僕の厄介ごと
「おー玖円お帰り。なんか今日やけに遅……ぬあっ⁉」
やはり人ひとり抱えて帰ってくるのはキツかった。を持った硝が二階に上がってくるなり倒れた僕を目にして、予想通りの反応を見せた。
倉庫の中で散々迷った末、僕は壊れた箱の中に入っていたアンドロイド少女を持ってきてしまった。結構遅くまで残業していたため、白墓内にはほとんど従業員がいなくて助かったが、メインロードはさすがに通ることはできなかった。そのため路地裏なんかを通って遠回りの帰宅をしたのだった。人を抱えていつもの倍近く歩いたおかげか、全身汗でびしょびしょ、喉はカラカラである。水を要求したいが、口からは荒い呼吸しか出てこない。こっちが死にかけているというのに、目の前で呆然と突っ立っている男はそれに気づいていなかった。
「お、おまっ、お前っ…!」
「み、みず…」
言えた。水って言えた。しかしその必死の要求は硝に届かず、
「だ、誰だよその女! 怪しい目隠しまでして……。お、オレだって咲に一度もそんなぐほっ」
興奮した硝は、様子を見に来た咲に脇腹を殴られ静かになった。咲は倒れている僕とアンドロイドを見て「うわ」と声を上げ、途端にあたふたしだした。
「え、ちょ、玖円何してんの? ちょっとこれはヤバイって。どこで何してきたのよ⁉ アンタまで硝みたいになってどうすんの!」
「イヤ、オレこんなことしてないし」
「でもしたいでしょ?」
「咲が相手なららららいたいいたい耳引っ張るのナシいててててててて!!!」
「……拉致、ない、し―――」
いいから、水。
その言葉を声にして発する前に、限界に達した僕の意識は停止した。
*
パタパタ、パタパタパタパタ。
前髪を揺らす風に合わせて、何かがパタパタと音を立てていた。僕個人の意見としては、もう少しこの微風と規則正しいパタパタの中でまどろんでいたいところだったが、少しずつ覚醒しつつある意識と頭痛がそれを許さなかった。
徐々に瞼が軽くなり、僕はゆっくりと目を開けた。
「あ。起きた。大丈夫?」
僕に向けて団扇を仰ぐ咲が、隣にしゃがみ込んで心配そうにショートボブを揺らした。片手には水の入ったコップを持っている。
「はい。これ飲んで」
「ん、ありがと」
コップを受け取り、水を一気に喉に流し込んだ。頭痛が少し和らいだ。それから大きく息を吸って、吐いて、少し落ち着いたところで、僕がツギだらけのソファに寝かされていたことを知る。
「あ、あの子は……」
「ああ、さっき――」
「おっさんが咲の部屋に連れてった」
咲が言いかけた時、台所から硝が出てきた。両手に今日の晩ご飯らしきものを持っている。
「ほら。食えるなら食っといたほうがいいぞ。オレたちはもう済んだからよ」
「あ、ああ……」
言われて、自分の胃の中が空っぽであることに気づいた。お言葉に甘え、目の前の食事をほおばった。
僕が食べ終わって、風呂から上がってくると、居間に咲、硝、そしておじさんと、三人が揃っていた。居間と言ってもつぎはぎソファと小さなちゃぶ台があるくらいなので、おじさんがソファを占領し、咲と硝はちゃぶ台の前に座っていた。
「玖円。ちょっと話がある」
「………ですよね」
異議を唱えることなく、僕は硝の隣に座った。隣の二人はそうでもないが、僕だけ無意識に正座していた。
「あの……」
「アレはアンドロイドだろ」
さっそく図星を指された。
「わ、分かるんですか?」
「首にゴム金属が取り付けられていたからな」
そういえば、首輪のようなごつい装飾があった気がする。僕がソレを思い出そうとしていると、おじさんが話を続けた。
「ありゃ一昔前のアンドロイドと同じと見たぞ。最新型ではないな」
「はい。ワンコインロボットですから」
ワンコインロボットとは、四時間百円、丸一日五百円でレンタルできるアンドロイドのことである。この低コストはおそらく、最新技術を使ってないからなのだろう、とおじさんは言った。
「残業で何をどうミスったらこんな事態になるんだ」
「いやあの、それが………」
たいへん言いにくかったけど、僕は訥々と事の次第を語った。隣からの咲と硝の視線が痛い。おじさんは僕がしゃべっている間は終始無言で、それが逆に怖くて、ずっと畳を見つめていた。
僕が話し終えると、おじさんはしばらく無言で、大きく嘆息のような息を吐いて、
「―――ぶっ‼」
吹き出した。
「ぶぁはははははは‼ ば、馬ッ鹿でェ! よりにもよって最終日でしくじるとか…! しかも、出てきたのが、お、女……! 羨ましいなあ!」
予想外のリアクションに唖然とする僕。横の二人もおじさんほどではないけど笑っていた。
「ほんと羨ま…しくないけどな、別に。オレには咲がいる痛いって」
おじさんに共感しようとした硝が慌てて言いかえると、それはそれで咲の気に触れたらしかった。硝が腕を抓られ呻いた。僕の中では結構重いことを話した気でいるのだが、三人はいつも通りの軽いノリだった。なんだか、沈んでいるこっちが馬鹿らしくなってきた。
おじさんは散々笑って、いい加減こちらが鬱陶しく感じてきた時に、しわだらけの目じりに浮かんだ涙を拭った。
「いやあ、まあ、なんだ。どうせ他にもたくさんあったんだろ? そんならいいんじゃないか? 一つくらい盗んでも」
「いや盗む気はなかったですよ?」
「だが結局無断で持ち帰ってきたことには変わりないじゃあないか。とにかくだ。対処法がわからん以上はあのアンドロイドを家で管理することを許可する。眠りっぱなしにしておきたいならそれもよし、起きてほしいなら……それは自分で考えろ」
「――はい」
僕はほっと胸をなでおろした。おじさんが理解ある物好きで本当に良かった。
*
おじさんは僕の話を聞くことだけが目的だったようで、お説教されるかと思ったけどそんなことはなかった。おじさんに「三人で協力しろ」と言われた僕らは、さっそくアンドロイドが眠る咲の部屋へと移動した。
「んー、まあ、ね……」
別に期待していたわけではなかったけど、咲の部屋は妙にさっぱりしていて、なんというか、華がない。極貧生活に華を求めるのはどうかと思ったけど、僕と硝の部屋より少しだけ狭いそこは、小さな本棚と小さな机、そしてやはり僕らと同じ小さなベッドがあるだけだった。
「恥ずかしいからあんまりキョロキョロしないで」
机とセットになっている、唯一の椅子に座りながら彼女が言った。キョロキョロするも何も、興味のあるものは何もない。さっき本棚を見てみたけど、作者名らしき「芥川龍之介」の「芥」という字が読めなくて手に取る気も失せたのだ。ちゃがわりゅうのすけ…いやちがうか。
ところで、最終学歴は咲が中学校卒業、僕と硝は中二の途中で、家庭の事情で特別退学をしている。一年とちょっとの学習量の差で、読める文字も違ってくるのか。と今更のように思ったけれど、たぶん僕と硝の頭のできが悪いだけかもしれない。
僕はベッドにダイブしようとする硝の首根っこをつかんで、しっかりとベッドの端に座らせる。僕もその隣に座った。
「さて…と。どうしよっか、その子」
僕らの背後には寝息すら立てずに眠るアンドロイドがいる。咲がソレを眺めて呟いた。本当に生きているのかどうかも疑わしいが、薄いシーツをかぶった胸がわずかに上下しているので、呼吸はしているようだった。
「どうするっつったってなあ。このまま寝かしておくのも、…なんかなあ」
「あのヘルメットみたいなのって取れるの?」
「いや、どうだろう」
そもそも、あれって取れるようになっているのだろうか。
「おじさんに頼めば、最悪、力ずくで壊してくれんじゃね?」
「あ、ダメ。今おじさんがチェーンソー持って、ヘルメット破壊しようとしてるところ想像しちゃった」
咲がそんなことを言うので、僕は曖昧に笑った。提案した硝でさえも、頬を引きつらせて「いや、冗談だから。そんなことさせないから」と付け加えた。
数秒、気まずい沈黙が部屋を漂った。あまりに静かで、アンドロイドの寝息が聞こえてくるような気もした。
「……でも」
咲が切り出した。このさい、何が「でも」なのかは触れないでおこう。
「でも、その子を起こす…っていうのは、二人も同じ意見なのよね?」
「ああ」
「ん、まあな」
そういって僕らは少し笑った。そうやっていると気が軽くなったのか分からないが、僕は突然ひらめいた。少し金はかかるけど…これなら。
「なあ、ケイに相談しにいかないか?」
そう提案すると、二人は一瞬固まり、
「あ…そっか、そうだよね。最近会ってないから全然思いつかなかった」
「まあ、アイツんとこ行くのが一番妥当っていや妥当だな。金はどうすんの?」
「それは…会ってから考えるよ。どっちみち医者にかからなきゃなんだし、ケイの腕は信頼できる」
「ヘルメットどうすんの? アイツ医者だけど、さすがにコレ取り外しはしねえだろ」
まだその問題が残っていた。考えたが、何も妙案が思いつかない。
「やっぱ、おじさんに……」
「だ、だよな」
「まあ、それ以外に方法もないから」
僕らは可哀そうなアンドロイドを一瞥した。起きる前に事故死したらどうしよう。
「じ、じゃ、決まりね。いつ行く?」
気を取り直したように、咲が机の引き出しから手帳を取り出した。しっかり者の彼女は僕らの仕事のスケジュールまで管理してくれているのだ。
「んーと、今度のあたしたちの休みは…次の金曜日。あと四日後ね」
僕らはなるべく、月一の休日がかぶるように会社に申請している。三人とも課がが違う上に人手もそれなりに足りているので、その申請もわりと受け入れられていた。今月も三人一緒の休日となっている。
「四日か。大丈夫かな」
「何とかなるんじゃないの? 少なくとも三日間は普通に眠り続けてたんでしょ?」
「まあね」
「なんか久しぶりに面白いなあ」
硝がニヤニヤしながら呟いた。咲に「不健全」と言われて顔を引き締めようとしていたけど、それでも楽しそうなのが隣から伝わってきた。思わず苦笑いがこぼれてしまった。
「もう。よく考えれば結構深刻なんだから。玖円も先輩にバレないようにしてよね。笑い事じゃないのよ?」
「咲、くち」
「え?」
僕の指摘に、咲はキョトンとした。彼女の口はわずかにほころんでいる、なんだかんだで、楽しいんだな。
「笑ってるよ、くちが」
「う、わ、笑ってないっ」
慌てて口をとがらせ、彼女は拗ねたようにうつむいた。しっかりしているのか、幼いのかよくわからない。
「と、とにかく、四日後ね。それまでその子はあたしの部屋で管理してるから」
「異議なーし」
「わかった」
僕と硝の答えを聞いて満足そうに機嫌を直した咲は、「会議終了。出てった出てった」と僕らを部屋の外へ追いやった。
「お?」
部屋から出てすぐ、硝が何かに気づいた。ドアを閉めかけた咲も、自分たちの部屋に戻ろうとした僕も、動きを止める。
「どうした?」
「咲、お前の部屋にはアンドロイドが寝てんだよな?」
「うん。さっき見たでしょ」
咲が答えると、硝が途端に舞い上がった。あ、もしかしてこいつ。
「え、じゃあ寝るとこなくね⁉ なんならオレのベッドにあがっ!……じょう、冗談だか、ら」
………どこまでも不健全なヤツだな。
聞いてみれば、しばらくの間、咲はおじさんの部屋を貸してもらうらしい。おじさんはソファで寝るらしかった。ちょっと申し訳なかったので、朝おじさんにお詫び申し上げると、
「なに、構わんよ。人が増えるのは賑やかになっていいじゃないか」
「いやでも、僕がここで寝るんで、おじさんは僕のベッドを…」
「バカヤロウ。オレの体があんな小さいベッドにはまるか」
ううん。それは言える。でも、やっぱりここで寝てもらうのは申し訳ない。
「なら、おじさんは自室で、咲を僕の…」
「阿呆。そんなことしたらお前、咲と硝二人で寝かすことになるだろ」
ああ、それはヤバイ。かなりヤバイ。
結局、おじさんはアンドロイドが起きるまではソファで夜を過ごしてもらうことになった。
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