第28話 一人称の語り部不在なら地の文は三人称?

 小説は、大まかに言えば「地の文」と「会話文」で構成されている。

 時々、舞台の脚本のような会話文のみの小説を目にする。ただ、会話文のみで物語の背景や登場人物の心情を伝えるのは至難の業。会話を思い切り膨らませれば伝わるかもしれないけれど、説明文のような会話は不自然であって、それであれば最初から地の文を書くのがベター。面倒な描写から逃げていると思われても仕方がない。

 書き手の頭の中でどれほど晴らしい物語ができていても、読み手に伝わらなければ、自己満足マスターベーションの域を出ることはなく、そのためには、地の文が重要な役割を担っているのは間違いない。

 読み手をミスリードするため、わざと背景や心情をぼかす手法は例外として、物語の肝となる描写が見えないのはストレスが溜まる。そう考えると、地の文をいかに適切に書くかが大事であって、ボクも普段から気をつけている。


 地の文は、語り部の視点から「一人称」と「三人称」とに分けることができ、どちらを選択するかで雰囲気がガラリと変わる。

 前者は、読み手に物語の主人公になったような感覚を抱かせ、物語を身近に感じさせることができる。一方、後者は、主人公が見えていない部分を含めて丁寧に描写することで、読み手に物語の詳細を理解させることができる。それぞれメリットがあり、ボクも物語によって使い分けている。


 さらに、「三人称」は、心理描写を含むものとそうでないものとに分類することができる。

 前者は、登場人物の気持ちや行動心理をこと細かに描写することで「神視点」などと呼ばれている。恋愛やラブコメでは、登場人物の思いが読み手に示されることで、感情移入の度合いを高める効果があるけれど、ミステリーやSFでは、登場人物の胸の内をさらけ出すことでネタバレとなるケースがあることから、必ずしも神視点が優れているというわけではない。

 なお、神視点でありながら「RAYの表情を見る限り、何を考えているのかは読み取ることができない」など、ぼかした言い回しを用いているものもある。ボクは「部分的神視点」と呼んでいるけれど、落ちや展開を知られたくないときに効果がある反面、読み手から「どうしてそこだけぼかすの?」と勘繰かんぐられるかもしれない。神様にもわからないことがあるという前提は間違いとは言えないけれど、ある意味、諸刃の剣。


 前振りが長くなったけれど、ここからが今回のテーマ。と言うか、ボクが皆さんに教えてもらいたいところ<(_ _)>

 簡単に言えば、一人称の視点で地の文を書く場合、神視点で書くのはOK? それともNG?


 その前に、一つ整理しておきたいことがある。

 それは、一人称視点の小説で、その場に語り部がいない場合、風景描写や会話文は一人称で書くのか? それとも、三人称に変更すべきなのか?

 個人的には、途中で地の文が変わることに違和感があって、過去にそんな場面に直面したとき、一人称で通してしまったことがある。

 具体的には、四年前、少年エース×カクヨム漫画原作小説コンに応募した「死神に選ばれた女」という作品。主人公は敏腕の女検事で、彼女が語り部となって物語は進行するけれど、途中で、彼女が好意を寄せている医師の過去談を描写する場面があり、彼女はその場面には不在。ただ、しばらくそんな場面が続くことで、文章のイメージが変わるのを恐れて、語り部を一人称のままにした。

 一方、二年前に第三回カクヨムコンに応募した「Балансеры -バランサーズ-」では、全体の語りは三人称ながら、プロローグで主人公が自分のことを語る際、一人称に変更した。ボリュームがそれほどないことから、長い会話文のようなものと判断した。


 では、前述した「死神に選ばれた女」の一人称語りに、神視点さえも許されるのか?

 仮に、語り部不在の一人称が許されるとしたら、もともと不在なのに背景や会話を語っているのだから、心情描写もOKかもしれない。

 ただ、あくまでボクのイメージであって一般的なのかどうかがピンと来ない。皆さんが読み手となったらどうなのだろう? また、書籍化されている作品では、それがスタンダードなのか? 今更ながらものすごく気になっている。


 文章には数学の公式みたいなものはなく、正解が一つに決まるものではない。昔はNGであった用法が、現在では市民権を得てOKとなっているものもある。

 とは言いながら、今と言う時間軸で文章を紡いでいる以上、今の基準を踏まえて、読み手にストレスなく理解させる努力は怠るべきではない。読み手に媚びているわけではなく、作品をベストの状態で公開することが書き手の責務だと思うから。


 そんなわけで、よろしければ、一人称の地の文の使い方と一人称神視点の取り扱いについて、ご教示いただきたい。

 もちろん、個人的な意見であっても構わない。答えが一つに決まらないのが文章の世界であり、異なる意見があるのは当然だと言えるから。


 そうそう、小学校のとき、ブラックボードに綴られた言葉や描かれた絵画も一貫性がなく、それぞれが好き勝手書いたり描いたりした。でも、どれも魅かれるものがあって、ついついツッコミを入れてしまった。

 そのときの感覚や気持ちは、今も忘れたくない。



 RAY

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