彼らの教会
それからの三日間は正直、仕事場でのことをあまり覚えていない。第十一、十二遺体倉庫の前を通るたびに、心臓が爆発寸前になった。網野さんが時折いぶかしむように僕を見て、「何かあったの?」と訊ねてきたけれど、言えるわけがない。その時は適当に笑いを返して、「いや、前の残業がちょっとトラウマで……」と嘘ではないが事実ともいえない返事をした。……気がする。
空っぽのまま三日間が過ぎ去って、僕らの休暇がやってきた。
曇り空、しかし暑さだけは一丁前の昼下がりに、おじさん特製の棺っぽい箱にアンドロイドを入れて、僕と硝の二人でソレを抱えて歩いていた。咲は物覚えの悪い僕らの代わりに、目的地への道案内をしている。
中のアンドロイドは、すでにヘルメットが取り外されている。おじさんは小型の糸鋸みたいなものとか持ってきて、こちらがひやひやするような大胆な道具さばきを見せたけど、さすがはおじさんだった。アンドロイドの額にはヘルメットの内にあった小さな棘による傷はあったものの、おじさんがつけたものは一つも見当たらなかった。顔全体がさらされたアンドロイドの目は閉じていたけど、予想通りとても整った顔立ちだった。咲なんて思わず「キレイ…」と感嘆したほどだ。僕も見惚れていたのは言うまでもない。
十数分歩いたところで、木々の生い茂り方が派手になってきた。白墓、そして灰街自体が、中流の人たちの娯楽施設のある都市の中心部から離れているので、その郊外となるとさらに人気がなくなってくる。もともとは人工的に自然を取り入れた開放的な町だったらしいけど、建物もほとんど取り壊され、植物も植えたきり誰も手入れしていないので、小さな森のようになっている。晴れた日なら陽光が降り注ぎ、なかなかにキレイな場所だったりするのだが、残念。今日は曇天だ。ホラーチックというか、ミステリアスというか、微妙に暗い雰囲気があたりを包み込んでいた。
その雰囲気に溶けるように、目的の教会は建っていた。
正面玄関に十字架の装飾がなければ、南欧風の二世帯住宅と間違えそうなくらいシンプルなデザインをしたそれは、くすんだ白の壁に蔦を飾るように這わせている。外があまりにも静かなので、室内からの明かりとともに、中から音楽が漏れていた。今日は賛美歌を聴いているのか。
僕らは無言で目配せをし、咲が教会の茶色い扉を押し開けた。歌の音量が大きくなった。
オレンジの淡い照明に照らされる白を基調とした室内は、豪奢というよりは清楚な印象の方が強い。晴れていたらさぞ神秘的であろうステンドグラスが、その落ち着いた素朴な雰囲気を壊さない程度に装飾されていた。すこしファンタジックにも思える教会内には、パソコン、点滴、その他もろもろの医療器具がまばらに置かれていた。だが散らかっているようには見えず、もしかするとこれらは意図して配置されているのかもしれないと感じさせた。
「ようこ……んん?」
教会の主人は側近とカードゲームに勤しんでいた手を止め、僕らの方を見た。ヘーゼル色のくりくりした瞳がぱあっ、と輝いた。
「あ――っ! 玖円ちゃんと咲ちゃん!」
嬉しそうに手を振る少女は、やりかけのカードを祭壇の前に置かれたテーブルにばらまき、金髪のミディアムロングをなびかせて駆け寄ってきた。
「ケイちゃんお久しぶりー」
咲が愛想よく挨拶をした。僕もそれにって笑いかけてみた。
満面の笑みを浮かべる十四歳(自称)、ケイと名乗る闇医者は、いったいどこからやってきたのか、その見た目も相まって謎だ。輝くウェーブがかった金髪と、陶器そのもののような白い肌がそれを証明している。クラシカルな服装の上に羽織った白衣が、淡いオレンジの照明に照らされて天使の羽のようだ。ケイは流暢な日本語を紡いだ。
「今日はどうしたの? また赤毛がケガしたの?」
「なんでもオレのせいにすんな。あと赤毛ってゆうな」
先ほどから黙っていた硝がふてぶてしく反論した。
「何よう。最後に来た時も喧嘩してナイフで腕切られてきたじゃん!」
「なっ、こいつらに連れてこられたんだ、無理やり! あんなもんほっときゃ治ったんだよ!」
「へぇー、化膿して細菌感染して苦しめばよかったのに~」
イーっと歯を見せる少女の姿はほほえましかった。僕の隣でイーっとやり返す男は全然ほほえましくないけど。
「ケイ、落ち着け」
ケイの背後から、カードを束ねながら男がたしなめた。なめらかな黒い肌、日本人ではそうそういない長身、立派な体つきの青年が、小柄なケイに寄り添うとお嬢さまと執事兼ボディガードのようだ。実際、そういう立ち位置にいるのかもしれない。
「あ、ヨウさん、いいんですよ。好きにやらせてください」
僕がそう言うと、ヨウさんは止めに入ることをやめた。そして僕と咲を見て遠慮がちに言った。
「しかし、ケイになにか用事があってきたのでは? その大きな箱の中と関係しているとみたが」
ヨウさんは僕と硝が抱えっぱなしの木箱をチラッと見た。そうだ。これをなんとかしてもらいたくて来たんだった。
喧嘩の方は、咲が硝を、ヨウさんがケイをなだめることでひとまず終了した。
僕らから事情を聞いたケイは、眠るアンドロイドを見て、おもちゃでも見つけたような表情になった。だがすぐに大きな瞳を細め、眉間にしわを寄せた。
「もしかして、手遅れとか?」
不安になって訊ねると、ケイは髪の毛を後ろに払った。それが合図とでもいうように、ヨウさんが彼女の髪をまとめ始めた。そして彼女は曇った表情のまま告げた。
「ううん。脳死剤の方はなんとかなるよ。あんなの、麻酔の応用みたいなものだもん。でも、ちょい気になったことがあって……。ヨウ、レントゲンの準備して。あと点滴も」
「分かった」
ヨウさんに手短に指示すると、ケイは集会室へと入っていった。もちろんそこはみんなが集まる部屋として使用されていないだろう。かといって何をする部屋なのかは、僕も知らない。
ヨウさんはケイに言われたことをテキパキとこなし、最後にアンドロイドを木箱から軽々と抱き上げ、何も持っていないような足取りで集会室へと入っていった。
「ちょっと時間かかるかもだから、みんなはゆっくりしててねー」
ケイがそういったのを最後に、集会室の扉は閉められた。
*
集会室の扉が閉まってから、だいぶ時間が経過したころだと思う。ケイとヨウさん、そして点滴を打たれて寝かされたアンドロイドが中から出てきた。ヘルメットの傷が目立った額は、今は白い包帯が薄くまかれている。呼吸も、先ほどより大きくなったように見えた。
ケイの眉間にしわが寄っているので、僕らはつい不安になった。
「あの、ケイちゃん、もしかしてうまくいかなかった…とか?」
咲が慎重に覗うように訊ねた。
「ううん。明日の朝には起きると思うよ。脳死剤の方は全然問題じゃなかった。でも、色々調べたんだけどね……」
思わず身を乗り出して聞き入ってしまう僕ら。ケイはチラッとアンドロイドを見て、そのあとの言葉を続けようとはしなかった。
「……後で全部話すね。もう夕方だから、お泊りしてってよ。ヨウ、ご飯は?」
「食材なら足りる」
「だってさ。みんなでご飯食べながら話そ」
夕方とはいえ、夏真っ只中の空はまだ十分に明るいだろう。…と思ったけれど、今日は曇りでいつもより薄暗くなるのが早いようだった。木々に遮られて光が届きづらいということもあって、ガラス越しに見える外は暗く、僕らの姿が窓に映し出されていた。
「そうだな。じゃあ、お願いするよ」
「やった」
僕が返事をすると、ケイが小さくはねた。さっきの提案は、泊まったほうがいい、というよりは、泊まっていってほしい、という意味の方が強かったのかもしれない。
「あ、じゃああたしおじさんに電話する」
「んじゃオレ飯作るの手伝いますよ」
「それは助かる」
咲がケイタイを開く隣で、硝が言った。パーカーを僕に預け、二メートル近くの長身と並んで奥の扉へと消えた。
「さて、と……」
何もすることがない。
咲も同じことを思ったようで、ケイタイを閉じると、どこか落ち着かない様子で僕の方へとよってきた。
突っ立ったままの僕らに気づいたケイが、「お部屋に行こうか」と奥の扉へ促した。
「そういえば、玖円ちゃんたちはまだここに入ったことないよね?」
ごく普通の公民館のような廊下を進みながら、ケイはそう聞いた。
「ああ、確かにね」
「ケイちゃんたちのお部屋ってどんななの?」
「えへへ。普通のおうちと変わんないよ。教会っぽいのはさっきの礼拝堂だけ。あ、こっち」
短い廊下の終りにあった階段を上り、一番手前の部屋に案内された。
「ここはねー、まだ教会として機能してたころに、託児所とかになってたらしいよ」
確かに、部屋の中は学校の教室ほどの大きさで、子供を預かる場としては狭すぎず広すぎずだ。その真ん中にある木製の丸テーブルや、床を覆うえんじ色の絨毯は、ケイたちが買い換えた物だろう。礼拝所と同じやわらかいオレンジの光のおかげで、部屋の中は品のある華やかさに満ちていた。来た時から絶えず流れている聖歌が、その上品さを引き立てている。
「あ、椅子もある」
「多分ヨウが準備したんだと思う」
「そうなのか……」
ケイから何も言われていないのにこういうことができるあたり、ヨウさんはホントいい人なんだなあ。あとでお礼を言うことを忘れないよう心に留め、僕はクッションまで敷かれた椅子に座った。
それから僕らはケイが、「カードしよ」と白衣のポケットからウノを取り出したので、それに興じた。
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