《近似のパースペクティブ》⑥
「と、撮って、きました……」
肩で息をしながら、ぼくは部室で不動の部長に報告する。
我がアニ研は部室棟の最上階の端っこにあるので、職員室前の掲示板まで結構な距離があるのだ。スタミナのないインドア派が走って往復すれば、体力の八割以上を持って行かれてしまう。
――部長がさっきぼくへと下した指令は、「二枚の絵をカメラで撮ってこい」とのことだった。しかもダッシュで、というサイドメニュー的な注文も付けて。
そういうわけで、ぼくは一人で走って撮影しに行き、また走って部室へ戻ってきたわけだが――とても疲れた。喉が渇いた。足が痛い。八割どころか九割持ってかれた。
「九太郎くん……お疲れ様」
「あ、ありがとう……でも別に、気分が悪いわけじゃないんだ……」
岩根さんがぼくの背中をさすってくれる。吐きそうな人にする感じで。
決して嘔吐感があるわけではないのだが、まあ優しい手付きだし、何だか気持ちいいから、別にいいか……。
「早くしろ、坂井。待った分だけアニメを観る時間が減るだろうが」
鬼かな?
ねぎらいの言葉ぐらい、可愛い後輩に掛けてもバチは当たらないと思った。まあ、部長がぼくのことを可愛い後輩と思っているかは定かではないが。
兎にも角にも、やるべきことがあるならさっさと済ませたいのが、部長の性分である。どうでもいいことなら手すら付けない人だが、いざやるとなれば行動は迅速そのものだ。
とはいえ、鈍足のぼくを走らせたのは悪手な気がしないでもないけど。
ぼくは部長のスマホに、撮影した画像データを送信する。何とも便利な時代だ。安楽椅子探偵がやりやすくなった時代と言えるかもしれない。
「どうですか?」
「ああ」
「ああ、じゃないでしょ。どうなのかって聞いてんの!」
生徒会長と馬越先輩に訊ねられても、部長は上の空で返した。数回、自分のスマホの画面を指でスワイプし、交互に絵を見比べている。
そして、部長は机の上に自分のスマホを置いて、眼鏡のブリッジを指でクイッと持ち上げた。
「終わったぞ」
「田中の人生がですか……!?」
「卑屈の差し込み方が強引過ぎるよ……!」
身体ごとねじ込むような感じだった。「阿呆かお前は」と、部長が田中さんを一刀両断する。ちょっと満足気に、田中さんはすごすごと引っ込んだ。
構って欲しかったのだろうか……?
とはいえ、いきなりの終了宣言だ。ぼくらは一様に小首を傾げつつ、部長に質問する。
「絵を見終わったってことですか?」
「もうちょっとしっかり見比べても良いのではなくて?」
「ちゃんと見たの? 怪しいわね」
「阿呆かお前達は。大体分かった、と言っているんだ」
「…………えっ?」
さも当然の如く、部長は断言した。それこそ、安楽椅子探偵のように。硬いパイプ椅子へ深く腰掛け、足を組んで、どうでもよさそうな感じで。
答えを出すのがあまりにも早過ぎるので、生徒会長は困惑気味に追及した。
「あの、阿仁田さん。こちらから頼んだ手前、こういうことを言うのは失礼ではありますが……本当の本当にやる気が無いなら、最初から受けなくても良かったのですよ?」
「確かにやる気は無いが、別にそれは結果と関係無いだろう。やる気があっても分からんものもあるし、やる気が無くても分かるものもある。今回は後者だ」
「いや、でも異常なぐらい速いわよ? 早押しクイズじゃないんだから」
「比較……部長は、全然」
「坂井」
「全然絵を比較してないのに、何でもう全部分かったのか疑問にも程があるようです」
「凄いなお前は……。比較はした。が、じっくり見比べる程のことでもなかった。どうせ、俺は芸術に対し大した知識も興味も無い。今回は自分が知っている範囲内で答えがすぐに出たから、まあ幸いだったというだけだな」
一人だけ答えを得ているから、部長の言っていることは何もかもが意味深に思える。
流石にこの状態で解決したとは言えないので、部長はひとまずぼくらへ解説をするつもりのようだ。自分のスマホに片方の絵を表示させる。
「もう一枚は坂井、お前が表示しろ」
「あ、はい。分かりました」
もう片方の絵は、ぼくのスマホの画面に表示する。そして机にスマホ同士を並べると、似たような構図の絵が二枚、横並びとなった。
今回の騒動の原因となったこれらを見て、果たして部長は何を読み取ったというのだろう?
「再三前置きしておくが、俺はあくまで単なるアニメオタクだ。芸術のことなどサッパリ分からん。なのでお前達に訊きたい。この二枚の絵――どちらが好みだ?」
Aさんの絵とBさんの絵を指して、部長はぼくらへ逆に質問をする。どちらが好みなのかと言われても、結構似たような絵だし、それこそ個々人の好みの問題ではないだろうか。
ぼくは改めて、二枚の絵を見比べてみる。
まず、二つの絵に共通しているのは、その舞台となる場所だ。中央に長い階段があって、階段の先に何かの建物の入り口が見える。建物が何なのかは判然としないが、何となく寺社仏閣のようなものじゃないかと思った。瓦の感じ? がそう思わせるのだ。
で、中央の階段だが、手すりで二つに分割されており、一定間隔で踊り場がある。そもそもこの階段は、建物と建物の間を通っているものなのだろう、階段の両側は民家のようなものが並んでいた。
特徴的かと言われると、別にそう特徴的でもないような場所だ。階段の上の寺社仏閣が、多分最大の特徴だとは思うけど……偶然被るほどの場所には見えない。
ただ、この二枚の絵は、どちらも完全に同じ場所を描いているのは間違いない。階段の作りも、その先にある寺社仏閣のようなものの入り口も同じだ。流石に、行き交う人や構図はちょっと違っているけど、そのちょっとした違いがあるからこそ、AさんもBさんも互いに盗作ではないか、と言っているのだろう。
「どっちが好みかって言われてもねぇ……あたし、あんまり美術は得意じゃないし、正直どっちも上手いって感想しかないわね。強いて言うならBかな」
「奇遇ですね。わたしもBの方です」
「田中は残念ながらAですねえ」
「どっちも……上手。わたしの好みは、B」
「因みに俺はAだ」
てんでバラバラである。どっちが好きか、という問いなのだから、個人の感性によって分かれるのは当たり前だけど。
じゃあぼくはどちらが好みかというと、正直決めかねている。というわけで、更に両方をじっくりと眺めてみることにした。
便宜上、Aさんの絵をAの絵と呼ぶが――こちらは、手前で男女の高校生二人組が階段に座っている。その奥の階段の踊り場には野良猫が居て、更に奥では鳩が数羽佇んでいる。何だかこう、狭い階段のはずなのに、どこか広々とした印象がある。
人物にしても、写実的というよりかは、どちらかと言うとアニメテイストチックだ。テレビのCMとかで使われそうな絵柄、と言えば……凄く分かり辛いだろうか。全体としては、とてもあっさりとした、見る人を選ばない作品かもしれない。
一方でBの絵も、まさに力作と呼ぶに相応しい出来だった。Aの絵は要所要所に力を入れている部分があるが、こっちは全体に力を入れている。実際にこの場に居て、そして目で見たものを描いたような感じだ。
階段から見上げた風景は、Aの絵と違って町中から見上げた空に繋がっている。猫や鳥もおらず、階段を昇り降りする人が居るだけだ。とはいえ、その人間も実に上手というか、表情はぼやけているのに現実味がある。ピンボケした写真みたいだ。
見比べてみると――Aの絵は広く大衆に受け入れられそうな『イラスト』であり、Bの方は個人の感性に深く訴えかける『芸術』と呼べるのかもしれない。
まあ、その手の感性が無いぼくに言われたところで、この絵を描いた二人は喜びもしないだろうけど……。
「ぼくは――」
「坂井の好みはさて置き、俺の予想だとAはアニメオタクだ。だから俺はAの絵を推挙したわけだが」
「言わせて下さいよ!」
そこまで言いたいわけではないけど、取り敢えずツッコミしておく。
部長はぼくを華麗にスルーした。分かってたけど悲しい。
「今一つ根拠が分からないのですが……何をもってそう考えたのですか?」
「その前にアニ研として一つ勉強をしておく。お前達はパースペクティブ――いわゆる『パース』という言葉を知っているか?」
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