大人のブラックボード

RAY

★Introduction(前書き)★


 いつも教室の前後の壁に深緑色の空間スペースがあった。

 黒板ブラックボードと呼ばれるそれは、ほとんど先生の商売道具だったけれど、昼休みや放課後にはボクたちに開放された。


 授業が終わって先生が教室を出ていくのを見届けるや否や、我先にブラックボードの前に走り寄る。それぞれがお気に入りの色のチョークを手に、頭に浮かんだものを自由に描く。


 描かれた文字やイラストはどれも「落書き」という表現がぴったり。お世辞にも上手いとは言えない。でも、自分のノートに描くものとはどこか違う――少なくともボクの目にはそう映った。


 他人ひとの目を気にすることなく、描きたいものを描く。そして、描いたものに対して好き勝手に思ったことを言い合う。

 そんな意見交換が終わると、創作物は黒板消しで手際よく消され、別の創作活動が始まる。


 結果として、一つひとつの創作物は水の中を漂う泡のようにすぐに消えてしまう。スケッチブックに描かれた絵画のように残ることはない。

 ただ、そこには独特なコミュニケーション――創作物を通じて心と心がつながるような不思議な感覚があった。「他愛も無いやり取り」と言ってしまえばそれまでだけれど、その時間はとても充実していて、今でも何かの拍子に脳裏に蘇る。


★★


 いつからだろう? 好きなものが描けなくなって、思ったことが言えなくなってしまったのは――。


『大人の世界にもブラックボードがあったらいいのに』


 何度かそう思ったことがある。

 それは、心が発する、言葉にならない叫び。形にならない、漠然とした希望。

 そんなブラックボード待望論が叶えられるのは、差し詰めなのかもしれない。


 バーチャルを認めないリアリストは「現実逃避」と批判することも少なくない。でも、居心地の良さに慣れてしまって抜け出せないでいる者はともかく、バーチャルとリアルとを行き来している者は決して逃避などではない。

 本来必要とされる「大人のブラックボード」がリアルに欠けているからここにやってきただけであって、要は、本当の自分と向き合う場が欲しいだけ。


 そういう意味では、ここに偽りの自分やおかしなしがらみを持ち込むのは、不毛なリアルが二つになるだけで無意味なこと。


★★★


 昼休みや放課後、限られた時間を使ってみんなで作り上げた創作物たち。でき上がる度に交わされた言葉たち。

 そんな時間が訪れるのを、いつも心待ちにしているボクがいた。


 社会に出ると、人は社会人になるための教育を受け、大人になれない部分を厳しく責められる。

 「社会人=大人」というのは概ね正しい。でも、自分の中のすべてを大人化することは正しいとは言えない。なぜなら「子供らしさ=純粋な部分」を持ち続けることが人として大切なことだから。


 ここでのボクは、あの頃の自分――思ったことを自由に表現した自分に戻っている気がする。

 チョークをマウスに持ち変えて、たくさんの言の葉から刺激をもらいながら、心の中にあるものを具現化している。


 その過程で、笑ったり、泣いたり、怒ったり、様々な感情が見え隠れするのは、本当の自分が発現している証拠。

 リアルの合間の限りある時間には違いないけれど、ボクにとってプライスレスな時間であることは間違いない。

 

 あっ、チャイム……もう行かないと。

 続きはまた今度ね!



 RAY

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