第24話 コンテストの落選をポジティブに捉えること
カクヨムでは頻繁にコンテストなるものが開催される。
ジャンル、テーマ、文字数などに制約が設けられているものから、全く自由なものまで内容は様々。コンテストのためにわざわざ新作を書かなくても、これまで書いた作品に手を加えてエントリーするのも全然あり。
以前も話したとおり、自分の作品を多くの方に読んで欲しいと思ったら、コンテストに参加するのが手っ取り早い。
主催者は多くの良作が集まることを期待しており、特設ページを設けて、積極的に作品を紹介したり、読むことに対するインセンティブを打ち出すなど、エントリー作品の露出度を高めるような取り組みをしてくれる。
結果として、作品が読まれることはもちろん、作品に目を通してファンになってくれる読み手がいるかもしれない。そんな二次的な効果も期待できる。
さて、ここからが今回の本題――作品をエントリーしたコンテストの結果発表が行われたときのこと。
当たり前の話ではあるけれど、コンテストで賞を取るのは難しい。
大賞のほか特別賞が何作かあるだけで、人気のあるコンテストであれば、受賞数が応募数に占める割合は〇.一パーセントにも満たない。難関と言われる大学や人気の資格に合格するよりもずっと難しく、「落選が当たり前」と言っても過言ではない。
ただ、応募したからには期待をするのが人の常。落選を知って残念な気持ちがゼロというのはまずあり得ない。人によっては、大きなダメージを受けて、しばらく立ち直れない状態が続くこともありそう。
かく言うボクも、自分の筆力の無さを棚に上げて「大賞は無理でも特別賞ぐらいなら何とか」などと淡い期待を抱いたことがある。
ただ、世の中はそんなに甘くはなく、
恥ずかしい話をすると、ショックだったのは、自分の作品が認められなかったことに加え、そのとき「作家デビュー」を果たした方がかなりいたこと。
つまり、プロの作家に負けたのであれば何となく諦めもつくけれど、自分と同じ立場の者に負けたのは、同じ土俵に立って品定めをされたわけで、言い訳はできない。「筆力が劣っている」、「作品がつまらない」、「文章が読むに堪えない」といった、ネガティブな気持ちが心を覆い尽くし、やり切れない気持ちになった。
そんな中、再び書く気になったのは、自分の中で発想の転換ができたから――「落選」と言う情報の受け止め方を少し変えることができたから。
具体的には、自分と同じ立場の者が選ばれたことを捉えて「がんばることでいつか自分も評価される」といったポジティブな発想をしたこと。
もしコンテストで賞をもらう者が常にプロの作家であったとしたら、自分の入り込む余地はなく、モチベーションが下がって、執筆自体に力が入らなくなるような気がする。
実際、カクヨムに来たときのボクは文芸出版に関する知識がほとんどなく、プロとアマの間には天と地ほどの差があって、それは如何ともし難いものだと思っていた。
でも、自分と同じ立場の者が選ばれたことで、そんな考えを改めることができ、ある種の希望を抱くことができた。
もちろん、自分が落ちて他人が通ったことを百パーセント喜ぶことはできない。
仮にそんなことができる者がいたとしたら、聖人か
最近、いくつかのコンテストで普段付き合いのある書き手が賞をとった。
そんな知らせを、ボクは「朗報」として捉えることができた――言い換えれば、自分のことのように喜ぶことができた。
ボクは聖人でもなく
もちろん、受賞は彼らの資質と努力の賜物に他ならない。でも、「楽しく切磋琢磨」を掲げてやってきたことが報われたような気がした。
「落選」という言葉を受け止めて、もっと上手な文章、もっと人を引き付ける文章が書けるよう、引き続き精進する。同時に、「受賞」という言葉を受け止めて、夢や希望を抱くことで、引き続き楽しく書くことを忘れないようにする。
どちらも大事なことであり、そうすることでカクヨムがもっと楽しくなり、引いては良い結果につながるのではないだろうか。
RAY
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