僕の決心

 ひとりで帰宅すると、店先でおじさんが作業机に向かっていた。

「ただいま、おじさん」

「おう、おかえり。咲と硝は一緒じゃないのか」


 おじさんは僕の方を見向きもせずに、ラジオらしきものをドライバーでいじっている。


「それがその……昨日咲と喧嘩しちゃって」

 少し言いにくかったが正直に白状すると、おじさんは短く笑った。

「わははは、そういや昨日の夜は騒がしかったな。何があった、え? 言ってみ」


 そこで気が付く。僕はおじさんに事情を何も説明していない。今更事の次第を話したところでもう遅いのだが、僕はおじさんに昨日の電話のこと、咲との喧嘩のこと、そしてさきほどの話をした。


 作業を進めながら話を聞いていたおじさんは、僕がしゃべり終えても何も言わずにラジオと向き合っていた。本当に聞いていてくれたのかどうか不安になっていると、おじさんが腰を上げた。そのまま二階へ上がろうとする。


「ここじゃアレだ。荷物置いて、茶ァでも飲みながら話そう」

 そう言いながら、おじさんは階段を上って行ってしまった。どうしよう。怒ってるかな、怒ってるよな。


 冷や汗をかきつつ自分の部屋に荷物を置いて居間に戻ると、おじさんがちゃぶ台の前で胡座をかいて腕を組んでいた。


「で、お前の言っていたことだがな」

 おじさんは大きくて無骨な手で自分の顎を撫でた。

「おれぁな、お前が悩むのは当然だと思う。ビビんのも当たり前だ。おれがお前の立場に立ってもそれは同じだ。だからよ、おれはナツを引き渡したのは別に構わん思うぞ」


 おじさんは僕を罵りもせず、慰めもしなかった。呆然と見ていると、慌てたようにおじさんは付け加えた。


「ああ、別に、ナツがどうなってもいいわけじゃあねぇぞ。だがこればっかりはお前が起こした問題だ。自分でケリつけなきゃならん。お前だってわかっているだろう、ん?」

「……でも、僕はナツを守ることが」

「だぁから、引き渡すのもアリっつったろうが。別に無理していい男になんかならんでもいい。情けねぇ決断下したって構わん。自分の身を守るための自己中なんて誰も咎めるこたぁない。この町の奴らのほとんどがそうやって生きてんだからな。ただな」


 おじさんは立ち上がって僕を見下ろした。その隆々とした体格に圧倒され、僕はただおじさんを見上げて縮こまった。

「何を選んでも、ねちねち後悔するようなまねはすんな。アイツを守ろうとして死んでも、自分を守ろうとして諦めても、後悔だけはすんな。プレッシャーに感じるこたねえが、お前の決定がナツのこれからを左右する。アイツを人間と思っているなら、お前にはアイツを生かしたという責任があることだけは忘れんな」


 おじさんは首にかけたタオルで汗を拭いた。そしてちゃぶ台の下からガラクタのようなものを取り出した。ビニールに入っていて、中身がはっきりわからない。


「あ、あの…これは」

「これはナツの頭についていたヘルメットだよ。ちょっと調べて見たんだが、見たこともねぇし聞いたこともねぇ様な特殊合金でできていた。ナツを取り返しにきた奴らがどんな人間なのかおれにゃあさっぱりだが、これも何か使えるんじゃないか」


 僕は袋の中を確認した。初めてナツに出会った時、彼女の脳をかせのように締め付けていたものだ。バラバラになったそれを手に取り、もう一度おじさんに目を向けた。


 話し終えた後も、おじさんは動かずに僕を見つめていた。僕も目を逸らせずにじっとしていると、やがておじさんはくるりと背を向けて居間を出た。


「おれはお前がなにを選んでも責めんよ。ナツがどうこう考える間に、お前はどうなのかを考えてみろ」

「……あの、どこに」

「部屋だ。少し寝る」


 おじさんが去ってからも、僕はしばらくの間正座した状態のままぼんやりとしていた。網野さんやおじさんの言葉が頭の中でぐるぐる渦巻いている。


「ただいまー」

 一階から硝の声が聞こえた。咲はいないのかと思ったが、階段を上る足音は二人だった。

「だからさ、玖円も怒ってなんかいないって」

「そんなの分かってる。でも、あたしってば―――」


 居間に入ってきた彼らは、立ち尽くしている僕を見て固まった。

「おう、玖円帰ってたのか」

「……うん、おかえり」


 一瞬の沈黙ののち、咲がふと気づいたように口を開いた。

「あれ、ナツは……?」

 僕は何も答えることが出来なかった。何を言っても、許されることはないと思った。


「玖円、あたし、ね」

 黙ったままの僕に、咲は語り出した。


「今日ずっと考えてたんだけど、ナツのことはとっても大事。でも、それは玖円だって同じだってちゃんと理解してるつもりだから。……だから、昨日はごめん、なさい」


 ああ、咲は何も悪くないのに。謝る必要なんてどこにもないのに。

 僕は彼女が小さく頭を下げるのを見て、それでも返す言葉が見つからなくて、罪悪感で息がつまりそうだった。


「で、お前は結局よかったの?」

 僕と咲が互いに黙っていると、硝がそんな風に割り込んできた。

 フードの奥から、けろっとした表情でこちらを捉えている硝は、せめているわけではなく、ただ単に僕の気持ちが気になって聞いたようだ。


「いい、わけないけど」

「じゃあどうすんだよ」

「ナツを取り返したい。でも僕一人じゃ何もできやしないだろう」

「え?」


 え?ってなんだよ。


「俺も手伝うつもりなんだけど」

「え?」

「おいおい、え?ってなんだよ。あのな、お前一人だとどうしようもないことくらい、俺にだって分かんだぜ? それにさあ」


 思わず口が半開きのまま硝を見つめる。彼は首筋を掻きながら笑った。

「俺だってナツは家族みたいなもんだと思ってたし、ナツがいないと咲がいつまでも立ち直れそうにないんだよな」


 落ち込んでる咲もアリだけどさ。そう付け加えた硝を一瞬睨みあげて、咲が僕の方に視線を戻した。

「そうよ! ナツが大切だと思ってるのは玖円だけじゃないんだから! あたしだって手伝いたい!」


 僕は二人を交互に見た。僕よりもずっとまっすぐで、迷いのない表情だ。


 彼らの気持ちに応えるような答えを、僕はまだ持っていない。だからせめて自分の心内を正直に明かそうと、僕は黙って自分の心を振り返った。天井からつるされた照明にたかる羽虫の音だけが、三人が立ち尽くす居間に響く。


「僕は、まだどうしていいか分からないんだ」

 やっとのことで、僕は少しずつ二人に語り出す。


「どんなことをしてでもナツを取り戻したい気持ちは、ある。でも、僕だけじゃ無理だってことも分かり切っているし、かといって二人まで危険な目に遭わせるようなこと、していいのかも分からない。それに、相手が今どこにいるのかさえ分からなくて、ナツを助けるとして、だからって何をすればいいのか――――」


「そんなの、決めてから考えればよくね?」

 僕のごちゃごちゃな本心を、硝はあっさり短く遮った。

「き、決めてからって……」

「まず助けるかどうか決めるのが先だろ? あと、俺はちょっとくらい危なくても問題ないぜ」

「あ、あたし、も……危ないことはよくないけど! ………ナツのためなら、頑張れるよ」

「っつーわけだから、あとはお前次第」


 僕はこんなにも励ましてくれる、頼りになる友達がそばにいるのに、何で一番頼りにならない自分だけでグダグダ考えていたのだろうか。

 彼らは本心からナツを助けようとしているのに、僕がこんなに悩んでいては、硝と咲に申し訳ない。


 僕は深く呼吸をして、彼らを見つめた。そして勢いよく腰から上を折り曲げる。


「協力してください」

「当たり前じゃん」

「任せろ」

「………ありがとう」


 ぽかりと、僕の頭の上にこぶしが二つ置かれた。なんだか急に勇気が湧いてきて、僕は胸につっかえていたものが取れるような感じがした。

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