第27話 現実を殺す理想の一撃
「お、お前は……」
緋色の眼光が暗い廊下で、ギラギラ光る。
まるでそのまま殺す勢いで、その場を動かずただ睨みつける。
僕が受けていないにも関わらず、彼の眼光は恐ろしい。
もし僕が対象ならどれほどの恐怖が襲うのだろう。
僕の腰の上で震えるリミルの様子を見ても、共感をすることは出来ない。
これはきっと、当事者でしか味わえない恐怖なのだから。
嫌な油汗がリミルの額を流れる。
見る見る口の水分は飛んで、喉が渇き、思わず唾を飲み込まずにはいられない。
見られるだけで生命を脅かされている様な錯覚を齎す眼光はリミルの表情を、どんどん曇らせていった。
「それで……ボクはいつまで君の返答を待てばいい?」
「……今年度、騎士科最優秀成績を残した男。モードレッド……エルドラグーンか」
「……答えに、なってないが?」
ブワッと、まるで突風が身体を打ったように、モードレッドから放たれる震える程の気迫が押し寄せる。
遂に痺れを切らしたのか、モードレッドはその歩を進め始める。
一歩、一歩踏み締める様に近づくその姿は、鬼気としたものを感じさせる。
キングは感動を持って気迫に答えたが、リミルは怯えを持って答えた。
「ひ」
と、驚き僕の背中の上から無様に頭から落ちる。
頭蓋を思い切り打った筈なのに、痛がる素振りも見せず、後ろに後ずさってモードレッドから遠ざかる。
そういえば、取り巻きの貴族はいなくなっているがいつの間に消えたのだろうか。
「何度でも訊く。君は、ボクの友に何をしたんだ?」
「は、ははは。ま、まぁ落ち着けよ。そう身構えるなって。僕はただ、友達と遊んでいただけさぁ。なぁ、キング君」
必死に流す目線は力強いものであった。だがそれは先程まで僕を奴隷と罵っていた支配者の眼光ではなく、怯えによる強制めいた力強さ。
言い換えれば生命を脅かされて火事場の馬鹿力が出る様に、その眼には焦燥と恐怖が渦巻いていたのだ。
決して先程までの強気あるものではない。
そう、彼は元々臆病者であり自身より強いと直感出来るものは嫌いなのだ。
思い通りにならないのが、自身より強い者、なのだから。
とりあえず無言を貫き通し、目線を下へと向ければ、盛大に舌打ちが飛んでくる。
本来ならここで鞭も同時に飛んでくる場面なのだが、目の前にいるモードレッドがそれを許しはしない。
燃える様な緋色の瞳で、ただじっとリミルを見つめる。
それは最初から最後まで、自身が問いを出したその答えを待っているのだ。
ただそれだけの単純なものである筈なのに、それ以上の熱を感じさせる。
「あ、いや、ま、待てよぉ〜。待ってくれよ、モードレッド君。そんな焦んなって。これはな、こいつが自ら望んだことなんだよ。自ら決闘を挑んで、敗けて奴隷になったの。ほら、何の落ち度もないだろ? 僕は悪くない。そう思うだろ?」
「…………決闘、に?」
遂に心臓を握り潰すような眼光が、僕を襲う。
そこには先程までの力強さは無く、どちらかといえば訝しげな雰囲気を帯びていて、数秒の後、僕とリミルを交互に睥睨した後、彼はスッと息を吐いて、
「なるほど、決闘なら仕方ないな。ボクとて、男と男が自身の
「そうそう! お前はお邪魔なんだよ。さっさと消えろぃ、シッシッ!」
心底嫌そうに手で払ってモードレッドを廊下の奥へと追いやるリミル。
おまけに鼻まで摘んでいる。
神経を逆撫でするのが本当に上手い。
だがその挑発的な行動に眼もくれず、モードレッドは爽やかに笑って、背を向けて立ち去ろうとする。
「ーーまぁ」
だが、立ち去らず、
「それでもボクは彼を助けるがな」
白いハンカチを、リミルの身体に投げつけていた。
「ーーなっ!!?」
目を疑った。
この世界では金が増えるからと、際限なく競馬に金を注ぎ込むバカが辺りに散らばっているのか。
いや、そんな事を考えているわけじゃない。たった一人の、しかも出逢って間も無く思い出もない僕の為に、全てを投げ出せる人間などいるのか?
いるわけがない。
真似る事なんかできない。
それは親友や正義がやる行いであって普通の人間はしない。
そんなモードレッドの行動に、リミルは驚きもせずにハンカチを見つめている。
先程までの怯えが消えたように、闘志を燃やした細目を、モードレッドへと向けて言う。
「きみぃ……。これ、どういうことか知らずにやった、とは言わないと思うけど。何のつもりだい? 君に一体何のメリットがあるのさ。こんな低俗な名も知れず、家名もそこらの平民と変わらない豚を助けるメリットが、君に一体どれほどあるのかねぇ?」
そう言いながら、硬い靴底で僕の頭を執拗に蹴り続ける。蔑みの感情を浴びせながら、尚も問うリミルに、モードレッドは答える。
「ボクのメリットは知らないが。君のメリットなら山程ある。ボクが欲するのは彼の解放。そして君が手に入れるのはボクの全て、これでどうだい?」
「……? お前の全てだって?」
「そう。南の大陸キマラードを支配する王国、ブリテンを治める王、アーサー・エルドラグーンの二人いる息子の一人。このモードレッドの全てを賭けると言っている。それは金から名誉から宝物から、許嫁であるこの国の姫まで、君の物ということだ」
「「ーーお、王女!?」」
その衝撃は、僕もリミルも襲った。
金も、名誉も、宝物も、全てを合わせても足りない、人権という名の財宝。
しかもそれが王女であり、将来の妻ともなれば国宝級といっても過言じゃないだろう。
勿論、この世界の価値観的に女、もしくは許嫁の価値が低い、もしくは不満があるのならそれも納得がいく。
王女の性格が悪いとか、とんでもなくブスとか。
だがそれは杞憂に終わった。
「ひ、ひ、姫……。姫ぇだって?」
モードレッドを見るリミルの表情が尋常じゃないほどまでに驚いて、そして嬉々とした物に変わっていたからだ。
「ゼオムの国には……二人の姫がいるが、どちらとも姫の名に相応しい美貌、聡明な心を持ち、民草にも優しい女ときた。確かにゼオムの祭りの際、僕も見てるさ。少々妹の方は若すぎる気もしないが、それを踏まえても余りある賞品だな。お前ぇ、もしかしてバカかぁ?」
「何の話だ?」
「あったりまえろうが! 王国の息子でありながら、富も名声も女も欲しいままにしておきながら、それをゴミのようにあっさりと賭けに出すその心意気! 勇敢とも取れるがお前のはただの無謀! メリットゼロに対してデメリット百なんて賭け、一体どこの誰がやるってい!! クソくだらねぇ友情ごっこにうつつを抜かして人生計画狂わされ露頭に迷うがいい! 精々、僕の成り上がる人柱になった事に、感謝しながら一生を終えろよォッ!? この、ヴァッカがぁっ!!! アーーーハッハッハッハッ!! 愉快すぎて鼻水と涙出てきたぜ!!」
哄笑が長く続く薄暗い廊下にて反響する。
まるで戦う前から自身が勝ったかのように、慢心する様は非常に滑稽だ。
だが彼にはそれが許されるだけの力がある。
“
属性魔術ではない新たな項目、固有魔術。
決闘後に知った事ではあるが、この世でたった一人が持つ魔術のことを皆そう呼んでいるらしい。
彼の固有魔術の力は、全てを通さない強固な壁を作り出す能力。
一体どれほどまでの強度を誇るのかは僕にも分からないが、鬼丸の棍棒さえも斬る僕の包丁を受け止めているのだから相当頑丈だ。
もしくは融けるという概念が無いから、斬れ味は超高熱頼りの包丁では刃が通らなかったのかもしれないが。
それにしたって頑丈なのに変わりはない。
頑丈なだけに飽き足らず、透明でありその数に制限は無く、形まで変えれるときた。
確かにーー強い。
モードレッドが王子というのを初めて知ったが、それを踏まえてもリミルは強い。
王子だから強いとは言えないし、確かに強いかもしれないが、リミルの能力はきっとかなり上位に入るレベルの強さだろう。
モードレッドの力も、見てみるか。
彼にも同じく固有魔術があれば、対抗しゆる手段があるかもしれない。
【名前:モードレッド・エルドラグーン
畏名:無し
魔術属性:火属性のみ
魔術系統:付与
固有魔術:無し
説明: ブリテン王国の第二王子であり、類稀なる才能の持ち主。幼少の頃から父に憧れ、その剣術を磨いてきた。いつか神を殺すと皆に宣言するも妄言と取られ呆れられている。だが本人は、心から神を殺すと言っており、その心意気は七歳の頃から変わらず持ち続け、今の彼を作り上げた。好きな物は父親と、辛い物 (だが辛い物に関しては本人は好物という事に気づいていない)】
リミルに隠れて映し出したその表示に思わず眼を剥く。
全く勝算が見えてこない。
固有魔術が無ければ、属性魔術も一種類。
どんなに剣術が達人級であったとしても、あの壁を突破する事は不可能だ。
ダイナマイトでも傷一つつけられない壁であれば絶望的だろう。
少なくとも今、僕がモードレッドに掛けられる期待は限りなく薄い。
だから負け試合と分かっていて、態々行わせる僕でもない。
「ダメだよ、モードレッド! 君の力じゃ勝てない!!」
四つん這いになりながらも声を張り、モードレッドに忠告をする。
助けられる身でありながら、こちらも全く滑稽な話ではあるが、助けようとしている人をみすみす地獄へ叩き落す様な真似だけはしたくないのだ。
何せ僕はリミルの強さを知っている。
だがモードレッドの強さを僕は知らない。
ならばする事は一つだ。
「僕が拾ってしまったのがいけないんだ! 自分の力を過信して、彼に挑んだ僕が悪かった! だからモードレッドはーー」
「ーーキング」
必死の説得も虚しく、モードレッドはそれを全く意に介さず、首を横にふる。
そして、優しい眼を向けて慈しみを込めて彼は言った。
「必ず助ける。何せ友だ。それだけで、相手の強さなど関係無し、理由は要らないだろう? それにボクは……」
眼を閉じて、息を吸い、
「絶対にーー勝つ」
---
場所はまた移動し、闘技場へと移る。
どこから聞きつけたのか、またも野次馬はやって来た。しかも今回は僕との戦いの比では無く、かなり大勢である。
それも女性がかなり多い。もしかしたらモードレッドのファンなのかもしれない。
女性に加えて甲冑姿をした者や鎧を着た者も増えていることから、単なる野次馬だけで無く、騎士科の生徒達がモードレッドの戦いを観にやって来たのだ。
「へ、へへ。遂に、遂に僕は、ここまで来たんだ……。今こそアナッキー家が王族と交わって、さらなる地位へと上り詰める! 王女の身体は一体どれくらい柔らかいんだろうナァァァ?」
涎をたっぷり含んだ舌を口周りで器用に動かして、唇を濡らす。
最早、リミルに目の前のモードレッドの姿は見えておらず在るのは自身の未来の想像図。
彼がどのような未来を想像しているのか知らないが、その恍惚とした表情からかなり都合の良い未来だと言う事は確かだ。
そんな決闘という神聖の場にいながら、モードレッドそっちのけで自身の世界に浸るリミルに、
「全く、度し難いね……」
やれやれと言った感じで溜息をつく。
そんな彼らの戦いを僕は観覧席から眺めることしかできない。
僕自身のことのはずなのに。
僕は、一体。
ーー何をやっているのだろうか。
「さぁーって、じゃあどうしようかねぇ? やっぱり僕のメリットがあまりにも多すぎるから、先攻はお前に譲ってやろうかな。僕、優しいからさ」
「……先攻を、譲る?」
自信満々な態度で言ったリミルに対し、モードレッドは疑問の表情で返し、
「ボクは別に、どちらでも構わない」
と鼻で笑った。
「ふん……済ましやがって王族が……」
不満の表情のリミルであるが、憤る様子はない。
それもそうだ。彼からしてみれば大望の夢のような未来が自ら、取ってくださいと言っているようなものなのだから。
「なら、早々にやられて醜態を晒しやがれ!」
リミルが手を上に掲げれば、何もないはずの空間から出現する透明の壁。
モードレッドの真上に作り出されたそれは、押し潰さんと落ちていく。
空気抵抗を感じさせないスピードで落ちる壁は、きっとそのまま受ければ潰されてしまうだろう。
だが、壁を一瞥したモードレッドは、ただ無言で剣を抜く。
その刀身はまるで厚紙のように白くそして分厚く、刃にはとても見えないものだった。
リミルなんて思わず吹き出し、
「一体そんなおもちゃでどうするってんだぁ? チャンバラでもするつもりかヨォ!? アーハッハッハッハッ!!」
笑い出す。
それは観客席も同様で、笑う生徒もいれば、訝しげに状況判断する生徒、クスクスとこっそり笑っている者もいた。
だが、それは余りに見当違いな反応であり、
「行くよ……“エクスカリバー・レプリカ”」
彼らの表情は、モードレッドの言葉一つで反転する。
「落ちろ、赤滅の雷光、“エクスカリバー・スカーレット”!!」
直後、正体不明の赤雷が辺り一帯に迸る。
チリチリと走る赤雷はやがて剣へと収束し、赤で塗り潰したところでーー壁は落ちた。
「アーハッハッハッハッ!! 見たかよあの無様な姿! 何が、“エクスカリバー・スカーレット”だよ! 調子こいたこと抜かしてんじゃねぇよッ!! 格好悪いんだよ、正義面したイケメンやろう!! ハッハッハ……これでぇ、全て僕のものだぁぁぁ!!」
壁が落ち、土煙が支配する空間を指差し、腹を抱えて笑うリミル。
ゴミのように潰し彼の生命を奪った事を如実に伝える土煙が、彼の饒舌を加速させる。
リミルに当てられたのか、同時に周りを囲む闘技場の観客達も笑い始めた。
闘技場を包む嘲笑が、やけに耳に張り付いて僕の心を痛めつける。
僕の所為で、モードレッドは全てを失ってしまうのだ。
その重責は計り知れないほど重い。
思わず下を向き、涙が頬を伝う。
ーーだが、響く嘲笑に混じり一風変わった笑いが聴こえたのは気の所為か?
「いや……? 気の所為じゃない……?」
ただの笑いだ。
嘲笑なことに変わりはない。
だが、聴こえてくる嘲笑はどうにも違う。
騎士科の方から微かに聴こえた鼻の奥を鳴らすような笑い方。
そちらを向けば騎士科の者は皆、口に手を当てて笑っている。その先頭を黙って仁王立ちする厳格な表情の男。
一体、何があるというのか。
その、瞬間だった。
「いや、全く。話にならない」
会場がーー静まり返ったのは。
土煙の中から聴こえる男の声。
全くの焦りも見せず、寧ろ余裕な雰囲気を漂わせ、土煙は未だにその声の主を隠し続ける。
だがそれもすぐに終わる。
声の主たるモードレッドは剣を横に払い、土煙をかき消した。
「まさか、この程度で勝った気になっているとは」
煙が晴れ、現れる金髪の剣士。
傷一つどころか髪の乱れ一つなく、揺れる緋色の眼差しは燃え上がる闘志のようで。
その手に持つ剣も、呼応し姿を変えていた。
刀身はしっかりと銀の輝きを放つ鋼、鍔には赤い装飾が施され全体的に赤雷を迸らさせている。
鬼丸を思い出す攻撃的な焔は、浮いた剣先の地面を融かしていた。
「へ。一回偶々ガード出来たくらいで調子に乗っちゃったのね。お馬鹿さんだねぇ。黙って攻撃してりゃ、勝算の一つもあっただろうにさ!」
掛け声と共に出現する十枚壁。
リミルを囲むようドーム状になった透明な壁は、
「B級魔術すら軽く止める僕の壁が十枚だぁっ! 例え破壊出来るとしたって、間合いを詰めなきゃ剣を振れない剣士じゃ、一枚一枚丁寧に破壊するしかない! その間に遠距離攻撃も出来る僕の壁が君を滅多打ちさァッ! どうするんだぁい? 正義の味方さんよぉっ!!!」
手を振れば生成される巨大な壁。
そしてその壁が形作る命を屠る無慈悲な二本の魔手。
鉄壁の壁に、その壁を利用した攻撃。
これほど完成された布陣は無い。
勝ちを誇り響く笑い、どこかおかしい狂笑に成り果てた。
これほど絶望的な状況下でありながら、モードレッドはまたも意に介さず、ただ赤雷迸る剣を上に掲げる。
「なんダァ? 最後に曲芸でも見せてくれるのかぁ?」
「いんや、剣撃さ。よく見て、よく知り、そして消えろ下衆。もう視界に映すのさえ、君は目障りな存在だ」
小馬鹿にするリミルの問いかけに、モードレッドは軽く答える。
そして、剣は振り下ろされる。
「ーー“
赤雷と、破壊を纏って。
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