《悪戯のサンプリング》⑦


「先に言っておくぞ。断る」


 咲宮会長が部室の扉を開いた瞬間に、冷めた声が先制攻撃のごとく飛んだ。

 中を覗くと、部長はこちらを一瞥すらせずに、今期のアニメの方に視線を固定している。予知能力でもあるのかと言いたかったが、どっちかって言うと部長は予測能力が高いのだろう。

 咲宮会長の表情と、その背後に居るぼくを見た時点で、何を言われるか察したに違いない。


「まだ何も! 言っていないでしょう!」

「じゃあ好都合だな。そのまま何も言わず、着席した後にアニメ視聴に移れ」

「くっ……! 坂井さん! あなたからも何か言ってあげて!」

「えええ……。あの、部長。一応、咲宮会長の話ぐらいは聞いてあげればどうですか?」


 無茶振りをされたので、とりあえず部長に話を通してみるが、ぼくだって部長との付き合いはもう一年以上経つ。

 どういう反応をされるかぐらい、もうほとんど読めていた。


「聞いてどうする。大方、今話題らしいイタズラ行為の一件についてだろう。だが、俺はあいにくと被害に遭ったこともなければ、それをどうこうする義理もない。前回の――あの二枚の絵が被ったとか言うやつは、お前が入部することを条件に引き受けたがな。どうせ、今回も俺に何かしら働けと言うのだろう? 阿呆か、咲宮。いつから俺はお前の知恵袋になった? 部に関わることならばまだしも、生徒会が関わる領域に、アニ研部長の俺がいちいち首を突っ込むなど最初から道理が通らん。そのぐらい、いい加減理解しろ。成績優秀者だろうが」


 むべなるかな――部長は淡々と、こちらの思惑を先読みした上で、拒否の理由を並べ立てた。ぐうの音も出ないくらいに、部長の方が正しいだろう。

 ぐぬぬ、と咲宮会長が唸っている。何だか前も見た光景である。

 咲宮会長は阿仁田部長のことを評価はしているのだが、まだ理解をしていない。


 部長って性根は優しいし、頼りになる人なんだけど、原則として損得勘定で動く。

 それが結果的に自分、もしくは部にとってプラスになるなら動いてくれるし、そうでないなら動いてくれない。

 咲宮会長もいい加減、その辺りの部長の性分が分かっていると思っていたのだが――


「ぶ……部員が! 困っているのですよ! それは周知のことでは!?」

「俺は部長だが、こいつらの保護者じゃない。本気で困っているなら、もっと他に相談すべき相手が居るだろう。そも、相談も特に受けていないが。大して困ってないんじゃないのか」

「そういうわけじゃないですけどね……ぼくは特に」


 まあ、部長に相談するほどのことでもないが。

 イタズラを受けたことは毎回言っていたものの、それでもまだ己で何とか出来る範囲だと思っていた。今はちょっと違うけど。


「んー、でも、九太郎先輩は結構ダメージを受けているわけですし……巡り巡って、さっき美弥美先輩が田中の精神へダイレクトアタックをしたのも、元はと言えばそのイタズラをする人が原因ですし。部長先輩が動く理由は、多少なりあるのでは?」

「かわいそう。九太郎くん……目の敵」

「だからと言って、俺が動く理由が分からん。教師、生徒会、風紀委員が連携して解決に当たればいいだろうが。この三者が出来ないことを俺が出来たら、その存在意義が問われるぞ」


「少々込み入った事情があるので、一度阿仁田さんの意見を伺いたかったのです。これは、あなたの校内における評価の向上にも繋がることです! 甘んじて受け入れてくださる!?」

「その妙な上から目線が気に入らんな――元より評価なぞどうでもいいが」


 会長の交渉は、部長へ真正面からぶつかるというものだ。しかし、それでは絶対にこの人は首を縦に振らない。

 ぼく個人としても、あのイタズラ行為はさっさと中止して欲しいので、彼らのイタズラを取りやめる条件――即ち行為に至る『理由』は、解明して頂きたい。

 このままでは話は平行線の千日手だ。さてどうするかとぼくが悩んだ辺りで、部室の扉がかなり乱暴に開く音がした。


「………………」


 現れたのは――どうやら文芸学部に顔を出していたらしい、馬越先輩だった。

 それ自体はよくあることなのだが、今は決定的に、違う部分が一つだけある。


 ぽたり、ぽたりと、先輩のちょっと癖のある毛先から、雫が滴っているのだ。

 それは、一転して静寂に包まれた部室において、妙に小気味よいリズムを奏でていた。


 ああ……この人も被害に遭ったのかぁ。誰もがそう思う中で、ずんずんと馬越先輩は部長の前まで無言で歩き、それを机の上へ思いっきり叩き付けた。


「――――これあげるから、あのバカ双子をなんとかして」

「おい、莉嘉」

「今すぐ」

「…………。あー…………分かった。なんとかする。だからとりあえず、座れ」


 馬越先輩が部長へと渡したのは、ギフト券三千円分だった。佐藤くんよりも三倍高い。

 田中さんの悲鳴タックルを受けても全く動じていなかった部長だが、珍しく今は狼狽した様子であり、自分の鞄からタオルを取り出して、馬越先輩の頭にかぶせている。

 多分、馬越先輩の怒りゲージが限界を突破したことを察し、対応を変えたのだろう。その辺りはさすが、幼馴染の間柄だと言わざるを得ない。


「……へえ、そうですか。馬越さんのお願いなら、素直に聞き届ける。そういうことですか」


 咲宮会長が、口を尖らせるようにして呟く。見るからに不服そうである。


「勘違いするな、咲宮。先立つモノを渡されれば、俺だって素直になる時もある」


 ギフト券をうちわのようにパタパタと指で振りながら、努めて冷静に部長が返事した。


「同じことを田中がしても、部長先輩は助けてくれなさそうですけどねっ!」


 にこやかに田中さんが素で煽った。そういうとこ……そういうとこだぞ!

 一方で岩根さんは口をつぐんでいる。この辺りに、二人の差が現れている気がする。


「……咲宮さん」

「何でしょう?」

「校則であいつらを死刑に出来たりしない?」

「あっ、あなたは! 司法とか学んだことはおありで!?」


 あまりに突拍子もないことを言われたので、咲宮会長も狼狽した。

 今の馬越先輩は抜き身の刀のような鋭さがあり、ヘタに触ればこちらがスパッといってしまうだろう。

 乾坤一擲ならぬ怨恨一擲とでも言えばいいのか。あの兄姉きょうだいを祟り殺しかねないオーラが漂っている。

 部長は眼鏡のブリッジを指で押さえながら、アニメの再生をリモコンで止めた。


「ひとまず、何があったのか話してみろ」

「それよりあの双子をなんとかする方法、浮かんだ? ねえ?」

「おい……落ち着け。この短時間で浮かぶわけないだろうが。一旦、あいつらの呆けた顔でも見て、精神をリラックスさせろ」


 真剣に馬越先輩を宥めている部長の姿を見られるのは、かなりレアだと思う。

 が、部長はそんな見物気分のぼくらに気付いていたのか、馬越先輩の視線をこっちに誘導した。

 闇を湛えた瞳が、かぶせられたタオルの隙間から、ぼくと岩根さんと田中さんを見据える。全く同時にぼくらの姿勢が良くなった。


「思うんだけど――」

「は、はい。ぼくで良ければ聞きますよ」

「――あたしだけ濡れて、三人が濡れてないのは不公平じゃない……?」

「ひいっ」


 スゴみで田中さんが悲鳴を上げた。岩根さんが無言で、ぼくの方に椅子を寄せる。


「そ、それは不公平っていうか、むしろぼくらからすれば不条理の極みのような……」

「ああもう、後輩に妙な圧を掛けるな。っていうかさっさと水気を拭け」


 見かねたのか、部長が立ち上がって、先輩の頭に乗っているタオルをわしゃわしゃと動かして強引に水を吸わせている。

 風呂上がりの妹の頭を拭く兄のような振る舞いだった。


「ちょ……やめ! 痛いし! っていうか恥ずかしいし!」

「……無抵抗」

「田中知ってますよ! これぞ、まんざらでもないってやつです!」

「話を! させて頂いてよろしいでしょうか、阿仁田さん」

「ああ。手短に頼む」


 わしゃわしゃをやめて、部長が自分の席に戻る。

 不愉快というか不機嫌というか、ともかく苦い顔をしている咲宮会長が、語気を強めて話を動かした。

 理路整然と、咲宮会長が先程の生徒会室での一幕を部長に語り始める。


 犯人である依成兄姉のこと、この二人がイタズラ行為をする理由を当てられれば、それを取り止めること、ついでにぼくが呼ばれたくだらない理由など。

 聞き手の部長は腕と足を組みながら、適当に相槌を打っていた。


「楽だな」

「へ? 楽って……」


 思わずぼくは聞き返す。何が楽だというのだろうか。


「その双子のイタズラ行為を取り締まるとなると、全く方法が浮かばなかったが――条件を満たせば向こうが勝手にそれを止めるのなら、楽だろう」

「イタズラの理由など、普通の感性をしていれば分からないものでしょう」

「逆だ。愉快犯特有の思い付きや衝動……いわゆる悪戯心の発露であれば、そんなもの理由もクソもない。にも関わらず、そこに理由を求められても困窮するだけだ。だが、そいつらは明確に何か理由があると自分達で言っている以上、考える余地がある」


 岩根さんの方をちらりと見ながら、部長がそう言った。

 あの双子は突発的な行為ではなく、何かの理念、もしくは目的意識があってイタズラを繰り返している。

 それを推察するだけでいいのなら、これほどまでに楽なことはない――と。

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