《始点のディフュージョン》⑩(終)
「――そっから受験が終わるまで、伊之ってばマジで平日の夜はあたしの家に来てたのよね」
しみじみと思い返すように、馬越先輩が指で机をトントンと叩いている。
……あ、えーっと、ぼくの名前は坂井。アニメーション研究部に所属する二年生だ。
で、ぼくの右隣でぽやんと聞いているのが同じクラスの岩根さんで、左隣でしきりに頷いているのは同い年で後輩の田中さん。
部長が何やら遅れるとのことで、今日の活動はもっぱら雑談だった。
発端となったのは、「昇陽高校を受験することになった切っ掛け」という、ぼくが適当に振った話題である。
そこから、馬越先輩が知られざる部長の過去を語ってくれた。
けっこう、嬉しそうに。
「それで、あいつの受験について超ムカつく一件が、後々になって発覚したのよ。何か分かる?」
「……落ちた? 阿仁田部長」
「受験に落ちてたら、部長はこの場に存在しないことになるよ……」
「ま、まさか、部長先輩は裏口入学だったのでは……!?」
二人は散々なイメージを部長に持っているようだった。
とはいえぼくも、受験で部長が何かやらかしたとするなら、カンニングとかそういうのではないかと思ってしまったけど。
基本的に、勉強方面でクリーンなイメージが部長にはないのである。
しかし馬越先輩は首を横に振り、苦々しげに語る。
「……あいつ、入学式の新入生男子代表に選ばれたの」
「えーっと、それって……」
「どういうことなのか、田中にはさっぱり……」
「一番。受験」
「そうなの?」
「そうなのよ!」
「言葉の通じぬ異界に来てしまった感覚が田中を襲っています!!」
察しは良いけど言葉が超絶足りない岩根さん……の言っていることが大体分かるぼくと、最初から分かっている馬越先輩に置いてかれた田中さんが、悲痛な叫びを上げた。
ぼくには全く関係ない話だったが、昇陽高校の入学式において、新入生代表は男女一人ずつ選ばれる。
岩根さん曰く、その選考理由は単純で、成績優秀者――つまり、入試の点数が最も良かった者が選ばれるらしい。
そのことを田中さんに教えてあげたら、目をぱちくりとさせた。
「つ、つまり、部長先輩は……」
「うん。伊之が男子一位。因みに女子一位は、咲宮さん」
「それは予想通りですね……」
「すごい。部長……勉強。努力が」
「うーん……まあ、あの人がやれば出来るタイプってのは、ぼくはもう知ってるつもりだったけど。まさか入試の時からそうだったとは思いませんでした」
十月の段階で、実力テストの点数が平均より遥かに下だったのに、入試の時点ではトップクラスの成績になっているとは。部長らしさここに極まれりと言える。
ぶっちゃけかなり羨ましいというか、本当に冗談みたいな人だ。
馬越先輩は忌々しげに机をばん、と叩いた。
「勉強を教えたのはあたしなのに! 何で最終的にあたしより頭良くなってんのよ、あいつ! それ考えると、今でもイライラするわ……!」
「それだけ部長先輩が頑張ったということでは……?」
「頑張ったって、あいつマジで土日はアニメ観るから勉強してなかったのよ!? 普通の受験生に比べて、圧倒的に努力してないくせに、結果だけ残すとかホントもう……!!」
「た、確かにそれを聞くと、ズルいように思えますね……」
「才能……うらやましい」
ぼくからすれば、岩根さんも馬越先輩も成績優秀者なので、充分に羨ましいのだが。
ただ、馬越先輩はコツコツと努力を積み重ねるタイプだし、岩根さんも飲み込みは早いが似たようなタイプなのだろう。
ヒイヒイ言いながら勉強するが、結果にほとんど結びつかないのがぼくや田中さんで、一切やらないけど、本気でやったら結果が抜群に現れるのが部長である。
ううむ…………やっぱり冗談みたいな人だ。今更だけど。
「――まあ、一年最初のテストの時点で、伊之の成績は下から数えた方が早いくらいに落ちてたんだけど。意味が分からないって、先生が頭抱えてたわ」
「劣化のスピードもとんでもないんですね、部長って……」
「倍速で生きてるみたいですねえ」
「……質問、あります。馬越先輩は、受験……どうして?」
「坂井くん!」
「部長が昇陽高校を受験したのはアニ研の為なのは分かりますけど、志望校が固まってなかった馬越先輩がこの学校にしたのはなぜですか、と言いたいようです」
さらっと翻訳したところ、岩根さんは頷いている。当たっているみたいだ。
「古文の現代訳並に言葉が増えてるのは気のせいかしらね……」
「そうですかね?」
「質量保存の法則が、お二人の会話には適用されないのでは……?」
そもそも会話に質量保存の法則が当てはまるのだろうか。
岩根さんの質問に対し、馬越先輩はしばらく黙り込む。
そして晴れやかな笑顔で告げた。
「絶対言わない」
「えええ……」
「残念……」
「あれ? 部長先輩が受験するからなのでは?」
「適当な憶測は死を呼ぶわよ、田中さん」
「アッ、スイマセッ」
馬越先輩の一睨みで、田中さんが黙らされた。
この話題をこれ以上続けると、多分ぼくらも例外ではなくなるだろう。慌てて話を切り替える。
「そ、そう言えばなんですけど、話の中に出てきたらっこさんって方は、何部なんですか?」
「あー、らっこね。確か、野球部のマネージャーやってるとか言ってたような……」
「疎遠? らっこさん」
「ん? 何か勘違いしてるみたいだけど、らっこは昇陽高校受けなかったわよ。今でもたまに連絡は取り合うけど、基本的には自分の高校の子と楽しくやってんじゃないかしら」
「何かリアルな感じですね……」
違う高校に行った中学時代の友人なんて、大体はそういう感じになるんだろうけど。
意外と言えば意外だったが、ビビッと来ていたはずのらっこさんは、昇陽高校ではなく他の高校に通っているらしい。
これについては、「もっとビビッと来た高校があったんだって」とのことである。
やっぱりセンスで生きているんだなあ……とぼくが思った辺りで、部室の扉が開いた。
「すまん。遅れた」
その場に居なくても話題の中心に居座っていた部長が、汗を流しながら現れる。
ここまで駆け足でやってきたようだ。部長なりに、遅れたことは申し訳なく思っているのだろう。
「珍しいわね。あんたが遅刻なんて」
「ああ。正針部長と一路部長から連絡が入ってな。うちの近くまで来たらしいから、さっきまで校門で互いの近況報告をしていた。あの二人を無下には出来んからな」
「お二人が来てたんですか。ぼくも会ってみたかったです」
「……ん? いや、坂井は二人と面識どころか、名前すら知らんはずだろう。お前が知っているのは、新地・塚井の両名だけのはずだが。どういうことだ?」
「聞きました。思い出……二人の。最初の」
「坂井!」
「偶然さっきまで、馬越先輩から部長が中学時代に昇陽高校へ学校見学に行った話とかを聞いてたんですよ。この部に部長が関わった、最初のエピソードとして」
「古文の現代訳並に注釈が増えるな、お前が訳すと……まあいい。なら機会があれば、お前達を二人に紹介することにしよう。特に坂井は次期部長として、心構えを二人から学ぶといい」
「が、頑張ります……」
ぼくが入部した時、部長は既に部長だった。
その部長が、更に部長と呼ぶ人達。
言葉遊びのようだが、しかし連綿と繋がっている、一本の流れ。それを、ぼくらは歴史と呼ぶ。
人には歴史があって、そしてこの部にも歴史がある。
それにこの前、ぼくは触れたばかりではあったが、こういう形でも関わっていくことになるとは。
話は済んだとばかりに、部長はさっさとリモコンを手にして、アニメを観ようと準備している。
岩根さんと田中さんが、テレビの方を向き直ろうと、椅子を少し動かした。
「坂井くん」
それにぼくも続こうとしたところ――馬越先輩が、頬杖をつきながら、小声でぼくを呼ぶ。
「どうしました?」
「……いや、何でもないんだけど。ありがとね、色々」
「……? えっと、こちらこそ……?」
馬越先輩が何を言いたいのかは、ぼくにはよく分からなかった。
けどまあ……いいか。悪いようには思われてないみたいだし。
「では、今日観るアニメを発表するぞ――」
《始点のディフュージョン 了》
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