僕のひと押し

「――――」

 コウさんは呻きもせず、僕らから数歩離れたところで膝を折った。


「あ……え、っと」


 どうしよう。


 まさか本当に使おうなんて思っていなかったものだから、僕は一瞬頭の中から考えていた色々が全て消えてしまいそうになった。

 ナオさんもまたひどく驚愕したようで、目を見開いて僕を凝視している。こんな時でも、怪我をしたコウさんに意識が向かない彼女に、僕は怒りを通り越して感心さえできそうな気がした。


「コウ、状況を伝えなさい」

「――――、腹部に銃弾が直撃、止血措置を施しますがしばらくの間機能の一部を強制的に停止させます」

 やっと声を出したと思ったら、コウさんはそれっきり下を向いて石のように動かなくなってしまった。


 再びナオさんに視線を戻す。わずかに眉間に皺を寄せる彼女の顔には、焦燥が現れていた。

「どう、しますか。上からの命令と、自分の命と、どっちを優先させますか」

 少しだけ試すような質問に踏み切った。一瞬高波のように後悔が押し寄せるが、それを無理やり振り切る。もう、ここまで来たら賭けと同じだ。


「………、社会的な影響力の無いあなたを生かして返すことに関しては、何も咎められないでしょう。しかし、そのアンドロイドは違います。生かして運ぶか、死んでしまったことを報告するか、ソレの運命はその二択のみです」


 もしあなたが引かないというのなら、ソレが再起不能になったという証拠を残してほしいのです。ナオさんはまた、僕を観察するような目を取り戻していた。


 僕は生唾を飲み込んだ。

 もう、選択肢は一つしかない。


「ナツ」


 前を向いたまま呼びかけると、彼女がこっちを見た気配がした。視界の端でナツの黒髪がさらさらと潮風に揺蕩っている。


「どうか、死なないでね」

「―――――善処いたします」

「ありがとう。――――と、いうことなんで。これが僕らの答えです」


 僕はナオさんに少しだけ微笑んでみた。彼女は幾ばくの無言をはさみ、小さく息を吐いた。


「玖円君。一つよろしいですか?」


 今さっきの焦りとは無縁な、落ち着いた声色だ。僕は緩めかけていた気を引き締めた。


「なん、でしょう」

「何故そのアンドロイドに対する好意のみで、そこまで尽くすことができるのですか? このアンドロイドは世界に貢献することができる貴重な機体なのですよ?」


 見ると、ライトに照らされた美しいナオさんの顔は、心底納得のいかない様子だった。僕は何かかっこいいことを言おうとしてしばらく考えたけど、やっぱり理由は一つしか思い浮かばなかった。


「さっきも言いましたけど、ナツに一緒にいてほしいだけですよ」

「場合によっては世界の未来も――」

「世界とかそんな大きな話されてもいまいちピンとこないんです。僕はもっとナツにこの街にいてほしいし、僕らと一緒にすごしてほしいから。身の回りのことで精いっぱいなのに、世界の未来とか言われても……考える余裕、ないですよ」


 正直に伝えると、ナオさんはちょっと呆れたように笑った。


「子供、ですね。もう少し大人な方だと思いました」

「はい。まだ大人になる気はありません」


 そう言って笑い返してやった。

 そして、ナツの体を強く後ろに押した。


 無抵抗なナツはぐらりと体勢を崩し、低い柵の後ろ側、真っ黒な海へと落下した。


「では、さようなら」

 僕もまたナツの後を追った。


 柵ごしにこちらを見るナオさんの表情は、ちょっとだけ安心していたような気がする。


 どこまでも自分ありきな人なんだなあと感じているうちに、僕の身体は水面に叩きつけられた。

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