《始点のディフュージョン》①

 むかしむかし、あるところに、アニメが好きすぎて日常生活に異常をきたしている変人がいました。姓は阿仁田あにた、名は伊之よしゆき。あたしの幼馴染で、当時中学三年生。ちょっと前に声変わりした。

 ……なんて、わりかしどうでもいい前置きを挟みつつ、これは聞かれたから話す、あたしと伊之にまつわる一つのエピソードだ。

 もっと言うと、思い返す限り、アニメーション研究部というモノが関係する、あたしとアイツにとってのである――







 季節は秋深まる十月、まさに受験シーズン真っ只中。

 あたしは今日も、学校が終わったら塾に行かねばならないのだが、放課後に友達の『らっこ』から話を持ち掛けられた。


「ねえねえ莉嘉ちゃん」

「んー?」


 帰る準備をしながら、あたしは生返事を返す。

 らっこ――当然のことながら、あだ名である――はすばしっこい動きで、あたしの机の正面に回り込んできた。見上げると、大きくてくりっとした瞳がキラキラと輝いている。


 少し目線を下げたら、何かの冊子を大事そうに抱えていることに気付いた。

 あたしの視線に気付いたのか、らっこはその冊子をあたしの顔の真ん前まで突き出す。


「じゃーん! 見て見て!」

「いや、近すぎて見えないんだけど……」


 視界が闇で染まっている。らっこは「ごめんごめん」と謝りつつ、その冊子を机の上に広げた。悪気があってやったのではなく、単に彼女はそそっかしいのである。

 あたしはどっちかって言うときちっとしたタイプなので、タイプ的には真逆。

 ……なんだけど、不思議と馬が合うから、人間関係ってよくわかんない。


 そんなことを考えながら、あたしはらっこの持ってきた冊子の表紙に目を通す。

 この時期、結構な生徒が持っているであろうそれに、あたしは無論見覚えがあった。


「学校案内――」


 ――の、パンフレット。高校名は……昇陽しょうよう高校?


「莉嘉ちゃん、この高校知ってる!?」

「あー、名前ぐらいは聞いたことあるかな。あたしの家からそんな遠くないし、結構評判いいって話だけど、気にしたことはないなー」


 併願で受けるには、ちょっと偏差値が高いし。

 って言葉を言う前に、らっこはパラパラとパンフレットを先走ってめくっていく。


「じゃあ高校見学にGOだよ!」

「急すぎない……? らっこ、昇陽高校狙ってるの?」


 高校の中身を知る前に、いきなり高校見学案内のページを見せられても困る。

 らっこはあたしの質問に対して、嬉々として答えた。


「うん!」

「なんで?」

「ビビッときた!」


 そんな理由で高校を選べるという度胸は、多分あたしには無いものだ。ちょっと羨ましい。

 設備とか、進学先とか、家からの距離とか、部活とか、制服の可愛さとか、普通はそういうので高校を選ぶはずだけど、らっこはセンスで生きているに違いない。


 因みに、この前の実力テストの結果だが、らっこはあたしより点数が良かったりする。

 なお、らっこは塾に一切通っていない――


「あたしはビビッと来る以前の状態なんだけど」

「でも莉嘉ちゃんも絶対に気に入ると思うなー。ほら見て! 食堂がきれい!」

「ポイントそこなのね」


 でも食堂は確かにきれいだった。あたし的にはあまり加点ポイントじゃないんだけど……。

 とはいえ、あたしも勉強はしているものの、志望校についてはまだ固まっていない。


 どこか希望の高校があるわけでもなく、とりあえず偏差値が高いところに行けたらいいや、みたいな感じで受験勉強の日々を送っている。

 担任の先生からも、塾の先生からも、そろそろ志望校はハッキリさせた方がいいとは言われているけど、らっこ曰くの『ビビッと』は、あたしにはまだ生まれていないのが現状だ。


「でもまあ……うん。いいよ、行こっか」

「やったー!」


 なので、あたし自身の意識改革も必要だと思い、あたしはらっこの提案に乗ることにした。

 ここで断ると、恐らくこの子は涙目になって肩を落とすだろうし。


「あ、それでね。莉嘉ちゃんにもうひとつ、お願いが」

「なんでもどーぞ」


 帰りにコンビニでお菓子を買いたいから、小銭を貸して欲しい――みたいなお願いかと思ったら、らっこは妙にもじもじとしていた。

 嫌な予感ものが全身を駆け巡ったことを感じ取る。

 言うなれば、女のカンってやつ。


「えっと、阿仁田くんも……誘わない?」

「は?」


 顔を赤らめながら、どうしてアイツの名前を出したのか。

 状況が読めず、あたしは昇陽高校のパンフレットでらっこを思わず扇いだ。

 熱があるんじゃないかしら……マジで。

 流石に冗談だと信じたいので、あたしは改めて聞き直した。


「えっと、阿仁田ってアレよね? 隣のクラスの変人」

「莉嘉ちゃんのおさななじみの!」

「いやその前置きはいらないから」


 事実ではあるけど。って、やっぱりアイツなんだ。

 らっこはアイツと接点がない――というか、この学校でアイツと接点がある人間を探す方が難しい。

 多分、二人は喋ったことすらないと思うんだけど、果たして何があったのか。


「阿仁田くんって、変な噂が多いけど……でもビビッと来ない?」

「来ない」


 『ビビッと』がどうやら、らっこお気に入りのフレーズになったようだ。

 あんまり遠回しに攻めるのもアレなので、あたしはもう直球を彼女に投げ込むことにした。


「出来れば否定して欲しいんだけどさ……らっこ、アイツのこと好きなの?」

「えー!? そ、そそ、そんな! 好きとかじゃなくて、気になるっていうか……り、莉嘉ちゃんこそ、阿仁田くんとどういう関係なの!?」

「近所の幼馴染」


 間違いなくそれ以上ではないし、むしろそれ以下すら有り得る程度の。

 あたしの返答に疑いを持ったのか、らっこは鼻息荒く顔を近付けてきた。前々からその辺りの話を、直接あたしに聞きたかったのかもしれない。


「でもやっぱり、何かあるんでしょ!? ほら、何かこう! 何かが!」

「質問がふわふわしすぎ! いやマジで無いってば! そりゃ小学生の頃は一緒に遊んだりもしたけど、今はもうすれ違っても挨拶すらしてないから!」

「熟年離婚……!?」

「思いついた単語をすぐ口に出すのはやめて」


 正確性を加味して言うならば、仮にあたしが挨拶をしたところで、アイツがスルーしてくるんだけど。

 あー、でも親同士が仲良いし、その絡みでたまーに休みの日に会うことはある……。でもそれをらっこに言うのは……やめとこ。

 一体何で納得したのかは分からないが、らっこは腕組みをしてうんうんと頷いていた。


「アレだよね。距離を置いた分だけ、相手のことが理解出来る的なアレ!」

「……あたしの話に何故なっているのかは、この際気にしないけど。仮にアイツを誘いたいとしても、多分無理だと思う。まず、アイツは受験のことなんて何も考えてない。で、成績超悪いし、昇陽高校なんて間違いなく受からない。何よりも超超面倒くさがりだから、高校見学なんて絶対に行かない。そんなのに時間を使うぐらいなら、アニメ観るから」

「……詳しい……」

「あ、いや、一般論! 一般論ね!?」

「一般論で一人の人間を細かく語れるものかなあ」


 急に鋭いことを言い出した、この子。センス、センスが光り輝いている。まぶしい。

 あたしは取り繕うように、昇陽高校のパンフレットをらっこに突き返す。


「と、ともかく! あたし個人としては、アイツだけはホントやめとけって思うけど、でも人の好みって人それぞれだから! ほら何だっけ、虫がどうのこうの!」

たで食う虫じゃないかなあ?」

「そうそれ! 賢い! くやしい!」


 性格と学力にあまり関連性は無いんだろうなあ……。


「阿仁田くんって外見は結構カッコいいと思うし、蓼食う虫ってのはちょっとおかしい気もするけどなー」

「いや人間中身だし……。一応誘ってはみるけど、あんま期待しない方がいいかも。っていうか、来ないって考えといて」

「りょーかーい。でも、もし来たらどうしよ!?」

「頑張ってお喋りすれば? 五分で嫌気差すから」


 そういうわけで、らっこたっての希望により、アイツ――伊之を学校見学に誘うことになったのである。

 まあヤツは絶対に来ないだろう、というあたしの予測は、絶対当たるという確信にも似た自信があった――


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