僕らの生活
これもまた、僕が中学のころに社会科で教わったことの一つで、やけに鮮明に覚えている話である。
アンドロイドとは、日本が第三次世界大戦終結直後に開発した、斬新かつ画期的な発明品と言われている。
俗に世界核戦争と呼ばれる第三次世界大戦は、当時の問題だった人口爆発を一気に解消した代わりに、人手不足という問題を世界中で発生させた。戦争そのものに参加していない日本は、国内は無傷であったが、海外進出していた大手企業は大打撃だった。戦争で働き手を失って、さらに核兵器で世界の五分の一の人間が消え去って、国外どころか国内の事業すら危ぶまれてしまったという。
そこで我らがサニー社の打開策がアンドロイド。
試験管ベビーを買い取り、人としてではなく、ヒト科の動物として育て上げ、一定の年齢に達した時、脳内にナノチップというものを埋め込んでロボットにするという発明をした。最初こそ大規模なデモが各地で巻き起こるほどに反発されていたらしいけど、人間どんなものにも慣れていくもので、十年経てばアンドロイドは生活の一部となっていたようだ。開発当初は首とか背中にもいろんな機器を取り付けていたみたいだけど、現在の最新型はナノチップ一つでなんでもこなしてしまう。ちなみに貧乏な僕はまだこの目で最新型を見ていない。
サニー社は身を粉にして我々に仕えるアンドロイドに、生物として安らかな死を、とよく分からない道徳的理由で白墓を建設した。人と同じ形の彼らに人と同じ墓で最期を迎えさせることで、アンドロイドへの敬意を示しているようである。網野さんは慈善事業で僕らを雇っているって言っていたが、人の手で葬ることで、またアンドロイドに敬意を示しているのでは……って今思った。
と、こんな感じの出来事が、僕らの仕事の背景にはあって。
当然、仕事場に近いところには人が棲みつく。
白墓で働く人たちは僕らと同じくらい貧しい人たちが多いので、白い墓石の周りは貧民街と化していた。
もちろん治安はいいとはいえず、一般人に混ざってアブナイ人たちも街を出入りする。
黒と白の交錯する街は、みすぼらしいという意味も込めて灰街と呼ばれていた。
*
僕と硝はいつも通りみすぼらしくも騒がしい、灰街のメインロードを歩いた。
取り壊しが面倒なのか、ただ単に取り壊す費用を惜しんでいるのか、この辺は背の低いビルが百年近く前から残されていたりする。誰も管理する気がないので、ビルには落書きし放題。普通の店に交じっていかがわしい産業が発達している。
「おにーちゃーん。一緒に遊ぼー?」
安っぽい水商売のアンドロイドが声をかけた。僕ではなく、硝に。聞いた話によると、彼女たちは視覚、聴覚を通して通行人の仕草から感情を読み取り、店に来てくれそうな気配のある客を見分けているのだ。実に効率のいい商法である。現に、隣の男はちょっと迷ったように自分を呼び込むアンドロイドをチラ見した。僕は仕方なく、彼をこちらに引き戻す魔法の言葉を口にする。
「咲」
「――わかってるって。金ないしアンドロイドに興味ないし」
じゃあ残念そうな顔をしないでくれ。
通り過ぎる居酒屋からは怒声と面白がるような笑い声が溢れ、錆びた鉄ベンチに腰を下ろすカップルはお互いしか見えていないように肩を寄せ合い、僕らのような仕事帰りのおじさんたちが、今日はこの店に行きたいいやあの店がいいと議論している。活気に満ちているとまではいかなくても、それなりに楽しそうな人々は、思い思いに少ない娯楽を堪能しているようだった。
歓楽街であるメインロードを外れると、途端に静かになった。百年前からとり残された建造物を改築してくれる者などいるわけがないので、個々に廃材やトタン板で補強した家から明かりが漏れている。蔦の這う壁を曲がり、僕らは家路についた。
[
「おかえりー。二人とも遅かったね」
生活の場である二階に上がると、咲がショートボブをタオルにくるんで僕らを出迎えた。湯上りで血色がいい彼女は、ベアトップにショートパンツという格好だった。なかなかに無防備で目のやり場に困らなくもない——しかし一緒に住んで三年余り、知り合ってからを含めるともう十数年もの付き合いだ。ちょっと妹みたいな彼女の雰囲気も相まって、今更ドギマギするようなことはなかったし、咲もそれを知っていた。
「お、ちょ、咲っ、そんな大胆な……‼」
例外もいるけど。
「おまっ、嫁入り前の娘がそんなに露出していいと思ってるのか!」
「ホントにそう思ってるなら肩に腕を回さないで。お風呂入ったんだから汚れるでしょ」
「イエス」
ぱしっと手をはたかれ、素直に従う硝。でも咲が今日はいつになく辛辣だなあ、と思っていると、
「………おなかすいた」
彼女の不機嫌の理由はどうやらそこらしい。まあ、お金のない僕らにとっては食事が娯楽とストレス解消も兼ねていたりするので、無理もない。
「あー、ゴメン。今作るから」
咲に苦笑を返し、パーカーを脱ぎながら硝は台所兼食卓へと向かった。容姿も態度もちゃらんぽらんなのに、料理だけは僕らの中で一番上手なのだ。残り物やちょっと痛んだ食材なんかも、食べられるようにしてしまうのだから不思議である。
「なんか余ってるものとかある?」
ちなみに食材を調達するのは明るくて大人からも受けのいい咲の得意分野であった。女の子はお得だ。
「居酒屋のおばちゃんがニンジンとキャベツとお刺身くれた。痛んでお店で出せないんだって」
「オッケ」
小さな冷蔵庫から食材を漁る硝。咲は先ほどまで読んでいたらしい本を読み始めた。現代は電子媒体が一般となっているので、彼女の読んでいる本も随分と年季が入っている。僕はというと、特に何もすることがないので、居間に寝そべってただ目を閉じていた。
うとうとしかけたころに、食欲をそそるいい匂いが居間までただよってきた。食卓に入ると、咲がご機嫌なのを隠しているのが見え見えの仏頂面で椅子に座っていた。硝はそれを見て和んでいるのが見え見えのにやけ顔で、今夜のメニューをニスの剥げたテーブルに並べていく。皿には野菜炒めと魚の素揚げがのっかっている。香ばしい匂いが鼻孔をくすぐった。
「玖円、おっさん呼んできて」
「りょーかい」
僕は居間を通り過ぎ、細い廊下に出た。居間の隣がおじさんの部屋になっているのだ。薄い扉を形だけのノックをする。
「おじさん、夕食です。起きてください」
中から「ん、そうか。帰ってたのか。おかえり」とくぐもった声が聞こえた。帰宅に気づいていなかったということは、やはり寝ていたのか。着替えている音が聞こえたのち、大柄で筋肉質な壮年の男が出てきた。この家の主であり、事実上僕らの保護者である酒石さんその人だ。
酒石さん――おじさんは、いろいろあって親と暮らせない、暮らしたくない僕らに寝床を提供してくれる恩人である。掃除や食事の世話などを条件に、僕らの面倒を見てくれる人で、見た目通り力仕事も得意な五十代なのだ。そんな頼れるおじさんは眠そうに大きな口を開けた。あくびだった。まるで冬眠から目覚めた熊だ、と思ったことはもちろん内緒である。
「よう、いい匂いだ」
僕が思ったことと全く同じ感想を口にして、おじさんは軋む椅子にどかりと座った。
「おっさん寝てたの? そんなんでよく夜も眠れるな」
「バカヤロウ年寄りは体力がねえんだ。休息が必要なんだよ」
「睡眠は結構体力使うみたいよ」
「俺はまだ若いからな」
言っていることがちぐはぐだ。咲と硝もこれ以上突っ込むことが不毛と気づいたらしく、何も言い返さなかった。僕が椅子に座って、最後に硝が僕の隣に着席したところで、おじさんがばしん、と音を鳴らして手を合わせた。
「はい、じゃあいただきます」
「いただきまーす」
おじさんの掛け声の後に声をそろえる僕ら。硝の料理はいつも通りおいしかった。
「そういやあ、お前ら二人は遅かったな。残業か?」
おじさんが素揚げを口に含みながら訊ねてきた。
「おう。オレは休んだ先輩の分まで遺体運んでたら自分のノルマ達成できなくてさ。ちょっと遅れた。あ、玖円、お前何で残業してたの? お前の上司って時間通りにこなすヤツじゃなかったっけ?」
硝が思い出したように言った。僕は説明することを少しためらったが、この三人ならだれにも口外しないだろう。今日の残業の事情を簡潔に話した。
「……そりゃ完全に臓器売買のルートに流されるな」
一通り話し終えると、おじさんが最初にそう言った。
「ですよね。網野さんはどこまで知っているのか分かんないですけど、僕は正直何も知らない方がよかったな」
「玖円はちょっと危なっかしいとこあるもんね」
すっかり機嫌が直った咲がからかうように笑った。それを見て幸せそうにしている隣の男が、何故か腹立たしい。
幸せ男は放っておいて、僕はおじさんに気になっていたことを聞いた。
「アンドロイドにも、人権みたいなものはあるって聞いたことあるんですけど」
「ああ。俺も詳しくは知らんが、ペット以上人間以下の権利はあるみたいだな。まだその辺は曖昧なんだろ」
「でも、一応あるんですよね」
「まあな」
「んん?」
唸ったのは、僕ではなく咲だ。彼女が首をかしげると、結んだ前髪が小さく揺れた。
「じゃ、臓器売買ってアウトじゃん」
「だから非公式の残業だったんだろ」
「あ、そうか」
納得する僕と咲。硝はというと、やはり咲にデレデレするばかりで話に入ってこない。ちょっとは聞く姿勢を見せろ。
「白墓に送られてくるのは生物的にまだ生きていけても、道具として死んだモノがほとんどなんだろう? 臓器は元気なんだから、それを有効活用しようってヤツも出てくるもんさ」
おじさんはがぶがぶと水を飲みほし、
「とにかく、深入りしない方がいいことには違いない。一歩間違えたらもとの生活にゃ戻れなくなるぞ。ここはそういう街だからな」
と、網野さん同様の忠告してくれた。
その後はおいしい食事を堪能し、三階の自室に上がる。ちなみに僕と硝は同室で、隣に咲の部屋がある。硝は咲への感情が大っぴらなわりに意外と彼なりの線引きがあるようで、部屋に押し入るなんて事件は三年間一度も起きていない。起きていたらおじさんに殺されているかもしれないけど。
必要最低限以外に、僕と硝それぞれの家具や私物はほとんど存在しない。互いに部屋を飾る趣味がないとはいえ、なんだか倉庫みたいで味気ないとは思う。とはいえ、今後も模様替えの予定はないのだが。
「眠いなら早く風呂に入ってこいよ」
「いや、あとででいいわ」
声をかけると、まくらに顔を埋めたままの硝はくぐもった声で答えた。 僕は先に風呂に入るべく、タンスから部屋着を引っ張り出した。
おじさん特製のベッドに寝そべり、硝が、
「あああー。明日も仕事だー。でも咲が可愛いからいいや」
と初めて聞く人ならドン引きするようなセリフを、今日も繰り返した。思わず苦笑が漏れる。
「硝さ、咲のことどう思ってるの?」
「え、超好き。あ、ライクとかリスペクトじゃなくて、ラヴのほうな」
「………」
なんでそんなにさらっと言えるのだ。だがこっちが赤面するようなことを顔色一つ変えずにはっきり主張できることが、硝の強みかもしれない。彼のその奇妙なほどの潔さを、僕は少しだけ羨ましく思った。
「それがどうした?」
なにを今更。と不思議がるような目で硝は言った。
「いや、聞いてみただけだよ。そういえば最近お前のケンカ友達は見かけないけど、集まったりしていないのか?」
「あー」
やや無理矢理に話題を変えると、硝はベッドにあおむけになった。最近のことを思い出しているのかもしれない。
硝は灰街によくいる不良たちとつるんでいる。少し目立つ見た目も合わさって、彼は子供の時からよく喧嘩をふっかけられる。しかし撃退していくうちに、何故か相手と意気投合することもあるのだ。僕が気づいたころには、硝は同級生や年下だけにとどまらず、年上の不良少年たちからも親しまれていった。本人はその気はないらしいが、勝手にグループのリーダーに祭り上げられてしまっているらしい。
「特に面白いことも無いしな、働いてるやつもいるわけだし。そういやあ、最近アイツらに会ってねーなー」
言いながら、狭いベッドで器用にごろごろしていた彼は不意に動きを止めた。
「お前は?」
「は?」
唐突な質問に、僕は声が裏返ってしまった。
「何がだよ」
「いや、最近母親んとこ行ってないなーと思ってさ……」
「ああ。それね」
僕はベッドにあおむけになった。確かに、最近会いに行っていないな。
「今は会いに行く気分じゃないんだ」
会いに行っても、歓迎されるわけないし。硝は僕の返事を聞くと、「そか。あ、風呂上がったら起こしてくれよ」とだけ言って、薄いシーツにくるまってしまった。僕それに返事を返して、部屋を出た。
開け放たれた窓の外から、灰街の遠い喧騒が心地よく鼓膜に届いた。
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