第25話 昔も今もベルマーク


 小学生の頃、ベルマーク集めに一生懸命だった時期がある。

 ベルマークというのは、ベルマーク教育助成財団に協賛する企業の商品に付された、鐘がデザインされた表示のこと。

 それを学校や団体ごとに集めて財団へ送付することで一点につき一円がベルマーク預金としてストックされ、協賛企業の商品を購入することができる。また、購入代金の一割相当が被災地、発展途上国などへの援助資金として活用される。


 最近は意識していないけれど、当時のボクはいつもベルマークが付された学用品や菓子を選んで購入していた。

 きっかけは小学校の先生から聞かされた、ベルマーク運動の趣旨説明。かなり純粋な子供だったようで、ベルマーク集めにある種の使命感を抱いていた。


 点数が商品価格の一、二パーセント程度であることを考えれば、千円分の点数を集めるのも至難の業で、その際の援助も百円にしかならない。

 寄付という観点からはお世辞にも効果が大きいとは言えず、振り返ってみると、一生懸命になっていた自分が滑稽こっけいに思えてしまう。


 ただ、あれから長い年月を経た今、再び「ベルマーク」に一生懸命になるとは思ってもみなかった――と言っても、当時のベルマークではなく、カクヨムのベルマーク。ログインするとTOPページの右上に表示されるもので、それが点灯しているかどうかを小まめにチェックしてしまう。


 人によって設定は違うけれど、自分の作品が評価されたりお気に入りの作品が更新されたりしたとき、逐次知らせてくれる。

 まさにコミュニケーションを重視するカクヨムならではの機能であり、カクヨムを楽しむうえで便利なのはもちろん、執筆のモチベーションを向上させる効果もある。


 そんなベルマークだけに、点灯しないのは何だか寂しい。

 何も書かなければ点灯しないのは当たり前だけれど、書いても点灯しない状態が続くとふっと溜息が出る。大袈裟な言い方かもしれないけれど、広々とした荒野に一人ポツンと立っているような気分になる。


 人と接するのがキライな人ならともかく、カクヨムに来た人の多くはコミュニケーションを欲しているのではないか? そう考えれば、ボクのようにベルマークに熱い視線を送る人も少なくない気がする。


 カクヨムのベルマークに点数はなく、点灯したからと言って何か商品がもらえるわけでもない。でも、点灯することで、プライスレスな何かをもらったような気分になる。ちょっとしたことだけれど、とてもありがたいと感じている。


 大人になったボクは、効果がほとんど無いようなベルマーク集めに一生懸命だった、小学生のボクのことを「滑稽だ」と思っていた。

 でも、その言葉は撤回しなければならない。

 なぜなら、当時のボクが抱いた満足感や達成感には、何物にも代えがたい何か――今のボクが得ているものと同質な何かがあったのだから。


 ボクはつくづくベルマークに縁があるのだと思う。昔も今も。



 RAY

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