僕らの初日

 ケイのおかげで一日休みができたことだし、僕らは家に帰ってゆっくりすることにした。ケイは少しだけ寂しそうな顔をしていたけれど、しばらくしてからまた会いに来ることを告げると、明るい笑顔で僕らを見送ってくれた。


 昨日と比べて天気がよく、木々の隙間から差し込む陽光が林の雰囲気を明るくさせた。その林を抜け、灰街に入ったとたん、周囲の人の目が僕ら、というかナツに集まった。


「……やっぱ目立つな」

「こんだけ整った顔してんだから、当然っちゃ当然だな」

「でも、一番はナツの服と表情が原因だと思うな」


 僕は咲の言葉に納得した。それもそうである。彼女の容姿よりも、袋に穴をあけたような白い衣服や、尋常じゃない無表情の方が人目を引く理由になっているのかもしれない。当たり前だけど、ナツ本人はそんなこと気にしている様子はない。だけど他三名がとても気まずい気持ちになり、足早に家を目指した。


 おじさんは店に出ていて、大型の扇風機を修理していた。


「おじさん、ただいま」

「おお、一気に華やかになったな」

 おかえりの代わりにそう言っただけで、おじさんはそれ以上ナツについて何か聞いてくることもなく、作業を続けた。


「おっさん、昼飯」

「食ってねえ」


 返事を聞くと、硝は二階へと上がっていった。僕と咲、あとナツも一緒に上がる。

「とりあえず、着替えよっか」

 二階へ上がるなり、咲はナツに提案した。確かに、薄い布一枚かぶっているだけのような恰好はいただけない。


「ね、どんな服着たい?」

「――お客様のご要望があれば、ある程度の衣服の選択は可能です。ですが、私はワンコインロボットですので、基本的には白を基調とした制服を与えられております。その方の配慮をしていただけると幸いです」


 つまり、着替えるならなるべく白、ってことか。咲は一瞬きょとんとして、それから少しだけ残念そうに、

「…そっかぁ、なあんだ。ちょっとかわいい服とか着てほしかったんだけどなあ。まあいいか」

 呟いた。


「白かぁ。確か一枚だけ持ってたんだけどなぁ。どこやったかなぁ」

 タンスの中をかき回しながら呟いている咲は残念そうだったとはいえ、やはり嬉しいようだ。同い年くらいの女の子とは、もう何年も親しく付き合ってないからかもしれない。まあ、何年ぶりかの年の近い女子も、アンドロイドなんだけど。


「あー…、ああーあった! ほらこれ! これならいいんじゃない?」


 タンスから引っ張り出したものをナツに突きだし、咲は得意げに笑った。

 彼女が手に握っていたのは、見た感じだとただの白い布にしか見えない。ナツは「ありがとうございます」と言ってそれを受け取り、広げた。


「親からもらったワンピースなの。あたしはこうゆうのあんまし着ないから、ナツにあげる」

「――有難くいただきます」

「じゃさっそく着てよ」

「――了解いたしました」


 ナツが自身の身に着けている衣服に手をかけたところで、僕はそそくさと咲の部屋を後にした。背後で咲が、「ナツはアンドロイドなんだから照れなくてもいいのに」と僕に呆れたような言葉を投げた。僕は言い返しもせずにドアを閉める。そして心の中だけで反論した。


 だってアンドロイドでも女の子だろう?

 照れるものは照れるのだから、仕方がないじゃん。


 隣の部屋から咲の楽しそうな声や、ナツの無機質な受け答えをかすかに聞きながら、僕はしばらくの間ベッドに横になっていた。十分くらいたったころだろうか、「飯できたぜー」と、硝が呼ぶ声がした。僕は枕に押し付けていた顔をはがし、居間に向かった。


「あれ、咲は?」

 硝は僕が台所に入るなり訊ねた。

「ナツと遊んでるよ」

「…楽しいの?」

「…さあ?」


 正直なところ僕も、ナツと咲が楽しいおしゃべりが成り立っているとは思えない。ナツの会話は、きっとそんな娯楽的なことは含まれていないはずだ。それでも、壁越しに聞こえる咲の声色はとても楽しそうだった。


「年が近いってだけで嬉しいんじゃないか? 咲にとって」

「ふーん。まあ、オレは咲が――」

「嬉しいならそれでいいって?」

「先に言うなよ」


 硝は照れた様子もない、からっとした笑みを浮かべた。

 食卓の準備が整うと、おじさんが店から上がってきた。


「咲、呼んでくるわ」

「ああ、お願い」


 硝がそう言って台所を出て数十秒後、「まだ来ないで!」と、咲が大声を出した。さらにその数十秒後、硝が不思議そうな顔つきで戻ってきた。

「咲は何で?」

「なんか、ナツが着替えてるってさ。披露したいから待ってろって」

「そういうことな」

「なあ、俺はもう食っていいか?」


 おじさんが箸をカチカチ鳴らして尋ねてきた。

「もう少し待ったげてくださいよ」


 なお子供のようにぐずるおじさんを二人でなだめていると、三階から咲が降りてきた。彼女の後ろには――


「じゃーん!」

「――じゃーん」


 前者は明るく元気に、後者は感情のない棒読みで、同じセリフを並べた。

 咲に後ろから押される形で前へと出てきた彼女は、真っ白なワンピースを着ていた。裾と袖口にだけ花柄の刺繍があしらってある、とてもシンプルなものだった。窓から吹き込んだ微風が、ふんわりと広がった白を揺らした。


 あまりにも見惚れすぎて、僕は視線を動かすこともせず、固定されたように彼女を見ていた。


「ねえ、かわいいよね?」

「雑誌から飛び出したみたいだな」

「俺はもうちょっと太ってる方がいいな」

「おっさんの趣味はどうでもいいよ」

「なんだと⁉」

「あははっ。ねえ玖円は?」

「………」

「ねー」

「…ぇえ?」


 ついマヌケな声を出してしまった。


「似合うと思わない?」

「……えあ、ああ! すごくかわいいと思うよ」

 どうにかごまかしたつもりでいたのだが、咲にはそれが通用しなかった。彼女はにやぁ、と今にもいたずらをしそうな笑顔になった。


「あー、玖円れちゃってたでしょー?」

「な、いや、そんな」

「もーバレバレ。まっ、あたしでも好きになっちゃいそうなくらい、かわいいけどねー」

「有難うございます」


 律儀に咲にお礼を述べるナツ。僕はもう彼女の顔を直視できなくて下を向いた。顔が燃えるのではと錯覚しそうなほど火照っていた。


 からかわれるのは、苦手なのだ。


 上機嫌の咲に散々からかわれ、おじさんがしびれを切らしたところで僕らは昼食をとった。

「……ナツ?」

 みんなが料理を口に運んでいる中、ナツだけが膝に手を置いてその様子を眺めていた。


「なんでしょう、玖円様」

「食べないの? 随分何も口にしてないと思うけど」

「私が栄養を摂取した最終日時は、現在から三週間と五日、加えて六時間四十七分前と記憶しております」


 それを聞いた咲が慌てた。

「じゃ、食べなきゃ! 苦しくないの?」

「私は三週間、昏睡状態となっておりましたのであと四日ほど養分接種なし、水のみでの生命維持活動が行えます」

「四日経ったら行えないじゃん! 食べられない?」

「私は時間効率の向上のため、睡眠状態の際、ヘルパーにチューブを接続して養分接種を行います」


 そう言ってナツは首に巻かれたヘルパーの、喉の中央に当たる部分を軽く押した。するとそこが扉のように正方形に開いた。中は黒々とした穴になっていた。痛々しい光景に、僕は少し胸がむかっとした。こうなったら何が何でも普通に食事をしてもらいたい。


「あー、じゃあ口から…えと、そ、そしゃくとか? は、できないの」

「咀嚼及び嚥下についての情報は基礎知識として組み込まれておりますので、不可能なことではありません」


「じゃあ、君はこれから僕らと同じようにして食事をして。一日三食、ちゃんと口から食べること。言われなくても、これからはそうすること。いいかな?」

「――了解いたしました」

 ナツが箸を手に取るのを見届け、僕は胸をなでおろした。彼女は自然な動作で野菜炒めを口に運んだ。思わずといった感じで硝が問う。


「どうだ?」

「硝様、どうだ、と言いますと?」

「オレの料理、どうだ?」


 一瞬の沈黙。それから、

「主に醤油、微量の生姜の味がします」


 ……なんとなく予想はしていたけど、やっぱりナツの口から出てきたのは感想ではなかった。硝ががっくりと肩を落とす。


「いや、確かに調味料はそれ使ったんだけどさ…。もっとこう……」

「疑似感情がぶっ壊れてんだろ? 感想なんて求めんのがいけねえ」

 おじさんは硝の頭をこぶしで小突いて(すごく痛そうな音がした)笑った。


 午後からは、改めておじさんにケイに検査してもらったことを伝え、そのあとは特にやることなんてなくて、だらだらと時間だけが過ぎ、いつの間にか一日を終えてしまった。


 ああ、ちなみに翌日から僕らは仕事をしに行った。ただでさえお金に困っているのに、これ以上休んで給料が少なくなったら困る。ナツのことはきっと上の方々にはバレたことは間違いない。だからせめて、それを問題視していないかどうか僕はビクビクしながら過ごした。でもそれも数日のことで、僕らはナツのいる生活に馴染んでいった。

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