白い墓を仰げ

ニル

1. 立ち止まった世界と、白い墓石

僕らの仕事

 人間の文明は立ち止まっている。


 どこかの評論家だか専門家だかが、現在の世界をそう表現していたのを聞いたのは、もう何年も前。たぶん、僕がまだ中学に通っていたころだと思う。


 約五十年前に第四次世界大戦が完全終結してから、情報通信技術や電子機器類が多少進化したくらいで、一般に普及している科学技術そのものは五十年前どころか百年前から特に発達していないものもあるらしい。そりゃ流行とか、生活水準とか、百年前とは全く違うところもある。でもそれはお金に余裕のある人たちの間だけの話であって、毎日生きるのが精一杯な僕らは今でも百年前と同じ、もしかしたらそれ以下の生活水準のもとで暮らしている。


 まあ、なんにしても。


 人類の科学的な躍進も五十年前にピークを迎えたようで。

 タイムマシンも作られず。

 宇宙旅行も夢のまた夢のまま。


 僕らの文明は、退化してはいないものの停滞していた。


それにしても、と僕は思う。

それにしても、これはちょっと停滞しすぎだろう。


地下の除菌された空気、最高の空調設備の中で生活している人たちと比べて、僕らは少し停滞しすぎなんじゃないか。確かここは天下の先進国、平和と科学の象徴日本であって、一昔前――と言っても僕が生まれるずっと前だけど――までは貧しくとも真面目に働けばそれなりの生活はできていたはずだ。社会の先生もそういっていた気がする。


 …実はその理由もなんとなくわかってはいる。理由はきっと、僕の目の前にある積み上げられた木製の箱。


 の、中身。


「網野さん」


 人ひとり収まるくらいの箱の山を眺めながら、僕は隣の上司に話しかける。

「なあに、玖円くえん君」


 僕の上司、網野さんも箱の山を眺めながら返事をした。彼女は手ぶらで直立している僕と違って、わきに置いた大きなカートに体重をかけていた。めちゃくちゃ面倒くさそうだ。でもそんなやる気のない姿はいつものことなので、僕はその態度を特に気にすることなく質問を続ける。


「僕らってどうしてこんな貧乏なんでしょうね」

「お金がないからに決まってるでしょ」

「いや、そりゃあそうなんですけど。ちょっと地下の一般人とあまりにも生活水準に差が……」


 言い直すと、網野さんが子供のように露骨に嫌そうな顔をした。そして灰色のつなぎの袖をまくり、カートに乗っかっていた大きな脚立を立て始めた。作業を開始するらしい。


「そんなこと、分かり切ってるじゃない」


 脚立に乗った網野さんはてっぺんの木箱を僕の方へ下ろしながら言った。僕も渡された重たいそれをカートに積みながら、彼女の話に耳を傾けた。


「アンドロイドのせいに決まってるでしょ」

「やっぱそうですか」


「そうよ。なんでも言うこと聞くし、低賃金なんてレベルじゃないほど費用が必要ないもの。玖円君知らないの? 今、日本の高齢者の介護って八十パーセントはアンドロイドが行っているのよ。そのほかも機械的な業務はアンドロイドに任せていた方が人間雇うよりずっと安価なの。あたしや玖円君みたいな落ちこぼれなんかよりずっと役に立つってわけ」


「へえ。でも、この仕事も結構機械的ですよね。アンドロイドじゃなくて僕らに任せる意味は…」


「会社の慈善事業みたいなもんよ、職のない人に職を与えるためのね。地下都市の呑気な富裕層からも好感もたれるし。第一、アンドロイドにアンドロイドの処分をさせるなんて、一部の過激な一般人の格好の的よ」


「なるほどー」

 それもそうだ。納得のいく答えが導かれたとたん、僕の好奇心は潰えてしまった。僕は適当に返事をして、六つ目の箱をカートに積んだ。あと二つくらい乗せられそうだ。淡々と箱を手渡してくる網野さんを見上げた。


「網野さん、あと二つ」

「はいはい」


 カートに箱を積み終わると、網野さんが脚立から飛び降りた。もう二十後半なのに元気な人である。彼女はすっきり一つに纏められた黒髪をはらった後、僕に指示した。


「玖円君。それ焼却室に運んで。ついでに管理課の人に、今日運ばれてくるワンコインロボットの遺体倉庫の番号聞いてきて頂戴」

「了解でーす」


 言われるままにカートを押し、僕は網野さんといた倉庫を出た。倉庫の入口に貼り付けられた、[第十一遺体倉庫]のプレートが視界の隅に入った。


 広々とした通路には、僕や網野さんみたいな作業課の人がカートを押していたり、整備課の人たちが何かを話し合いながら行ったり来たりしていた。中にはどう考えてもここの従業員ではない、こぎれいな身なりの人たちが遺体倉庫の中に入っていったりもするけど、誰もそれに目を向けない。向けてはいけないという暗黙の了解みたいなものがあるからだ。ああいう人たちは大抵、会社と裏で繋がっているヤバイ人たちなので、僕らみたいな一介の従業員は見て見ぬふりをするのが最善策なのだ。


 広い通路の一番奥には業務用の大型エレベーターがある。僕はそれに乗って五階のスイッチを押した。


 五階はフロア全体が焼却室と焼却炉になっているので、他の階に比べて横はもちろん、縦にも大きい。エレベーターのドアが開いたそこが焼却室になっている。だだっ広いホールのような室内には、いたるところに僕が持ってきたものと同じ箱が規則正しく積まれている。僕もそれにしたがってカートの上の箱を並べていった。


少し奥の方では、焼却炉に直結するベルトコンベアーに箱を乗せていく人々が見えた。いつもならそれに混じって、管理課の人が何やらチェックしているはずなのだけれど、今日は見当たらない。網野さんに言われたことを聞きたいが、正直探し回るとかいう面倒で効率の悪いことはしたくなかった。


どうしようか考えあぐねていると、業務用エレベーター――ではなく、そのわきにある普通サイズのエレベーターのドアが開いた。


「あ、玖円だ。お勤めごくろうさーん」

 出てきたのはさくだった。管理課の彼女は手に記録用紙とボールペンを持って何かを記している最中のようだったが、僕の姿を発見して作業を中止した。背丈はそこまで低くないのだが、茶色っぽいショートボブを揺らしてこちらに駆け寄ってくる姿は、同い年のはずなのにどこか幼く見えた。額の上で結ばれた前髪が、その印象を助長する。


「ねえねえ、どう思う? あたしさ、ここで働いててずっと思ってたんだけど、電子ペーパーが主流の現代で記録方法が紙ってどう思う⁉ 大昔の記録様式じゃん」

「まあまあ」


 とても不服そうにまくしたてる彼女に苦笑した。そういえばこの前、紙がかさばってイライラするとか愚痴っていたな。


「仕方ないよ。ここは地下都市じゃないんだから」

「でもさぁ」


 納得いかない様子の咲にそう言って、僕はこちらの用事を伝えた。このまま彼女の愚痴につきあっているわけにはいかないのだ。


「あの、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「なに?」

「なんだったかな……。ああ、今日運ばれてくるワンコインロボット、アレどこの倉庫にあるのか知らない?」

「ん、ちょっと待って」


 咲は右耳に取り付けた、ワイヤレスの小型無線をカチカチいじりだした。少しの間沈黙していたが、やがてどこかとつながったようで、

「あ、咲です。ちょっと調べてほしいんですけど、今日運ばれてくるワンコインロボットの遺体って……え、はい、そうですか。はーい、ありがとうございます」

「どこに?」

「もうすぐこっちに運ばれてくるみたい。場所は第七遺体倉庫」

「ありがとう」


お礼を言うと、咲は嬉しそうに笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る