僕の反撃

 くくっ、と喉の奥まで笑みがこみ上げてきた。

 ナオさんの頬がわずかに引きつる。


「……なんの冗談ですか?」

「誰もナツを返すなんて一言も言ってませんよ」


 あー、なんかもう吹っ切れたかも。

 やばいな、僕。


 恐怖はいつの間にかどこかへ消し飛んでいた。いたずらが成功したみたいな愉快な満足感で口角が上がってしまった。ナオさんは不可解なものでも見るように固まったが、すぐに状況を呑み込んで少し焦ったように訊ねてきた。


「お話が理解できませんでしたが?」

「中学中退を馬鹿にしちゃいけませんよ。単に嫌なだけです」

「……っ! あなた世界が今どういう状況か分かって――!」

「それもナオさんのおかげで知ることができました。でも、僕はそんな遠い世界を守るより、今隣にいる彼女を守りたい」


 初めて心からの感情を見せたナオさんは、やっぱり別の生物を見るように僕を見た。


「……それは物ですよ」

「僕にとって彼女は人です。好きな子と離れたくないって理由、そんなに珍しいですか?」

「光栄です」


 空気を読まないナツが、僕の背後でそう言った。こんな状況なのに、思わずクスリと笑ってしまった。


 ナオさんはしばらく僕らを睨みつけていたかと思うと、途端に冷徹な表情になった。初めに見せた観察するような表情よりも、ずっと冷え切った表情だ。


「あんまりぐずると、こちらも強硬手段に出ますよ」

「雑用」

「は?」


 僕が突然発した言葉に、ナオさんはその冷たい表情を一瞬動かした。僕は続ける。


「この船に侵入するとき、いろんな人を見ました。でも、その人たちはみんなナオさんよりも下の立場にいるんだろうなって思いました」


 ケイと咲が引きつけてくれたチンピラたちだけでなく、ヨウさんや硝が相手をしてくれたスーツ姿の男たちも、みんな与えられた仕事を考えなしにこなしているのがうかがえた。


「で、ナオさんも僕と同じなんじゃないかって思って」

「仰っていることの意味が理解できません」

 またまた。口で言っている割には、ナオさんは僕から目を逸らした。

 僕だって、考えなしにあなたの社会の授業を引き延ばしたわけじゃあないんですよ。


「あなたがお話ししている間、僕だっていろいろ策を考えたんです。それでナオさん、表情とか言動には出してなかったけど、行動が焦り気味だったなって不思議に思いました。僕と接触してから数日も経たないうちに電話かけてきたり、時間を気にするようなことも言ったりしてましたよね。普通こういうのって、時間をかけてじっくり確実に奪うべきじゃないかと思うんです。ナオさんが偉い人なら期限を延ばしてもらえばいいし、そもそもこんなところにわざわざ出向かないですよね? 脅しはするけど行動はしない。もしかして攻撃する権利すらもらえてないのかもって。コウさんも何もしてこないところを見ると、たぶん自衛のために連れているだけですよね。タイプも新型とは言えないし」


 コウさんはあくまで無言だ。もしかしたら、こちらの方は発言すら許可が必要なのかもしれない。


「だから僕はひょっとしたらナオさんも、あなたのいる組織の中では末端なのかもしれないって予測したんです」


 僕自身の身分が底辺極まっているので、それに気づくのに時間がかかったけど。


「……たとえそうだとしても、あなたに何ができるというのですか?」

 僕の推測を否定はせずに、ナオさんは問い返した。確かに、ここでお互いに引かなかったららちが明かない。僕はポケットの冷たい感触に触れ、ゆっくり取り出した。


「え…っと、安全装置ってこれかな、ナツ?」

「はい、それです」

「ありがと。……これ、ちゃんと外せてる?」

「はい、外せています」

「ちょっと、何を……」


 ナオさんは目だけ見ひらいて驚きをあらわにした。僕はちょっとだけ彼女に笑いかけ、そのくすんだ銀の銃口をナツのこめかみに当てた。


 さあ、ここからが賭けだ。

 僕は一つ一つ、間違えないように言葉を紡いだ。


「ナオさんがどうしても諦めないんなら、僕はナツと一緒に死にます」

「……」

「勝手にしろ、と言わないということは、僕らを殺しちゃいけないみたいですね」

「………………ええ」


 長い沈黙を挟み、ナオさんは肯定した。


「いくらこの灰街が無法地帯のスラムであっても、白墓内での事件は別扱いです。現在、世界のアンドロイドシェアの9割は日本、そのうち8割はサニー社という、実質アンドロイド業界はサニー社が独占しているといってよい状況にあります。この会社が外部に漏らしていない技術も多々ある。それをよしと思っていない企業は国内だけにとどまりません。そのうえ、警察も目を光らせています。サニー社は決してミスをすることが許されないのです。ですから、遺体提供をするかわり、少しでも警察が介入する可能性のあることを引き起こすのはタブー。それは組織がサニー社から与えられた条件です。確かに私は、組織のもっとも末端にいる人間の一人です。それだけ組織は私を切り捨てやすい。あなたとそのアンドロイドが心中してしまっては、問題もみ消しのために私も始末されるでしょう」


「でも、あなたは組織のために死ぬという選択はしない」

「自分の命が可愛いもので」


 気おくれする様子もなく即答するナオさん。もう、彼女にはあの清楚な優雅さは残っていなかった。銃を握る手が汗ばむ。ナツは動じずに、ただナオさんと僕のやり取りを見ていた。


「じゃあ、こうしませんか」

 意を決して提案した。


「脳死剤の量が少なすぎて覚醒してしまったアンドロイドが、自律判断によって白墓から出てしまった。知っていると思いますが、灰街はいろいろ怪しいお店が多いんです。そんな街にふらふらと出てしまったアンドロイドが、街のどこかに消えてしまった……」

「子供だましにもなりませんわ。そんな証拠もないことを上に報告できません」


 うん、僕もそう思う。


 というわけで、背負っていたリュックを開けて中身を取り出した。


「まず、これなんですけど」

 ビニール袋を少しだけ掲げて見せた。ナオさんがいぶかしげに眉をひそめたので、中のかけらをナオさんの足下まで滑らせてよこした。


「これは……」

「最初にナツの頭につけられていたものの残骸です。……知り合いから聞いたんですけど、一般的な金属じゃないみたいですよね」

 そんな特徴的なもの、警察に渡ればサニー社と彼女の組織を特定するのも時間の問題になるだろう。僕が言わなくても瞬時に理解したようで、ナオさんはその破片を見つめて押し黙った。


「全部奪っても無駄ですよ。うちにもまだあるし、僕が戻ってこなかったら、警察に事情を話して渡すように言いましたから」

 本当はなんにも考えずに全部持ってきちゃったんだけどね。まあいいや、ハッタリを貫いてしまえ。


 ナオさんはそれでも黙り続けたが、やがて口を開いた。


「しかし、あなた方のようなかたの証言を聞いてくれる警察がどこにいるのですか? そもそも、珍しいからと言って金属の破片を突きだされてもサニー社と私たちに発展するとは――」

「で、次がこれです」


 ナオさんの口が止まらなくなりそうだったので、それを遮り最後の頼みの綱を取り出した。


「何か分かりますか?」

 数枚の書類を、少し距離を置いて対峙する彼女に向かって突きだす。鋭い表情で紙面を眺めた彼女は、すぐさまその目をわずかに見開いた。僕はそれを彼女につきだしたまま、軽くひらひらと動かして見せた。


「ナツの診断結果です。知人の医者にコピーをもらっておいたんです」

 ナオさんは疑わしげな視線を投げてきた。

「本物ですか? それ」

「ええ、当然です」


 僕は本物と偽物の違いなんて分からない。けど教会に本格的な医療器具を持ち込んでいるようなあの少女なら、病院で使用されている診断書を持っているに違いない。そう思って勝手に断言した。闇医者だということは言わなかった。もしかしたら、書類の効果がなくなってしまうのではないかと思って。


 ナオさんは無表情だ。しかしそこには、確かに怒りと焦りがにじんでいる。ナツのそれとは大違いだった。

 僕は書類のうちの一つを取り上げた。


「まあ全身整形は人間でも施したりするから特に問題にならないんでしょうけど、これだけは一般に知られちゃまずいですよね」

 書類には、脳死剤の検出結果に関する諸々が記してある。人を脳死状態にする薬なんて、公になっているはずがない。そんなことは馬鹿の僕にでも分かる。


「僕が持っている書類もまたコピーです。本物はその医者が管理しているので、その金属片より探すのが困難ですよ」

 地響きのようなエンジン音だけが鼓膜を震わせる。ナオさんはうつむきがちに考えるそぶりを見せたのち、言った。


「私だけでは決めかねる事態です」

「じゃあ上に報告できますか? 貴重なアンドロイドを奪われた上に少年と心中させてしまったと。サニー社の裏事情も警察に漏れることになったと」


 ナオさんの桃色の唇が一文字に締まった。僕の眼球の中身でも見ようとしているかのように、片時もそらさずに僕を見ている。つばを飲み込みたいのをぐっとこらえて、汗をぬぐいたいのもじっと我慢して、僕はナオさんを見つめ返す。


「玖円君、あなたに今ここで死ぬ覚悟はあるのですか?」


 じっと動かないまま、ナオさんは尋ねた。ビビるな、僕。


「死にたくはありませんが、やむを得ない場合は引き金を引く覚悟です」

 挑発することも、弱気になることもしてはいけない。彼女からイエスを聞くまでは、平静を装わなければいけない。


 ………そう思っていたのになあ。


「コウ」

 ナオさんが短く名前を呼ぶと、コウさんがゆらりと動いた。彼女は僕をめがけて一瞬で加速する。


 あ、やば、と思って反射的に片手をコウさんに向ける。

 さらに無意識に力を込めて、持っていた銃を握りしめる。

 当然、指は引き金にかかっていて。


 僕は乾いた発砲音と拳銃からの衝撃で体がしびれた。

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