僕らの世界


 さて、これからどうしよう。


 自分の気持ちにひと段落つくと、今度は目の前の状況をどう打開するかで頭が痛くなりそうだった。


 泳ぐにしても、ナツのリスクが高すぎる。それに硝がどうなったかも気になる。

 僕は救命ボートや浮き輪がないものかと、辺りを見回した。うん、何もない。途方に暮れて、遠ざかる陸を意味もなく眺めた。


「そう都合よく落ちてるはずないか………」

「何かお探しですか? 玖円君」


 ―――僕は無意識に唾をのんだ。


 暑さとは別の理由で汗がに滲む。

でも、どこまで逃げてもいつかきっと彼女と対峙するのだと、なんとなくそう思っていたからか、過剰に驚いたりはしなかった。


 僕はナツがそばにいることを改めて確認し、ゆっくり平静を装って振り返る。

「救命ボートとか、ありませんか?」

「あります。でもそれにはおひとりでどうぞ」

 ナオさんは僕の強がった軽口に冷たい笑顔で切り返した。


「あなたはここにいるべき人間ではありません。あの街で何事もなく、何事も起こさないように生きるべきです。それがあなたという個人に与えられた最良の生き方ですよ」


 遠回しの身の程を知れと言われている気がして、僕は腹が立った。

「どうして、こんなにも差が開いてしまったのでしょう」

 僕は食って掛かりたいのをこらえて、ここから逃げる算段を考える。

「同じ白墓に出入りしている者同士なのに、どうしてあなたと僕とではこんなにも生活の差があるのでしょうか」


 時間稼ぎにと思って、以前網野さんにしたのと似たような問いをナオさんにも投げかけた。彼女は一瞬考えたのちに応えた。

「アンドロイドが広く普及したからに他ならないでしょう。思い通りにならない人間より、それらの方がずっと扱いやすいのです。壊れても全く同じものを再び用意することも可能な上、切り捨てることを躊躇する必要もありませんし………考えるまでもないことです」

 答えもまた、網野さんと同じようなものだった。


「白墓が外界から半ば隔離されるようなところにあるのは、あなたもご存じのはずでしょう? 白墓だけではありません。地上に存在する施設は、国有のリニアモーターカーと高速道路が数本、あとはあなたたちのような地上に棲む人々が必要最低限整備した道路が地方にあるのみです。陸に見えるアトラクションパークと白墓との距離はせいぜい数十キロですが、あなたたち灰街の人々からすれば、その距離は万里に等しいのでしょうね」


 小首を傾げて笑ってみせるナオさん。馬鹿にしている気などこれっぽっちもないのだろう。この人にとって、この格差は当然の物なのだろうから。しかしやけに饒舌な彼女は、やっぱりどこかで優越感を感じているのかもしれない。


「玖円君も、美しいと思いませんか」

 唐突に、ナオさんはそんなことを言った。その切れ長の目は、船上を照らす照明を反射して、僕の背後を見ている。

「は、……何が」

「あの焼却施設です。あなたは知らないでしょうけど、海外でも白墓という愛称が一般的であるほど、有名な施設なんですよ」


 口に出すことはしなかったが、僕はナオさんの言葉には納得した。有名かどうかはさておき、白墓のあの大きさと白さはどこか崇高な美しさを感じる。かもしれない。


「さて、お話はこの辺にして、覚悟を決めてもらえないでしょうか」

 声の大きさはほとんど変わっていないのに、彼女の持つ威圧感のようなものがぐんと増加した気がした。


「お友達は暴れるだけ暴れまわって船から飛び降りてしまいました。数名、不審人物の襲撃により港に取り残されたとの情報も入っています」

 全部玖円君の仕業ということでよろしいでしょうか。ナオさんは笑みこそ崩さないが、静かに苛立っているようだった。僕は彼女が完全に鉄面皮ではないということを感じて、少しだけ心に余裕のようなものが生まれた。


「もうこの船にはあたなたしか残っていませんよ。帰れなくなったあなたを処理するのも面倒が多いのです。早く―――」

「その前に、教えて下さい」

「え?」


 そういえば、聞きそびれていたのだ、この船の行き先と、ナオさんたちの目的を。


「ナツは、臓器移植のドナーになる訳ではないんですよね。とある筋から聞きました。それなら、あなたはナツを、この船に乗せたアンドロイドたちを、一体どうするつもりなんですか?」

「あなたには関係ありません」

「でも、返す時に教えてくれる約束でしたよね」


 少しだけ強気に出てみる。するとナオさんは貼り付けていた笑みを消して、最初に会った時一瞬見せた、あの動物を観察するような目つきで僕を捉えた。しかし僕が瞬きをするうちに、ナオさんの顔には笑顔が戻っていた。急に怖くなって、半歩後ずさりをした。


「あら、そうでしたね。失礼しました。……では、お話ししましょうか」

 彼女は一歩、僕らに近づいた。今すぐにでも海に飛び込みたい衝動をこらえて、僕はナオさんとコウさんの動きをじっと観察した。

「玖円君は、旧アメリカ大陸をご存知ですか?」

「……いえ」

「俗称の『不毛大陸』と言った方がなじみ深いでしょうか」


 不毛大陸。

 中学すらまともに通わなかった僕でも知っている一般常識。

 無言を肯定と汲み取ったらしく、ナオさんは続けた。


「御存じのとおり、核戦争で知られる先の第三次世界大戦で、死の土地デスグラウンドと化した区域の一つです。正確には、不毛大陸とは大陸全体ではなく、旧米国とそれに隣接する国の一部ですが……それは特別説明する必要はないでしょう。現在、不毛大陸はその沿岸を含め巨大な壁で隔離されています。もちろん、人間はそこに行くことは出来ません。死ぬのは確実ですから」


 唐突に社会の授業が始まったようで、僕は唖然とナオさんの説明を聞いた。


「次の世界大戦――土地戦争の第四次では、自分たちが住むだけの土地を各国が躍起になって取り合いました。それだけ第三次が世界に与えた被害は甚大でした。ほぼ無傷でいられたのは、永世中立国をのぞけば、兵士としてアンドロイドを各国に提供していたこの国ぐらいでしょう。話は戻りますが、それだけ世界は土地に飢えています。奇跡の国、唯一の砦と謳われるこの国では実感することはないと思いますが、現在も至るところで土地の争奪戦は続いています。そのため、一刻も早く大陸の回復が必要なのです。しかし不毛大陸の土地調査は滞っています。何故だかわかりますか?」


「……人が入れない、から?」

「正解です」


 なんかますます授業のようだ。


「衛星や無人鑑査機による調査は続けられていますが、まだ大陸には不明な点が多すぎます。最初は囚人を調査に向かわせる案もあったようですが、知識のない彼らを放り込んだところで、それはサルを投入することと変わらないでしょう?」


 囚人の人権については何も疑問を持っていない様子のナオさんに、僕はさらに恐怖を募らせた。それと同時に、胸の奥からむかむかと苛立たしさがこみ上げてくる。


 ナオさんはまだ話し続けた。

「そこで数十年前から私たちの組織が活動しているのです。身体機能は万全なままで廃棄されたアンドロイドを再起動し、専門知識をプログラムに組み込んで壁内に投入する。そのためにあらかじめ脳死剤の量も調整しておく。ああ、もちろんできる限りの放射線対策は打ちますが……寿命が一年と持たないのは今後の課題です」


 話すことは全て話し尽くしたようで、ナオさんはふう、と息をついて机を挟んで立っている僕を見た。


「その機体のように身体に異常がない物は貴重なんです。そして取引先が取引先ですから、臓器とは比べ物にならないくらいの値で売れます。――以上が、私がそれを欲しがる理由です。お分かりいただけましたか?」


 さあ、渡せ。美しい笑顔が僕にそう告げていた。僕は唇をかみしめる。


 ――ふざけるな。ふざけるなよ。


「……分かりました」

「では、こちらに返してくださいますよね?」

「……はい」


 叫びたいのをこらえ、僕は静かに返事をして彼女に差し出した。

 ポッケに入っていたハンカチを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る