第20話 幸せを知らぬ童子に愛の抱擁を

 


 フゴタの戦いを地面に伏しながら横目で見る鬼丸。

 物の見事に一撃で、相手が弱いとはいえ討ち取った戦士の姿。

 この無様な姿でそれを賞賛するのは些か不本意ではあったが、言葉にせずにはいられない。


「やるじゃないか……フゴタロウ」


 と、口に出せば、石突きを地面に思い切り叩きつけながら、鬼丸の方を向くフゴタ。

 遠目でもそれが分かった鬼丸は、只ならぬ気迫を感じ、全神経を使い、彼が言う言葉、行動を見逃さない様にした。

 そうしてフゴタが息を吸い、言った。


「何を、やってるフゴかァァァア!!」


 距離はある。

 敵同士徒党を組まれない様にするため、自身の敵は自身で倒すため、離れた位置で戦った。

 その距離をものともしない声量で届かせる叫びは、鬼丸の意識を改めさせた。


 ーー何をやっている?


「お前はキングの右腕なんだろフゴ!! ならちゃんと、勝ってキングに報告しなくちゃ、いけないだろフゴォォッッッ!」


 ーーーー!!


 魂から綴られた叫びに、思わず頬を緩める鬼丸。

 他人から指摘されなければ気付かないなんて、あまりに愚昧。

 相手がどんなに強大だろうが、理不尽だろうが、その腕っぷしにて捩じ伏せる。

 それが鬼たる鬼丸の使命。


「フゴタロウに言われて気づくタァ、かなりかっこ悪いな……おれ」

「ハァーーン? もう少し自分の姿を見返したらどうかしらぁん。ボロボロで、傷だらけ。誰がどう見たって格好悪いの、当たり前じゃないのヨォ!!」


 地面に落とされ、身体を縛られた状態で、尚鞭による攻撃が続く。

 四本の鞭先にて縛られ、残る五本による鞭打ち。

 皮膚は避け、元から赤い皮膚であるが、血により赤黒さが増している。


 一体何本の骨が折れたのだろうか。

 一体どれ程の血が流れたのだろうか。

 幾ら魔物とはいえ、血を流し続ければ出血死は必至だ。


 ーーだが、


「う、うぉぉぉぉ……!」


 鞭で身動きの取れない両腕に代わり、腹筋で身体を持ち上げ膝をつく。

 決して軽くない傷だ。立つだけでも鞭は食い込み、加速度的に痛みが増していく。

 それでも尚、拘束する鞭に抗いながら立ち上がっていく鬼丸。

 力の限り吠え、その意思を、フゴタに、ディシプリンに、そして自分に言い聞かせるために。


 軋む身体を力付くの電気信号で動かし、その能力を高めていく。

 鬼丸を縛る鞭は、鬼丸の叫びに連鎖して音を立て、遂にはーー、


「だらぁぁぁあっっ!!」


「ーー!? にゃっ……! にゃにぃいいい!!??」


 ブチブチブチィィィッ、と鞭が断末魔の叫びをあげる。

 己のパワーのみで、拘束する鞭を引き千切ったのだ。

 その真実を受け止めきれないのか、狼狽したディシプリンは内股で震えながら指差し言う。


「しょしょしょんなわけあるはずないじゃないのヨォ!! 成人男性一万人が引っ張っても千切れないってお墨付きの鞭なのよォッ!? たった一人が力入れた程度で、壊れる様なおもちゃじゃあないのにィッ!」


 慌てふためくディシプリンを鼻で笑いながら、鬼丸も返す。


「ーーなら、おれは人間一万人より強いってことだな」

「ひ、ヒィィッッ!!」


 鞭の説明の真意は分からず、正しいかどうかも分からない。

 だがそんなことは関係ない。今重要なのは身動きを封じていた鞭を引き千切った事実だ。


 強く睨みつける魔物の眼光は、人間であるディシプリンには飛んでくる矢に等しく、命に関わる脅威な事に変わりはない。

 だが、鬼丸の姿は満身創痍。

 その事実が目に見えている所為か、ディシプリンの恐怖は一時的な物に収まり、寧ろ決着をつけることができる自信へと変わる。


「……へ、ふっへ、へへへなんだカラァ。どちらにせよ、怪我だらけのあんたを倒すのに、たった一撃さえあれば構わないのヨォ! 私の奥義を喰らいなさいなァッ!!」


「……“鬼闘魂オーガ・ソウル”」


 決して武闘派でないだろうディシプリン。だが彼は鞭使いとしては完璧だ。

 九つもある鞭先を無駄なく操り、実際鬼丸を苦しめたのだ。

 純粋なパワーが無ければ、縛り付けられたまま嬲り殺されてしまうだろう。

 武器が鞭であるから、すぐに死ぬ事はなく永遠と痛みを感じながら、喘ぎ、死に至る。


 その痛みを充分に味わった鬼丸であるからこそ、ディシプリンの構えに警戒し、最大限の準備。

 拳に炎を纏わせ、ディシプリンの動きを細部まで見逃さない様に注意する。


 ほぼ一撃を、“死”ではなく“痛み”を与えることに注ぎ込んだ武器。

 彼の九つの腕に魔力が加えられ、動きは更に醜悪となり、蛸の足の様に不規則に動き始める。

 鬼丸に千切られた鞭先もいつの間にか修復し、伸びている。

 そうした鞭先全てに、紫の炎が宿る。


「ーー“紫炎上る、神の身に、

 灰無き醜さを捧げましょう。

 我が贄は獲物の首を、

 我が成果は我が身の忠誠を、

 糧とし、荒ぶる業火を持って顕現せよォッ!

 《九頭龍鞭くずりゅうべん》!!!」


 乱雑に動く九つの鞭先が、地面を抉りながら命じられた敵の首を討たんとその首を伸ばす。

 紫炎が形を成し、形成される九つの蛇の頭。

 それぞれが常軌を逸した動きと破壊力を持ち、元々瓦礫で埋まっていた竜の喉を破壊し、地面を、壁を、空気さえも食い尽くす。

 九つの頭から突き出る牙が、獲物たる鬼丸の首へと向かう。


 対して鬼丸は赤き閃光迸る、燃える拳を宿したまま、その場にて中心線を軸とし回転。

 一つのコマの様に回り、回転が終わりを迎えた時、左手に宿った炎は消え、右手に宿る炎が一層増して燃えていた。

 そして、右手をクッ、と引いて思い切り振り被る。


「“鬼闘爆炎流旋オーガ・ハリケーヌ”ゥァッッ!!」

「ーーん?」


 右手から放たれた炎の奔流は渦を巻き、地面を焼きながら前進する。

 されど形容するならば、雪崩の様に、或いは川の氾濫の様に押し寄せる九つ炎蛇とは、比べ物にはならない。

 その大きさから破壊の規模から、何から何までが鬼闘爆炎流旋オーガ・ハリケーヌを上回っているのだ。


「なぁーっにヨォ! そんなヘナチョコ炎消し飛ばしてやるわヨォッッ!!」


 嘲笑うディシプリン。

 それを象徴する様に、荒れ狂う波を更に際立たせ暴れる“破壊に向かう九つの腕キャットオブナインテイル”。


 だが、それをーー鬼丸は鼻で笑って返す。


「な、何よ……! なんでそんなに余裕でーー」


「おれの“鬼闘爆炎流旋オーガ・ハリケーヌ”は、ただの渦巻いた炎じゃーーねぇ」


 その言葉を聞いたディシプリンは、絶対的優位性に立っていながら、不敵に笑ったボロ雑巾の様な鬼の表情を見て、冷や汗を垂らした。


 真意は分からない。


 だが、彼の自信がハッタリでない事を調教師の直感が告げていた。

 まるで、調教した動物が脱走する一日前にした眼の様なーー決心した何か。

 それを感じたディシプリンは思わず鞭先を見た。結果はしれている。鬼もろとも鬼が放った炎を消し飛ばして終わりだ。

 なのにーーなぜこうまで不安が込み上げてくるのか。


 九つの蛇がうねる波が遂に、鬼の炎の渦に接触した。

 目を凝らして、観る。

 紫炎の蛇は見事に炎の渦を飲み込みーーーー否、見事に炎の渦に飲み込まれ吸収されて、鞭先は灰となって消えた。


「ーーは?」


「おれのハリケーヌは相手が放った魔術をそのまま渦に組み込み増加する! お前の炎! 有り難く貰うぞッッ!!」


 強大な力を誇っていた《九頭龍鞭くずりゅうべん》の紫炎を丸ごと飲み込み、一つの台風と化した鬼丸の炎。

 狭い峡谷の端から端までを炎で焼きつくしながら、抵抗する術も逃げる術も無くなったディシプリンへと向かう。


「そ、そんな話ってーーーー嘘ヨォォォッッ!!?」


 視界全てを埋め尽くす紫炎と豪炎の混じり合った渦が、襲い掛かる。

 無駄だと知りながらも身体は止まらない。

 無様に後ろへと逃走するディシプリン。

 足場は悪い、普通の登山をするよりも倍以上に体力を消耗しそうな瓦礫地帯。

 すぐに躓き、身長よりも高い岩に囲まれ行く手は塞がれる。


 振り向けばーーーー、一面の炎。

 もう、遅い。


「ニギィイィャャャァァァァアッッッッ!!!!」


 辺り一帯の瓦礫毎、行く手にある全ての物を燃やし、破壊し尽くす災害の権化。

 遠目に見るフゴタでさえ、その圧倒的熱量に思わず手で顔を隠す。


 そんな熱に焼かれた渓谷は鬼丸達自ら落とした瓦礫を吹き飛ばし、焼かれ黒く焦げ付いた地面を晒していた。

 そして、その中にポツリとある一つのかまくらの様な地面の盛り上がり。


 鬼丸は焼けた地面に足を焼きながら、その盛り上がりへと近づく。

 目の前まで行くと、一発殴る。


「ーーひ」


 焼かれ防御力を失ったかまくらは、軽く殴っただけでボロボロと崩れ去り、中からは涙で化粧が流れたディシプリンが酷く震えていた。


「お、お願いぃぃヨォ。い、いのちだけはぁぁ」

「命なんか、いらねぇ。だから、早くナオネの首輪を外しやがれ!」

「な、なおね?」


 その言葉がわからないように震えながらも、疑問符を浮かべるディシプリン。

 当たり前だ。ナオネという名前はキングが付けたのだから。

 それを教えるように、ディシプリンの又先に足を伸ばし、地面を踏みつけ威嚇。


獣人族ワビトの子の名前だ」

「あ、あんた達。あいつに名前なんて付けたの……?」

「そんなことはどうでもいいッ!!」

「ひっ」


 強く怒鳴りつける鬼丸に怯え萎縮するディシプリン。

 身を縮め、頭を抱え、先程までの威勢はどこかに行ってしまったようだ。


 後から追ってきたフゴタも合流する。

 革靴からも感じられる熱さで「あちち」なんて言いながら、鬼丸の後ろに着く。


「とにかく、早く首輪を外せ。考える時間はやらねぇ。さぁ、外せ」

「分かった! 分かったから、その槍を退けてヨォ!!」


 鬼丸の脅しと共に阿吽の呼吸で、槍を突きつけるフゴタ。

 怯え、せっせと解除の詠唱を始める。


 横目に確認した鬼丸は、太陽が出始め本格的に明るくなり始めた空を見上げて、


「キング……」


 と、不安の気持ちを零していた。

 痛みなどもう忘れた。あるのは自分が認めたかしらに対する憂慮のみ。

 フゴタも同様に、口には出さないものの表情は硬い。


 ーーその頃、キングはと言えば。


 --


「フッ……フッ……シィィーー」


 それなりに、整った地面の上であった。

 竜の喉から連れ出され、戦っていた荒々しく凹凸が激しい岩肌に比べれば、多少の高低差があるくらいで石ころはあっても岩のような大きな障害物はない。


 そんな辺りの地形はこの数分で変貌を遂げた。


 月のようなクレーターが幾つも散らばっている。岩盤は砕けまともに真っ直ぐ立てる場所など探さなければ無いだろう。

 そこに立つ、二人の影。


 一つは身体中、返り血で赤黒くなった、黄と黒の縞模様の毛皮に身を包んだ猛獣。

 二本足で立ってはいるが、あれを人とは呼べないだろう。

 息を荒げ、縦に割れた獣眼で目の前にいる獲物を睨みつける。


 もう一方は、身体中が自分の血によって染め上げられた僕。

 眼の焦点はあっておらず、なぜ立っているのかすらも不明だ。

 ゆらゆらと身体を揺らし、今にもぶっ倒れそうな死に体でありながら、バランスを崩してもすぐさま脚を出してバランスを保つ。


「コロスーー、コロスゥゥッッ!!」

「……ハァ……ハァ……おん、なの子が、そんなヤンキーみたいな言葉……使っちゃダメだよ……」


 野生の本能が剥き出しとなり、最早面影は残っていない。

 内面までも完全に獣化し、顔を振りながら涎を撒き散らす様は、ナオ……と言いながら震えていた可愛げのある少女とは思えない荒れようだ

 それだけに飽き足らず、目の前の人物が誰かも分からず暴れる様子は猛獣と相対しているのではと錯覚するほど。

 いや、実際猛獣ではあるが。

 少なくとも、先日まで接していた同じ女の子とは思えない。


「ガァァッッ!!」


「ーーくぇっっ……!」


 直後、腹部を襲う激痛。

 咆哮が鼓膜を殴打したーーそう気付いた時には、身体はもう吹き飛ばされていた。

 くの字に曲げられた体躯は数十メートルを飛翔して、地面へと転がり落ちる。

 この数分で受けたダメージは、僕が受けた痛みの中でもトップクラスだ。

 極度の緊張状態によって作り上げられた集中力は、戦闘能力の学習を飛躍的に向上させ、今ではこと受身に関してはハイレベル。

 吹き飛ばされ、身体中軋みながらも最小限の力で、重い身体を翻し空中にて体勢を整えて綺麗に着地。

 多少脚に負担がかかりはしたが、まだ倒れない。


 前を向けば、追撃にやってくるナオネの姿。

 跳躍、到着と共に殴打の強襲。

 腕を使い、脚を使い、頭蓋を使い、尾を使い、身体を使った無差別攻撃。

 腕を上げるのさえ億劫、だが上げなければ死んでしまう。

 腕で急所に向かう攻撃を全て躱して行く。


「コロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスッッッ!!!」


「ナオネ……ッ!」


 苛烈極まる攻撃は、どんどん僕の身体を痛めつけ疲労させる。

 なぜ自分が今立てているのかさえ疑問だ。

 今すぐ寝てしまいたい。

 倒れて全てを忘れてしまいたい。

 でも、でもそれをすれば、彼女は、ナオネは、救われないーー!!!


「ナオネェェッッ!!!」


「コローーーーッ!」


 残る全ての力を使ってナオネの身体を、身体全部を使っての拘束。

 押し倒し上から覆い被さり、腕を巻き込んでの抱擁、身動きを封じた。

 だが、最古最大の戦闘種族“獣人族ワビト”の力は伊達じゃない。

 この猛猪王キング・オークの身体になり、ずんぐりむっくりな見た目をしていながらも、腕力は向上している。

 例えて言うなら、岩くらいなら殴って破壊出来る。

 それでも抑えきれない圧倒的パワー。

 唯一の救いは、本能に任せている為か、ただ暴れるだけで拘束から抜けようとしない。

 こちらが耐えている限り、拘束が解けないのだ。


(鬼丸ーーまだかっ!)


 破茶滅茶に暴れるぶん、体力の消耗は加速度的に上がって行く。

 自身の血が滴り落ちて赤く染まる地面を見つめながら、懇願する。

 すれば、


「ガァァァッッッ!!!」


 拘束に耐え兼ねたナオネが肩を食い千切ろうと噛み付いた。


「ーーかは」


 あまりの激痛に叫び声も上げられない。


 肉を裂かれた、骨を折られた、内臓は何個かダメになり、視界はぼやけ、足もフラフラである。

 だがその状態に至った過程に、噛み付くという行為はリストアップされていない。

 肉を引きちぎらんと歯が食い込み、ブチブチと細胞が音を立てながら、身体から離れて行く喪失感は言葉にすることは難しい。

 そんな痛みを感じながらも、ふと何故か脳裏によぎる疑問。

 痛みに顔を歪ませながら、息を荒げて我が肉に食らいつくナオネに囁く。


「ーーナオネ、本気じゃないでしょ」

「ガァッ……ガ」


 動きが止まった。


「痛いけど……肉が引きちぎれないし。もしかして、ナオネの顎だったら、噛み付いた時点で僕の肩はとっくに千切れてるんじゃないのか……?」


「…………」


 我ながら破綻した疑問ではあった。

 単純にナオネが力を抜いているだけかもしれないし、僕の肩がナオネの顎の咀嚼力を上回る耐久性を持つという可能性だって捨てきれない。

 だけどそれでも思ったんだ。

 さっきから立てている。

 この事実に。


「未だに僕は立てるし、君の攻撃をなんとか避けれるんだ。それってつまりは、そういうことだよね」


「…………」


 肩に噛み付いたまま無言を貫き通すナオネ。

 腕も動けば足も動く。

 生命を維持するのに大事な器官は全て無事。

 相手が獣だというのなら、まず脚を狙って動きを封じる筈だ。

 というよりも、獣でなくても動きを封じるのは戦いの基本だと思う。


 だが、僕の脚は動く。


 脚が動くというその事実が如実にある事を証明してるのだ。


 つまり……、僕が言いたいのは、

 ーー彼女は意識的に急所を外しているという事。


「…………」

「ナオネ。一緒に……帰ろう。皆待ってる」


 そう言いながら、痛む肩側を除けばいつの間にか口は離され、そこにいたのは涙を眼に浮かべる少女だった。

 正気は取り戻していないかもしれないが、このまま押し倒しているわけにもいかない。

 その場を退き、僕は尻餅をついて地べたでの会話は続く。

 ナオネは倒れたまま、言葉を発した。


「ブタ、キズ、ツケタ……」

「ああ、そうだね」


 主にフゴタと僕。

 見事に二人とも豚だ。

 しかも片方はかなりの重症。

 でも構わない。


「ミンナ、二、タクサン、メイワクカケタ……」

「ああ、そうだね」


 夜中の轟音と振動。

 あれは確かに集落全体を揺るがす凄まじいものだった。

 でも、構わない。


「コレカラモ、タクサン、カケル」

「うん、そうかもしれないね」


 ナオネは幼い。

 きっと分からないことも多いし、失敗することもあるだろう。

 でも、構わない。


「ダカラ……ムリ」

「それは、違うよ」


 大の字になって泣いているナオネはいつの間にか、ただの猫耳少女に戻っており、いつもと違う点があるとするなら、未だ眼は縦に割れた獣眼だ。

 完全に正気を取り戻せたわけじゃないのだろう。


 そんな彼女が言う、無理という言葉に、どれ程の意味が感情が込められているかは分からない。


 だけどーーもしそれが拒絶でなく諦観ならば、僕はそれを否定する。

 リーダーとして否定しなければならないんだ。


「無理なんてことはない。生き物は誰だって失敗する。僕だって……よく失敗した」

「ブタ……モ?」

「何度も何度も失敗して、諦めて、その先は結局見えずじまい。今だって不明瞭な未来しか見えないよ。でもね……最近わかったことがあるんだ」

「……?」


 そう、僕は気付いた。

 失敗する毎日を繰り返し、そうして行き着いたこの世界で。

 僕は、知ったんだ。


「仲間が一緒だったら……大抵不安は無くなるもんさ」

「…………」

「支え合って……助け合って……一緒に前に進んでく。

 素晴らしいじゃないか。とっても心地がいい。最初から知っていれば、きっと失敗することもなかったんだろうけどね……」


 そう、もっと友達をうまく作れていれば、もっと内心をぶちまけられる心強い友達を、ちゃんと作れていれば、僕は今でも地球で違う生活をしていたかもしれない。

 それ程に、友達ーー仲間っていうのは心強いんだ。


 安心して背中を任せられる頼れる仲間がいる。

 何をするにも笑ってついて来てくれる頼れる仲間がいる。

 皆で力を合わせて頑張る仲間がいる。


 それを、ナオネにも知ってもらいたい。

 僕が知った幸福を、彼女にも分けてあげたいんだ。


「……デモ、やっぱり、無理ダよ」


「…………」


 涙でくしゃくしゃになった顔はそのままに、起き上がり首輪を掴みながら言うナオネ。


「コレがあるから、私はまた、暴走する……。ナオは人を傷付けたくない……だから」

「ーー大丈夫さ」


 僕のその言葉にナオネは目を見開いた。

 予想していたかのように即答した僕の言葉の、真意が分からず。


 朝がやってくる。

 登る日は天を照らし、暗き森に日替わりの祝福を知らせ、大地はその熱を伝えていく。

 偶々僕の背に回った太陽の光は、ナオネから見れば眩しいほどに光る後光。

 まるで測っていたかのような絶妙なタイミングで全ては回り始める。

 朝が来て、ナオネの心は揺らいだ。

 後はーー最後の奇跡を信じるだけだ。


「言ったろ? 仲間は支え合うもんだって。だからさーー」


 直後、ナオネの首を縛る首輪は音を立て、二つに割れてその拘束を解く。

 鉄の首輪に何年も巻き付かれた赤い跡が痛々しく残っており、見るだけでも脳裏に浮かぶ変態への怒りが沸騰しそうだったが、それを堪えて、状況を理解出来ていないナオネに告げる。


「帰って来なよ。ナオネ、君は僕達の仲間なんだから」

「ーーーーッ」


 ドスン、と鈍い音を立てて落ちる首輪。

 それを引き金にナオネの目線は俯いた下から徐々に上に上がり僕を見る。

 みるみる涙が眼から溢れ出し、終いにはその超人的な跳躍で僕の懐に飛び込む。

 衝撃で背中を強く打ったが、気にしない。


「えっ、えっ、エグッ。わ……ぁぁん」


「よしよし。もう、大丈夫だ。これからは痛いことは何もないぞ」


 飛び込み泣き噦る少女の頭を撫でながら、空を見上げる。

 それは清々しい程に雲が無く晴天、これだけ痛い思いをした報酬がナオネの幸せへの一歩と、この景色となると中々に吊り合っているのではないか。

 ま、景色一割ナオネ九割くらいの比率ではあるが。


 その時、僕は知る由もない。


 前世であれだけ嫌悪して来た僕の体型が、今優しくナオネを包み込み、その感触が彼女に安らぎを与えていることに。


 初めて、役に立ったことを、僕は知らないのだ。

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