僕の残業
次の日も、僕らの一日は単調に過ぎて行った。
何やら危険なにおいのする残業も、特に危ないことに巻き込まれるような兆しもなく、順調に進んだ。
そして迎えた残業最終日。
昨日、一昨日とほぼ同じ時間帯に僕と網野さんはノルマを達成して、例の第七遺体倉庫に足を運ぼうとする時だった。
「玖円君。あたし今日残業パスするわね」
「あ、分かりま……ええ⁉」
突然の仕事放棄。開いた口がふさがらなくなったのはこれが初めての経験だった。
「あ、あの、ななん、何で」
「子供に会いに行くのよう。ほらぁ、前に話したしょう? 地下都市の児童養護施設に預けてあるって」
「いや、言ってましたけど」
だからって何故今日なのだ。その理由はすぐに分かった。
「それでね、今月の面会は今日以外とれなかったのよ。ホントは一昨日に言っておこうと思ってたんだけど、面倒で忘れちゃってたわ。ごめんねー」
忘れないでくれ、頼むから。
どこまでも無気力な上司に言葉返せず、僕は「そうですか…」と投げやりな返答をした。だがそんな理由がある以上、先に帰ることに反対はしない。むしろ早く帰ってお子さんと月に一度の再会をしてほしかった。
「……分かりました。じゃ、僕が今日で頑張ってみます。お子さんと楽しんできてください」
「じゃあ、よろしく。今度ジュースでも買ってあげるわね」
「はーい」
また明日ね。はいお疲れ様です。いつも通りのあいさつを交わし、網野さんは女子従業員専用ロッカー、僕は第七遺体倉庫の方向へと別れた。
*
「うーん………」
僕は一昨日より三分の二ほど減った、それでも十分やる気をそぐだけの量が積まれている木箱の山を見上げた。網野さんにはああいったけど、やっぱりコレ、一人で全部やるのは無理かもしれない。
仮にもし、コレを今日中に運びきることができなければ、僕と網野さんはどうなるのだろう。少し想像をめぐらしてみたが、すぐに怖くなって思考を中断した。よし、今日で終わらせよう。
僕は決意を新たに、とりあえず山のてっぺんの箱をどうやって降ろすか考えながら、脚立を組み立てた。
自分で言うのもなんだけど、僕は細身だが力は結構ある方だ。毎日ヒトの入った箱を運んだり積み上げたりしていたので、当然の結果として腕力が鍛えられている。だから箱を担いで脚立を下りるというまねも、案外すんなりクリアできた。お、これはいける。そう思って脚立に登り二つ目も担ぐ。
ちなみに僕らの使用している脚立は普通より少し大きめで、僕の背丈の一・五倍くらいある。折り畳み式だけどまったく不安定なところがなく、若干姿勢が崩れても危険ということは一度もなかった。
でも、さすがに無理だった。
箱と自分の体重の、バランスのとり方を誤ってしまった。
脚立は微動だにしなかったけど、僕は体勢を崩してしまったうえ、パニクって状況を悪化させてしまった。
「の、お、うぉぁあ‼」
横に倒れる形で、箱を担いだまま脚立から落下した。なおもビクともしない脚立が、落ちていく僕をバカにしているような錯覚を覚えた。
しかしそれも一瞬のことで、すぐにいろいろと破壊された音があたりに響く。横向きに落ちたせいで腕が激しく痛んだ。
「ってぇ…!」
折れてはいないようなので、とりあえず安心した。丈夫でよかったと心から思ったところで、目の前の光景に、落下して死んだ方がマシだったかもと後悔した。
アンドロイドの遺体を入れる箱は、作業の効率化を図るため、直接燃やしても有害物質の出ない、かつ安価な木材が使用されている。さらにコスト削減のため、箱は割と薄めの木の板で作られている。
その箱が大破していた。
粉々、というわけでもないが、少なくとも再生不可なくらいにバラバラになっていた。中身は衝撃緩和用のクッションにくるまれたまま床に転がっている。一目でわかる緊急事態だった。
「うわ、え、どうしよう――」
背中から変な汗が噴き出る。ヤバイ。本当にどうしよう。僕の頭は真っ白で、打開策なんてものを絞り出してはくれない。それでも状況を改善せねばと思い、僕はとりあえず残っている箱を全て運びきることにした。それくらいしかできない自分が情けない。
そこからの僕の仕事のスピードはものすごかったと思う。最初の二つと同じように脚立から担いで下りたけど、人はピンチに陥るとどんな力を発揮するのか分からないものだ。バランスを崩すなんてことは一度もなく、ただただ無心に箱を運びきった。無論、大破した箱と投げ出されたアンドロイドは放置したままだ。
僕は作業を三時間で終わらせた。我ながら褒め称えたいと思った。でも、そんな自画自賛は目の前の緊急事態に引っ込んでしまった。
幸い、箱の中身はクッションにくるまれていたので無事なようだった。散らばった木片を綺麗に証拠も残さず掃除し、改めてそのアンドロイドを見た。
恐る恐る巻かれているクッションを取り去る。
「あ……」
中のアンドロイドは女性だった。
鼻から上がヘルメットみたいなもので覆われているので確信は持てないが、たぶん僕と同じくらいの年だ。袖のない、首と腕を通す穴をあけただけの純白の衣服から、それと同じくらいに真っ白な手足がすらりと伸びている。ヘルメットのようなものからはみ出した黒髪は、肩口できれいに切りそろえられている。顔が見えていないのに、不覚にも一瞬見惚れてしまった。
でもすぐにそんな感情を振り払い、コレをどうするべきか思案する。他のアンドロイドと同じ倉庫に持っていくのが無難か。
そう考え、僕がソレを抱き上げようとすると、
す、とアンドロイドの腕が動いた。
それは硬直した僕の手首を弱弱しくつかみ、
何事もなかったかのようにまただらりと力を抜いた。
「………」
アンドロイドの上半身だけ起こした状態で、僕はしばらく動けなかった。恐怖からではない。このアンドロイドの見せた行動が、まるで助けを求めるように思えて仕方がなかったのだ。
でも、アンドロイドには感情がない。
それは絶対に覆ることがないと聞いている。
じゃあ、今の動きはなんだったのだろう。
僕は、コレをどうしたらいいのだろう。
腕の中のアンドロイドは小さく呼吸するだけで、何も答えてくれない。
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