ぼくたちの青春は覇権を取れない。-昇陽高校アニメーション研究部・活動録(二冊目)-
有象利路
《近似のパースペクティブ》①
《近似のパースペクティブ》
「卑猥です! 下劣です! 破廉恥です!」
髪の毛を振り乱しながら、テレビ画面を指差しつつ生徒会長――《咲宮(さきみや) 詩(し)優(ゆ)》さんは怒鳴った。その表情は卑猥なモノでも見せ付けられたかのように、真っ赤と真っ青をごちゃ混ぜにした、良く分からない色になっていた。
一方でその咲宮会長から怒鳴られている張本人は、涼しい顔をして「は?」とだけ返した。会長を油とするならば、この人はまさに水……或いは火だろう。
我らが《昇陽高校アニメーション研究部》現部長こと《阿仁(あに)田(た) 伊之(よしゆき)》部長は、咲宮会長の勢いをまるで意に介さない。銀縁の眼鏡のブリッジを指で押し上げて、部長は「見苦しいから座れ」と言った。
「み、見苦しっ……!?」
「年端のいかん子供じゃあるまい。よくあるラノベ原作深夜アニメを観たぐらいで、さも穢されたかのようにギャーギャーと騒ぐな。お前が我が部の新入部員でなければ、今すぐに反省文モノだぞ」
「私が何故、反省文を書かなければならないのですか! そもそも、私は別にアニメーション研究部に入部した覚えはありません! 単に、おばあさまからの言い付けで、あなた達のことを監視しているだけです!」
「監視、ねぇ……。毎日毎日、生徒会の仕事を終わらせた後にここへ顔を出すなんて、もう兼部してるとしか思えないけど」
冷ややかな目で二人のやり取りを見ていたのは、部長の幼馴染であり副部長でもある《馬越(うまこし) 莉(り)嘉(か)》先輩だ。
馬越先輩は文芸部とウチを掛け持ちしているので、たまに部活動へ参加しない日がある。が、今のところ『あの一件』が解決してから以降、活動日には必ず顔を出している。長居する時もあれば、すぐに出て行くこともあるが、いずれにせよ律儀である。
「で、でもでも! 田中は部員が増えて嬉しいです! 会長先輩、ちょっとジュース買ってきてくれませんか?」
「ふざけたことを言う前に、あなたはまず勉学の遅れを取り戻しなさい」
「ひいいいいいい! ごめんなさいごめんなさい! これはその、田中よりも後に入部した会長先輩を後輩扱いとし、パシろうとする田中なりのジョークですごめんなさい!」
今涙目になりながら自分のギャグを解説させられているのは、とある事情でぼくと同い年ながらも学年は一つ下、つまり部内ヒエラルキー最下層に位置する《田中 ひろ》さんだ。
未だ一人だけ違う学校の制服を着ている田中さんは、咲宮会長からすれば一刻も早く矯正したい対象なのだろう。その目の厳しさはぼくらへの比ではなく、部長と同等ぐらいである。一方の田中さんはというと、捕食される前の小動物然とした怯えっぷりだった。
「賑やか。楽しい……毎日。ね、九太郎くん」
来日一年目ぐらいのカタコトっぽい喋り方で、ぼくにやんわりと笑いかけたのは、ぼくと同じクラスで何かと注目の的になりがちな《岩根(いわね) 美(み)弥(や)美(び)》さんだ。笑いかけた、と言っても、多分彼女のことをよく知らない人から見れば、無表情にしか見えないだろうが。
外見はまさに美少女な岩根さんだが、コミュニケーション能力に結構……いや、多少難がある。最近は改善の傾向にあるものの、ちゃんと意思の疎通が出来るのは、部内だと何故かぼくだけである。部長曰く「波長が合ってるんじゃないのか」とのことだが、物凄く興味なさそうに言われたセリフなので、アテになるかどうかは微妙なところだった。
さて、そんなぼくの名前は《坂井(さかい) 九(く)太郎(たろう)》と言う。濃い他のメンツに比べると圧倒的に無個性で、取り立てて優秀な部分もなく、コミュ障に片足を突っ込んでいるオタクなヤツ……と、自分で紹介していて情けなくなる。
まあ、それがぼくと言う人間の全てなので、隠し立てもしないけど……。
ぼくらはつい最近、部の存続を賭けて、とある問題に取り組んだ。それは咲宮会長の祖母――アニメーション研究部顧問、弥刀野先生が終生抱えていた問題だ。
弥刀野先生はもう先立たれたけど、その先生がずっと守ってきたこの部に、孫である咲宮会長が楽しげに(あくまでぼくの目線からだが)参加している。きっと、弥刀野先生がこの光景を見たら、柔らかく笑ってくれるのだろう。
そんなことを考えながら、ぼくは部長と会長のやり取りを眺めていた。
「おい坂井。お前は深夜アニメにおける乳と尻、そしてパンツの露出についてどう思う?」
――で、とんでもない地雷を部長にブチ込まれた。油断しているとすぐにこれだ!
ぼくの今後の学校生活における品性すら左右されそうな質問である。何でその質問対象がぼくなのか、抗議の声をすぐに出した。
「な、なぜぼくなんですか? 咲宮会長に聞くべきでは……?」
「この女に聞いたところで『破廉恥ですぅ~!』と言うだけだろうが」
口先を尖らせるようにして、部長が恐らくは会長の物真似をした。
「うわ、似てない」
「侮辱しないでくださる!?」
「そも、この部において男は俺とお前だけだろう、坂井。お前も一人の健全な男子高校生として、その一般的なケダモノの目線をこの阿呆に教えてやれ」
完全に誘導尋問というか、印象操作が入っている。こんな前フリをされたら、今から何を言っても、それはケダモノ男子高校生の意見になってしまうじゃないか。
ぼくは男子高校生ではあるが、別にケダモノじゃない……はずだ。
断言は出来ないものの、ぼくはちらりと岩根さんと田中さんの方を見た。岩根さんはいつも通りの無表情に、ちょっと朱を差しながらぼくを見ていて、田中さんは満面の笑みだった。
一体この二人は、ぼくに何の答えを期待しているのだろうか……。
「えっと、まあ、部長の望む答えを言うのであれば、別に構わないのでは……と思います。そういうアニメだからこそ、深夜っていう人目に付かない時間帯にやってるわけですし……」
「ほれ見ろ。これが一般的スケベ男子高校生の模範解答だ。俺達は乳と尻とパンツが見たいから、そういうアニメを探している。そしてアニメ製作会社はそんな俺達の意を汲み取って、そういったアニメを作る。需要と供給が一致するだろう。部外者の女がギャーギャー騒ぐな」
「九太郎くん……すけべ」
「いやあ、九太郎先輩も一匹のオスですからね~。田中もこういう時、♂に産まれたかったなーって思いますよ~」
「ちょっと待ってよ! ぼくの意見じゃないよ!?」
あくまで部長の望む答え、という前置きをしたのに、全く誰も聞いちゃいない。というか部長の言い方のせいで、ぼくらは同類項にされてしまった感さえある。
確かにそういうアニメをぼくも観ないわけじゃないが、でもだからと言ってそういうアニメだから観る、というわけでもないのだ。観たアニメの中にそういうシーンがあった、という言い方の方が正しい。言うなればラッキースケベみたいなものである。
「恥ずかしがらなくてもいいのよ、坂井くん。伊之だってそういうアニメのDVD持ってるし」
「何だ莉嘉、勝手に俺のコレクションを見たのか? 中身を観たいならちゃんと俺に言え」
「別に観たくもないわよ! イヤミだっつーの!」
「……相変わらず頭の痛くなる部活ですね、ここは。ああ、おばあさま……嘆かわしい」
確かに弥刀野先生の時代のアニメと、ぼくらの時代のアニメにはかなり開きがあるだろう。
事実、さっき生徒会長が観た――と言うか、垂れ流しされていたのを観られた――アニメは、女キャラが三歩歩けばパンツを見せて、走れば大袈裟に胸が揺れるようなアニメだ。人によっては、激しい嫌悪感を抱いてしまうのも仕方がないだろう。
「大体、馬越さんに岩根さん、田中さんも居るのですよ? 女性が居る中であんなモノを見せ付けるなど、猥褻物の押し付けです! 汚らわしい!」
「だ、そうだ。答えてやれ、鍛え抜かれた我が部の精鋭達よ」
部長が顎で、馬越先輩以下三人をしゃくった。まずは馬越先輩が溜め息混じりに答える。
「あたしはもう慣れてるから。どうせ絵じゃない、あんなの」
「おい莉嘉、アニオタに対する最強の喧嘩文句をここで吐くな。買うぞ」
まさに身も蓋もない言葉だった。とはいえ、小説なんてただの文字列だろ、って部長が言い返してしまえば、本当にこの二人の間で紛争が勃発してしまうだろうが。
「わたしは……可愛いから、すけべな絵……アニメの」
「えーっと……坂井さん、お願いします」
会長が若干申し訳無さそうに、ぼくに依頼をしてくる。岩根さんの通訳は、成績優秀者である会長でさえも苦戦するらしい。ミヤビンガル(彼女の通訳者のことをこう呼ぶ)であるぼくの出番だった。
「多少破廉恥な絵柄でも、それを踏まえた上の可愛さにこそ価値があると言いたいようです」
「ほ、本当にそう言っているのですか?」
「それはぼくに言われましても……」
無論、ぼくだって通訳が合っているかの自信はない。が、岩根さんはどこか満足そうに頷いていたので、多分誤訳にはなっていないはずだろう。
「田中はですねえ、おっぱいもおしりもパンツも大好きです! オールオッケーです!」
「あなたは一度、中村先生に頭を診て貰った方が宜しいのでは」
ド直球だった。「はうあ」と田中さんが轟沈する。彼女は部内において、部長に並び立つ程のオタクなので、そういう方面に対して理解どころか愛すらある。その発露があの発言なのだが、まあ咲宮会長からすれば、脳味噌の中身を疑われても仕方ないのかもしれない。
「はあ……もう充分です。分かりました」
「ようやく理解出来たか。じゃあ次も似たようなアニメを観せてやる」
「ええ。あなた達がおバカさんということが、よーく分かりましたとも! 校内でそのような低俗の極みであるアニメを流すことは、生徒会として許容出来ません! 今後は先に生徒会へ伺いを立て、そこで許可申請が通ったアニメのみを流すこと! いいですね!?」
お、おバカさんと来たか……。何だか妙に可愛らしい罵倒だと思った。
真剣な顔をして叱り飛ばす会長を、蚊でも払うかのような動作と共に、部長は切り捨てた。
「あーはいはいはい。十年後ぐらいに施行しといてくれ。頼んだ」
「こ、この……!」
「無駄よ、咲宮さん。そもそも、そんなルール横暴の極みじゃないの」
「馬越さん! あなたはどちらの味方なのですか!」
「どっちの味方でもないってば。ただ、あんたより伊之っていう生き物について詳しいだけよ」
そう言って馬越先輩は文庫本に目を落とした。ぐぬぬ、と咲宮会長が悔しそうにする。部長包囲網を敷こうとしていたのだろうが、目論見が外れた形である。
「うーん、正妻戦争って感じですねえ!」
「馬越先輩……嬉しそう。ちょっとだけ……勝った感じ」
「そ、そうかなあ?」
言葉とは裏腹に、馬越先輩は幼馴染として部長のことを憎からず思っているのは間違いない。
そう、言うなればツンデレ的なところがあるのだが、本人の前でそれを口にした途端、ぼくは馬越先輩の持っている文庫本の角でブン殴られるだろうけど。
一方で咲宮会長も、部長と喋っている時は、普段より活き活きとしているように見えなくもない。この二人は犬猿の仲だが、一口に仲が悪いと断ずるほどでもない気がする。普段は凛としていて大人びている生徒会長が、部長の前だと精神年齢を強制的に引き下げられているというか、自分の土俵に立てていないのだ。それが新鮮に見えるのかもしれない。
で、当の本人である部長は、完全にゴーイングマイウェイなペースを貫いているので、いずれにせよ元凶は部長である。以前この人は、ぼくのことをギャルゲー主人公とかハーレムアニメ主人公と揶揄して来たが、やっぱりどう考えても部長の方がそれに近いんじゃないだろうか。
会長と部長の闘争は延々と続くのではないかと思われたが、意外にも部長の方が先に折れた。折れた、と言うよりかは折れてやったに近いが、小さく溜め息をつきながら足を組んで、咲宮会長の方を見やっている。
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