僕の幸せ
「………長くなったね。眠くない?」
「いいえ」
あやふやだったりする記憶の断片を訥々と語り終えて、僕はうつむいて目を伏せた。重石を乗せられたような頭痛がする。言葉にすることで、頭の隅に追いやっていた出来事が脳内で再生されては別の場面に切り替わっていく。
「ははは……。――も、やだな」
勝手にしゃべり出して勝手に気分を悪くした自身に嘲笑を浴びせた。バカバカしいにも程がある。どうして僕はこんなに情けないのだろう。
「――貴重なお話を有難うございます。質問をよろしいでしょうか」
無言だったナツが、突然切り出した。すっかり投げやりな気分になってしまった僕は、適当に受け応える。
「うん。質問の答えがはっきりしているかどうかは保証できないけど」
気分で何も考えずに返事をするところは、ロクデナシの父に似ているのかもな。と、くだらないことを思考の端で考えた。
「有難うございます。――では」
ナツの口調は、あくまで単調を貫いている。
「玖円様は、何故ご自身を嫌っているのでしょう?」
ナツの言葉は、淡々と、僕を貫いた。
「―――――――――。」
何か言おうとしたけれど、すぐには出てこなかった。脳が考えることを停止したように、頭が真っ白になった。
「ナツには理解できません」
反応を求めるように彼女が付け加えたところで、ようやく麻痺したように固まっていた思考が再び、巡り出した。
「玖円様は、ご自身を嫌っているようにも、恥じているようにも見えます」
「自分が情けなくて恥ずかしいと思ってはいるけど。……嫌っているか。そうなのかな」
「無自覚でございますか」
「いや、心のどっかではそういう気持ちもあるのかも。でも、そうか。嫌っている、ねぇ」
なんかそんな気もする。
とはいっても、自分の気持ちを整理しようとすればするほどいろんな感情が見え隠れして、本当は自分が何を思っているのかとか、不透明になってしまうのだ。
「自分でもよく解かんないなぁ」
「ご自身のことなのに、ですか?」
「人間だからね。気持ちなんかあやふやにだってなるよ」
「そうですか。ヒトは自身の感情が解からないこともあるんですね。学習しました」
「そりゃどうも」
ここまで会話して、はたと気づく。僕の今の発言は、感情を持たないアンドロイドであるナツからすると、皮肉に聞こえただろうか。
「……なんか、ゴメン」
「――玖円様の謝罪に疑問を感じます」
言葉を言葉のままでしか受け止められないナツは、僕が謝ったことの意味も解していない様子だった。首を横に傾ける彼女に、僕はどうしていいか分からなくなって、手もとの缶ジュースに目を落とした。
「先ほど取り乱しておられた方は、玖円様のお母様ですよね」
疑問形なのか、確認なのかよく解からないニュアンスで言われ、僕は一瞬答えに困った。
「うーんまあ、そうだよ」
「玖円様はお母様がお好きなのですか」
「一応母さんだしね。あんな風になる前までは、僕にも優しかったんだ。一人しかいない家族だし」
「あのように悪意をぶつけられても、嫌いになられないのでしょうか」
ずかずかと質問を重ねる彼女に、僕は苦笑してしまった。
「いっそ嫌いになれたらいいんだけど……どうしてもね。親なんてなかなか嫌いになれるものじゃないよ」
「嫌いになられたいのですか」
「………それは」
――どうだろう。
確かに、もういっそのこと僕を見てくれない母さんを恨んで、憎んで、嫌いになってしまえたら、どんなに楽だろうと何度も考えた。でも実際、僕は母さんを嫌いたいのかと問われれば、そうでない気がする。そんなんじゃない。僕は僕を愛してくれた母さんを、嫌いになんてなりたくない。
「違うな。母さんのことを嫌いになれたら楽だけど、好きなままでいたい」
「ならば、そのままでよろしいのではないでしょうか。玖円様がご自身を嫌う理由が解かりません」
「きっと、このままでもいいんだよ。いんだけどさ、」
話しているうちにまとまってきた気持ちは、僕らしい、ひどくぬるくて情けないモノだった。
「また昔みたいに僕を見てほしいとか、それが無理なら母さんを嫌いになれたらとか、勝手に過去を夢見て、いつまでも思い出から目を離せない自分が嫌だ」
僕は缶ジュースから目を離し、目の前の雑踏を眺めながら続けた。
「いつまでも後ろばっか気にして、前が見れない」
咲みたいに現実だと割り切ることも、硝みたいに感情のままに行動をおこすこともできなくて、僕はいつだって中途半端だ。
「どうして、泣いているのですか」
黙りこくった僕に、ナツはそう訊ねた。びっくりして自分の目元に触れると、その拍子に滴が垂れた。僕は泣いていたのだ。
「……本当だ。でも、もう何で泣いてるのかも分かんないや。はは」
泣きながら笑っているなんて、滑稽なものに見えるだろう。けど仕方がないんだ。自分でもどうしたらいいのか分からないんだから。
「苦しいから泣くのでは?」
それはおかしいな。
今までだって苦しいと思うことは数え切れないくらいあったけど、泣くことなんてなかった。泣いてもしょうがないことだと理解している。
何も言わないでいると、彼女は僕の返事を求めずに続けた。
「人が辛い時や苦しい時に泣くのは当然の[事実]です。玖円様が笑うことに疑問を抱きます。苦しい時に泣くことは、助けてほしいというサインだといわれることもあります。ですから、玖円様」
無表情で無感情で無感動な、ゆえにそこにある[事実]のみを映しだす双眸が、
「辛いのなら、泣いてください。苦しいといってください。ナツは玖円様を支ることができる距離にいます」
真っ直ぐに僕を見ていた。
「人間の心の支えになるのもまた、アンドロイドの務めであります。玖円様は私にとって、支えるべき人の一人です。どうかおひとりで抱え込まず、私を頼ってください。ナツはここにいます」
それは、決して僕を慮っての言葉ではないだろう。同情や優しさなんてものは微塵も含まれていないに違いない。でも、それでも、だからこそ、僕は[事実]しかないナツの言葉に安堵した。
感情も意志も存在していないけど、彼女のそれは嘘偽りのない、僕に向けての言葉だ。
「――そうだね。ナツがいる」
「はい。玖円様にはナツがいます」
もちろん、完全に心を切り替えることはできない。でも、そばに自分を見てくれる人がいる。それだけでこんなにも、曇りがかった心が晴れてゆくものなのだろうか。
すべてを語り終えたのか、ナツは再び前を向き、機械的にジュースを飲んだ。少し動くたびつややかな黒髪が揺れる。あまりにもサラサラと動くので、僕はつい、彼女のそれに手を伸ばして触れてみた。
「――――」
ノーリアクションだ。僕が触っていることに気づいていないのではないかと思わせるくらいだった。軽く頬をつっついてみたけど、それも反応なし。それが逆に可愛く見えてくるのだから、僕もどうかしているのかもしれない。
「……ねえ、ナツ」
「はい」
ちょっとくらいなら、いいよな。
ほんの少し甘えてみたいのと、これでも彼女が無反応なのかという好奇心で、僕はナツに顔を近づけ、そのまま―――――
「えぇっ⁉ うそ! ――ムぐぅ」
まだ少女っぽい、聞きなれた声が聞こえた。声のした方を見ると、ちょっと離れた自販機のそばに咲がいた。後ろから彼女の口を押えるパーカーの方は、軽く誘拐犯に見える。……慌てているから気づいていないんだろうけど、丸見えだからな。バレバレだからな。
彼らを冷静に一瞥した直後に、自分が何をしようとしていたかを改めて思い出した。急激に全身が熱を帯びていった。このまま二人を無視していたい気分だが、あのままにしておくわけにもいかないので呼んだ。
「――――おい」
「…………」
「もう気づいてるよ。咲、硝」
咲は機嫌が悪そうに、硝は妙にムカつく愛想笑いを浮かべてこっちに来た。
僕は盛大に溜息をついてから、目の前に立っている彼らを見上げる。聞きたいことはたった一つだ。
「で、どのへんから聞いてた?」
「な、何も聞いてないしっ、あたしたちついさっき―――」
「お前の『ナツがいる』から」
「ちょッ、――もう、バカ!」
「いでっ!」
穴があったらその中で永眠したい。
*
「サイッテー。ほんとサイテー」
僕と硝の二歩先を、プンスカしている咲がナツの手を引いて歩いていた。僕は切り傷の方でなく、咲にはたかれた方の頬をさすった。まだジンジンする。
「だから……違うって」
「違わないっ! いやって言えないのをいいことにあんた何しようとしたわけ⁉」
むしろ嫌というかどうか試してみたかったのだが。でもまあ、出来心でやらかしてしまったわけだから、咲の言うこともあながち的外れというわけではない。反省しています。
「そうだぞ玖円。出来心でもやっていいことと悪いことがあるんだからな」
「年中無休の出来心が何言ってんの」
お前にだけは説教されたくない。
「ってゆうか硝、あんた! どさくさに紛れてあたしに何した!」
怒りか、それ以外の理由なのか、振り返った咲はちょっと顔が赤かった。硝の片頬にも、僕と同じようにビンタをくらった跡がある。
「いや、あれは仕方ないだろ。咲がでっかい声出すから焦っただけだって」
「後ろから抱きつくな!」
「たまにはいいじゃん。――あ、そういやお前デカくな…てちょっと待、うごぉ! …エ、エルボー………」
咲の肘が綺麗に入った。
「……それ以上言ったら咲が泣くよ」
「永遠にそこで呻いてろ!」
つうか何が「デカく」なったんだ。何触ってんだ。
結構本気で苦しそうな彼に苦笑し、前を向くと、咲と手をつないだままこっちを振り返るナツと目があった。
「どうしたの、ナツ」
「――ただいまの硝様の発言は、一般に軽蔑の対象となりうることを指摘します。お気をつけください」
非の打ちどころがない真顔でそれだけ言うと、ナツは前を向いて咲に引っ張られていった。感情が無いはずのナツにさえ怒られたような気がして、僕と硝は数秒硬直した。
再び我に返ったころには、彼女たちの背中が少し離れたところにあった。
「おーい、待てって。悪かったよ、咲。…硝、お前もなんか言って」
「事故だってーそんな怒るなよー」
「謝れよ!」
「ごめんな咲―」
「うっさい! ついてくんな!」
「帰る場所一緒だろーがー」
「六日くらいそこで反省してなさい!」
「んな無茶苦茶な………」
早足になる咲、それに引かれるナツ、後ろからなだめる僕ら。些細な日常が、どうしてだか嬉しく感じた。
一日を生きているのが精一杯で、毎日毎日働いて、親にさえ否定されて、楽しいことよりつらいことの方が多い。
それでも、誰かがそばにいることに気づけたら、それだけで僕は充分、これからも生きていける。
「あ? 玖円、お前なんでニヤけてんの?」
そう思うだけで、頬が緩んでしまいそうだった。
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