《近似のパースペクティブ》④
ある日の放課後。少し茜色の混じった西陽に照らされた教室内に、ぼくと岩根さんだけが残っている。二人で密談でもするのかと思われがちだが、生憎そういうわけではない。
ぼくはちりとりを、岩根さんは箒を持って、二人で黙々と教室内を掃除しているのだ。
「…………」
「…………」
そう、これは立派な部活動――掃除部と呼ばれる、岩根さんが所属している謎の部活の、だ。
この昇陽高校は、必ず部活動に所属しなければならないという校則がある。だが岩根さんのような問題児――語弊はあるが、あえてそう評する――は、部活に所属しないことがままある。そういう生徒の為に、便宜上所属させる影の部活が、この掃除部というわけだ。
顧問は不明、部員の人数も不明、そもそも岩根さん以外に部員が居るのかすら不明という、ある意味この高校最大の謎かもしれない。そして、真面目に活動しているのも多分彼女だけで、ぼくは流れでそれに付き合っているのである。最近は担任の先生もぼくらの活動を認知したらしく、「今日もよろしく」と告げてきた。ううむ、どこか釈然としないぞ……。
しかしぼくのそんな感情をよそに、岩根さんは機敏な箒捌きで、教室内の埃を一箇所に固めている。ぼんやりした印象のある岩根さんだが、運動神経は良いし、大体何をやらせてもソツなくこなす。コミュニケーション能力以外は優等生なのだ。
で、唐突な話ではあるが――こう、何というか。ぼくはちりとりを使うので、彼女の前でかがむ必要があるのだが、やっぱり……前を見ることもある。下ばかり見ているわけにもいかないというか……。
まあ、要するに、ふと視線を上げたら、彼女の脚が見える――ニーソックスの上で主張する、白くて柔らかそうな太腿が覗いているのである。この場合重要なのは、彼女の太腿がぼくを見ているのであって、ぼくは太腿に見られているのだ。だから別にやましいことは何もないし、言うなればふと視線が交錯するようなものだ。ぼくの視線と岩根さんの太腿の、刹那の邂逅というわけである。
いやしかし眩しい……触ったらどうなるんだろう……。指が永遠に沈み続けるんじゃないのか……? もし彼女の前でちりとりを構えるだけの仕事があるなら、是非永久就職したいものだ……。
「……九太郎くん」
「うわあ!?」
ぼくのアレな耽溺に見かねたのか、それとも太腿に告げ口されたのか、岩根さんの声が頭上から聞こえてきた。や、やばい、何か今のぼくは――変態っぽくないか……?
「もうちょっと……そっち」
「あ、ああ、前の方?」
「逆」
「う……」
下がれ、とのことか。本能的に太腿へ前進しようとするとは、何てヤツなんだ、ぼくの本能という名の生き物は。後でぼくの方からキツく叱っておかねばなるまい。
部長からケダモノ男子高校生扱いされたことを、あまり笑えなくなったな……。一歩間違えば岩根さんに失礼が及ぶんだし、ちゃんと掃除しないと。
「……終わり。行く?」
「そうだね……もうみんな揃ってるだろうし」
後片付けをして、ぼく達は部室に向かうことにする。あまり待たせると、部長のヘソが恐るべき角度で曲がってしまう。そうなった場合、一番とばっちりを食うのはぼくだ。因みに二番目は田中さんである。
部室棟に二人で向かう――その道すがらのことだった。
「九太郎くん……これ」
「へ? どうしたの?」
岩根さんが廊下で立ち止まったので、ぼくも思わず足を止める。職員室近くの、全学年に向けた掲示板の近くだった。彼女はその掲示板を指差している。
まさか咲宮会長が『アニメーション研究部の卑猥なアニメ視聴禁止命令!』みたいな張り紙をしているのではないか……?
戦々恐々と、ぼくは掲示板を確認した。
――昇陽高校美術コンテスト 最終候補作一覧 テーマ・『街の風景』――
そこに貼られていたのは、数枚の絵画だった。
また掲示板の前には、長机と注意書き、そしてペン立てと投票箱がある。ぼくは注意書きに目を通してみる。
「えっと……『投票により一位に輝いた作品は、校外の美術コンテストに当校代表として応募されます。投票する際は、各作品に割り当てられた番号を投票用紙に記載し、また学年とクラス、名前と出席番号を明記した上で投票箱に入れてください。複数投票、及びいずれかの記載が無い場合は無効票とします』ってあるね。こんなのあったんだ」
「結構前から……投票開始。中間発表、前に」
「へー……」
岩根さんの情報を整理しておくと、結構前から投票は始まっていて、既に中間発表も行われたらしい。掲示されている絵の横には、数字の書かれたシールが貼られていた。それが暫定順位というわけだろう。
「って、あれ? この作品全部に、名前がない……?」
「伏せてる。平等……全部」
「まあ、投票制で誰が描いたかって話になると、アレなパターンがあるもんね……」
クラスの人気者と日陰者が作品を出していた場合、多分作品の中身に関係なく、人気者の方に票が集まってしまうだろう。悲しいが、投票とは大体の場合『誰が』という部分に比重が置かれてしまうのだ。
そういう意味では、投票者は記名し、発表者は匿名というこのやり方は、中々に面白いかもしれない。投票者は減りそうだけど。
ここでようやく、ぼくは岩根さんがぼくを引き止めた理由が分かった。
いや、気付くのが遅すぎた、とも言えるだろう。
「――ん? これ、一位と二位の作品が……同じ?」
テーマは同一とはいえ、同じ風景を描かせたというわけではない。事実、三位以下の作品は全て違った風景が描かれている。
にも関わらず、どういうわけか――一位と二位の作品は、殆ど同じ場所の風景が、それぞれ違ったタッチで描かれているのである。
そう、まるで――互いが互いを、模倣したように。
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