第29話 自分の死骸が高値で取引されることを知ったウナギは幸せなのか?


 以前お付き合いがあった方で、その作品を読んで感銘を受けた方がいた。

 深い知見が見え隠れする、緻密な設定と重厚な文章がリアリティを醸し出し、読んでいて心地良さを感じた。同じように感じていた方が結構いたようで、マニアックなテーマを取り上げた作品ながら、たくさんの支持と高い評価を得ていた。カクヨムコンにエントリーした作品は入賞こそ逃したものの、オリジナリティ溢れる作風と作品を引き立たせる筆力は素晴らしく、ボクが審査員だったら結果は違っていたと思う。


 そんな彼女(彼?)の作風があるときガラリと変わった。「異世界のタグをつけるだけで毎日読者が百人単位で増える」。近況ノートか何かでそんなことを言っていたのを憶えている。いわゆる異世界物を書くようになった彼女は商業作家としてデビューした。おそらく、彼女の知見と能力に目を付けた出版関係者からアドバイスがなされたのだろう。能力のある者に売れ筋のカテゴリーを書かせるのは、彼らの常套手段だから。


 しばらくカクヨムを離れていたボクが彼女のデビューに気付いたのは今年の三月。不義理をしていたこともあって声が掛けづらく、彼女と言葉を交わすことなく、期待半分・不安半分でデビュー作に目を通してみた。正直なところ、ガッカリした。それが彼女の作品とは思えなかったから。確かに彼女の筆致は感じられた。でも、違和感を払拭することができなかった。言葉で言い表すのは難しいけれど、喩えるなら、ゴーストライターがアイドル歌手に成り代わって執筆した文章みたいだった。


 カクヨムで執筆している書き手の中には、商業作家を目指す人も少なくない。それは、出版されやすいカテゴリーにおいて、日々大量の作品が投稿されるとともに、カクヨムコンの応募作品が群を抜いていることからも明らか。中には、書籍化という目的を達成するために、本来書きたいものを封印して路線転換を図っている者もいると思う。


 数年前から紙媒体による書籍は冬の時代に突入し、現在も回復の兆しは見えていない。倒産する出版社や廃刊となる雑誌も一つや二つではなく、生き残りをかけた業界は、コミック、映像、イベントとのタイアップを図るなど、これまでの書籍ビジネスの見直しを模索する。売り上げを伸ばすためのコンテストが機能しなくなり、中には廃止となったコンテストもある。当然、大賞を取ったとしても商業作家として食べていくことは難しくなり、商業作家の立ち位置は危いものとなる。書籍化されやすい異世界物は、RPGを模した、日々の日記のようなものであり、オリジナリティや筆力が求められるものではない。特定の書き手にファンが付くものではなく、代わりはいくらでもいるため、常に薄氷の上に立っているようなもの。


 書きたいものを書いた結果、それが誰かに評価されて書籍化に至ったのであれば何も問題はない。書籍の売り上げがかんばしくなかったとしても知ったことでない。他方、書きたいものが書けず、書くことに楽しみを見出せなくなったケースはそうではない。不幸としか言えない。これは、執筆特有の現象ではなく、趣味を仕事にしている者にも当てはまる。「仕事だから」、「生活するためだから」などと割り切ることは、自分らしさを殺す行為に他ならない。読み手が読みたくないものを無理やり読まされるのは、死ぬほど嫌いな食材を口に押し込まれる感覚と似ているけれど、書き手にもそれが当てはまる。


 ここでタイトルの話をさせていただく。


 人間の食料となることを目的に養殖されるウナギは、自分の生きたいように生きることはできない。彼らに確認したわけではないけれど、命あるものとしては生への執着を持ち続けるのが当たり前。「長く自由に生きたい」。無意識にそんな欲求を抱いている。彼らは、自分たちが他の魚よりも高値で取引されていることを知らないけれど、もしそのことを知ったとしたら、ある種の幸せを感じるのだろうか。死んだ後に大きな価値があることで報われるのだろうか――ボクはそう思わない。取引価値が小魚以下だったとしても自由に生きたいと思うに決まっているのだから。


 ウナギと違って、ボクたちは生まれた瞬間に運命が決まるわけではない。もちろん努力しても手の届かない領域は存在するけれど、誰もが高みを目指すことはできる。言い換えれば、幸せを追求することができる。幸せの形は十人十色であって、当然、書き手にも同じことが言える。書きたいものを書き、それが読者の目に触れ賞賛されたときの気持ちは幸せ以外の何物でもない。喩えるなら、作品は命をかけて産み落とした我が子のようなもの。最近は、我が子を平気で殺してしまう、人間の皮を被った鬼も存在するけれど、普通は目に入れても痛くないほど可愛いもの。


 自らを殺して名声や金銭を目的に作品を執筆することは悪いことではない。誰にも迷惑をかけているわけではなく法律に違反しているわけでもない。ただ、同じ書き手として寂しく思う。享受できるはずの幸せを手放してしまった感があるから。


 中国に「虎は死して皮を留め人は死して名を残す」といった諺がある。これも第三者である人間のエゴであって、虎はそれを名誉だなんて思っていない。ボクたちはウナギや虎ではない。だから、後世に何を残すのが名誉であるかを自分で考えることができる。残すべきもの――社会に寄与すべきものはさておき、自分の中に残せば足りるものもあるのではないか。達成感とか幸せな気持ちとか。



 RAY

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