僕と二人客

「ただいまー」

「おかえりなさいませ、玖円様」

「ちょ、オレの話聞いてる? なあ」


 帰宅して二階に上がると、台所に奇妙な光景が広がっていた。

 まず、硝ではなくナツがエプロンをつけている。うん、アリだな。


 いやそうじゃなくて。


 硝はというと、椅子に座って怒ったような困ったような、拗ねたようなふてくされたような、要するに何とも言い難い表情を造ってナツを見ている。


「どうしたの、この二人」


 食卓に並べられた料理に目を移しつつ、座っている咲に聞いた。彼女は僕の方を見ないで、いつもよりちょっと豪華な夕飯を眺めながら言った。


「ナツが勝手に夕ごはん作ったのが嫌だったんだって」

「あー、ね」

「あーねってなんだよ!」


 適当に相槌を打つと、すかさず突っ込まれた。そんな不服そうな顔をされても、どうでもいいのでこれ以上のリアクションは僕には無理だ。


 硝は再びナツに対峙した。

「だいたいよー、こんなに食材使ってよー、金どうしたんだよ!」

「おじ様から頂きました」

「違ぇ! 今月の給料とかそういうの考えたのかってことだよ! どう考えても予算オーバーだろ!」

「最低限の栄養配分を考えた結果の、最も安価なメニューを用意したつもりです」

「栄養配分より予算配分!」

「金銭問題より、咲様及び、その他の皆様の健康の方を優先するべきだと判断しました」


 偶然か、それともわざとなのか、ナツは咲を強調してきた。


「ぐ……、それは、そう…かも」

「押されんなよ……」


 そこはもうちょい反論してほしかった。


「あたしはどっちでもいいけどねー」

 ぼそっとそんなことを呟く咲。

「なっ、咲…そんな…」

 何気ない一言が、他人を傷つける時もある。


 咲は早く夕飯食べたそうだし、硝は泣きそうだし、僕もいい加減飽きてきたのでナツに向かって言った。


「ナツ、あのさ」

「はい」

「硝がいない時の夕食はお願いしたいんだけど、基本的に料理は硝に任せてくれないかな。ナツが作るときも、お金はなるべく節約して、ね?」

「――了解いたしました」


 一件落着。まだ落ち込んでいる硝を励ましつつ、部屋からおじさんを呼んで夕食の時間になった。

 おじさんは豪勢なおかずを見ても感想を言わずに、けど機嫌が良さそうに箸をすすめた。


「っていうかおじさん、ナツにお金を預けるのはいいですけど、金額考えてくださいね」


 ものすごく楽しそうに食べているところ申し訳ないが、そのことは注意しておかなければいけない。僕が告げると、おじさんは悪びれるふうでもなく言い訳した。


「ああ、なんだ。おれだって考えなしに金使わしたわけじゃないんだがな。ただ臨時収入があったんだよ。その金も余ってるぞ」

「臨時?」


 おじさんは自営業の不定期収入だから、臨時でお金が入ってくることも少なくないのだが、これだけの食事を用意できて、なおかつまだ余るだけの報酬をもらうことなんて一度もなかった。咲と硝も違和感を覚えたのか、箸を止めておじさんの話を聞く姿勢になった。


「あのー、どなたからもらったんですか?」

「んあ? 知らんよ。女二人だったのは覚えているんだが、作業の最中だったからなあ。あまり顔を見てなかった」

「アホか。客くらいちゃんと覚えとけよ」

「いいから聞けっ」


 横からツッコむ声をこぶしで黙らせ、おじさんは続けた。


「昼過ぎになあ、店の方で作業してたら女の二人組が入ってきたんだよ。壊れた物をどうのこうの言ってたんだが、修理に集中してて話なんか頭に入ってこねぇからな。直してほしいなら名前でも書いてその辺においてくれ、っていって放っておいたんだ。しばらくして仕事がひと段落したから休憩に入ったんだが、机に前金って書かれた封筒だけがあってなぁ。新しく増えたガラクタはどこにもなかったってわけよ。まあ、ちと気味悪かったがもらえるもんはもらっておこうと思ってよ、せっかくだからうまい飯食おうと思っていくらかナツに渡したってわけだ」


「何やってんですか! どう考えてもおかしいでしょうその二人!」

「いやいや、けどな、雰囲気はちゃんと覚えてるんだぞ?」


 胸を張っても無駄である。硝と咲も、呆れたようにおじさんを凝視していた。

「雰囲気って……アバウトすぎだろ」

「だから聞けっ」

 再び鉄拳で硝を黙らせたおじさん。


「灰街ではあんま見ない格好だったからなあ。なんとなくだが覚えてる」


 今日は僕もそんな人を見た。


「女二人組で、妙にこぎれいなスーツ着ていてなあ。真っ黒で暑そうだと思ったよ」


 ははは、ますます似たような人だ。


「二人組だが、上司みたいな女しか喋ってなかった気がするぞ。暑苦しい服着ているわりに声は涼しそうだったな」


 ………まるで同一人物みたいだ。


「ああ、上司っぽいのは髪が長いワンレンだったようなそうでもないような……おい、どうした、玖円」

「ちょっ、玖円⁉ お水こぼしてる!」


 咲が声を上げて初めて、僕は手に持っていたコップから水がこぼれていることに気づいた。あわててふき取ってまた注ぎ足した。

「おっさんの話、そんなに聞き入るほどだったっけ?」

「あ、いや、そういうわけじゃなくてさ……。なんか、僕が昼前に白墓で会った女の人も、そんな感じだったなぁ、と……」

「どういうことだ」


 おじさんが急に真顔になったので、僕は、たぶんほかの二人も、ちょっと緊張してしまった。


「昼前、おじさんが言っていたようなひとにぶつかったんです。髪は長くて、あとすごい美人で。見慣れないちゃんとした身なりの人ってほら、大抵おおやけにはできないことが目的で灰街に来たりするじゃないですか。めっちゃ怖かったんですぐ謝ったんですけど………」


「許してもらえなかったのか」

「いやいや、笑って許してもらえた…はず、ですよ………」


 おじさんの話を聞いたので、言葉も尻すぼみになってしまった。いったいどういうことだろう。いや、本当はなんとなく理由が解かるんだけど。


 僕は隣で機械的に料理を口に運ぶナツを見た。多分、おじさんが見た二人組っていうのは、それがナオさんであってもそうでなくても、きっとナツを探しに来たのだ。彼女たちはもう、あの残業のことも、ナツの居場所も、僕たちの身元も、全て知っている。そう思うと、背中を嫌なものが這って行ったような感覚になった。


 翌日になっても、ずっとそのことで頭がいっぱいだった。網野さんと何か話していた気もするけど、それすらも覚えていないくらいにいっぱいいっぱいだった。いつの間にか一日が終わっていて、思考がはっきりしてきたのはもう白墓から出たあとだった。


 一日考えて思ったことは、僕はどうするべきなのだろうか、ということだった。僕はナツが大事だ。それが恋愛的な意味なのかは僕自身にもわからないけど、それでも大切に思っていることは確かだ。それにその、……大好きだ。くどいようだが恋かどうかは分からない。だってナツはアンドロイドだし。どう考えても恋愛に発展しないし。無理だし。


 でもとにかく、ナツが大切なのは変わらないのだ。あっちがその気なら、こっちもとことん抵抗してみよう。僕は改めて決心した。


「――――玖円」

 夕食後しばらくして、咲に呼ばれた。何やら神妙な顔つきである。

「なに? どしたの」


 頭半分くらい小さい咲が僕を見上げた。茶色がかった瞳が、不安そうに僕を映している。頼りなさそうな少女の表情だが、声だけははっきりとしていた。


「あんたに電話がきてるよ。……ナオって女の人から」

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