第15話 幸せな日々は短い時間

 


「さぁーって、俺達がキングから任されたからには全力で遊んでやるフゴ。そして俺らの事はアニキと呼ぶフゴよ。俺はフゴタのアニキ。そっちはブヒタのアニキで通すフゴ」

「…………ナォ?」


 キングから遊んでこいと任され、フゴタとブヒタとナオネの三人。

 醜小人ゴブリンと鬼丸はビジュアル的に怖がられてしまうため、慣れるまで断念した。

 そして灰狼グレイフォックスも相性が悪いのか、狼側が鳴いてしまうため暫く距離を置く事に決定。

 そんなこんなで三人となったフゴタ達は少し離れた場所で、これからの遊ぶ内容を吟味していた。

 踏ん反り返るフゴタに対し、胡座をかきながら聴くブヒタに、木の後ろに隠れて一定の距離を保つナオネ。


「ナオネ! アニキと呼ぶフゴよ。良いフゴね!」

「ぶたは……食べ物。アニキは違うナオ……」

「俺らは食べ物じゃないフゴ!」


 と、少し怒鳴るだけでも萎縮して隠れてしまうため、コミュニケーションを取ろうにも時間がかかる。

 頭を抱え悩むフゴタに、ブヒタは頭をぽりぽり掻きながら言う。


「とりあえず、なんか遊んで見たら楽しそうって思って出て来るんじゃないブヒ?」

「なるほど、それは確かに……。ならやるぞ! ブヒタ!」

「合点ブヒ!」


 二人で意気投合し、遊びの準備にかかる二人。

 そんな二人を木の後ろに置き、ナオネはプルプルと震えながら座り込んでいる。


「怖いのは……いやナオ……」


 怒鳴られる事に耐性の無いナオネ。

 寧ろ耐性を得ても良いほどに、怒鳴られ叱られ虐げられたその経験は、フラッシュバックにて思い出される。

 ご飯はろくに貰えず、夜中に一人で森に抜け出しては小動物を狩り生肉を食す。すぐに帰って来なければ見つかり首輪を締められる。故に狩りの時間は数分で行い、食事など数秒だ。

 口答えをすれば殴られ、抵抗をしようものなら首についた戒めの首輪が強く締め付けられる。

 幼子が恐怖を覚えるには充分な暴行であった。

 いつしか少女は怯えるように身体を縮ませ、絶えぬ暴力に耐え、極力彼らを怒らせない様に過ごしていた。

 そんな自分が、遂に逃げ出す事に成功すれば次に待っているのは、おかしな魔物達。

 自分を攻撃するでも餌にするでもなく仲間にすると言った。

 それが純粋で、ナオネじぶんの力を狙ってのものではない事は、目を見れば分かった。

 でも、だとしても、信用など出来る筈はない。

 自分が知っている世界など、暴力と恐怖だけのもの。

 今更ーーどうしてこんな世界を見せるのだ。

 どうしてーーーー今更。


「ーーさぁ、こっちに向かって投げるフゴよぉっ」

「ーーいっくブヒよぉ」


 そんな風に塞ぎ込んでいれば、いつの間にか後ろから、楽しそうな声が聞こえるではないか。

 下を俯いていたナオネは、その楽しげな雰囲気と声に惹かれ、チラリと見て見れば、そこには枝にぶら下げた木の板に石を投げつける豚頭人オークの姿。

 どうしてか、彼らはノーコンな様で十回に一回程しか当たらない。

 見ててイラつきを覚える程である。


「にっしても、当たらんフゴねぇ」

「誰か超コントロールで当てれる人いないブヒかねぇ」

「「ねぇー」」


 なんて、態とらしく言いながらチラチラ目だけをナオネに視線を移し、参加を促すフゴタ達。

 確かに楽しそうではあるけれど、参加をするかと言われれば悩むレベルであり、未だ木の後ろから出ようとはしない。

 そんな姿を見たフゴタは嘆息した後、挑発めいた躍動感ある動きでナオネを誘う。


「あーあ、誰かあの板気持ちよーく割ってくれる名投手いないフゴかーー?」

「見て見たいブヒねぇ、あの板が気持ちよーく割れるところー」


 ナオネ自身、木の板を破る事は造作もない事であった。

 持ち前の筋肉を使えば百メートル先だろうが一キロ先だろうが、威力の差はあれど目標の的にぶつける事は可能。

 たかだか数メートル離れた的に当てるなど、蟻を踏み潰すくらい簡単な事だ。

 じゃあ、それをするかしないかと言われれば優先する事は身を守る事で、兎に角目の前にいる遊びに興じる事など、出来ないのだ。

 のーー筈だったが。


「まっさかとは思うフゴがぁ……獣人族ワビトはこんな事も出来ないフゴかぁ??」


 一瞬、フゴタが発した言葉に反応し動く耳。

 だが、まだこの程度の煽りでは動かない。


「魔族の力見て見たかったブヒねぇ」


 度重なる煽りも、今までの罵倒に比べたら雲泥の差がある。


「あーあ、親の顔が見て見たいフゴォー」


 ーーそれでも、さすがに親の悪口は許せない。


「……石を、貸せ」


「フゴッ?」


 先程まで座って震えていた獣人は何処に消えたのだろうか。最初にフゴタが見た感想はそれだ。

 赤茶色の髪はふわっと気を帯びた様にたなびき、立つ耳、そして切り裂く様な眼光はフゴタを内側から震わせた。

 先程までの一番の違いはその腕だろう。

 獣獣しい部分といえば、突き出た耳と可愛らしく出る尾のみだったのだが、その腕は毛むくじゃらにーーそう、獣の腕と相違ないものになっている。

 唖然と立ち尽くしていれば、手に持つ石を勝手に取られるフゴタ。

 その後、フゴタ達が投げていた位置に立ち、ナオネは構えそして投げる。

 ただの石の投擲は、大気を震わせ一瞬突風を巻き起こし、支える後脚は地面を踏み砕き、その余波がフゴタ達を襲う。

 綺麗な構えから投げられた石は真っ直ぐ木の板を貫いて、割れる事なく真ん中に石の大きさの穴を開けて、遠く空の彼方へ行ってしまった。

 圧倒的力、魔物とも人間とも違う存在“魔族”という存在を、今フゴタ達は垣間見たのだ。


「……ナオの事はいい」

「え? な、なんてフゴ?」


 破壊力宛ら、綺麗にヒビなく木の板に開けた穴を愕然と見ていると、投げた張本人が口を開く。

 ビクビクと喋っていた彼女の喋り方は一変、未だ容姿子供であるにも関わらず、一人の大人の女性と話してるかの様な錯覚を覚えるそんな威圧を放っていた。

 ナオネはその目を精一杯吊り上げて、フゴタ達を威嚇しながら言う。


「ナオの事を構うな。どうせ……すぐに別れの時は来る」


 フゴタ達には彼女が何を言っているのか、その真意がてんで理解が出来なかったが、だからと言って、ここで女の子に睨まれて怖かったので仕事をほっぽりだしたのでは、死んだ仲間に示しがつかない。

 豚男人オークの誇りとしても、男としても、引き下がるわけにはいかないと、目の前でガンを飛ばして来るナオネを見ながら密かに決心。

 それに、キングが言ったのだーー仲間と。


「その三、無駄な危害は加えず、どんな種族とも仲良くすべし、最後、仲間がピンチなら何が何でも助けるべしフゴよ」

「……? 何の話を……」

「ま、つまりは放っておけないって事ブヒよ」


 照れ隠しに顔は見せず背中で語るフゴタ。

 そんな彼をフォローする様に温かい目で見つめながら、解釈をするブヒタ。

 それでも訳が分からないのか、ナオネは首を傾げてその真意を探るが、


「あぁ、もう。こんな簡単な事もわからないフゴか! つ ま り。キングが“仲間”といったお前の事をもう見捨てるなんて出来ないフゴよ! 例え何があろうと絶対に俺らが助けてやるフゴ。何隠してるか分からないフゴが、何が何でも助けてやるフゴ。それがキングって人に付いていく俺ら子分の役目フゴ!」


 ビシィッと指をナオネに指し、そう宣言するフゴタ。その横でおおーと感嘆の声を上げながら拍手するブヒタ。

 一瞬、驚きの表情がナオネに浮かんだがすぐに沈んでいった。

 仮面を被った様に、子供がするには冷たい表情を見せながら、ナオネは言う。


「バカだね。……仲間なんて、ただの都合のいい関係を……そこまで重要視するなんてバカみたい」

「ま、何はともあれやる気になったのはいい事フゴ。もっと色々して遊ぶフゴよ!」

「次にやるなら追いかけっこブヒね。おいら達意外と速いブヒよぉ」


 下を俯きながら身を守る様に片手で腕を掴み、震えるナオネ。

 励ますように、持ち前の腹脂肪を揺らしスクワットをしながら、追いかけっこを促す二人。


「さっきからキングキング。あの牙の生えた豚の、一体どこが……」


 確かに優しい事は優しい。

 それはナオネ本人も感じた事だ。

 だがそれだけで、何十体もいる魔物を統括出来るような卓越した才能などは全く見受けられなかった。

 子供であるナオネですら本能的に理解したのだ。

 リーダーだと言うなら寧ろ横にいた赤い鬼の方がそれらしい。

 一体何を評価して彼らがそこまで賞賛をしているのか、ナオネには分からないままなのだ。

 本来であればもっと怒ってもいいだろう発言を、フゴタ達は笑顔で、


「すぐーー分かるフゴよ」


 と返した。

 そして、すぐに、


「ち、ちょっと!」


 その毛むくじゃらの腕を、無理やり掴んで次の遊び場へと連れていくフゴタ。

 抵抗などせず、なすがまま連れられるナオネの心境には、腕を何の躊躇もなく掴まれたことが、かなり深く彼女の心に響いている事を、フゴタはまだ知らない。


 --


 フゴタとブヒタに面倒を任せ僕は、鬼丸に呼び出され話をしていた。


「それで、何の話? 鬼丸」

「何の……って程でも無いが。気になる事がある」

「気になる事?」


 思えば鬼丸はワイズ以外で、最初からナオネーー獣人族ワビトの事を知る唯一の人物だ。

 発見時はその知識をひけらかす事はしなかったが、思う事があったらしい。

 木に寄りかかりながら腕を組む鬼丸は、怪訝そうに言う。


「正直な話、ナオネが未だ奴隷の首輪が外れていない以上。ここに人間がやってくる可能性がある」

「まぁ、確かにそうだね」

「単刀直入に言う、ナオネをーー捨てろ」

「ーーな」


 突然切り出されたその言葉に思わず唖然。

 だが、嘘や冗談で言っている様子はない。

 至って真剣に話す彼の姿は、真面目だ。

 彼はその雰囲気を変えず、そのまま続ける。


「必ず人間はここにやって来てナオネを取り戻しに来るはず。そいつらが強いにしろ弱いにしろ、森に危害が加わるのを黙って見過ごすわけにはいかない」

「おいおい、ちょっと待ってよ。幾ら何でもそれは酷すぎじゃないか? あんな小さな……しかも女の子を見殺しにしろって? そんな事僕には無理だ」

「……お前。本当に……変わったな」

「え?」


 気持ちをそのまま声に出してみれば、鼻で笑われた。

 なんか腑に落ちない。


「昔は、子分を盾にして逃げてたのによ」

「……あっ」


 そういえば、そんな話を聞いた気がする。

 それは鬼丸との戦闘中、いつも子分を盾にして逃げられた的な事を言っていた。

 友達を……仲間を盾にして逃げるなんて、正直フゴタやブヒタが尊敬する様な人物には到底見えないのだが。

 何かしらの理由があったのか。

 どちらにせよ、最低な行為に変わりはない。


 ーー親の金を使ってゲームを買った。

 ーー他のーーじめーーーーいて、にげー。


 “最低な”を鍵として蘇る忌まわしき前世の記憶。

 どんなに切り離そうとも足首を掴んで離さない僕の記憶。

 後ろめたく、髪を引かれ、記憶はいつも纏わり付いて心を蝕んでいく。

 特に、自室にいた時は顕著に現れ眠る度、夢に見ないよう願いながら寝ていたのを思い出す。

 この世界に来てからは大分マシになっていたのだが……。

 きっとこれから先、中高の思い出は一生付き纏うのだろう。


 ーー元キングを最低だなんて、人のこと言えないじゃないか。


「そんなお前が見捨てられないなんて……言葉吐くとは、かっこいいじゃねぇか。さすがおれをぶちのめした男だ」

「まぁ……そうだね」


 露骨にテンションが下がった僕をみて、訝しみ、空気を読んだのか鬼丸はそれ以降黙ってその場に立つだけだ。

 どう察したのかは分からないが、彼が何も言わずにその場に居てくれた事は意外と心を落ち着かせてくれた。

 褒める事を褒めて、後はじっと待つ。

 全く、かっこいいのはそっちだよ鬼丸。


「ていうか、なんでナオネを人間達は取り戻しに来るんだ?」

「……ん? そりゃあ決まってるだろ」


 喋り出した僕の言葉を聴き逃したのか、一瞬タイムラグが起きた後、考えて鬼丸は答える。


獣人族ワビトなんて超戦力。そう簡単に手放すとは思えねぇ。ましてや魔術道具マジックアイテムでその行動を少しでも制限して従わせられるなら尚更だ」


 あの鬼丸が賞賛する事は珍しい。

 基本的自分と戦って勝った者しか認めないのだ。「戦ったらまずおれは負ける」と豪語する程に、話を持ち上げるのも初めて見た光景である。

 館に篭りきりのワイズにでさえ、戦ったら勝てると信じている。

 正直な話対面した僕から言わせれば、ワイズの強さは別格だ。

 その強さを一端を垣間見ただけではあるが、鬼丸も数秒でやられてしまうだろう。

 そんな鬼丸が戦った事もない女の子相手に本気を出されたら負けると、弱腰なのだ。

 驚きである。


「鬼丸……なんでそんなに獣人族ワビトに詳しい……っていうか、一目置いてるっていうか」


 詳しい、というよりはそちらの方がニュアンスは正しいだろう。。

 種族の知識云々ならばワイズから聴いていた方が、詳しく生態を知れた。

 対し鬼丸は強さに関して先程から言及している。

 ワイズは性奴隷としても使われているかもと示唆したが、鬼丸は最初から“戦闘要員”だと信じているのだ。

 何がそこまで、彼の指針を動かしているのか、その理由が分からないのだ。


獣人族ワビトっていうのは、大戦時代。肉体を使った近接戦闘において一番の殺傷数を誇った種族。奴らに魔術無しで勝つ種族はまずいねぇし、手段もねぇ。獣人族ワビトは魔術を使用しなくても、その持ち前の身体能力を発揮して戦える。魔術無しで唯一戦闘が続行出来る種族だ」


 ーー前言撤回だ。

 充分詳しかった。

 そう語る鬼丸の顔には口惜しさを内包した表情が浮かんでおり、組む腕は力が入り、思わず皮膚に爪が食い込んでいる。

 力を求める鬼丸にとって、ただ単純に種族として強いというのは一種の嫉妬の対象なのだろう。

 何故そこまで知っているかと聞けば、自分より強い奴の事は何が何でも知りたい性分なのだそうだ。


「ま、キングがいいって言うならいいだろ。リーダーが決めた事だ。全て従う」

「そんな……不満があったらちゃんと言ってくれよ?」

「当たり前だ。今度は必ず、おれが勝っておれが群れのリーダーになる。覚えとけ」

「はははっ、楽しみに待ってるよ」


 なんて会話を終えれば辺りはすっかり夕焼けに染まっていた。

 泥だらけになったフゴタ達が帰って来た時には、不安も払拭し、ナオネもこれから馴染んでいくだろうと、そう思っていた。


 そう、思っていた。


 --


 夜、灰狼グレイフォックスが鳴き、反響し夜闇支配する森を駆け抜ける。

 見張り以外、皆寝静まり、綺麗に輝く青い月が顔を出す満月の夜。


 フゴタとブヒタの家では、珍しくお客が入り込んでおり、フゴタとブヒタに挟まれてナオネが真ん中で寝ている。

 地面に敷かれたクッションの様に柔らかい葉の上に三人、そしてナオネを最初に包んでいた物と同様の保温性の高い掛け葉っぱ(掛け布団)。

 遊び疲れ、鼾を立てながら寝るフゴタを横にナオネは寝付けないでいた。

 それは勿論、いびきがうるさいという理由も無いわけじゃ無いのだが、それよりも強い理由が一つ。


 ーー怖い。


 嵐の日は、疲れと恐怖でつい寝る、というよりは気絶をしてしまったが、これだけ安全な場所ならば帰って不安が押し寄せる。

 もし、また飼い主がやってくれば地獄の日々が待っている。

 一刻も早く、ここから逃げ出さなければーー、


「どこに行くブヒ?」


「ーーーーッ!」


 闇に乗じて逃げ出そうと、布団をめくった時、その声は聞こえた。

 思わず跳びのき、警戒態勢で声の主を探せばいたのはブヒタ。

 目を瞑りながら布団に入ってはいるが寝てはいない。

 ゆっくりと身体を起こし、フゴタが寝る中向き合うブヒタとナオネ。


「眠れないブヒか。フゴタの鼾は煩いブヒね。全く迷惑極まりないブヒ」


 と、気持ちよさそうに寝ているフゴタに蹴りの一撃。

「フゴッ……」と身体を痙攣させながら反応をするが、そのまま鼾を止めてまた深い眠りへと落ちる。

 それを確認したブヒタは嘆息し、未だ警戒態勢を解かないナオネに向き合う。


「とりあえず……外。出るブヒか?」

「…………」


 頷いて、それに了承。

 フゴタを起こさない様に、ゆっくりと外に出る二人。


 外では見張りの醜小人ゴブリンが二人集落の入り口に立っていた為、手を挙げて軽く挨拶し通りすぎる。

 ナオネはどこに行くのか、全く分からぬまま、だが警戒は解かず赤茶色の毛を逆立ててブヒタを見ていた。

 すると、葉と葉の間から射し込む青い光に気付き、上を見上げるブヒタ。


「運が良いブヒ。今日は満月の夜。とっても気持ちがいい夜歩きになりそうブヒね」

「ナオを……どこに連れて行くつもりだ」

だ警戒を解いて無いブヒか? ちょっとビクビクしてる前の方が可愛気があったのに残念ブヒねぇ」

「お前……ナオを揶揄っているのか?」


 元々鋭い眼光が、更にその鋭さを増してブヒタを威嚇する。

 背中からでもその気配を察知した様でブヒタは、


「怖いブヒねぇ。女の子なんだから、もっと気楽に可愛らしく言った方がいいと思うブヒ。ま、おいらは君以外に女の子に会った事無いブヒがね」


 ハハハッと軽快に笑うブヒタに対し、全く警戒を解かないナオネ。

 その様子を見ながら少し残念そうに微笑めば、目的の場所に着いたようで、立ち止まるブヒタ。


「ここブヒ」

「……ここは?」


 そこにあったのは巨大な大樹。

 元々、迫害の森の木々は人間の手が全く入っていないぶん、成長も良く太い幹ばかりなのだが。

 彼らの目の前に立つ大樹は、そのどれをも凌駕するものだった。

 巨大な幹は何十メートルと言ったところ、木の根は肥大化し地表からはみ出て、その姿を露わにしている。

 何十匹もの蛇が何重にも交差すれば、このような根になるのでは無いだろうか。

 そしてその大樹から伸びる枝は目視で数えるレベルを超え、彩る葉も月の光一点も通さない。

 そんな大自然の権化の様な大樹を前にして、ナオネが呆然としていれば、その根を器用に登っていくブヒタの姿。

 あの巨体で良くスラスラと登れると人並みに感心していれば、


「ついて来るブヒよ」


 と言いながらまた先へ行ってしまう。

 だが獣人族ワビトたる体躯は豚頭人オークのそれとは出来がまるで違う。

 軽々と根を登っていけば、木の根元に座るブヒタ。

 その隣を座れと指示を出してきたので、とりあえず座るナオネ。

 ーー正座で。


「……ま、いいやブヒ。どうブヒ? この木は。めちゃくちゃデカくてびっくりしたブヒ?」


 確かに、高さはそれ程でも無いにしろ、他の木々の傘の如く、森から頭一つ抜けてキノコの様に覆い被さるほどの大きさを誇るこの樹をみて、何も感じないといえば嘘になる。

 というより実際、見て驚いたのだから、感じているのだが。

 嬉しそうに訊いてくるブヒタを横に、小さく頷くナオネ。


「この大樹は何百年も昔からこの森にある樹らしいブヒよ。こんだけ大きいから何千年かもしれないブヒが。どっちにしてもおいら達より長生きしてるのは間違いないブヒね」

「…………」

「あの青い月も、昔から青かったわけじゃ無いらしいブヒよ。昔は黄色に光り輝いていたらしいブヒが……いつからか青になったらしいブヒ。五十年くらい前って話ブヒね」


 いまいち要領を得ない話にイラつきを覚えるナオネ。

 口を開いてここに呼んだ事を問い質そうとすれば、見越した様に先にブヒタが言う。


「ナオネは生きてるのが辛いブヒか?」

「……突然、何を」

「おいらはねぇ、とっても幸せブヒよ。醜小人ゴブリン灰狼グレイフォックスってい新しい仲間が増えて、フゴタと毎日働いて馬鹿やれて、鬼丸っていう兄貴分が出来て、キングが一緒にいてくれて……昔も楽しかったブヒが、今が一番ピークで幸せだと思うブヒ」


 浸る様に上を見ながら言う自慢話に、更に苛立ちが溜まり遂に口を開くナオネ。


「それで、結局ここにナオを呼んだ理由はなんなんですか」

「ナオネは……」


 何といえばいいのか分からない。といった様子で唸りながら言葉を選ぶブヒタ。

 あー、とか、うーん、とか重ねながら微笑みながらブヒタは訊く。


「ナオネは……ここで生きていくのは、嫌……ブヒか?」

「……嫌、じゃない」

「ーー! だったら……」

「それでも、此処にはいられない。奴らは、もうすぐやって来る。悠長に構えていたら、みんな、死ぬ」


 物騒な言葉が出てきた所で目を開く、だがすぐに、そのでかい鼻を掻きながら、


「どうして、そう思うブヒ?」


 と訊くと、ナオネはその正座を崩して体育座りになると、逆立っていた毛はぺちゃんと頭に張り付き、耳は垂れる。


「……奴らに命令されると……逆らえない……ナォ。首輪が締め付けて、野生の本能が出るともう自分でも自分が、よく分からなくなる……ナォ」


 興奮状態、もとい警戒が解けナオネの本音がこぼれ始める。

 零れると同時、声だけでなく我慢していた涙さえも可愛らしい真紅の双眸からあふれ始めた。


「もう……ナオは嫌ナオ。痛いのも、痛くするのも、もう、したく無いナオ」


 そんな子供らしい発言をやっと聴けたことにブヒタは安堵し、思わずその頭を撫でる。

 そして、「ナォ?」と不思議そうに見つめるナオネに見えない空を見上げながらブヒタは言う。


「何百年も生きてる奴らからしたらおいら達の悩みなんて、ちっぽけなものブヒ。おいらも強く悩んだ時期があったブヒが今では楽しく暮らしてるブヒ。それもこれもキングのおかげブヒよ。昔と今では大分雰囲気も方針も違うブヒが……。根は変わらないいいキングだったブヒ」


 そこで思い出されるのは元キングの記憶。

 キングが鬼丸達に襲われた時、仲間の豚頭人オークがキングを逃がすために囮となった時のことだ。


『早く逃げてくださいイノ! キング貴方は生きるべきキングイノ!』

『ま、待て! 何でだ! 俺を守るために何でお前らーー』

『それが頭を支える子分の役目イノよ。さ! 早く逃げるイノ!!』

『イノタァァァッッ!!!』


 そう言って仲間が身代わりに死ぬ度、キングは悔しそうにしながら毎日魔術の特訓をして仲間の仇を討つと、心に決めていた。

 結局、その願いが叶う前に死んでしまったが、想いは今のキングに受け継がれ見事に鬼丸を倒す事に成功した。

 いつも子分が死ぬ最後の瞬間まで、諦めずに他の子分に手脚を持たれ、引きずられながらも助けようとしていたキング。

 ブヒタが誇る、最高のキング。


 彼ならば、ーーきっと。


「どんなにナオネが心配しても無駄ブヒ。仲間とキングが言った以上、必ずーー必ずキングがナオネを助けてくれるブヒよ」

「……ほんと、に?」

「あぁ。約束するブヒ。おいらが信じたキングはきっと、ナオネを助けてくれることを」


 そう、笑顔で微笑んだその時、ナオネの表情も少し和らぎ、小声で「ナォ」と返事した。


「はぁーっ、にしても今日は落ちなかったブヒかぁ。残念ブヒねぇ」

「……どうしたの?」

「いや、本当なら満月の日はこの大樹、“星振りの大樹”から無数の魔素が発光して地面に落ちるっていう、凄い綺麗な風景を拝めるんでブヒが、今日はどうにも外れだったみたいブヒね」


 申し訳なさそうに頭を掻きながら、立ち上がり、


「じゃ、もう遅いブヒよ。帰ろうブヒ」


 と手を差し伸べるブヒタ。

 もう日は周り、夜明けも一、二時間経てば来てしまうかもしれない。

 腹時計では感覚もわからないが、気分的にはそのくらい。

 早く寝なければ明日の作業にも支障が出てしまう。

 差し伸べられた手とブヒタの顔を交互に見ながら、戸惑いながらも手を乗せるナオネ。

 その手をがっしりと掴み立ち上がらせるブヒタ。


「さ、帰ろうブヒ。もしかしたらキングとか、フゴタが起きてしまってたら心配してるかもーーーー」


 その時だった。

 違和感を感じたのは。

 聴こえてくる掠れた何かの音、脚を前に出しても何か強い力に阻まれて前に進む事を許さない。

 その原因は、手を繋いだナオネ。彼女が手を掴んだっきり離さないのだ。

 がっしりと先に掴んだのはブヒタではあるが、その後もまるで握り潰すかの様に力が入り手を振りほどくことができない。


「っいて。な……何がーー」


 そして、ナオネを見たブヒタは思わず呆然とした。


 漏れる筈の無い大樹の葉が突風で揺れて光が射し込む。

 青い光に照らされる彼女の姿は、臆病なナオネでも、強気のナオネでも無い。

 全く別の姿。

 身体中から毛を生やし、掴まれた腕には爪が立てられ肉を貫いている。

 そして向けられた眼は焦点があっておらず、目の前にいるブヒタが全く見えていない様子だった。


「い、痛い……。痛いブヒよ、ナオネ」


 やめるブヒ、とそう口にしようとした時、まるで背中を舌で舐められる様な悪寒が襲い、そしてブヒタは、


「ーーーーえ?」


 宙を舞っていた。

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