彼女の名前
「
説明しながら、ヨウさんはプリントされた、あるワンコインロボットのレンタルショップのホームページを見せてくれた。
「埋め込まれたナノチップは自我が生まれることを阻止しているだけで、その他の大まかなアンドロイドの行動は、首に取り付けられたゴム状金属の装置――ヘルパーがコントロールしている」
「ふ~ん」
硝が適当な相槌を打った。こいつは絶対、ヨウさんの言っていることの半分以上、意味分かっていないと思う。
「あの、ゴム金属とは……」
「あ、あたし聞いたことあります」
僕の問いに咲が反応した。
「ゴムみたいに伸びたり縮んだりする金属、でしたっけ?」
「通称の解釈ではその通りなんだが、素材的には金属の性質を持った伸縮性のある物質、と言った方が近い」
なるほど。咲とヨウさんの説明で、大方理解することができた。改めてプリントされたホームページに目を通した。
そこには、男女一人ずつアンドロイドの写真が掲載され、その右隣にこう説明が付けられていた。
人のような自然な微笑み―――心優しいお手伝いアンドロイドを、忙しいあなたに。
一日だけ留守にしたい。でも、おうちには面倒を見なくてはいけない大切な家族が…!
だけど、アンドロイドに任せても大丈夫なの?
家事全般はもちろん、介護から育児まで、ありとあらゆる生活のスキルを身に着けたアンドロイドです。そして何より、ワンコインロボットにありがちな動作の不自然さ、表情のぎこちなさを一切感じさせない自然な動作は、接するお年寄りや子供たちにも安心感を与えます。もちろん、突然のエラーはほぼありません。(右下グラフ参照)
右下のグラフは、十割近く「エラーがなかった!」が占めていた。
「へえー、1が男型で、2が女型ってわけかぁ」
僕の肩越しに資料を眺める硝が呟いた。男女どちらも、作り物のように整った顔立ちをして、笑みを浮かべている。その表情は、とても機械でコントロールされたものとは思えない。
「まるでモデルだ」
「そう見えるように作られたのだから、当然ではあるがな」
「あの子もめちゃくちゃキレイだったよね」
「咲の方が可愛いよ」
硝がいつもの調子で言った。何か言い返すのかと思ったが、咲は彼の発言を否定しなかった。
「でも」
「なに? 玖円」
「や、エラーもほぼないみたいだし、性能もワンコインにしてはいいってことは分かったよ。けど、彼女はこの写真みたいな表情が―――」
言いかけたところで、集会室からケイ、そして彼女が出てきた。
「大体の検査は終わったよー」
ぐるんぐるん肩を回すケイの後ろに回り、ヨウさんが彼女から白衣を受け取った。ケイは、一つに結っていた金髪をほどき、礼拝堂に多くある長椅子に腰かけ、足を組んだ。そして、もう一人はというと。
「――――」
数十分前と変わらない完全な無表情、加えて無言で立ったまま歩こうともしない。
「あの、彼女は……?」
「玖円ちゃん、ちょっとあの子にあたしの隣に座るように言って。お話はそれから」
「あ、ああ」
訳が分からないまま僕はケイの指示通りにした。
「えー、じゃあ、えっと、NA‐2…さ」
「はい、玖円様」
僕にかぶせてきた。
「あの、ちょっとケイの隣に座ってくれないかな……」
「ケイ様とは、そちらの金色の髪の方でしょうか?」
「あ、そうそう」
「――――了解いたしました」
数秒硬直したのち、彼女はそういってケイの隣に座った。僕はあらためて彼女の振る舞いに疑問を感じた。
一言でいえば、彼女には表情がない。
無表情、ですらない気がする。無表情といっても種類があるのだ。悲しみで心を閉ざした人の無表情、静かにたぎる怒りを感じさせる無表情、氷のような冷血さを感じさせる無表情、ぼんやりと景色を眺める時のような柔和な無表情――。無表情の背後には、必ず感情が隠れているものだ。
その感情が、一切感じられない。
彼女のには、悲しみも、怒りも、冷血さも、柔和さも、何もない。
「玖円ちゃん?」
いつの間にか、僕はぼんやりしてしまっていた。ケイが不思議そうにこちらを覗っている。
「ゴメン。ちょっとぼーっとしてた」
「この子について、お話していい?」
「うん。頼むよ」
ヘーゼルの大きな瞳を細めて、ケイは僕らに少しだけ笑いかけ、その表情をすぐに引き締めた。十四歳の可憐な少女の笑顔が、その一瞬で医者の貌になった。
「玖円ちゃんたちも気づいてたと思うけど、この子には表情がない。でも、さっき脳を調べたら、ナノチップで自我の発達が抑えられていることを踏まえても、どこにも異常はなかったの」
「じゃあ、なんで……」
「ねえ、ちょっと」
ケイは唐突に、隣でじっとしている彼女に話しかけた。彼女は眉一つ動かさず、首を動かした。
「はい、なんでしょうか」
「座ったままかがんで。おでこ膝につける感じで」
「――了解いたしました」
いうやいなや、彼女はケイの指示通りにかがんだ。肩口までの黒髪が、さらりと左右に流れた。
「んん?」
と、そこで僕は気付いた。彼女の首に取り付けられたヘルパーには、ざっくりと割れたような傷がある。咲と硝も、僕と同じように覗き込んで眉をひそめた。
「なに? この傷」
「分かんないけど……多分これが原因だと思う。アンドロイドの行動の決定はこのヘルパーが担っているのはヨウから聞いたよね」
「ああ、さっきね」
「これ、アンドロイドの感情――疑似感情っていうんだけど、それもコントロールしているらしいの」
「あっ、そうかぁ。じゃあ、これが壊れちゃって、感情が表せないんだね」
「そういうこと。さすが咲ちゃん。あたし、機械はちょっと知ってるくらいだからよくわかんないけど、原因はそんな感じ。……あ、もう戻っていいよ。ごめんね」
忠実にかがみ続ける彼女はその言葉を聞くと、すいと上半身を起こした。
「――――」
そして何も言わない。
「ケイ、他にはなにか、こう…壊れてるところとかなかったの?」
「んー、それも考えて、簡単な質問とか計算とか出してみたけど、知能の低下がある様子はなかったかな。…あ、でも言葉のニュアンスとか、場の空気を読んだりとか、アンドロイドの利点の【人間らしさ】みたいなのが低下してるかも。けどそれは一緒に暮らすうちに慣れると思うよ」
話すことはすべて話したようだ。ケイは立ち上がり、
「今回の代金はお安くしておきますよっ。あたしのでお仕事休んでもらったし。三人のお給料から少しずつもらうね」
無邪気な少女の笑みでカネの話である。僕は苦笑しながら、無言の彼女の方へと視線を移した。
「――――」
先ほどから絵画のように動かずに、口を閉じている。そんな様子が何故だか可哀そうに見えてきて、とりあえず話しかけてみた。
「これからよろしく」
「はい。よろしくお願いします」
マニュアル通りといった感じの返事が返ってきた。それでもなにか会話をすることができて、僕は少しだけ嬉しくなった。
「おい、オレ紹介しろよ」
「あ、あたしも」
左右からそう促された。
「自分で言えばいいじゃん」
「なんか…照れるだろ」
「……なんで?」
お前が照れる意味が分からない。
「玖円は代表でしょ?」
「いや、まあ、そうだけど……」
正当な理由だがあまり納得できなかった。あれってほぼ強制じゃないか。
だけど隣の二人は一向に自ら話しかける気配がないので、仕方なく僕が二人を説明した。ついでに、闇医者コンビもまとめて紹介した。
「えー、こっちのショートヘアの女の子が咲、赤毛のパーカーが硝。長身のスーツがヨウさんで、金髪少女がケイ。……です」
「締まりないなあ」
なら言わすな。
呟いた赤毛のパーカーに横目で訴えた。
一方、しばらく硬直した彼女は再び口を開いた。
「――了解いたしました。咲様、硝様、ヨウ様、ケイ様を、メモリに保存しました」
「ありがと。…えと、」
僕は迷った。これからも彼女をNA‐2と呼び続けなければならないのだろうか。それはほかのみんなも同じだったようで、
「そういえば、この子なんて呼べばいいの?」
「だよなぁ。NA‐2ってのもかたっくるしいよな」
「君は、愛称とかを持っていないの?」
「私はお客様のご要望に限りなくお応えできるよう、特定の愛称を持ち合わせておりません。どうぞ、お好きな呼称でお呼びください」
そうはいわれても、なかなか思い浮かぶものではない。
「ロボ子とかは?」
「センスなさすぎね」
「な! じゃあ、お前なんかアイディアあんの⁉」
「あたし医者だしぃ。患者に名前なんてつけないしぃ」
また始まってしまった。礼拝堂にぎゃーぎゃーやかましい言い争いが響いた。
「ふ、二人とも落ち着いて……」
「だいたいロボ子って何⁉ 超だっさい‼」
「っせえ! そんなに言わなくてもいいだろ! オレも今ちょっと恥ずかしいネーミングだって気づいたんだよ!」
「…それならケンカを止め――」
「玖円は黙ってろ」
「玖円ちゃんうるさい」
「いやいや、でも……」
こっちの話なんて聞いちゃくれない。助け船を求めて、僕はヨウさんの方を見た。なんとこの状況下で、黙々と彼女の名前を考えていたらしい彼は僕の視線に気づき、吠え合う硝とケイを見て、呆れ顔で切り出した。
「これは私ごときの考えたアイディアなのだが」
ヨウさんの少し大きめの、だけどどこか静かな物腰の声に、硝とケイのケンカが止んだ。
「NA‐2という略称なのだろう? NAをローマ字読みにして、ナツというのはどうだろうか」
一同はヨウさんに注目したまま、静まり返った。そして一斉に椅子に座っている彼女を見る。
僕らの視線を受け取った彼女は、
「私の呼称をナツに決定いたしますか」
「………」
「私の呼称をナツに決定いたしますか」
「………」
「私の呼称を―――」
「あ、ああ。お願い…します」
同じ質問を延々とリピートしそうなところで、僕は呆然とした状態から我に返り、答えた。
彼女は、固まったのち。
「――了解いたしました。私の呼称は、ナツであることをメモリに保存いたしました。皆様方は、私をナツとお呼びください」
彼女…いや、ナツは深く一礼した。
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