚きだ……血流が正常に戻っている。先の“猫じゃらし”なるもので……興奮状態から正常になったらしい」

「猫じゃらしの本来の目的とは違う用途ですけど……まぁ、結果オーライって事で」


 危険性も消えた事で触手の束縛からも解放。

 勿論危険性が消えたとはいえ、警戒は怠らない。

 いつでも身体が動かせるよう僕もワイズも緊張感を解く事はない。

 ーーが、


「……ナォ」


 玄関の隅に身を縮ませ動かなくなってしまった。身体もビクビク震わせてまるで捨てられた子猫のよう。

 先程までも猛獣の如き覇気はどうしたのか。


獣人族ワビトは血流の流れを速くし、脳伝達を極限まで高める事で、超人的な力を得る事が出来ると言う。彼女の場合は性格にも現れているのだろう。俗に言う、二重人格という奴だな」

「それでこの状態……。にしても変わり過ぎじゃ……」

「考えても見なさい。今まで奴隷として扱われてきたんだ。生き物ーーもとい知的生命体に対して、恐怖を感じてもおかしくはない」


 ーー確かにそうだ。

 具体的に何をされたのか、僕は知らない。

 だけれども、奴隷という身分が最低の身分に位置する事くらいは分かる。

 それも小さな女の子の、多種族の獣人。

 虐げられてもおかしくない。

 それこそーー性的でも、暴力でも。

 ならば、僕らから安心を与えなければいけないのではないか。

 これからどういう事態になるにしろ、彼女にとって警戒しないでいられる“友”にならねば。

 醜い世界だけを知るには、彼女はあまりに幼すぎる。


「僕の名前はキング。君の名前を教えてくれないかな?」

「……ナォ」

「ナオちゃんっていうの?」

「違う……私に名前……ないナオ」

「名前が……ない?」

「いつも……“おまえ”とか、そうやって呼ばれてた……ナォ」


 ナォ、とそう減気に零す縞耳。

 人から呼ばれる名前がない、という事は物心がつく前から彼女は奴隷生活を送っていた事になる。

 そう、それこそ母親と会う前から虐げられた生活を。


「どうしよう……呼ぶ名前がないと不便だな。縞耳だとなんか可哀想だし……」


 ワイズを一瞥すれば、頭を振り両手を挙げて降参の構え。

 どうやらそういう事には疎いらしい。

 まぁ、だからと言って、僕がネーミングセンスに長けているわけではないのだが。

 だが何にしても、隅で震える少女に対し、“お前”や“君”や“縞耳”ではさすがに呼びづらい。

 彼女の特徴から考えて、一番パッと思いつくのはーーーー、一つ。


「“ナオネ”……ってどうかな?」


 ナオ、と語尾につく猫の獣人。

 だから“ナオネ”。

 案外上手いのが決まったと思うのだが、どうだろうか。


「それが……名前ナォ?」

「そう、君の新しい名前」


 俯きながら震えていた縞耳も、一瞬興味を示し、小声で名前を反芻する。

 すると、顔を伏せながら、


「ナオネ……ナオネ……悪く、ない」

「本当に! あぁ、良かった。気に入って貰えて」

「ふむ、ワタシも君の新しい特技を垣間見た気がしたぞ」


 喜んだ表情をこちらに見せてくれないのは少し悲しいところではあるが、そう簡単に心が開くわけもない。

 両腕で顔を隠しながらもチラリと見えた、赤に染まる顔はとても嬉しそうに見えた。


 --


「って事でナオネだ。みんなよろしくしてあげてよ」


「「「おおーっ!」」」


 知識の館から退場。

 今の状態のナオネであれば、突然暴れ出したり逃げ出したりもしないだろうと、ワイズからのお墨付きも貰ったので、集落へと連れてきた。

 フゴタやブヒタ、更には鬼丸まで心配をしていたようで、ずっと家の外に立っていたようだ。

 館は入るときも神出鬼没だが、出る時も場所を決められる。集落に直接出た時に、家の周りを落ち着かない様子でくるくると回るフゴタとブヒタに、家前で仁王立ちする鬼丸がいたから、それなりに驚いたものだ。

 見ず知らずのナオネを心配する理由など彼らにはないというのに。


 と、ナオネを紹介はしたものの、当のナオネ本人はというと。


「ナゥゥ……」


 と言いながら木の後ろに隠れてしまっている。

 当たり前だ。

 醜小人ゴブリンや鬼丸の容姿は、子供が見たら卒倒しそうなほど怖い。

 獣人故の耐性はあるのかもしれないがそれでも子供。

 強面の三メートル越えの赤い鬼を怖がらない筈がない。


「大丈夫だよ。ここにいる皆はとーっても良い奴らだから」

「虐めない……ナォ?」

「ああ、虐めるわけないさ。さぁ、一緒に遊ぼうよ! ナオネ!」


 未だ戸惑いは消えない表情だ。

 何年も奴隷として扱われてきた少女ナオネ。その禍根は首に取り憑いたままだ。

 首輪有る限り、彼女に安寧はきっと無いのかもしれない。

 それでも、彼女が少しでも気を楽にしてこの森で過ごす事が出来るなら、僕は全霊をかけて彼女ーーナオネを守ってやりたいと、そう思った。


「君は今日からーーこの森の仲間だ!」


「……仲間……ナォ?」


 困惑の表情で、首を傾げるナオネ。

 差し伸べる手をまじまじと見つめてはいるがその手を取りはしない。

 あまりに図々しい誘いでかもしれないけれど、これは単純に僕の願いなのかもしれないけれど、仲間がいるというのは心強いものだし、居てくれるだけで支えとなってくれるから、もしナオネにとって僕達がそういう存在になれるなら、これ程嬉しい事はない。

 彼女が今、どういう気持ちで毎日を生きているのか、生きて来たのか、そしてどう生きて行くのか。

 この手を彼女が取ってくれるというのなら、僕は力になってあげたい。


 数秒の長考の末、ナオネは何度も僕の掌と顔を見て伏してを繰り返し、最後にはその小さな手をちょこんと乗せて、上目遣いで言ってきた。


「……ナォ」

「これからよろしくね。ナオネ」


 結局、明確な返事は貰えなかったけれど、これは肯定の証として受け取っておくとした。


「ーー彼奴ら……は必ず来るナォ」


 ーー彼女が発した言葉には気付かずに。

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