4. 世界の事情と、勝手な都合
彼女たちの誘導
ヨウさんが車を止めたのは、もうすっかり暗くなってしまった頃だった。辺りには光がほとんどなく、巨大な倉庫たちがのっそりと立ちはだかっている。
「ここからは倉庫街になっている。車から降りて、港まで歩いて行こう」
ヨウさんに言われたとおり、僕らは倉庫街を早足で進む。道幅は広いはずなのに左右の倉庫一つ一つの規模もまた大きいから、なんだか圧迫されているような心持になる。
目の前にビルのような建物が見えたと思った。でもすぐに、それが、貨物船であることを僕は潮の臭いとともに悟った。
「初めての海がこんな真っ暗闇ってなんかヤだな」
硝がぼそりと呟いた。すると咲が不思議そうに彼に訊ねた。
「あんた運送課なのに来たことないの?」
「手前の倉庫まで運んだら帰らされんだよ。一回奥まで行こうとしたんだけどスーツ着た外人に怒られてさ」
「バカ……」
そういえば、僕も海を生で見るのは初めてだ。しかし楽しみなんてものはこれっぽっちも感じることは出来ない。
倉庫街を抜け、ひらけた港に出ようとしたところで、先頭を歩いていたヨウさんが足を止めた。
彼は手で僕らを制止すると、素早く船付近の様子を覗って戻ってきた。
「人がいる。ここからどうするか、考えた方が良いな」
「待って、その前に、玖円ちゃんに渡したいものがあるの」
ケイはヨウさんを見上げた。彼女はヨウさんからアタッシュケースを受け取ると、躊躇なくロックを外し、そこから紙の束を取り出した。
「これ、ナっちゃんのカルテのコピー。相手組織のことは分からないけど、間違いなくサニー社よりは格下なハズ。だからあっちの失態でサニー社が被害をこうむるようなことは絶対にしたくないと思うの」
「なんで……」
「サニー社は危害が及ぶ前に危害の元を消すのよ。だから何十年も平穏にアンドロイドを製造できてきたの。向こうも消されることだけは避けたいと思うから、ナっちゃんの製造番号と、脳死剤の検出結果は、少しくらいは交渉の材料になるかもしれない」
「そう、か。ありがとう」
「あと、これも」
ケイはアタッシュケースのふたをいじって何やらベルトのようなものを外した。中に入っていた物を取り出すと、ケースをヨウさんに渡してしまった。
「あたしとヨウは直接玖円ちゃんをサポートできない。だからこれはあたしたちからの気持ちよ」
平然とした顔で差し出された鈍色のそれを、僕は怖くて受け取れなかった。
「あの、あの、これは………」
「自動拳銃。使い慣れない玖円ちゃんでもある程度は扱える。弾も装填してあるし、スライドも引いてあるから、あとはセーフティーを外してトリガーを引くだけでいい」
ケイはいつになく真剣な面持ちで僕をじっと見つめた。あくまで、それを僕にむりやり持たせるようなことはしなかった。僕がそれを手にするのを、じっと待っている。
躊躇し続けていると、ふいにヨウさんが口を開いた。
「私たちは、君の決意に敬意を払っている。だからこそ、君やナツ君を失うようなことはしたくない。でも、私たちは相手がどんな組織なのかを知らない以上、下手に手出しできないうえに、アドバイスもできない」
「だからせめて、対抗できなくても抵抗はできるようにコレ、はい」
もう一度、ケイは銃をさしだした。
しばらく迷いで僕は動きを止めたが、意を決してケイから銃を受け取った。大きさの割に重たくて、ポケットにしまった瞬間、僕は高揚の混じった責任を感じた。
「で、あたしたち、これからどうすればいいのかな」
咲がそう切り出したことで、話は本題へと戻った。ヨウさんは顎に手をあてて考えている様子でいた。
「船の周りを数人の男が警備している。身なりこそ立派だが、あのたたずまいは日雇いのチンピラだと予想できる」
「あ、じゃああたしがちょこっと相手してる!」
唐突にそう提案してきたのはケイだった。僕らは一斉に少女に視線を向けた。
「急に何を言い出すんだ! 危険すぎる!」
声を荒げない冷静さは失っていなかったが、それでもヨウさんは驚いた顔をしていた。そんな彼を見上げるケイは、年に似合わぬ打算的な笑みを浮かべている。
「来る前に倉庫街の地図は見たから、もう迷うことはないし、ちゃんと逃げ切れる策も考えてあるもん」
「それなら私が……」
「だぁめ。ヨウはこれからもっと怖い人とかと会った時に玖円ちゃんを助けなきゃ。下っ端なんてあたしで十分だよ」
「あ、あたしも手伝う!」
「いいの、咲ちゃん!?」
「お前何言ってんの!?」
今度は咲まで挙手したものだから、硝が黙っていなかった。
「ムリムリムリムリ、絶対ダメ」
「なんであんたが決めるのよ」
「危ないからに決まってんだろ!」
「あたしがいるから咲ちゃんは大丈夫だもん!」
「うるせえ運動音痴」
「それ関係ないじゃん!」
「あるわボケ!」
いよいよ収集がつかなくなってきた。僕はハラハラしながらヨウさんを見ると、彼は諦めたように嘆息した。
「埒が明かない。では、こうしよう。ケイと咲君にとりあえず任せる。ケイ、護身用の銃は?」
「ある」
「身の危険を少しでも感じたらためらわずに使うこと。それが約束できるなら、少し様子は見させてもらうが、囮を頼もう」
「やった!」
囮になるのが、ではなく頼まれたのが、嬉しいのだろう。ケイはその場で跳ねると、咲の耳を自分の口元まで引き寄せ、何かを伝えた。
「――――あたしは本当にそうするだけでいいの?」
「うん。地図は頭に入ってるし、脳筋の日雇いチンピラからなら逃げられるよ」
ひどい言いようである。
ケイはヨウさんに向かって「しっかり役に立ってきてね!」と親指を立てた。
「あたしはケイちゃんがいるから大丈夫」
僕と硝の心配する視線に気づいた咲が、苦笑いを浮かべた。
「ホント、僕のせいで咲まで……」
「まだそんなこと言う。もっと強気に行きなよ」
「………ヘタレなもんで」
僕が自嘲気味に笑うと、咲は僕の胸に軽くこぶしを立てて、
「じゃ、頑張ってね」
それだけ言うと、ケイとともに港に出てしまった。
「ほ、本当に大丈夫かよ……」
硝の言うとおり、本当に彼女たちだけで大丈夫だろうか。顔を青くする彼の隣で、僕も遠ざかってゆく二人の背中に不安を感じた。
「ケイには盗聴器を渡してある。………電源を付けたようだ」
ヨウさんはいつの間にかしゃがみ込み、真っ黒なタブレット端末を操作していた。
『―――す――せん』
『なん―だ――お前』
端末からノイズとともに咲の声が聞こえた。徐々にノイズが薄れていくのに反比例して、咲の声が鮮明に聞え出す。
『あたしは今日、白墓からここに派遣されてきた者です。それよりこの子、迷子になっちゃったみたいなんですけど』
『ァア? 知らねぇよ』
『仕事してんだ。邪魔すんな』
ヨウさんの読みは当たったようだ。いかにもな喋り方の男の声複数人が、ややくぐもって聞こえてきた。
『でも、この子ずっと船を指さしてお父さんって言うんです』
『はぁ?』
『I know you can’t understand what I’m saying, hum?』
僕と硝は口を開けて聞き入っていた。ケイが日本人ではないことを、今改めて、というより初めて実感した気がする。
おそらくケイと向かい合っている男たちも、僕らと同じような表情をしているだろう。
『おい、こいつなんて言ってるんだ』
『I said you are such a fuckin’ stupid, right?』
『お父さんがこの船の偉い人だって言ってます』
「あいつ大胆な嘘つくなあ」
「いや、ケイはそんなことは一言も言っていない」
「本当はなんて言ってるんですか?」
何故かヨウさんは呆れ顔だった。
「………特に中身のないことだ。気にしなくてもいい」
そうこう話しているうちに、咲がさらに話を進めようとしていた。
『お父さんと倉庫街のどこかではぐれてしまったみたいで、一緒に探してくれたらお礼もするって……』
『おい、どうするよ。ここの見張りっつっても何もすることねえしよ』
『立ちっぱなしでかったるい上、報酬は安いんだよナァ』
『なら臨時収入あってもいいだろ』
『よしガキ、俺タチ、協力、オーケー?』
『Oh, you are the nice tool! Thank you very much!』
『おー、テンキューテンキュー』
ケイが何と言っているのかは分からない。しかしその楽しそうな笑い声からは、彼女の目の前の男たちをからかっていることだけは端末越しでも分かった。
『あの、私も一緒について行ってもいいですか? お礼はあなたたちに差し上げますので』
『勝手にしろや』
複数人の歩く音。数分の間、盗聴器は僕らに地を踏む音だけを伝え続けていた。僕らは三人とも無言で彼女たちのアクションを待った。
『あっ、こら待て!』
いったいそれはどこにさしかかったころだろうか。ノイズに交じって盗聴器が風を切る音、そして軽やかに駆ける音を拾った。しかしそれはほんの数秒のことで、突然足音は止まったかと思うと、すぐわきを大人の重たい足音がどたばたと通り過ぎて行った。
『クッソ、なんなんだ?』
『だれだぁあのガキに騙されたのは!』
『うっせぇ! 絶対とっ捕まえてやる!』
滑稽にすら思える遠い怒号に混じって、ケイの歌うような囁き声が聞こえた。
『Hey buddy? Mission accomplished.』
ヨウさんはそれを聞くと、タブレット端末の電源を落とし、素早く片付けて立ち上がった。
「行こうか。手早く済ませよう」
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