3. 不透明な感情と、迫る決断の瞬間
僕らの噂
「はーい。通院ご苦労さま~。体は特に異常なし!」
無邪気な笑みを振りまいて、ケイはポニーテールにしていた髪をほどいた。明るく素朴な教会内には、今日はかわいらしいテクノポップがBGMとして流れている。前に来た時とはまた随分と室内の雰囲気が違う。
「あ、そうだ玖円ちゃん、これ」
ケイが何やら書類の束を差し出してきた。
「一応、ナっちゃんの診断結果。脳死剤の投与とか、整形の跡とか。一応今日で通院は終わりだから、なんかあった時のためにコピー渡しとくね」
「あ、ああ。ありがとう」
とはいえ、僕にはこの紙に記されていることの半分も理解できない。持っていても無駄な気がした。
ケイは先ほどヨウさんが祭壇の上に置いて行ったアイスココアを手に取り、一息ついたようにそれを一口飲んだ。そういえば、この子は僕らよりも幼くて、それでも医者の仕事を立派にこなしているのだ。疲れも相当あるのではないかと、僕は申し訳なくなった。
「なんか、悪いな。前の分の治療費も払えてないのに」
「うん? 気にしないでいいよ。ちゃんと三人のお給料からちょっとずつ引き抜いていくから」
「そ、そうか」
しっかりというか、ちゃっかりというか。こんな十四歳がいてもいいのだろうか。長椅子に座っていた咲も、怪訝そうに少女を見た。
「……ていうか、ケイちゃんっていつのまにあたしたちの個人口座知ったの?」
「ふふふーん。その気になれば、あたしはなんだって出来ちゃうのだー」
可愛いけどやらしい含み笑いをするケイ。彼女の背後に音もなく現れた漆黒の影が、呆れたように口を開いた。
「ケイ、あまり行き過ぎたことはするな」
「ええー。でも調べ上げたのはヨウじゃーん」
「それは」
「わかってるってば。あたしに必要だと思ってやったんだよね? ヨウはあたしの我儘ぜーんぶ聞いてくれるって知ってるもん」
「――全てというわけではない」
ヨウさんは困ったように溜息をついた。その丈夫そうな腹部にドスドスと後頭部をヒットさせるケイは満足げだ。主人と従者というよりは、年の離れた兄妹に見える。いや、全然似てないけど。
「ねえ、赤毛は?」
唐突に、どうでもいいけど一応といった感じで聞かれた。
「硝は友達んとこに遊び行った」
泊まる気はないと言っていたから、そのうち来るだろう。あるいは、もう夜なので家に帰ったかもしれない。
「最近連中と会っていなかったみたいだから。今日は来ないんじゃないか?」
「ふうん。そっか」
「ケイちゃんさびしい?」
「全然」
照れた様子も拗ねた様子もないので、本当にさびしいわけではないようだ。
「けんか相手がいないから退屈だけどね」
僕らに背を向けてケイはそう漏らした。やっぱ少しさびしいのかもしれない。そんな少女を見下ろして、ヨウさんが苦笑した。
「ケイ、夕飯はどうする?」
彼女が脱いだ白衣を受けとりながら、ヨウさんはケイに尋ねた。
「軽いのがいいな。玖円ちゃんと咲ちゃんはたくさん食べたい?」
「あたしたちもケイちゃんと同じのがいいな。ね、玖円?」
「うん。お願いするよ」
「そうか。では少し待っていてくれ」
「あ、ヨウ。今日ここで食べる」
「分かった」
「私もヨウ様のお手伝いを――」
「いや、私だけでいい。君もそこで待っていてくれ」
しばし沈黙したナツが、僕に顔を向けた。
「――玖円様」
「…ヨウさんの言うとおりに」
「――了解いたしました」
一度椅子から腰を上げた彼女は、再び座り直した。
*
「ああ、そういえば玖円ちゃんたちは[ドールズプロジェクト]の噂とか聞いてない?」
夕食をごちそうになった後、礼拝堂の祭壇で足を組んだケイがそんな風に切り出した。
「ドールズプロジェクト?」
「そ。被験アンドロイド輸送計画が正式名称」
……すごく関わりたくないような計画だ。一応、詳細を求めてみる。
「ぐ、具体的にはどういう……」
「うん? 言葉のまんま。何かの実験に使用するためのアンドロイドを輸送する計画だよ」
「どこに?」
「そこまではまだはっきりしてないんだよねー」
優しく光る金の髪をいじりながら、ケイは先の言葉を紡ぐ。
「ほら、玖円ちゃんがナっちゃんを拾った時の残業。あの時玖円ちゃんたちが運んでたヤツが多分輸送されるアンドロイドだと思う」
「え、生きてるのじゃなくて?」
「ナっちゃんは生きたまま箱の中で眠ってたでしょ」
「ああ、だったね」
「んで、輸送先も不明ならアンドロイドの用途も不明」
「ケイちゃんそれ、ただの噂じゃないの?」
「その可能性は低いだろう」
食器を洗い終えたヨウさんが、礼拝堂に入って来るなりケイの話を継いだ。
「玖円君が彼女を拾った数日前に、サニー社との裏取引で、使用済みかつ身体機能がある程度正常なアンドロイドを大量に買収した組織があったそうだ。その筋の人間の口から直接聞いた話だから、ただの噂ではないだろう」
それあたしが言おうとしたのにー、とむくれるケイを軽くあしらいながら、ヨウさんは彼女の座る祭壇のそばに控えた。
「そんな噂が立ってるのね…。全然知らなかったわ」
「確かに、白墓でそんな噂は聞いていないな」
「知ってる人は守秘義務が課せられてんだと思うよ。それでも、灰街ではだいぶ広まってきているみたいだけどね」
白墓内でその話題はご法度というわけか。人脈の浅い僕らの耳に届かないわけだ。
話がひと段落したところで、見計らったように扉の開く音がした。
「おーう、ただいまー」
「げぇっ」
ケイの筋の通った鼻にしわが寄った。硝がパーカーを脱ぎながら彼女につっかかった。
「げぇってなんだよ」
「ただいまって…。あんたんちじゃないし」
「いいんだよ。咲がいるところがオレの我が家だ」
「言ってろ変態」
「ハァ⁉ おま、今なん…っ」
「いい加減にしてちょーだい。今大事な話してたの」
「はーい」
咲に叱られた彼は納得いかない様子だったが、即座に返事した。そして何か思い出したように、
「ああ、オレ面白い話聞いてきたからそれ言おうとしてたんだよ」
「ドールズプロジェクトなら、もうケイから聞いたけど」
まさかと思って口をはさむと、硝は嬉々とした表情を一瞬でつまらなさそうなものへと変化させた。
「……なんだよ、面白くねえな」
「登場が少し遅かったな」
笑みを返すと、彼はぐしゃぐしゃと赤い髪をかいて再び話し出した。
「んじゃあ、これは知ってるかよ? なんかそのアンドロイドの数が合わなくて、それ探してるらしいぜ。で、運送課のミスかもっていわれてたらしいんだけどよ、なくなったのは一体だけだから、誰かが盗んだ、ん、じゃ……、ってオイ、なんで全員そろって死にそうな顔すんだよ。オレらに関係なくね?」
バカだ。こいつ本物のバカだ。
僕は思わず上を仰いで手で顔を覆った。隣でナツが「御気分がすぐれないなのですか?」と問う声に返事をする余裕すら奪われた。あー、涙でそう。
場違いに明るいポップスが、無言の礼拝堂に流れ続けている。ケイが頬を引きつらせてこぼした。
「……バカって才能よね」
「な⁉ …え、何、目が冷たいんだけど。やめろよ、その憐れむ視線。イヤイヤイヤ、ねえ! 咲までそんな目でオレを視んなよ!」
「硝、あんた冗談でとぼけているわけじゃないの…よね?」
「もちろん、オレはお前に対していつだって本気だぜ?」
「そういうの今いいから」
「咲ヒデェ!」
いつも通りの掛け合いも、今はこの場の空気を白けさせているだけであった。
状況を分かっていない硝に簡単に説明した。すると彼もようやく事の重大さを認識したようで、ナツを見ながら片目だけ細めた。
「それマズくね?」
「ああ。とんでもなくマズイな」
「なんか解決策はあったりすんのか?」
「ないよ。…どうしようもない」
「何も起こらないことを願うしかないわね」
そう。僕らに打つ手はないのだ。相手が誰なのかも分からない。はっきりしているのは、大企業であるサニー社がかかわっているということだけだ。
いくら考えても解からないことは解からない。僕らはまたケイたちに泊めてもらうことにした。しかし、泊まるからといって理由もなく仕事を休むわけにはいかないので、明日はきっと早朝に起きなければいけないのだろう。憂鬱である。
「夜更かししちゃダメよ。ケイちゃんやヨウさんに迷惑かけらんないんだから、ぐうたらしない。いい?」
「はーい」
僕と硝が声をそろえて返事をすると、咲は疑わしげな視線を投げてきたが、「ちゃんと起きてね」と念を入れて、ナツとともにケイの部屋へと入っていった。
僕と硝は以前と同じゲストルームに通された。そして以前と同じようにヨウさんは「何かあったら遠慮なく呼ぶように」と僕らに告げた。
そのままドアを閉めかけた彼だったが、ふいに思い出したように言った。
「ああ、さっき言っていなかったことがあるのだが」
「? なにか」
ヨウさんはいつもの仏頂面だったが、その両眼はどこか真剣さが増したように思える。
「さきほど硝君の話していたことについてだが……実は、私も知っていた」
「…それは」
「自慢っすか」
「とりあえず口を閉じろ」
ろくなことを言わない友人にとっさにツッコむと、彼はまじめに話を聞くそぶりを見せた。
「ケイに聞かせたくなかったので、あえて言っていなかった。玖円君、君にそのことで忠告がある。彼女――ナツ君をよく注意して見ておいた方がいい」
「なるべく…そうしてはいますが…」
「今以上に、だ」
語気を強めたヨウさんはとても迫力があって、正直怖い。
「大量の不良品からたった一体紛失しただけで、噂が立つほど探し回るなんて明らかに怪しいだろう」
「言えてますけど……」
「それだけ、彼女を手放せない理由があるはずだ。そっちの方は私もこれから調べようと思っているのだが……。君たちは君たちで何か対策を練ることを勧める」
「わ、分かりました。考えておきます」
「よかった」
ヨウさんの表情が少し和らいだ。けれど、すぐにいつものキリッとした顔つきに戻る。
「……そういやあ、ヨウさんなんでそこまでオレらにアドバイスくれるんすか?」
黙っていた硝が、突然そんなことを訊ねた。するとヨウさんは回答に困ったように間をおいて、
「君たちの助けになりたいというのもあるが…、ケイは君たちと関わることがとても楽しいらしい。彼女が危険なことに首を突っ込む前に、大事なく事を落ち着かせたくてね。……純粋な良心でなくてすまない」
「あ、謝ることないです」
「優先順位はあって当然っすよ」
すると目の前のヨウさんはわずかに口角を上げて微笑した。
「まあ、私にとってはケイの安全が最優先である。これは譲ることはできない。――とにかく、注意だけは怠らないでくれ。何かわかったら連絡しよう」
「あ、ありがとうございます」
「あざーす」
「では、おやすみ」
そんな風に声をかけて、ヨウさんはドアを閉めた。
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