《近似のパースペクティブ》⑨(終)

 今回のオチと言うべきか、何というか――後日談。

 あれから数日後の、放課後の話だ。


「作者の二人を問い詰めたところ、素直に白状しました。アニメを参考にあの絵を描いた、と。つまり……阿仁田さんの推察は正解だったということです。生徒会として、協力して頂けたことに感謝を申し上げます。ありがとうございました」

「ほう。で、部員としてのお前からは?」

「…………べ、別に、わたし個人からお礼を言う必要はないでしょう!」


 気恥ずかしそうに生徒会長が吠える。改めて部長の能力を認めたのが、どこか悔しいのかもしれない。生徒会と学校側が分からなかった問題を、部長は一度見ただけで見抜いてしまったのだ。

 無論、それはアニメに関係していたから、という前置きがあるからだけど――結果だけで考えれば、部長はまさに名探偵と言っても過言ではない。

 が、その名探偵はさしたる感慨もなく、テレビのリモコンを操作している。


「じゃあ今日のアニメを――」

「待って下さい。もう一つ、ご報告が」

「まだ何かあるの?」


 馬越先輩が文庫本を閉じて、怪訝そうな顔をする。

 最近、この人は文芸部よりもめっきりこっちに顔を出すようになった。生徒会長が正式入部したからだろうか……。


 田中さんは「パンですか?」と言ったが、咲宮会長からひと睨みされてゴメンナサイする。彼女は恐らく生粋のマゾなのだろう。これも最近分かってきたぞ。


「ええ、まあ。ここも無関係ではありませんので。例の美術コンテストですが、あの二枚の絵は投票数こそ多かったものの、学校側の判断として候補から外されることになりました」

「それが俺達と何の関係がある」

「話は最後まで聞いてくださる? なので、繰り上げ優勝として、投票数三位のものが当校代表となりました。どうです? 望外の喜びでしょう」

「そうだな。今期のアニメはダークホースが多くて俺も嬉しい」


 異種間コミュニケーションレベルで互いの話が通じていなかった。

 一応、ここはアニメーション研究部であり、美術コンテストとは本来何の関係もない部活だ。学校全体が関わっているものとはいえ、別に全生徒強制参加のイベントでもないし、部長の反応の方がある意味では正しいのかもしれない。

 咲宮会長はイライラしているようだけど。


「全くもって、薄情な方々ですね!」

「そんなコンテストに俺達アニ研が余計な情を抱く方がおかしいだろうが」

「何なの? おめでとうって言っておけばいいわけ?」

「……? いや、これは私が間違っていたのかもしれません」


 疑るような顔をして、生徒会長は腕組みをし首を傾げる。

 さっきから何というか、妙に話が噛み合っていない。部長とは常に噛み合わないこの人だが、ぼくらとはそこまで話が通じない、というパターンは少ないからだ。

 何がどう間違っているのか――ぼくらがきょとんとしていると、咲宮会長はこほんと咳払いをして、片手を指し示すように仰いだ。


「改めて紹介しますが――当校代表となった作品の制作者、 さんに、皆様心より温かい拍手をお願い致します」


「………………」


 しん、と部室内が水を打ったように静まり返った。

 部長が無言でアニメの再生をストップする。十秒ぐらいだろうか、ぼくらの間で静寂が蔓延し、やがて風船のように膨れ上がり――


「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?」


 ――ひと思いに、弾けた。

 どういうことなのか、ぼくも全く寝耳に水である。部長ですら眉間を指で押さえており、馬越先輩は岩根さんと生徒会長を交互に見ていた。

 田中さんに至ってはガタガタと震えている。発作でも起きたのだろうか……。


 一方で、当事者たる岩根さんはいつものように無表情で、咲宮会長から促されるようにして起立した。


「その反応を見るに、どうやら誰もご存じなかったようですね」

「ご存知も何も……初耳なんですが」

「ちょ、ちょっと、伊之! あんた何か知ってたんじゃないの!?」

「知るわけあるか」

「み、美弥美先輩……意外とすごかったんですねえ」

「…………」


 岩根さんはぺこりとぼくらに会釈して、ややあってからピースサインを決めた。

 喜んでいるのかな……? 何だか締まりがないのだが……。

 生徒会長はぼくらの反応にやや呆れている。

 他ならぬ部員の、部活内容とは全く関係無い栄誉について何も知らなかったのだ。管理責任がどうのこうの言っているが、そんなこと言われても知らないものは知らないので仕方がない。


「あなたもあなたですよ、岩根さん。そういうことは、仮にも仲間である彼らに一言ぐらい言っておくべきです。サプライズ、というものを狙ったのかもしれませんが――」


 彼女に限ってその可能性は低いだろう。結果的にサプライズ成功だけど。


「言い、ました。掲示板……九太郎くんと」

「言ったの? 坂井くんに?」

「なら坂井が悪いな」

「ええええ! ちょ、ちょっと待って下さいよ! そんな記憶は……」


 ぼくは乾く寸前の脳みそを、何とか雑巾絞りして記憶を引き出す。

 掲示板……って、あの美術コンテストの絵が飾られてた掲示板のことかな。確かに、あの掲示板が発端となって、今回の事件に繋がったとも言えるが。

 しかしそこで岩根さんに何か告げられた覚えは…………ん?


「あれ? そういえば、何で掲示板を見たんだっけ……?」


 あの時は確か、掃除部の活動が終わって、部室へ移動している最中だったはずだ。ぼくは別に掲示板を覗く癖も無いので、一人で動いていたらあの絵を振り返ることも無かっただろう。

 しかしあの時、ぼくではなく岩根さんが、何故かぼくを呼び止めたのだ。

 考えてみれば、アニ研に向かうぼくらが足を止めてまで、あの絵を見る必要性は薄い。


 岩根さんが言ったから、何となくぼくも一緒にあの絵を見たけど……もし、岩根さんは二枚の同じ構図の絵ではなく、もっとをぼくに伝えたかったのだとしたら?


「もしかして……自分の絵を、見せたかった、とか?」

「…………」


 おずおずと訊ねると――岩根さんはこくりと頷いた。

 どうやら当たりのようだ。あの時、岩根さんは自分の絵が飾られていることを、ぼくに伝えたかったのだろう。

 何故ならば――


「匿名。分からないから……」


 ――あの飾られている作品群は、公平性を期すために、からだ。

 つまり、描いた本人は自分の絵がどれか分かっても、第三者からすれば、その作者から言われない限りはどれが誰の作品なのか分からない。


 だから岩根さんはぼくと一緒に居る時に、自分の絵がどれなのか伝えたかったのだ。

 が、ぼくは全く見当違いの、二枚の同じ構図の絵に釘付けになってしまった。彼女が引き止めた理由を、見事なまでに勘違いしたのである。


「って、いやいやいや、言わなくちゃ分からないよ! ぼくにちゃんと伝えてないよね!?」

「見てた。じっと……私、自分の。九太郎君なら……」

「気付くかも、ってことね。あー、これは坂井くんが悪いわ。通訳として失格」

「坂井が悪いな」

「やや過酷というか、暴論な気がしますけど、ここはノリ的に九太郎先輩を責めます! 美弥美先輩のメッセージをちゃんと受け取らなきゃダメですよ!」

「そこまでいくと通訳とかそういうのじゃなくて、もう超能力の領域ですよ! 無理です!」


 岩根さん的にはぼくに伝えた、というか伝わったと思ったのかもしれない。

 しかし、ぼくは所詮単なる平凡な男子高校生だ。部長ならともかく、あの状況で岩根さんが言わんとしていることを察するのは厳しい。

 彼女がわざわざ引き止めた理由を、もうちょっと深く考察すれば良かったのかもしれないが……。

 ああ、しかしそう考えると、妙に岩根さんがコンテストについて詳しいこととか、彼女の絵に対する反応とかが、とても意味ありげなものに思えてきたぞ。

 でもやっぱり……ぼくに名探偵は難しいや。


「っていうか、絵……描けたんだね」

「授業。とりあえず……」

「あたし絵描けないし、素直に尊敬って感じ。ホント、入る部活間違えたんじゃない?」

「因みに、応募者はほぼ全員、何らかの形で絵について学んでいます。が、彼女のみ唯一、何も学んでいないにも関わらず、授業中にサラッと描いた絵でここまで昇り詰めました。天分がある、と言えるでしょうね」

「すごすぎるよ……」

「田中の才能が壁画レベルだとしたら、美弥美先輩のそれはまさに劇場版アニメですねえ……」


 それはもう逆に壁画の方が価値があるんじゃないかと思ったが、何も言わないでおいた。

 岩根さんは勉強もスポーツも高水準でこなすが、まさか芸術方面でも強いとは……。

 天は二物を与えずとかいう言葉があった気がするが、「じゃあむしろ四物ぐらい与えとこ」みたいな逆転の発想で、彼女はこの世に生み出されたのではないだろうか……。


「コミュニケーション能力と引き換えに、様々な才能を得たというわけか。悲しいモンスターだな」

「嫌い、です。あんまり美味しくない……あれ」

「飲料の話じゃないよ……」

「どうです? 今からでも遅くはありません。当校の美術部に、是非とも入部しては?」


 生徒会長がここぞとばかりに勧誘している。

 岩根さんの才能を活かす場は、恐らく何らかの運動部か、或いは美術部になるだろう。少なくともアニ研ではない。

 しかし、岩根さんはすぐに首を数回横に振った。彼女にしては珍しく、ハッキリとした動きで。


「いいです……ここが。わたしは」

「そうですか――残念です。無理強いは出来ませんが、心変わりした際は、こっそりと私に教えて頂ければ。各部活の部長と顧問へ口添えしますよ」

「おい、余計なことを言うな。岩根は我が部の誇るホープだ。よそにやるつもりはない」

「よそに行くつもりも無さそうだけどねー。坂井くんが一緒ならともかく」

「ぼくは関係ないような……」

「た、田中が寂しがるので、美弥美先輩も九太郎先輩も、他の部活に行っちゃイヤですよ!? 死にますよ!? 田中が!!」


 ウサギの迷信みたいだった。田中さんには悪いが、ぼくが他の部活に行ったところで、活躍出来る可能性はゼロ以下である。従って、ここ以外にぼくの居場所はない。

 岩根さんもそう思っているのだろうか。確信はないけど――でも、まあ、いいか。


 ふと、ぼくは一つ思い付く。大体のぼくの行動なんて、それこそ思い付きみたいなものだけど――誰かの為の思い付きならば、それはきっと肯定されていいだろう。


「お祝いでもしませんか? ウチの部から出た期待の星ってことで。アニ研としては、ちょっとアレですけど……」

「美術部に怒られないかしら? けど、坂井くんの意見に賛成! お菓子パーティー決定!」

「おお! 何ともリアリアした響き! 興奮してきました!」

「勝手に決めるなと言いたいが――好きにしろ。岩根がそれでいいのなら構わん。それと、アニメの音声が聴こえればな」

「嬉しい、です……ばくあげ」

「テンションの話だよね……?」

「祝うのは構いませんが、あまり羽目を外さないように!」

「じゃあ、ついでに会長先輩の入部記念ぱーてぃーも兼ねちゃいましょう!」

「ついで、だけどね。勘違いしちゃダメよ、咲宮さん」

「つ、ついでとは何ですか、ついでとは! そんな半端な気持ちで――」

「始める前から騒ぐな」


 ぎゃーぎゃーわーわーと、いつになくぼくらは騒がしい。

 ただ、こうやって騒ぐことも、大事なことなのだと思う。弥刀野先生の一件以降、何だかしっとりとした雰囲気が充満していたし。


 きっかけはなんだってよくて、だから岩根さんをダシにしたみたいでちょっと申し訳ないけど――ふと彼女と目が合った時、柔らかく微笑んでいたから。

 多分、ぼくにしては珍しく、良い提案が出来たんじゃないかと思う。


 こうして、『絵』にまつわる一つのエピソードは、終わりを迎えたのだった。
































「――――坂井」


 終わりのはず、だったのだが――


「何ですか?」


 意気揚々と、馬越先輩と田中さん、そして岩根さんと生徒会長も強引に、校外のコンビニにおやつの買い出しに行ってしまった。ぼくらのおやつ選択のセンスは信用されていないので、残念ながらお留守番である。


 そんな中で、部長がぽつりとぼくを呼ぶ。てっきりアニメに夢中かと思っていたのだが、何故か一時停止している。わけもなく、ぼくはごくりと唾を飲んだ。

 この人がアニメではなくぼくを優先する……それだけで、ちょっと嫌な予感がしたからだ。


「いや、大した話じゃない。そう身構えなくてもいい。現状、我が部は順風満帆で、俺もそれを疑うつもりはないからな」

「は、はあ。でも、ぼくに何かお話があるんですよね?」

「ああ。思ったことを答えてくれればそれでいい」


 部長は頬杖をつきながら、ぼくの方をじっと見ている。何だか妙に緊張が走った。多分、ぼくの背筋は知らない間にピンと伸びたに違いない。


「今回の事件――ああ、岩根の件じゃなくて、二枚の絵の方だが。アレについて、お前はどう思う?」

「どう、とは? 別に何か思うところは無いですけど……部長のあの推察は当たってましたし」

「推察自体はな。俺が気になったのはそこじゃない。咲宮の阿呆は阿呆だから、特に気にしては無かったようだが――?」


 それは、言ってしまえば、今回の一件を根本から疑うような一言だった。

 こんなことが起こり得るのか。部長がそう問う意味を、ぼくはゆっくりと考える。


「それは、えっと、つまり……」

「先に言うぞ。何の関係も無い二人の応募者が、同時期に同じアニメの『聖地』を参考に、果たして絵を描くことが有り得るのか? という話だ」


 部長が言い当てたのは、あくまで二人の絵が同じような構図になった、その理由だけである。

 どうしてそうなったのか――この部分だけ、今回の一件ではぽっかりと抜けている。


 そして、今まで多少なり色んな事件に関わってしまったぼくは、何故かその『どうして』を部長から任されることが多い。部長がわざわざアニメの視聴を止めてまで、それをぼくに訊く理由は不明だったが。


「偶然、という一言で片付けていいかどうかを、決めかねている。まあ、八割方は偶然という結論で良いと俺の本能が告げてはいるが……残る二割について、お前の意見が訊きたい」

「ぼくの意見が参考になるんですかね……?」

「それを決めるのは俺だ。お前じゃないぞ」

「あ、はい」


 ぼくへの信頼なのか、そうでないのか、微妙なラインの返答だった。

 部長に頼られて、ちょっとだけ……いや、結構嬉しかったのは事実だけど。

 少しだけ時間をもらって、ぼくは考える。

 考えて、そして――


「ま、全く、わかりません」

「…………」


 ――正直に、ぼくはそう答えた。

 さっきも思ったことだが、ぼくは決して名探偵にはなれない凡才だ。記憶力も悪ければ、推察力とか直感も乏しい。

 部長みたいな、恐るべきハイスペックの上で、ひたすらアニメを観続けるようなタイプじゃない。


 モヤモヤとした、取り立てて価値の無いモノの集合体。それがぼくなのだ。

 だから、本当に部長の問いに対して、答えられない。

 てっきり怒られるかと思ったが、むしろ部長は口角を釣り上げて、笑った。


「くく、お前のそういう正直な部分は、美徳だと思うぞ。そうだな、確かにお前は、が絡まないとてんでダメだった。いや、妙なことを聞いて悪かった。忘れてくれ。俺も忘れる」

「えと、すいません、お役に立てなくて……」

「ここはアニ研だ。ミス研じゃない。アニメを愛する心があれば、他はオマケみたいなものだろう。どうも最近、俺も探偵じみたことをさせられ過ぎて、ちょっと肩肘張りすぎていたようだからな。ここいらで、元の俺達に戻るべきという話だ」

「そういうものなんですかね……?」


 岩根さんに限った話ではないが――部長も多分、アニ研以外で輝ける場所があるはずなのだ。

 そういう才能があることを、きっとぼくらは全員分かっている。分かった上で、この人が一番好きなのはアニメだということを、理解している。

 だからこれ以上何か言うのは、余計な話でしかないのだろう。


「そういうものだ。一つ、面白い話をしてやろう。パースペクティブという言葉を覚えているな?」

「そりゃまあ、この前教えてもらいましたし」

「あの言葉には、構図という意味以外にもまだ込められたものがある」

「それは……一体何でしょうか?」

「未来への見通し、展望――将来性。そういった意味もあるんだ。覚えておけ」


 そう部長が言った瞬間、テレビの一時停止が自動的に解除され、アニメが再び流れ出した。

 こうなってはもう、ぼくに何かを言う資格はない。部長はいつものように、アニメに釘付けになっていた。


 ……未来への見通し、展望、将来性。


 今回の事件の発端となった、あの二枚の絵。

 果たして、あの二枚の絵のパースは、正しいのか。

 それとも――のだろうか。


 部長の眺めるアニメーションの作画は、とても綺麗だった――



《近似のパースペクティブ 了》

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