《悪戯のサンプリング》⑪(終)


 もやもやとした感情を抱えたまま、最終下校時間を迎える。

 部長達と別れ、ぼくは岩根さんと一緒に帰り道を歩く。

 普段は別に、そんなことなんて考えないんだけど――今は、それがとても罪深いことのように思えた。


「…………」

「…………」


 会話はない。これも、いつものことだ。

 ぼくは口が上手くないし、岩根さんも口数が多くない。

 でも、二人黙って歩くのは、苦痛なことじゃない。

 そのはずなのに、やっぱりこの沈黙に、ぼくは痛みに近い何かを覚え始めていた。


 もし、岩根さんの横に立っているのが部長だったら。

 あの人は黙っていれば美男子と言える容姿だし、行動力もある。変人であることも知られているから、同じく取っつきにくい岩根さんとはお似合いだと言われるに違いない。


 紫光くんみたいな人でもいいだろう。彼も部長と似たタイプだ。岩根さんのことを、間違いなく引っ張っていける。誰もその関係に疑いを持たない。


 どうしてぼくなのか。

 いや、違うな。岩根さんと一緒に居られることは楽しいと思うし、暗い優越感を得ている自分が居るのは間違いない事実だ。

 ぼくでよかった、と言うべきなんだ。


 でも、やっぱり……ぼくには何もない。彼女の隣に立って、こうやって並んで歩くだけの能力や魅力、人を惹きつけるものが。

 ぼく自身がそれを自覚していて、しかし改善することなど出来ない。

 才能を手に入れることなんて、一朝一夕では不可能だ。外見を変えることなど、出来はしても現実的ではない。


「どうしたの?」

「……え?」


 ないないづくしのぼくへ、岩根さんは足を止めてそう訊ねた。前置きも前フリも何もない。

 あくまでぼくは普段通りに振る舞っていたつもりだったから、彼女がそうやって訊いてくること自体、予想していなかったことだった。


「その、九太郎くん……ちょっと、変。怒ってる……?」

「いや……そんな。いつもどおりだよ」


 岩根さんは、自分のことをどう思っているんだろうか。

 ふと、そんなことを考える。ぼくが自分自身を卑下するように、岩根さんも自分を卑下したりするのだろうか。

 それとも、己の持っている才能や容姿を鼻にかけて、内心では傲慢に考えていたりするのだろうか。


 他人が何を考えているかなど、それこそ他人であるぼくには何一つとして分からない。

 その人の言動や態度から、考えていることを曖昧に推察することでしか、人の心は読めない。


「気にしてない。わたしは……何も。多分、誰のことも。だけど、九太郎くんとか……部のみんなのことは、別。それじゃだめ?」

「……いいんじゃないかな」


 投げやりな返答だと、言ってから思った。

 岩根さんだって、あの二人の言葉を聞いている。自分の隣に居る同級生が、同じ同級生に覚悟が足りないと言われているのを聞いて、果たして何を考えるのだろうか。


 先述の通り、そんなものぼくには分からない。

 ただ、それでも……岩根さんが優しい女の子だってことは、知っている。

 他のみんなも知るべきであるそれを、少なくともぼくは知っていて、そして信じている。


「その……これ」


 だから、彼女がおずおずと通学カバンから取り出したそれを見て、ぼくは思わず面食らってしまった。


「それって、?」

「教えて欲しい。買い方……使い方? 詳しそうだから」


 岩根さんの手にあるのは、佐藤くんが双子より謝礼で受け取ったギフト券と同一のものだった。

 金額は何と千円。多分、パッと見て一番安いやつを買ったに違いない。

 使ったことがなくて、怖いから。


 瞬時にそこまで、ぼくは彼女の考えたことが読めた。

 他人の考えなんて読めないと言っている割に、ぼくは彼女の心を読もうと必死に頑張っている。

 通訳とか翻訳って、要はそういうことだから。合っている・いないは関係ない。

 誰かの考えを読みたいと思った時点で、きっとそれはその人のことが人間的に好きなのだ。


 そして何よりも――同じことを考えたという時点で、簡単な答え合わせが出来るということに、ぼくはようやく気付いた。


「あー……なんだろう。ごめん、正直な話、紫光くんに言われたことを結構真剣に考えて、悩んでたんだ。ぼくは、見ての通りの人間だから」

「そんなこと――」

「いや、いいんだ。卑怯だけど、きっときみならそう言ってくれるって分かるから、言わなくても。それに、何だかすぐに吹っ切れそうなことでもあると思うし。……ほら」


 ぼくも、通学カバンからそれを取り出す。


 ギフト券、五百円分。


 岩根さんにあげて、一緒に使おうと思っていたやつ。

 わざわざ金額指定で買った、一番安いもの。金額が少ないのは、ぼくのケチケチした懐事情の現れ。

 ここで五千円分とかをあげられない、みみっちい人間性は、まるで誇ることなど出来ない。


 でも、同じことを岩根さんが考えた。だったらそれで、いいじゃないか。

 嫉妬や羨望や恨みは、好きなだけぼくにぶつければいい。もし彼女の隣に立つ覚悟とか資質とか、そういうものが必要だと誰かが叫ぶのなら、必要になった時に用意する。


 どうにかして、頑張って、そういうものを用意して……それでもなお、ぼくは彼女の隣に居たいから。

 けど今はまだその時じゃない。

 なら、ぼくには胸を張って言えることが一つだけある。


「もしかしたら、岩根さんもああいうのに興味あるんじゃないかって思ってたから。これ、用意してたんだ。すごく安い額だけど……あげるよ。今度、きみの買ったそれと一緒に使おう」

「……うん!」


 ぼくの手ごと握って、岩根さんはギフト券を受け取ってくれた。

 ああ、とてもいい笑顔だ。きっと――この笑顔を見たことがあるのは、この学校でぼくだけだろう。


 だって、ぼくが一番、彼女のことを理解しようとしているから。

 ぼくが一番、彼女のことを一生懸命考えているから。

 だからこのモヤモヤを吹っ切るためにも、傲慢ながらこう思っておこう。


 ぼくには、岩根さんから笑顔を引き出す才能があるんだ、って。



《おしまい》

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ぼくたちの青春は覇権を取れない。-昇陽高校アニメーション研究部・活動録(二冊目)- 有象利路 @toshmichi_uzo

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